第92話 大海は静かに眠る
「・・・タロー?」
部屋の扉が開く。いつの間にか、外はすっかり暗くなっている。部屋の中が少し明るいのは、夜空に浮かぶ満月のおかげだ。
「テミスか。どうした?」
「その、ソンノさんが今日はギルドの空き部屋に泊まっていいと言っていたから、それを伝えに来たんだ」
「ん、そうか。ありがとう」
入ってきたのは、もう既にパジャマ姿になっているテミスだった。そんな彼女は音を立てないようにそっと扉を閉めてから、ゆっくりと俺の隣に腰掛ける。
「・・・ディーネがもう目を覚まさないかもしれないなんて、信じられないな」
ベッドに横たわるディーネを見て、テミスがそう言った。ここはギルドの医務室。俺がディーネを運び込んでからもう数時間は経過したというのに、まだディーネは目を開けてくれない。
「傷も全然治っていない。このままだと、ディーネは・・・」
「俺のせいだ」
「え・・・?」
「また間に合わなかった。もっと本気で、全部の魔力を使い切るつもりで走ってたら間に合ってたのかもしれない。でも俺は、魔力が暴走してるディーネが負けるなんて思ってなかったから、魔力を使って加速はしなかったんだ」
ソンノさんによると、首にもかなりのダメージを受けていたらしい。きっと痛かっただろう。血溜まりの中で倒れていたディーネの姿を思い出す度に、自分の中に流れる魔力が暴走しそうになる。
「・・・タローだけのせいじゃない。私なんて、ディーネを追うことすら出来なかった。それどころか、また怪我をしてほしくなかったから、タローを止めようとしたんだ」
隣に座るテミスが、本当に申し訳なさそうにそう言った。でも、ただテミスは俺を心配してくれていただけで、彼女自身は何も悪くない。
「でも、まさか素手の攻撃でタローの耐久を上回るなんて。初代魔王グリードというのは、それほどまでの強さを誇るのか」
「ああ、奴は化物だ。また魔力が暴走しかけて本気で殺してやろうと思ったけど、正直勝てる気がしなかった」
「っ、そんな・・・!」
俺の言葉を聞き、テミスの顔が青くなったのが分かった。あの時は頭に血が上ってたから殺せるなんて言ったけど、あのまま戦闘を続けてたら無事では済まなかったと思う。
「そんな相手に、ディーネはたった一人で挑んだんだ。ほんと、馬鹿だよ・・・」
「馬鹿だなんて、酷いことを言うのね」
いつの間にか、部屋の中にはベルゼブブも入ってきていた。気配を絶っていたらしい彼女は、昼間とは違ってどこか落ち着いた雰囲気を纏っており、腕を組んだまま机の上に腰を下ろして俺達に目を向けてくる。
「なあ、ベルゼブブ。どうしてディーネは嫉妬の魔力なんかを持ってたんだ?魔王の一族であるベルゼブブが、憤怒と暴食の魔力を持ってるのは分かるけど・・・」
そんな彼女に、俺はずっと気になっていたことを聞いてみた。するとベルゼブブは視線を眠っているディーネに向け、少し信じられないような事を口にする。
「・・・この子って、いつも笑ってたでしょう?でも、本当は控えめで大人しい性格なのよ」
「え・・・」
確かに笑っていた。自分から積極的に話しかけ、誰とでもすぐに仲良くなる・・・それがディーネだと、そう思っていたけど。
「私達がまだ幼くて、お父様が生きていた頃の話よ。初めてディーネと会った時、この子は一言も喋ってくれなかった」
『ちょっと、聞いてるの?私は魔王のむすめなのよ!さっきからずっと私のことムシして・・・!』
『はは、あまり恐がらせてやるな。ごめんなディーネちゃん。こんなうちの娘だけど、仲良くしてやってくれ』
魔王だったお父様は、今の私と同じで四人の幹部───四天王を率いていた。その中の一人である〝轟海のグランネ〟とは特に仲が良くてね。グランネの娘であるディーネと私は、昔からしょっちゅう顔を合わせていたの。
『・・・あ、あの、ベルゼブブちゃん』
『ん?なぁに?』
『わたし、ドジでノロマだけど、友達に・・・なってくれる?』
『なに言ってるのよ。私はもう友達だと思ってたんだけど』
『っ、ほんと?』
仲良くなってからは毎日遊んでたわね。魔法を使う練習をしたり、お父様達に内緒でこっそり遠くまで出かけてみたり。でも、ある日突然ディーネは魔王城に来なくなった。
『あいつ、急に家から出たくないって言い始めてなぁ。誰にも会いたくないって言ってるから、悪いけど少しの間放っておいてやってほしいんだ』
