第89話 手遅れになる前に
「ぐっ、げほっ・・・!」
頭痛と吐き気が酷い。視界がぼやける。普通に歩くこともままならない。そんな状態で、私は森の中を歩き続ける。
「痛い、痛い痛い痛い痛い・・・っ!」
今自分がどこに向かって歩を進めているのか、それすらも分からない。寒気がする程おぞましい嫉妬の感情と魔力が渦巻いているというのはなんとなく分かるけど、さっきから異常なまでに胸の奥が痛むのは何故だろうか。
もう引き返せない。ある程度魔力の暴走は収まったけど、まだ身体からは冷気が溢れている。私はさっき、この魔力で大好きな人を傷付けてしまったんだ・・・。
「あは、ははは・・・。きっと嫌われちゃったよね」
木にもたれかかり、そのままその場に座り込む。背中に触れている木の表面がパキパキと凍りついていくけど、そんな事はどうでもいい。
「タロー、さん・・・」
頭の中に、黒髪の青年の姿が浮かぶ。自分はどうしてあの人をこんなにも好きになってしまったんだろう。
「謝らなきゃ・・・」
想いが溢れて止まらない。だからこそ初めて嫉妬した。二人の間に割り込んでやりたいと思った。
「オーデムに居るのかな。それとも、王都かな・・・」
・・・ううん、違う。ほんとはもっと前から嫉妬してた。最初は面白そうな人だなとしか思ってなかったけど、一緒に迷宮を探索してると楽しくなってきて、そしてリヴァイアサンとの戦闘を見て本気でかっこいいと思った。
それから何度も一緒に行動するようになって、タローさんのことをもっともっと知りたくなって、どんどん好きになって────
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「タローさん」
名前を呼んでみたけど、気持ち良さそうに眠ってるタローさんは目を覚まさない。私が気配を完全に遮断してるからっていうのも理由の一つだろうけど、多分かなり疲れてるんだと思う。
魔力を整えながらたどり着いた王都ギルドの医務室。そこにあるヘッドの上で寝ているタローさんから窓の外へと視線を移す。移動中に日が暮れたから、外はもう真っ暗だ。
「いつも通り、星は綺麗だね」
そう呟いてみても、誰かが返事を返してくれたりはしない。暗闇の中で少しだけ寂しい気持ちになりながらも、私はタローさんの寝顔に視線を戻す。
「私ね、本当に好きだったんだよ」
温かい彼の手を握る。
「テミスさんやベルちゃんが、タローさんを好きになった理由に比べたらちっぽけなものかもしれないけど、二人に負けないくらいタローさんのことが大好き」
でも、これで最後だ。これから先、この人以外の誰かを好きになることなんて絶対にないだろうし、そんな未来は訪れない。
「本当にごめんなさい。それから、ありがとう」
頬にそっと顔を近づけ、キスをする。ふふ、これで二度目かな。
「テミスさんを幸せにしてあげてね。今までも、そしてこれからも。私はずっとずっと、タローさんのことが大好きだよ」
顔を離し、窓を開ける。そして外に飛び出そうとした瞬間少し泣き出しそうになっちゃったけど、振り返ってもう一度だけタローさんの寝顔をしっかりと目に焼き付けてから、私は〝とある場所〟を目指す為に窓から飛び降りた。
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「ディーネ・・・?」
なんとなく、彼女が居る気がした。だから何度も周囲を見渡したけど、居るはずがなかった。
「あれ、窓が・・・」
開いている。それに、床には少しだけど土が落ちている。まさか、外から誰かがこの部屋に入ってきたのか?
