第96話 師匠と弟子、最後の手合わせ
「どうしたテミス。もう疲れたのか?」
「く、う・・・」
右腕には相変わらず力が入らない。しかし、仮に右腕が自由に動いていたとしても、この人には届かないだろう。それほどまでに、『剣帝』という存在は遥か遠くに立っていた。
「お前一人で私の相手をしてくれるんだろう?この程度では準備運動にもならないが」
「はぁ、はぁ・・・!」
「さあ立て、銀の戦乙女。あれからお前がどれほど成長したのか、この剣帝に見せてみろッ!!」
師匠の姿が消えた。いや、あまりにも速すぎて目で追えなかった。
「アークブレイド!!」
背後から感じた殺気。咄嗟に振り返れば、既に師匠は魔力を纏わせた剣を振り下ろしていた。しかし、身を捩ってそれを奇跡的に回避することに成功したが、地を抉る程の衝撃波が全身を襲う。
「ぐっ!?」
「油断するなといつも言っていただろう!そうやって体勢を崩したところを狙われるぞテミス!こんなふうになァ!!」
突きが頬を掠めた───そう思った直後には眼前に剣先が迫っている。これこそが、私が追い求めた世界最速の剣術。圧倒的なパワーで相手をねじ伏せ、圧倒的な速度であらゆるものを切り刻む。私が単独で挑んだのは、地上最強の剣士なのだ。
「だからといって、負けられない・・・!」
凄まじい速度で何十何百と迫る突きを剣で弾く。それでも捌ききれずに何度も身体を掠めて血が舞うが、私は〝タイミング〟をじっと待ち続ける。
『蝶のように舞い 蜂のように刺す。そんな言葉が、俺の故郷にはあるんだけどさ』
タローにそんなことを言われたのは、確か二週間程前だっただろうか。
『それって、テミスにぴったりだと思うんだよな。舞うように攻撃を避けて、一気に仕掛ける感じ』
今私は舞っている。ふわりふわりと宙を舞う蝶のように、嵐のような師匠の攻撃を躱し続ける。
「チッ・・・!」
「っ、そこだ!!」
偶然、師匠が突きを放ってくるタイミングが僅かにズレた。見える。私が弾いた師匠の剣が、地面を掠めたんだ。今しかない。そう感じた私は、全力で踏み込み本気の一撃を放った。
「瞬光螺旋突ッ!!」
自身の中で最速の一撃。しかし、それを見た師匠はニヤリと笑みを浮かべた。
「さて、私は本物か?」
「なっ────」
頭から抜け落ちていた。私が最も得意とする技を教えてくれたのは、今私の剣で貫かれた師匠なのだということを。
「「幻襲銀閃」」
背後から聞こえた声。貫いた師匠はまるで霧のように消え、振り返れば二人の師匠が目の前に。
「うぐっ!?」
斬撃が二つ、私の背中を切り裂く。しかし浅い。周囲に血が飛び散ったのを見ながら、私は痛みに耐えながら距離をとった。
「遅いな、テミス。油断しなければ、今程度の攻撃など余裕を持って躱せるだろう?」
確かに、渾身の一撃を回避された衝撃で油断はした。でも、何故だろうか。今師匠は、私を殺せたはずなのに明らかに手加減したに違いない。
「師匠、こそ。どうして私を殺さなかったんですか・・・?」
「いつでも殺せるからな。勘違いするなよ。私は今楽しいんだ。久々に壊しがいがある相手と殺り合えている。まだまだ私を楽しませてくれ」
ゆらりと、師匠の姿が歪む。
「神影斬」
何をしてくるのか。そう思った直後、私の太股から血が噴き出した。
「神昇斬」
更に肩が斬られた。圧倒的な速度で放たれる剣技は全く目で追えず、遊ばれているという事実が私の精神を揺さぶる。
「反撃はしてこないのか?ほら、この場から動かないと約束しよう。思う存分攻撃してこい」
「このっ、光芒閃!!」
我慢して踏み込み、余裕の笑みを浮かべる師匠に斬りかかる。まず放った真横からの一撃目は、師匠が軽く振った剣に弾かれた。
「幻襲銀閃!!」
「遅い、甘い。それでは不意打ちにならないぞ」
二撃目は、分身を生み出して三方向からの攻撃。それでも師匠が放った斬撃を受けて分身は呆気なく消滅し、本体である私は咄嗟にそれを避けたものの、師匠の蹴りが腹部にめり込み後方に吹っ飛ばされた。
「くぅ・・・!」
「分身が脆過ぎる。受け渡す魔力量が足りていないんだ。一瞬で消えればそれが分身だとすぐに分かってしまうだろう?」
何をしても通用しない。あの人に勝つにはどうすればいいのか───どれだけ考えても案は浮かばず、不意に力が抜けて膝をつく。
