8話 市壁と少年
昼食の熱くとろけた蕪のスープが舌を焼く。とろみのついた汁が体全体を温めてくれて、寒いこの季節にはありがたい。
「あふふ……うん、美味しいよ」
「本当!?」
リタさんの指導の成果で、母さんの調理スキルは上がっていた。なんでもないスープでもただ煮込んだのと計算して調理したものでは大分違う。その結果は如実に現れており、ただいまの空室は2部屋のみとなっていた。
「今日はちょっと出かけたいところがあるんだけど……父さん、ついてきてくれる?」
「ん? どこに行くつもりだ?」
「あのね、市壁まで行きたいんだ」
先日の市場見物を通じて、自分の世間の狭さを知った。ただ、自由にあちこち動くには俺は子供すぎて両親が心配する。なので先に断りを入れる事にした。
「ぼく市壁の衛兵さんが見てみたいんだ」
本当の目的は迷宮に行く冒険者の見学だ。だけど、何となくただの興味本位だと誤魔化した。市壁の外の迷宮向かうのはまだ反対されるだろうし、一人では許可証が無いと出られない。
「かまわんが、そんなに見て面白いものでも無いと思うがな」
「だって、みんな見たことあるって言ってたもん」
伝家の宝刀、ミンナヤッテルを抜いた。ちなみに嘘だ。迷宮側の市壁にへばりついているのはフェリクスくらいだ。
「冒険者ギルドに行く用があるから、その前にならいいぞ」
ようやく、保護者同伴の許可を頂いた。こういう時、子供の身は不便だと感じる。
「デカいねぇ……」
父さんに肩車をされながら、壁を見上げる。周りに他に大きい建物がないからか、余計に大きく感じる。昼下がりのせいか人影はまばらだ。
「特に北側の市壁は大きく頑丈に出来ているからな」
「どうして?」
「迷宮に何かあった時の為だ」
迷宮には魔物がわんさといる。それらが何らかの異変で増えて湧き出てきた時の為にこの壁は建てられたのだという。ヘーレベルクに冒険者が多く集まるのも、迷宮での狩りが目的なのもあるが、魔物の暴走を防ぐ為に冒険者には減税措置がある為なのだそうだ。
「やあ、マクシミリアン久し振りだな!」
「ああ、元気でやっているか? ハンネス」
市壁の門に駐在していた衛兵が父さんに話しかけてきた。父さんの知り合いか?
「その子はお前さんの息子か?」
「ああ、もう7歳になった」
「もうそんなになるのか……時が経つのは早いものだ」
目を細め、感慨深げに俺を見つめる衛兵。
「やあ、ルカ。ハンネスだよ。小さい頃に会ったけど、覚えていないかな」
「……ごめんなさい」
「そりゃそうだな。ところでマクシミリアン、こんな所に息子を連れてどうしたんだ?」
「こいつが市壁の衛兵を見たいなんて言いだしてな。ちょうど良い。ハンネス、相手してやってくれ」
父さんはそのまま冒険者ギルドに寄ってくる、とハンネスさんに丸投げしやがった。こっちとしては都合が良いけどね……。
「ねぇ、ハンネスさん。鎧を見てもいい?」
一応、衛兵を見に来た事になっているので衛兵の装備を見せて貰うことにする。鎖帷子に鉄の鎧。武器は片手剣と槍を携えている。かなりの重装備だ。
「重くないの?」
「そりゃ重いさ、けど何かあればここが最前線になる。これはその備えだよ」
そうなんだ。市壁の門も鉄格子と分厚い木の門扉で囲まれて、頑丈に出来ている。
「見回りの時間だけど、特別だ。市壁を案内してあげるよ」
「本当!?」
やった、やった!これは予想外だ。ハンネスさんは俺を連れて市壁の上に登った。薄暗い狭い階段と通路を抜けると日の光が飛び込んできた。
「わあぁ……」
思わず息を飲む。市壁の上からは街と、街の外が一望できた。風が吹き抜ける。壁の内側を眺めれば近くに冒険者ギルド。街の中を流れるロイン川に、立ち並ぶ家を抜けて広場に教会。小高い丘の上には領主館も見える。そのひとつひとつをハンネスさんが説明してくれる。
「ルカ、これを見てごらん」
壁に空いた穴を彼が指さす。何だろう?
