第80話 あの頃の日々
「そろそろ名前を教えてくれないか?私達は別に怪しい者ではないのだから」
「・・・」
「ふむ、駄目だ。私はこういうのに慣れていないから、ソンノが何とかしてくれ」
「はあ?私だって面倒なのに、自分が面倒だからって押し付けてくるなよ」
「べ、別に面倒とは言っていないだろう」
・・・うるさい。
さっきからずっと、私の前で言い合っているこの二人は何が目的なんだろう。
どうせこの人達も、私に酷いことをするに違いない。私に関わってくる人は皆、偽りの仮面を被った悪魔なんだ。
だから誰も信じない。
もう二度他人に心なんか開かない。何も話したくないし、信じようとも思わない。
なのにどうしてこの人達は、何度も何度も話しかけてくるんだろう。私が何を思っているか分かってるはずなのに、いつになったら私の前から消えてくれるんだろう。
目障りだ。耳障りだ。
お願いだから、誰も私に関わらないで。
「さあ立て!誰にも負けない強さを手に入れたいのなら、そうやって簡単に諦めるんじゃない!」
「う、うぅ。もう無理ですよぉ・・・」
「そろそろ休憩させてやれ、エリス。この前初めて剣を握ったばかりの子供に、お前の特訓を長時間続けさせるのはさすがに可哀想だ」
「いや、しかしだな」
「あ、ありがとうございます、ソンノさん!私もう、立っているのも限界で・・・」
力が抜けてその場に座り込む。
もしソンノさんが来てくれていなかったら、多分吐いていたと思う。それだけ追い込まれていたというのに、あの人はなんでか残念そうにしていた。
「別に大した事はしていなかったと思うんだがな。素振り千回に腕立て千回腹筋千回スクワット千回、それから二時間実戦を想定した模擬戦をしていただけで・・・」
「いや待て、馬鹿だろお前。そんな事ができるのは、人を超越したアルティメットエリスさんだけだ」
「そ、そうなのか?すまないテミス、無理させてしまっていたようだな」
「い、いえ・・・」
確かにこれはエリスさん・・・師匠にしか無理な特訓だと思う。こんな事を毎日続けていたら、多分常に筋肉痛に襲われて一生立てなくなるような気がするし。
でも、別に私を苦しめようとしているわけじゃないというのはよく分かるから、これだけしんどくても頑張ろうって思える。
誰も信じられなくなっていた私に、優しく手を差し伸べてくれた師匠とソンノさん。
いつかこの二人に恩返ししたいから、頑張ってもっともっと強くならなきゃ・・・。
「あれ、師匠は居ないんですか?」
「王国軍の連中に呼び出されたらしくてな。あいつも一応軍最強の剣士で、第一騎士団隊長だ。呼ばれたらサボるわけにはいかないんだろ」
「ソンノさんは、この前王国にある全ギルドのマスターになったのに、大事な会議を平気で欠席していますけどね・・・」
「私は私、エリスはエリスだ」
今日は師匠の誕生日。
ソンノさんやギルドの人達と師匠を祝おうと思っていたのに、何か事件でもあったのかな。
「まあ、パーティーをするのは夜だろう?それまでのんびりあいつが帰ってくるのを待ってればいいさ」
「そうですね。私、それまでいつもの森で剣技の練習をしてきます」
「お前もすっかり脳筋だなぁ」
「の、脳筋じゃないです」
にやにやしているソンノさんに背を向けて、駆け足でいつも師匠と修行をしている森に向かう。
師匠に何をあげようかな。喜んでくれるかな。楽しみだな。そんな事を考えながら、私は森に足を踏み入れた。
「────え」
何があったんだろう。
パシャパシャと音がする足元を見れば、信じられない量の血溜まりが目に飛び込んできた。
驚いて一歩下がれば、全身傷だらけの男が倒れている。
久々に感じた恐怖、危機感。
それを振り払うようにその場から駆け出そうとしたけど、いつも聞いている声が耳に届き、私は足を止めた。
「し、しょう・・・?」
「───ば、か。なんで、ここに来た、んだ」
「師匠・・・!」
よく見れば、周囲には恐ろしい数の男───騎士達が全身を真っ赤に染めて倒れていた。
それを無視して私は師匠に駆け寄り、ぐったりしている師匠の上半身を起こす。
「ひっ・・・!?」
けど、もう手遅れだった。
師匠の身体には無数の切り傷や刺し傷が見られた。いつの間にか私の手は師匠の血で真っ赤になっており、何が何だか分からずに目から涙が溢れ出す。
「な、何があったんですか!?」
「はは、何があったんだろうな・・・。そんな事、お前は知らなくていいんだ・・・」
師匠が震える手で私の頬を撫でてくる。いつもは温かかった師匠の手は、今日に限って異様に冷たかった。
「ふふ。お前は、私の・・・自慢の弟子だ。成長を最後まで見れないのは、残念だが・・・」
「何を言ってるんですか!今日は師匠の誕生日ですよ!?騎士団の人達や、ソンノさんが待ってます・・・!」
「ん、そうだったか。今日は、私の誕生日か・・・。生まれた日が・・・ふふ、命日になるのか」
「っ、だから・・・!」
なんでこの人はこれがどういう状況なのか、いったい何があったのかを言ってくれないのか。
それに対して私が声を荒げようとした時、師匠の微笑みが目に飛び込んできた。
あぁ、この人はもう────
「楽しかった。お前を屋敷で見つけて、面倒を見ることになって、毎日一緒に修行して・・・ご飯を食べて、同じベッドで寝て・・・。とても、充実した毎日だったよ・・・」
「ししょぉ・・・!」
「ありがとう、私の可愛い弟子・・・。本当に、ありがとう・・・テミス」
それが師匠の最期の言葉だった。