「それが限界ではないだろう?私には分かるぞ。昔からそうだ、お前は他人を傷付けることを恐れて全力を出していない。いや、無意識に力を抑え込んでいるのか」
「な、なにを」
「その気になれば、間違いなくお前は剣士として私を超える才能を持っているというのに。相手が私だからといって遠慮する必要なんてない。全力で来ないのなら、私はサトータロー以外の全員を殺す」
師匠が魔力を放った。恐らくこれがこの人の全力。不敵な笑みを浮かべながら手を前に出し、放出している魔力を手のひらに集め始める。
「いいや、〝この状態〟の私ならば、サトータローをも圧倒できるかな?」
次の瞬間、閃光が戦場を駆け抜けた。あまりの眩しさに目を閉じるが、迸る魔力を浴びて身体がガクガクと震える。これだけの力を隠していた───それはつまり、元々ハーゲンティ達の魔力を上回っていた師匠が、神罰の使徒の中で最も実力を持っているということだ。
「な、なんて魔力だ・・・!」
「天穿ち地を裂く魔討の剣よ。主たるエリス・オルフェリオの声を聞き、今こそ来たれ───《宝剣グランドクロス》!!」
師匠最大の奥義、グランドクロス。その名を冠する剣の話は、まだ私が弟子だった頃に師匠から聞いたことがあった。しかし、どれ程の力を秘めた剣なのかは知らず、見たこともない。それを今、私を殺すために師匠は召喚したのだ。
「それが、宝剣ですか」
「ふふ、美しいだろう?これこそが全ての武具の頂点に立つ、精霊憑きの剣だ」
「師匠の魔力が倍以上に跳ね上がっている・・・いや、それだけじゃない。これは、他のステータスも・・・!?」
「よく気付いたな。この剣は、持ち主の全ステータスを数倍以上上昇させる効果がある。しかし、自身の肉体の限界を超えた力を引き出すため、数分しか振るえない挙句使用後は身体が動かなくなるだろう」
宝剣の切っ先を私に向け、師匠は言う。
「さあ、始めようか。師匠と弟子の、最後の手合わせだ」
「・・・そう、ですね」
私も剣を構え、魔力を纏う。
「一度も貴女に勝ったことはありませんでしたが、最後に一勝させてもらいます」
「ははっ、言うじゃないか。だったら見せてみろ、お前の全てを───」
師匠が言い終わるよりも先に地を蹴り、私は全力で剣を振り下ろした。完全な不意打ちで、剣の道を進む人達からは卑怯だと否定されるかもしれない。それでも私は勝利だけを見て本気で挑み、そこで初めて師匠の余裕の表情が崩れる。
「はあああッ!!」
「っ、速度が上昇している・・・?」
初撃は受け止められたものの、師匠が反撃の体勢に移行するよりも速く、私は師匠の太股を斬った。
「くっ、ははっ!それでいいんだ!」
僅かにバランスを崩した師匠だったが、すぐに体勢を立て直して凄まじい速度の斬撃を数十発飛ばしてきた。それを私は目では追えなかったが直感で弾き返し、再び師匠に接近して肩に剣を突き刺す。
「そんなことをしたら、がら空きの腹部に穴が開くぞ!」
「いいえ、貴女は私に攻撃できない」
確かに、今師匠が剣を振れば、私は確実に致命傷を負うだろう。だが、私は考えがあってわざわざ剣を突き刺した。
「っ、これは・・・」
「屍人である貴女は痛みを感じない。だからこそ、どれだけダメージを与えても貴女は平気で動き続ける。でも、体内に流れる魔力を乱してやれば、果たしてどうなるか」
私の魔力を師匠の体内に一気に流し込む。魔都に行った時に覚えたことだが、屍人というのは主人以外の魔力が体内に流し込まれた時、自身と主人、そして第三者の魔力が混ざり合って暴走し、許容魔力量を上回って肉体が破裂するという。
膨大な魔力を体内に蓄積できる師匠とはいえ、屍人だ。肉体が破裂しなくても、あれだけ私の魔力を流し込んでやれば、魔力の暴走は必ず起こる。
「考えたな。だが、この程度で私の動きを止められると、本気で思っているのか!!」
「なっ!?」
それでも師匠は動いた。一瞬でも後方に跳ぶタイミングが遅れていれば、私は胴体を真っ二つにされていただろう。
「いくぞテミス!」
「ええ、師匠!」
同時に前へと駆け出し、そこから始まったのは嵐のような斬り合い。剣を振り下ろし、振るい、避け、振り上げ、薙ぎ、跳び、そしてぶつけ合う。間違いなく師匠の方が私よりもずっと強いが、今の私ならこの人の速度についていける。
(いや、魔力が乱れて動きが鈍っている・・・今しかない、このまま押し切る!)
