第63話 第二魔界
「第二魔界?」
俺の部屋で待機すること約一時間。
ようやく目を覚ましたヴェントが口にしたのは、まるでベルゼブブ達が住む魔界がもう一つ現れたかのような単語だった。
「一週間前、魔王城の周りにとてつもない数の軍勢が突然現れた。その中に居たリーダー格の男が、自分達のことをそう呼んだんだよ」
「敵の正体は?」
「・・・人間と魔族の連合だ」
「はあ!?」
とんでもないことをヴェントは言った。
ベルゼブブのおかげで今はもう戦争とかには発展してないけど、人間と魔族はかなり仲が悪い。
なのに、そんな二種族が手を組んで、魔界最強の少女が居る魔王城を包囲して喧嘩を売ってきたというのだ。
「四天王のお前がそんなにボロボロになってるってことは、魔界は」
「ああ、我々の負けだ。手も足も出なかった・・・あの魔王様ですら、な」
「嘘だろおい・・・」
人間と魔族の連合。
正直、その程度の奴らがあのベルゼブブに勝てるとは思えない。でも、こんなにボロボロになってるやつがそんな嘘はつかないはずだ。
「ベルゼブブ達は無事なのか?」
「分からない。魔王様は、僕達を逃がすために一人で魔王城に残った。〝必ず生き残って、この事をタローに伝えて〟と言ってな。だが、途中で敵の大軍に追いつかれ、ディーネ達はそれを食い止める為に・・・」
「お前だけ逃げてきたのか!?」
「僕はもう戦えるだけの魔力を持っていなかった。だから、お前に状況を伝える役目を任されたんだ」
「どういうことだよ・・・」
気がつけば俺は立ち上がっていた。
「悪いテミス、しばらく帰れないかもしれないけど、俺は今すぐ魔界に行く」
そして、椅子に腰掛けているテミスにそう言う。すると、テミスは何故か優しい笑みを浮かべた。
「そう言うと思った。ふふ、別に止めたりなんてしないよ」
「ありがとう。じゃあ、俺が留守にしてる間、マナのことを───」
「・・・?何を言ってるんだ。もちろん私もついて行くぞ」
「え、はあ!?」
「当たり前だろう。私はタローの・・・その、彼女なんだから、ついて行っても問題は無いはずだが」
「いやいや、ありまくりだよ!」
何故?とでも言いたげな表情で俺を見つめてくるテミス。そんな彼女の肩を掴み、ガクガクと体を揺さぶる。
「まだまともに右腕を動かせないのに、ベルゼブブですら勝てなかったっていう相手が居る場所に連れていけると思うか!?」
「だったら何だ。私はタローに決められた場所にしか行ってはいけないのか?」
「そういうことじゃなくてだな・・・!」
「タローが守ってくれるんだろう?」
「ぐっ・・・」
・・・はあ、それはずるいよテミスさん。
「あーもう分かったよ!何があっても絶対俺が守るから、一緒にベルゼブブ達を助けよう!」
「うん、了解」
にっこり笑ったテミスが可愛い過ぎて心臓が破裂しそうになったけど、ベルゼブブ達を助けるまでは死ねない。
「で、ヴェント。今すぐにでも魔界に向かいたい。申し訳ないけど、道案内を頼むことになりそうだ」
「任せてくれ。魔法は使えないけど、進む方向を指示するくらいなら今の僕にも可能なことさ」
僅かに顔を歪ませながら、ヴェントがのそりと上体を起こす。そんな彼を見て、俺は気になったことを彼に言った。
「なあ、ベルゼブブやお前達をそこまでボコボコにできる相手って、一体どんなやつなんだ?」
「・・・一言でいうなら化物さ」
ヴェントが拳を握りしめる。
「そもそも有り得ないんだよ。あの方は、百年前の大戦で命を落とした筈なんだ。なのに・・・」
「あの方?さっき言ってたリーダー格の男か?」
「いいや、違う。僕達を、魔王軍を数秒で壊滅状態に陥れた、まるで悪夢そのもののような存在・・・」
そして、言った。
「元魔王、サタン・ブラッド。魔王様の・・・ベルゼブブ様の父親だ」
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「やあやあ、気分はどうだい?」
耳障りな男の声が聞こえる。
此処は何処なのだろうか。恐らく魔王城ではないだろうけれど、建物の中だというのは分かった。
「なーんて、気分は最高に決まってるよね!私のおかげで、大好きなパパにまた逢えたんだもんねぇ!」
腕に付けられた手錠のようなもの、そこから伸びる鎖は天井に突き刺さっている。両足にも拘束具が取り付けられていて、立った状態のまま身動きが取れない状況だ。
「・・・黙れ」
「あぁ!?誰に向かって口を聞いているんだ君はァ!!」
パチンと、男が指を鳴らした。その直後、凄まじい衝撃と激痛が腹部を襲い、逆流してきた胃液を堪らず吐き出す。
「ぐぇ・・・!?」
「ははははは!こりゃあいい!魔族の頂点に君臨する魔王様が、私の目の前で吐いたぞ!」
顔を上げれば、私の前には紅髪長身の男が立っていた。ああ、私はこの人をよく知っている。
「ねえ、どうして・・・?どうして、そんな男の言いなりになんか・・・」
「〝そんな男〟?今君は、私の事を〝そんな男〟って言ったのかい!?」
再び腹部に衝撃が走る。
見えた・・・恐ろしい速度で蹴られたのか。
「う、ぐぅ・・・」
「旧魔界を滅ぼした第二魔界の王であるこの私を崇め奉れ、この負け犬め!今君の前に居る私は新たな王なんだ!!」
ボキリと、下の方からそんな音が聞こえた。同時に耐えられない程の激痛が足全体に広がり、全身が悲鳴を上げる。
「あああああああッ!!!」
「暴れても無駄さ!その鎖は拘束している者の魔力を封じ込める!手負いの君じゃあ破壊する事は不可能なんだ!」
「なんで!何も言ってくれないのよっ!ねえ、なんで!?」
「うるさいなぁ」
魔力が放たれた。
直後、私の髪が肩よりも少し下のあたりで切断された。パラパラと床に落ちた私の髪を見ながら、男は凶悪な笑みを浮かべる。
「いいねぇいいねぇ似合ってるよベルゼブブちゃぁーーん!・・・黙らないと、次は首が落ちるよ?」
「お前が黙れぇッ!!!」
「クフフっ、楽しいねぇ。やれ、私が戻ってくるまで殺さない程度に痛ぶってやれ」
そう言って男は何処かに歩いていった。そして、紅髪の男が再び私の前に立つ。
「ねえ、どうして・・・」
「・・・」
「私のこと、わかる?ずっと、ずっと逢いたかったのよ・・・。なのに、何でこんな──────」
それから何時間痛めつけられただろうか。
大量の血が床を濡らし、染め上げる。全身から徐々に力が抜けていき、意識が朦朧とする中、私はぼんやりと彼の事を思った。
来てくれるだろうか。いや、その前にディーネ達は魔界から逃げ出すことができたのだろうか。
「どうして、お父様・・・」
信じるしかない。
限界を迎えた私は、そっと意識を手放した。