5話 迎撃
母さんは厨房の物置を開いた。手早くいくつかの小瓶を手にして、テーブルに置く。それらを小さじですばやく計量して混ぜ合わせると、二つの瓶に入れ替えた。
「みんな、この中でじっとしているのよ」
物置の中はごちゃごちゃしているが、人が閉じこもれない程ではない。でも入れるのは、体の小さい俺達三人が限度だろう。
「おかあさんは! ここせまいよ!?」
「ソフィー、母さんは外で見張りをするわ」
「ええー……おかあさん……」
泣き止まないソフィーの背中をユッテがそっと撫でている。さっきからユッテはずっと貝のように黙っている。
「安心して。この家の周りに結界を張るから」
「母さん、ぼくも手伝うよ!」
俺の魔力なんてたかが知れているけれど、この家で一番の戦力は母さんだ。その母さんの魔力は温存しておきたい。
「ルカ、危ないから中に居なさい」
「もちろん、結界が張られたら扉の中に入るよ」
「……分かったわ。この瓶を持って表に行くわよ」
母さんは少し考えた後、俺に瓶を投げて寄越した。
「これは?」
「結界の触媒よ。両隣分くらいはあるといいんだけど。それを家の周りに撒いていくのを手伝ってちょうだい」
「分かった!」
俺が頷くと、母さんは屋根裏に装備を取りに行った。その隙にソフィーにしがみつかれているユッテに声を掛ける。
「ユッテ、ソフィーを頼んだ」
「……分かってる。ルカ……」
「ん?」
「やることやったらとっとと戻れよ」
「ああ」
ユッテの言葉に頷いて、俺は物置の扉を閉めた。ちょうどその時、母さんがいつかの赤いローブとロッドを手に現れた。
「ルカ、準備はいい?」
「うん、行こう!」
扉を開ける。北の方向から人と魔物の声だけが聞こえる。まだ壁の中は大丈夫なようだ。
「ルカ、この位ずつ触媒を地面に撒いて」
母さんに指示された通りに塩の様な何かの結晶の粉を撒いて行った。母さんの言うとおり、両隣に差し掛かった所で瓶が空になった。
「ルカ、手伝ってくれてありがとう」
「ううん。母さんは魔物の暴走ははじめて?」
「中で迎えるのははじめてね……」
そう言いながらお隣の扉をノックする。すぐに中からウェーバーのおばさんが出てきた。
「おお、やっぱりハンナか。やれやれ……たまったもんじゃないね」
「ウェーバーさん、これから結界を張ります。いいと言うまで外に出ないでください」
「すまないね。頼むよ」
「いえいえ、これも助け合いですから」
物騒なご近所の助け合いもあったものだ。ヘーレベルクならではの光景だな。母さんはもう片方のお隣にも同じ様に声を掛けて、家の前まで戻って来た。
「さぁ、これから結界を張るから家の中に入りなさい」
「結界……ぼくも張るの手伝っちゃだめかな。母さんの役に立ちたいんだ。まだ、大丈夫でしょ?」
キョロキョロと辺りを見回したが魔物どころか人通りもない。
「ルカ……それじゃあ私の手を繋いで!」
母さんが手を差し出した。俺はその手をギュッと握った。母さんの詠唱が始まる。体の中の魔力が少しずつ、母さんの方に流れていくのを感じた。
「――『雷檻』」
母さんが呟いた瞬間、ぶわっと俺と母さんの髪が逆立った。バチバチッと火花を散らして雷の柵が目の前に現れる。
「これで、完成よ」
この雷で寄ってきた魔物をはじき飛ばすつもりか。電気柵と一緒だな。
「うーん……」
俺はそっとその柵にロッドで触れた。俺のイメージをロッドを通じて雷檻に伝えるとバババッと横に電気が走った。俺がイメージしたのは網だ。
「目の細かい方がいいんじゃない?」
「ルカ、無理しちゃだめよ!」
「大丈夫……ちょっとふらつくけど」
これで家族とご近所さんが安全になるなら、少々の眩暈くらいなんだ。より強固になった結界を後に俺達は屋内へと引き上げた。
「母さん、ここまで魔物は来るかな」
「翼があったり、すばしっこい魔物はやっかいね。北の包囲網でも打ち漏らす可能性が高いわ」
「おかーさーん!」
「こら、ソフィー! 飛び出すなって」
扉の開いた音を聞きつけて、ソフィーが厨房から駆け寄ってきた。そのまま母さんに抱きついた。ユッテも遅れて近づいて来た。
「ルカ、ご苦労様」
「うん……ちょっと疲れた」
「残念だけど薬はさっき全部売れてしまったんだ」
「大丈夫、ちょっと休めば」
ちょっと待ってろ、と言ってユッテはお湯を沸かしはじめた。クツクツとケトルからする音以外、厨房はシンとしている。ときおりソフィーの鼻をすする音が聞こえるだけだ。
「お茶を淹れたから、飲め。ハンナさんもどうぞ」
「ありがとう」
「いただくわ」
温かい液体が胃を伝っていく。体に纏っていた倦怠感が心なしか晴れていくように思える。少しだけ、場の空気が緩んだ。泣きじゃくるソフィーの髪を撫でていた母さんが口を開いた。
「少し早いけど、あなたたち眠りなさい。念の為、物置の中になるけど」
「え、ぼく眠れるかな……」
「眠れなくても横になりなさい。いつ終わるかも分からないし、この後もきっと大変よ」
「そうだぞ……ほら、ソフィーはもう寝てる」
泣き疲れたソフィーは、母さんの膝の上で眠っていた。俺達は顔を見合わせて、少し微笑むと毛布も持って来て物置に入り込んだ。
「……母さんは厨房で本当にいいの?」
母さんは厨房に椅子を並べて毛布を手にしている。そこでとりあえずの仮眠を取るつもりみたいだ。
「ええ、時々外を見ておかないと。朝になったら、ルカ。あなたに交代してもらうわ。だから今は眠ってちょうだい」
「うん……」
ユッテの手で物置の扉が閉められる。ぼんやりと光石の光だけが物置の中を照らす。さっきの結界を作った所為で俺の体力も限界だ。温かい毛布にくるまると、やがて俺にも睡魔の波が襲って来た。
次回更新は5/20(日)です。