数日後にグランネからそんな事を言われたけれど、私は全く信じていなかった。だって急に会いたくないなんて、ディーネが言うはずなかったもの。
お父様も私と同じことを思ってたみたいで、グランネに内緒で私達はあの子の家の調査を始めた。そして、グランネがお父様を殺して魔王の座を奪い取ろうとしていることを突き止めて、私達はグランネ達が住む屋敷を包囲した。
『ひ、ぎぃやあああ!!やめろ!俺はお前の父親なんだぞ!?お前が力を手に入れることができたのは、誰のおかげだと──────』
突然屋敷が爆発したのは、お父様達が屋敷の中に突入しようとした直後。立ちのぼる黒煙の中から姿を現したのは、〝父親だったもの〟を引き摺りながら、寒気がするような笑みを浮かべる血塗れのディーネだった。
『あの男、実の娘になんという事を・・・!』
お父様によって暴走状態に陥っていたディーネは取り押さえられ、後に焼け落ちた屋敷の中から発見された資料などから、グランネは強制的にディーネの中に別の魔力を入れて、対魔王サタン用の殺戮兵器として使役しようとしていた事が判明。当時の私にはよく分からなかったけど、その魔力こそが大罪魔王グリードが振るう七つの魔力の一つ、嫉妬だったんでしょうね。
『もう、わたしにはパパもママも、誰もいないんだ・・・』
『大丈夫よ、私がいるわ!』
『え・・・』
『パパは私のパパがなってくれるから、ママは私ね!これからは私達があなたの家族、ずっといっしょにすごすのよ!』
それからはディーネは私達と暮らすようになって、嫉妬の魔力は彼女の中で眠りについた。でも、遂にあの子は嫉妬してしまったのね。そして、私もディーネもすっかり忘れていた、強制的に入れられた嫉妬の魔力は彼女の中で目を覚ました。
「でも、タローとテミスは何も悪くないわ。ディーネが勝手に恋をして、勝手に嫉妬しただけなんだもの」
話を終えたベルゼブブが立ち上がり、ベッドで眠るディーネの髪を撫でる。
「この子の魔力を吸収して、グリードは封印を破ってしまった。タローも怪我をしてしまった。でも、許してあげてほしい。暴走した状態じゃ誰かに相談することはできないし、本当にどうしようもなかったのよ。だからこの子は、自分を犠牲にしてでも神罰の使徒を殲滅して、もう誰も傷つかない平和な未来を手にしようとしたんだと思う」
「許すよ、俺は。だから絶対に神罰の使徒を壊滅させて、グリードの野郎をぶっ倒す。ディーネが目を覚ました時に、またいつものように笑ってくれる・・・そんな平和な世界にするためにも」
「タロー・・・ふふ、本当に貴方は素敵な人ね。少しだけ私もディーネに嫉妬しちゃうわ」
「確かにな」
隣を見れば、少しだけ寂しそうに俺を見つめているテミスと目が合った。
「・・・テミス。今後どんな事が起ったとしても、俺は君を嫌いになんかなったりしないし、ずっと好きでい続ける。俺にとって何よりも大切な存在が君だということは、これから先も変わらないから」
「うん」
「ディーネがこんなにも俺を想ってくれていたのを知って、正直どうしようもなく心が揺らいだ。でも、やっぱり俺が好きなのはテミスなんだ。だから、力を貸してほしい」
「うん、分かってる。私もタローの事が大好きだし、力を貸すのは彼女として当たり前だ。でも、今の私はディーネとベルゼブブが相手なら、多少浮気をしても許せる女に成長しているからな」
「っ、何言ってんだ」
さっきまでとは違って、ぱっと表情が明るくなったテミス。本当に優しくて頼りになる彼女だ。そんなテミスの頭を撫でようと、少し泣きそうになりながらも俺は手を伸ばす。
王都が、王国が、大陸が。突如凄まじい光に包まれたのはその直後だった。
ハスター・カーティル
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年齢:29歳
身長:180cm
体重:72kg
特技:罠の解除
趣味:ナンパ
好みのタイプ:美女なら誰でも
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世界樹の六芒星の一人であり、最凶の暗殺者とも呼ばれている実力者。
美人に会えばすぐにナンパする性格で、しょっちゅうテミスに声をかけているが、その度に太郎が割り込んでくるので最近は諦めかけている。
そんな彼と対峙した者は、自分が死んだことに気付かないまま命を刈り取られるという。