「あ、タロー。おはよう」
「おお、テミスか。おはよう」
扉か開き、テミスが中に入ってくる。昨日俺が目を覚ました時に見たテミスの取り乱しっぷりは凄かったけど、もう落ち着きを取り戻したようだ。
「もう怪我は大丈夫なのか?」
「回復魔法のおかげである程度はな。ところどころ痛む箇所はあるけど、多分三回ぐらい寝たら治ると思う」
「そうか、良かった」
そう言ってテミスは微笑む。本当に心配してくれてたんだなというのが不思議と分かり、なんだか嬉しい気持ちになった。
「昨日はごめん。その、一人で馬鹿みたいに慌ててしまって・・・」
「はは、謝るのは俺の方だよ。皆に迷惑かけてしまったんだしさ」
「そ、そんな。タローはディーネを正気に戻す為に戦ったんだろう?迷惑だなんて思ってる人は居ないから」
「正気に戻す、か」
いつも輝いていた彼女の瞳は濁っていた。いつもなら見るとほっこりする彼女の笑顔は歪んでいて、狂気を感じた。感じた魔力はサタンと同等かそれ以上で、性格もいつもとは全く違う。
どうすればディーネの魔力暴走を抑えることができるだろう。このままだと、もう一生彼女に会えない気がする。そう考えると手が震えた。
「・・・ソンノさんとベルゼブブから聞いたよ。ディーネの魔力が暴走したのは、私に嫉妬したからなんだってな」
「っ、それは」
「私がタローに想いを寄せているように、ディーネもタローのことが大好きだ。だから、私が悪いのかな・・・」
「そんなこと・・・!」
身を乗り出した瞬間、ポケットの中に何か入っていることに気づく。気になって取り出してみると、それは綺麗に折られた一枚の紙だった。
『タローさんへ。これを読んでる頃には、もう私は居ないと思う。結局起きてるタローさんには言えなかったけど、本当にごめんね。もしも私を許してくれるのなら、どうか待っていてください。初代魔王の復活は私が阻止してみせるから』
紙にはそんな事が書かれていた。
「ディーネが書いたんだ・・・!」
初代魔王の復活を阻止する。それはつまり、彼女は単独で神罰の使徒を相手にしようとしているということ。
確かに今のディーネは強い。もしかしたら、暴走していたサタンやソンノさんとベルゼブブの二人を圧倒したというエリスさんよりも。だからといって、外法を使う使徒の数はかなり多い。たった一人で勝負を挑めば、勝てたとしても大怪我を負う可能性はかなり高い。
「す、すぐに追いかけないと」
「なっ、駄目に決まってるだろう!?」
テミスが肩を掴んでくる。
「怪我はある程度治ったのかもしれないけど、ディーネの魔力はまだ暴走しているかもしれないんだぞ!」
「暴走してるままだったらここに来て手紙なんて置いていけないだろ!」
「でも、また怪我するかもしれないじゃないか!」
「それでも俺は、もう一度ディーネと話をしなきゃならないんだ・・・!」
「た、タローくんっ!」
言い争っていると、突然扉が勢いよく開いてラスティが中に駆け込んできた。
「あ、あれ、邪魔しちゃった感じ?」
「いや、そんな事は・・・」
「なら良かった。昨日聞いた話だと、今のディーネちゃんはあらゆるものを凍結させる魔法を使うんだよね?」
「多分そうだと思う。それだけじゃなくて、水を熱湯にしたりも出来るみたいだけど」
「今日ね、合計五箇所の町や村が氷漬けになったって報告がギルドに届いたの!多分だけど、ディーネちゃんは王都から西に向かって、神罰の使徒達に襲撃された場所を凍らせながら進んでる!」
「本当か!?」
立ち上がってラスティに駆け寄る。このままだとディーネはどこに向かったのか分からないままだったけど、今すぐ西に向かえばまだ追いつける・・・!
「悪い、ちょっと出掛ける!」
「っ、だから!まだ安静にしていろってソンノさんにも言われただろう!?」
「それでもじっとなんかしてられない!ラスティ、ソンノさんには俺がディーネを追ったこと、適当に説明しておいてくれ!」
「う、うん、分かった」
「タロー・・・!」
上着を持って窓から外に飛び出す。服は途中で着替えればいい。そう思いながら、俺は西に向かって全力で走った。
ソンノ・ベルフェリオ
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年齢:自称27歳
身長:135cm
体重:空間が震えるッ・・・!
特技:どんな場所でも即寝
趣味:昼寝
好みのタイプ:さあ?
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王都ギルドのマスターで、世界樹の六芒星の一人。見た目は子供だが中身は大人で、使い手が殆どいない空間魔法を自在に使いこなす最強の魔導士。
しかしかなりのめんどくさがり屋で、書類整理などはほぼ全てアレクシスに任せて自分は隣で爆睡するという恐ろしい女性でもある。
テミスのことはまだ彼女が幼い頃から知っており、男性恐怖症だったテミスが想いを寄せる太郎に興味津々。話をすると結構盛り上がるので、太郎とはかなり仲が良い。