第33話 彼女に涙は似合わない
「うっ、ごほッ!・・・いきなり強烈な一撃をどうもありがとう、タロー君」
「かなーり手加減したんだけどな。でも、それで終わりだと思うなよ」
壁を突き破って現れたタローが、頬を押さえながら立ち上がったハーゲンティと向き合う。
彼の背中は、これまで見てきた中で一番大きく、そして頼もしく見えた。
「君だけ王都から戻ってきたようだね。くくっ、仲間を置いてくるなんて君は酷い男だね」
「ベルゼブブ達なら大丈夫だろ。あのメンバーが揃って負けるとこなんて想像できない」
「うんうん、確かにそうだね」
いつの間にか、ハーゲンティの腫れ上がっていた頬は元に戻っている。外法・・・それがどういった力なのかは分からないが、相当厄介なものであることには違いない。
「でもさ、君はここで死ぬ事になるよ。ステータスは相当高いらしいけど、それでも君を倒す方法なんていくらでもある」
「・・・例えば?」
「こんなふうに───」
ハーゲンティの姿が消えた──と思った直後、タローの目の前に現れたハーゲンティは、槍をタローの顔面目掛けて槍を突き出す。
「目を狙うとかね!!」
「うん、なるほど」
しかし、タローは放たれた突きをその場から動かずに指一本で受け止めた。
「は・・・?」
「遅いし弱い。悪いけど、目を狙われても届かなきゃ全然意味無いからな?」
「ば、馬鹿な!今のは完全に不意打ちだっただろう!?なのに指一本で受け止めるとか・・・!」
「つまり、俺の方が強いってことだ」
大砲の如き一撃がハーゲンティの腹部にめり込み、そして彼をまるでボールのように吹っ飛ばした。
そのまま向こうの壁に激突して倒れ込んだハーゲンティだが、すぐに魔力を纏い直して立ち上がる。
「その程度かタロー君!」
「そりゃこっちの台詞だ」
「勿論まだ本気を出してはいないさ!」
地を蹴ったハーゲンティは目にも止まらぬ速さでタローに急接近し、そして凄まじい速度の突きをタロー目掛けて何十何百も繰り出すが、その全てをタローは右手一つで弾き返していく。
「ぐっ・・・!?」
「これが本気か?ベルゼブブの紅髪バージョンの方が十倍はヤバいと思うぞ」
「な、舐めるなァ!!」
この攻撃は無意味だと感じたのか、ハーゲンティが槍をタローに叩きつける。しかし、それすらもタローは簡単に受け止めた。
「・・・テミスが泣いてる」
「あ?」
「あんたは彼女に何をしたんだ」
「昔話をしただけさ。んー、つまり。テミスが他者と接するのが苦手になった事に関するお話をね!」
ベキンと、そういう音と共に槍がへし折れる。
「何がそんなに可笑しいんだよ」
「がっ────」
更にタローの拳が顔面にめり込み、ハーゲンティは真上に吹っ飛んで天井に激突した。
「────ぐぅっ!テミスは僕のものだ!なのに何故こんな目に遭わなければならない!君はテミスの何なんだ!?」
「友達、そして家族だ。大切な家族に手を出されたんだ。怒って当然だろうが」
タローの体から魔力が溢れ出す。
それを感じ取ったのか、ハーゲンティの顔色が変わった。
「覚悟しろよ、ハーゲンティ」
「さ、サトー・タローォォォ!!」
タローに対抗するかのように、ハーゲンティも膨大な魔力をその身から解き放つ。そして先程タローがへし折った槍を、魔力を流し込むことで再生させ、構えた。
「テミスはさ、笑ったらめちゃくちゃ可愛いんだ。勿論普段から可愛いんだけど、笑った時は三倍は輝いて見える」
「君より知ってるよ!」
「そんな彼女から、笑顔を奪うな」
その言葉を聞いて、一度止まった涙が再び溢れ出す。
「そんなこと、君に言われる筋合いは───」
「俺の大切な人から笑顔を奪うな!!」
恐らく蹴り。
あまりの速さに目が追いつかなかったが、強烈な一撃を受けてハーゲンティが吹っ飛ぶ。
しかし、
「君からは奪ってやるさ!僕以外には笑うことがない、僕だけのテミスを作り上げるんだ!!」
外法・・・それによってすぐに傷が癒えたハーゲンティが、寒気がするようなことを言いながら、着地と同時にタローに接近する。
「世界樹の六芒星の力、身を以て知れ!」
「っ、避けろタロー!」
ハーゲンティの纏う魔力の質が変わった。一度しか見たことは無いが、どうやら奥の手を使うらしい。
〝あれ〟はどれだけステータスが高くても防げる技ではない。だから私はタローに避けろと叫んだのだが。
