6話 夜明け
「――んっ」
カタン、という音で俺は目を覚ました。体を起こすと、扉近くでユッテが短剣を握りしめている。
「……ルカ、起きたか」
「ずっとそうしていたの。ユッテも休まないと」
「ちょっとは寝たさ。……目が冴えてな。体はどうだ」
「もう大丈夫」
眠りに落ちてからどれほどだろうか、仮眠をとったら随分体がスッキリした。
「外はどう?」
「静かなもんだ。……いつもより静かなくらい」
酔客のわめき声も、客室からのいびきも聞こえてこない不気味な静けさに『金の星亭』は包まれていた。規則正しいソフィーの寝息だけが物置の中に響く。
「そうだね……。少し、外の様子も見てみようか。母さんも心配だし」
「うん、ハンナさんを休ませないと」
そっと物置の扉を開けると、窓際で置物のようにじっとしていた母さんがピクリ、と動いた。
「あなたたち、どうしたの? こっちは大丈夫よ」
「母さん、ぼくら交代するよ。母さんもちゃんと休まないと」
形ばかり並べられた椅子には使われた形跡がない。それに非難がましく視線を送ってから母さんを見た。俺の様子に母さんはバツの悪そうに笑ってから椅子に腰かけた。
代わって俺とユッテが窓際に陣取る。月はてっぺんをだいぶ超えている。時間は深夜のようだ。耳を澄ますと遠くから人の声ともなんともつかない低い音がかすかに聞こえてきた。
「さっきから変わらないね、これなら……」
そう言いかけた時だった。
――ピシャーン!
雷光とともにギィィィッ!という叫びが外から聞こえた。
「ひゃっ……!」
「結界になにか引っかかったわ!」
母さんがロッドを手に表の扉に向かって動き出す。それを俺とユッテは慌てて追いかけた。母さんの背中の後ろから表を覗くと、大型の猛禽類……だったようなものが黒焦げになって転がっていた。
「母さん、これ……」
「予想通りね。打ち漏らした魔物がここまでやって来たわ」
空を見上げると、月明かりの中同じ様な鳥型の魔物が上空を舞っていた。そこに雷撃が飛ぶ。あっちは確か、指南所が多くある辺りだ。そうか……ご隠居さん達も出張ってきているのだ。
「ぼくらでちょっとでも減らそう、母さん!」
「……でも……あなたたち……」
母さん一人でなら反撃に打って出たに違いない。だけど、俺達がいるから母さんはここを動けない……。その時、厨房からけたたましい泣き声が聞こえた。
「いけない、ソフィーが起きた!」
「あああーん! おかあさーん、おにいちゃーん、ユッテおねえちゃーん」
「ごめん、ユッテ。ソフィーの元へ」
「分かった」
慌ててユッテが奥に引っ込む。さっきの声で通りをうろついていた魔物がこちらに近づいて来るのが見えた。
「あっちゃぁ……」
「どのみち駆除しなきゃだわ。ルカ、手伝ってくれる?」
「もちろん!」
雷は電気……という事で俺はできるだけ思いっきり広範囲に魔法で水を撒いた。近づいて来ていた魔物達は感電しつつも、止まるのをやめない。……まったくこいつらの行動原理ってどうなっているんだ?
「雷槍!」
母さんの雷魔術がそんな魔物達の体を黒焦げにしていく。母さんが打ち漏らした魔物も結界に阻まれておだぶつだ。
そのまま終われば良かったが、魔物の叫び声がまた魔物を呼ぶのか次々と化け物達が現れる。みんなあの壁を乗り越えてきたのか。
「キリ無いなっ! えいっ」
「ルカ、こうなったらもう少し頑張って! この家を守るわよ!」
「うん!」
細かい雷の弾丸をイメージして魔物達にぶつけていく。それじゃそいつらは倒れない。大抵の魔物は最終的に結界に阻まれていくからいいんだけど。その上、俺の体が段々重たくなってきた……くそ、魔力切れか……。
「ルカ! 下がって!」
いきなり母さんに母さんに襟首を掴まれた。見ると、結界に体が触れてなお無事な魔物がいた。
「牛頭鬼……なんでこんなところにまで」
そいつは腕を伸ばして結界を壊そうとしている。大きな鉤爪がついていてうちの壁なんてひとたまりも無さそうだ。俺と母さんが思わず息を飲んでいると大量の放水がそいつを押し戻した。
「おかあさんとおにいちゃんのばかーっ!」
振り向くとそこにいたのはソフィーだった。横に諦めたような顔のユッテが立っている。
「ソフィーおきたらひとりぼっちだったの! ひどい!」
「ごめん、こいつがいたからだな……」
時系列は逆だが俺は全部、目の前の化け物のせいにした。
「だからあいつをやっつけよう、な! ソフィー」
「わかった! おにいちゃん」
火は危ないので使わないようにしながら俺と母さんとソフィーが雷の弾丸を浴びせる。それでも突っ込んできた手の先をユッテが短剣で切りつけた。
「仲間外れは勘弁だなっと」
「ユッテ、無理しないで!」
「お前こそ!」
「そこ喧嘩しない! まだ生きてるわよ!」
がくがくと震えながらも化け物はまだこちらへの進撃をやめない。まったくもう! 本当にどうなってるんだよ! 俺は吐き気をこらえながら最後の雷撃を放った。ああ……また気が遠くなる……。
「ルカ!」
「母さん、それよりあいつを……」
こちらに駆け寄ろうとした母さんを制止して化け物退治を優先してくれと指を伸ばしたその時だった。突然そいつの巨体が前のめりにぶっ倒れた。
「ハンナ! ルカ! ソフィー! ユッテ!」
「……父さん!」
化け物にとどめを刺したのは父さんの剣だった。魔物か人かそれとも父さん自身のものか。その姿は血にまみれていた。
「あなた!」
その姿を認めて、母さんが結界を解く。剣を地面に降ろした父さんに母さんが抱きついた。
「ハンナ……みんな無事か?」
「ええ……魔物の暴走は?」
「小規模だった。これで収束だろう」
母さんの背中に手を回しながら父さんがそう答える。
「帰ってくる奴らの為に一足早く戻らせて貰った。さあみんな! 忙しくなるぞ」
「うん!」
月は遠く西の彼方へ。代わって新しい太陽が、空をアメジストのような紫に染めていっていた。――夜明けと共に魔物の暴走は収束した。
次回更新は5/27(日)です。




