4話 警鐘
「……進路、か」
卒業式を終えて自宅に帰ってから、俺は先日のジギスムントさんの言葉を反芻していた。いくら商学校を卒業したとはいえ、年齢的な問題でギルドには入れないだろう。だから今すぐ考える必要はないんだけど。ベッドの上で寝転がりながら、卒業後の自分の身の振り方を考えてみる。
「へーレベルクでの商慣習や、流通商品、契約魔法に、マナー……一通りは身に付けた」
あとはもっとかけがえのないもの。アレクシスやラファエル、クラウディア……それからカールにマルコそのほかのクラスメイト達。俺たちは同期として親睦を深めることができた。もしこの中で、誰かが今後困った事態になったら必ずなんらかの手を伸ばす事になるだろう。
「俺がやりたい事……残りの改装だろ……それから……それから?」
そこまで考えて俺はハッとした。そうか……ジギスムントさんの言葉に心動かされたのはもうゴールが見えちゃってるって事だ。この『金の星亭』の改装が全部終わったら、看板娘2.5人と名物料理を用意したいっぱしの宿が誕生する。改装の費用もこの分だとそう遠くない時期に貯まるだろう。そうしたら……。
「……俺は、どうなるんだ?」
ルカの願い事、それはたぶん『金の星亭』をなんとかしてほしいという事。それが済んだら俺は一体どうなるのだろう。この体から追い出されて元に戻るのか、それとも。
「おにいちゃーん、ご飯だよー」
「ふぇっ!? あ、うん」
悶々と答えの出ない考えに囚われていると、ソフィーが食事に呼びに来た。ふう……俺にはルカが本当に何を考えていたのかなんて分からないし、これ以上考えても……少し怖い。俺はかぶりをふると家族と夕食を取るために階下に降りて行った。
「お待たせ」
「じゃあ、夕食にしましょう」
皆が席につき、いざ食事をとろうとしたその時。――カンカンカンカン!! とけたたましい鐘の音が外から鳴り響いた。
「何、この音!」
「うるさーいー」
びっくりした俺は椅子から転げ落ちそうになり、ソフィーは耳を塞いだ。ユッテはキョロキョロと周りを見渡している。
「あなた!」
「うむ……」
母さんが鋭い声を出し、父さんが立ち上がった。何だ? 何が起きているんだ? ぽかんとしている俺とソフィーとユッテをよそに父さんは厨房を出て階段を昇っていった。二階の客室からも騒がしい声が聞こえて来て、扉がバタバタと開いた。出てきたお客さん達は皆、武装している。
「おい、傷薬をくれ」
「こっちは魔力回復薬だ!」
「はい、ちょっと待ってください!」
ユッテが慌てて会計に走る。みるみるうちに在庫がカラになってしまった。
「母さん……何が起きているの」
「魔物の暴走……」
「え!?」
魔物の暴走。以前迷宮の見学に連れて行って貰った時、父さんと衛兵のハンネスさんが教えてくれた。迷宮から魔物があふれ出て、どうにもならなくなった時の危険信号と北側の壁が強固になっている意味を。
「ハンナ、俺はもう行く。子供たちを頼んだ」
「マクシミリアン……」
「そんな顔をするな。必ず戻る」
そっと母さんの頬を片手でなでて父さんは俺たちを見た。フェリクスの捜索に向かった時のように完全武装の父さんが上から降りてきた。狩りに行く時にいつも使っている父さんの体格にしては細身だけどリーチのある剣を背負っている。
「父さん、みんなさっきから武装して飛び出していってるけど迷宮に向かうの?」
「そうだ。それがへーレベルクで活動する条件でもある……この状況でなんの協力もしなければいい笑いものになるしな」
「でもなんで、父さんもいくの!?」
少しでも落ち着いて話そうとしたが、逆効果だった。気が付けば俺は父さんの腕にすがりついていた。冒険者なら分かるけど、父さんが行くことはないじゃないか。
「おとうさーん、いっちゃやだ……」
ソフィーも尋常じゃない雰囲気を読み取って、しくしくと泣き出した。父さんはそんな俺たちに視線を合わせるようにしゃがみ込むとこう言った。
「父さんは冒険者ギルドのタグを返していない。名目上は冒険者なんだ。……だがな、そうでなくても俺は行く。魔物の暴走を抑えられなければこの街はおしまいだ。そうなったらお前たちを守る事もできない」
「マクシミリアンさん、だったらあたしも……」
「ユッテ。お前はこの家を守れ。子供のお前にまで強制はしないさ」
「父さん……」
「心配するな、父さんはその辺の若造よりよっぽど強い」
こんな時だけ……こんな時だけ、そんないい笑顔で笑わないでよ。父さんはそれ以上は何も言わず、俺とソフィーとユッテの髪をそれぞれ撫でていった。
「父さん、無理しないで! ケガなんか絶対しないでよ!」
みんなが飛び出していった開けっ放しのドアの向こうに父さんが消えていく。その背中にありったけの大声で俺は声をかけた。ふと気が付くと、母さんが真後ろに立ってその姿を見送っていた。
「母さん……父さん、大丈夫だよね」
「ええ、きっと。……何度しても慣れないわね、見送る側ってのは。さ、ルカ。私たちは私たちでやることがあるわよ」
「うん……」
「この家を、自分の身を守らないと。しっかりしなさい、へーレベルクの男でしょ」
それまで深刻そうにしていた母さんは、パシンと笑いながら俺の背中を叩いた。
「部屋からロッドと短剣を持ってきなさい」
「……はい!」
そうだ。いくら冒険者で包囲網を敷いたって壁の内側がまるで無傷な保証なんてない。俺は屋根裏にすぐに駆け上がった。自分の部屋に入るといわれた通り短剣とロッド、それから光石にソフィーの短剣を手に階下へと戻る。
「ユッテ、この短剣は君が使って」
「え……」
「素手でいるわけにもいかないだろ。それに俺よりうまく使うだろうし」
お客達は魔物の迎撃に出払ってガランとした『金の星亭』。その食堂で俺たちは魔物の暴走の成り行きを身を縮めながら待ち構えることになった。
次回更新は5/13(日)です。