「上等だ・・・!」
「馬鹿め、死ね!!」
タローはその場から動かず、ハーゲンティはそんな彼目掛けて容赦無く技を繰り出した。
「〝耐久無視の殺戮槍〟!!!」
放たれたハーゲンティ最大の一撃は、どれだけ耐久が高くてもそれを無視して相手にダメージを与えるという、当たれば重症確定の奥義。
ならば躱せばいいと思うだろうが、あの速度で放たれた突きを躱すなど、アレクシスやラスティであろうとほぼ不可能だろう。
しかし、彼なら。
誰よりも強いタローなら。
「それがお前の本気か?」
「え────」
耐久無視の一撃は、タローの体に届かない。
その前にタローが槍の柄を蹴り上げ、粉々に粉砕したからだ。
「な、んだと・・・!?」
「さっきからどれだけ殴ってもすぐ怪我が治ってるけどさ、それも魔力が無くなったら終わりだよな?」
「っ、何故それを・・・」
「なら、お前の魔力が無くなるまで何時間でも相手してやるよ、ハーゲンティ!!」
「くっ!」
再び槍を再生させたハーゲンティ。タローは気付いていないようだが、ハーゲンティの魔力はもう殆ど残っていない。
恐らく外法というのはかなりの魔力を消費するのだろう。それをタローに殴られる度に使用しているのだから、あれだけ高いハーゲンティの魔力が底を尽きかけるのも無理はない。
「くそっ!くそくそくそくそくそくそッ!!!」
「でもまあ、一発だけ本気でぶん殴らせろ」
「クソがああああああ!!!」
あれだけ余裕を見せていたハーゲンティが、喚き散らしながらタローに向かって駆け出す。
それに対してタローは拳を握りしめ、
「テミスが受けた苦しみは、こんなもんじゃないんだよ・・・!!」
「があ─────」
本気の一撃がハーゲンティの顔面を捉え、彼の首から上が消し飛ぶ。しかし、ハーゲンティの頭はすぐに再生した。
「あ、りえない・・・」
「・・・まだ立つのか」
「僕が負けるなんて・・・。やっと、テミスを僕だけのものにできる機会が訪れたのに・・・」
ゆらりと立ち上がったハーゲンティが、光の宿っていない瞳で座り込んでいる私をじっと見つめてくる。
「でも、いいさ。研究は進んでいることだし、勧誘もできたんだから・・・」
「は?何を言ってるんだ」
「僕だけのテミスは必ず作り上げてみせる。必ず、必ずだ・・・!!」
「っ、逃げるつもりか!」
ハーゲンティの足元に出現したのは、ソンノさんが転移魔法を使用する時に描くものと同じ魔法陣。
それに気付いたタローが急いでハーゲンティを止めようとしたが、もう遅かった。
「くそっ、あの野郎・・・!」
タローの手が届くよりも先に、ハーゲンティは私達の前から姿を消した。それと同時に場を満たしていたハーゲンティの魔力が消え去り、強ばっていた体から一気に力が抜ける。
「・・・・・・」
あれだけ激しい戦闘音が響いていたこの場は、ハーゲンティが逃走したことで急に静かになった。
なんて声を掛ければいいのだろう。
それが分からずに俯いていると、誰かの手が頭の上に置かれた。
「タロー・・・」
「ハーゲンティには逃げられちゃったけど、テミスが無事で良かったよ」
「っ、タロー!」
「おわっ!?」
もう堪えきれず、私はタローに抱きついた。
いつもならこんな事は恥ずかしくてできないが、それよりも彼が来てくれたことが嬉しくてたまらない。耐え難い恐怖から解放されたからか、先程よりも更に涙が溢れ出た。
「テミスのことだから、きっと一人で何とかしようとしてるんだろうなとは思ったけど、もっと頼ってくれていいんだからな?」
「うん・・・」
なんだろう、こうしているととても落ち着く。
そして、いつも彼を見ている時と同じように胸が高鳴る。顔も熱くなっているし、これは一体────
『これはまだ気付いたばかりだけど、私はタローの〝友達〟で終わりたくないの』
───ああ、そうか。
ベルゼブブが言っていたことを、私はずっと思っていたんだ。
「あの、テミスさん。流石にちょっと恥ずかしくなってきたんですが・・・」
「もう少しだけ・・・」
「お、おう」
ふふ、そうか。そうだったのか。
なんでもっと早くに気が付かなかったのだろう。
「タロー」
「ん?」
「助けに来てくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
私は、タローのことがずっと好きだったんだ。