(ここまで力をつけたのか、テミス。体が思うように動かないとはいえ、速度もパワーもほぼ私と同じとは・・・!)
不思議な感覚だった。何故か師匠が何を考えているのか分かる。明らかに焦り始めているというのも、徐々に私が師匠を押し始めているということも・・・!
「だああッ!!」
「ぐっ!?」
私が振り下ろした剣を受け止め、そのまま師匠が膝をつく。ここしかない───残された全魔力を解き放ち、遠慮なく師匠の顎を蹴りあげる。
「これで終わりです!」
「っ、ふふ。それはどうかな」
そのまま宙に浮いた師匠へ追撃を加えようとしたが、背後から二人の師匠が襲い来る。それを真上に跳んで回避し、魔力を空に放って急降下。全力で分身一人に剣を叩きつけ、もう一人が動く前にその場で回転してまとめて胴体を斬り裂いた。
「さあ、今度は私が言うぞ。これで終わりだ、テミス」
「それは・・・師匠の奥義ですか」
その隙に師匠は離れた場所に移動しており、天に掲げた剣には凄まじい魔力が集まっている。
「今のお前は〝剣聖〟の領域に足を踏み入れている。それは私でも至れなかった、剣士としての究極系だ。私はお前を育てていた時から、ずっとその瞬間を待っていた」
これから放たれるであろう奥義は、憤怒の魔力を纏ったベルゼブブに大ダメージを与えた『グランドクロス』だろう。空気が震え、地面に亀裂が入る。周囲で暴れていた古代魔獣達も動きを止め、私達から離れていく。
「お前は間違いなく歴代最強の剣士になれるだろう。そのための第一歩として、我が全身全霊の奥義を受け切ってみせるがいい」
「そう、ですか。これで本当に終わり。私もいよいよ弟子を卒業する時が来たみたいですね」
皆が戦っている。あちこちから戦闘音が聞こえてくる。恐らく古代魔獣達を率いているのは師匠。この人を倒せば世界樹の防衛は成功するはず。
「負けません、絶対に。大切な人達と明日を生きるためにも、私はここで貴女を倒します!」
同じく魔力を剣に集中させ、構える。それを見て昔のように微笑んだ師匠は、地面が砕けるほど力強く踏み込み、そして最後の奥義を放った。
「はああっ、グランドクロスッ!!!」
「タロー、私に力を────」
迫り来る十字の斬撃。あまりにも速い為に回避は不可能、ならば真っ向からそれに挑むしかない。前方に駆け出した直後に視界が真っ白になり、さらに全身を凄まじい激痛が襲う。
「う、ああああああああああッ!!!」
それでも私は止まらず駆け続け、遂に師匠の奥義を突き破る。背後では周囲を巻き込むほどの大爆発が起こったが、振り返らずにそのまま師匠の目の前で剣を振り上げ、
「よく頑張ったな、テミス」
「ッ────」
そして師匠を全力で斬った。