「ここから矢を放ったり、熱した油を流すようになっているんだ」
へえ、ここから攻撃するってことか。穴から顔を覗かせると今度は外の風景が見えた。壁の外は鬱蒼とした森が広がっている。その森の手前にあるのは……。
「ねぇ、ハンネスさんあれって……」
「そう、あれがヘーレベルク名物の迷宮だよ」
森の手前には建物が一軒。その屋根にヘーレベルクの街の紋章の旗がはためいている。様々な装備の冒険者とおぼしき人々がそこを行き交う。
「あの旗が赤い色になったら要注意なんだ。有事の際の目印だよ。それからあそこ」
「どこどこ?」
「あの建物の奥。岩場に穴が空いているだろう? あそこが入り口だよ」
彼の言うとおり、切り出した岩には大きな穴が空いており人々が出入りしていた。みんな大荷物だな。
「この時間に中に入るのは、迷宮で何日も籠もる連中だ」
「荷物が多いね」
「装備に薬品、食料なんかもあるからな……ほら荷物持ちもいるだろう」
持っている武器はナイフ程度。背負子に物資を詰んだ荷物持ちがパーティーの後続に続いて入るのが見えた。
「彼らは戦闘こそしないが、荷物持ちと案内役を兼ねている。長いことやっているやつは誰よりも迷宮に詳しいから引っ張りだこだよ」
迷宮のプロか……。景色をたっぷりと堪能した後、ハンネスさんに手伝って貰いながら市壁を降りた。
「すごいね! ハンネスさん本当にありがとう」
「どういたしまして」
ことさら丁寧にお礼を言った。良い物を見させて貰った。俺が感慨にふけっていると、門の方から不機嫌そうな声がした。
「とっとと通してくれ。暇じゃないんだ」
「お前カラ降りだったんだろう? なら暇じゃないか」
「うるさい!」
見ると、この寒いのに薄汚れたシャツ一枚の灰色の髪をした少年が門番にからかわれている。俺とそう歳が違わないように見えるが、彼も荷物持ちなのだろうか。
「見てんじゃねぇぞ」
あんな小さいのに迷宮に出入りしているのか、とじっと見てると凄まれてしまった。
「こら、八つ当たりするんじゃない」
ハンネスさんがたしなめたが、彼は不機嫌に鼻を鳴らすと大げさに足音を立てて去って行った。
「あの子も荷物持ちなの?」
「ああ……生活の為なんだろうが、あんな小さい子がこんな仕事をしなくてもいいのにな。タグを発行するギルドもどうかしている」
嘆かわしい、といった風にハンネスさんは肩をすくめた。市壁に登って高揚していた気分が萎んでいくのを感じる。父さんが迎えに来たが、モヤモヤしているままだった。
「どうした? ルカ?」
「なんでもない……」
足取りの重い俺を見て、父さんは器用に右手で俺を抱き上げた。
「衛兵さんは見れたんだろう?」
「うん、市壁の上も見せて貰った」
「なら、なんでそんな顔をしているんだ」
顔を寄せて、父さんが聞く。緑の瞳がまっすぐに俺を見つめている。
「ぼくとおんなじくらいの荷物持ちがいたんだ」
「そうか……」
こんな格好でなんだが、俺は甘ったれだな。色んな人に支えて貰っている。
「ルカ、お前の事だからまた色々と考えているんだろうが」
「……」
「今は、お前の出来ることをやれ。父さんたちはお前を守るためにいるんだ。それは俺にとって当たり前のことだ」
「……わかった……」
俺は父さんの首にギュッとしがみついてから自分で歩ける、と下ろして貰った。もう一度市壁の方を振り返る。あの子の後ろ姿がちらついた。
「……ルカ。動けないわ」
うちに帰ると、今度は母さんに抱きついた。厨房で仕事をしている母さんの後ろにひっついている。身長差から、ちょうど母さんのお尻に顔が来るのだが。別に母さんのお尻が触りたい訳ではない。
「おにいちゃん、あかちゃんみたーい」
「ソフィー、あっちいってろ」
――なんだか、不安なんだ。自分でも子供っぽい行動だと思う。体の年齢に引っ張られているのかな。それにしても……。その日はなかなか寝付けなかった。