105.これからもずっと
「兄さん、そろそろお時間で────」
唐突に、部屋の扉が開かれた。現在俺は着替えの最中であり、パンツ一丁の状態だ。中に入ってきたのは……そう、女神。俺の可愛い妹クレハである。
もう既に学園を卒業済みで、美しさに磨きがかかったクレハ。今は王都で一人暮らしをしており、演技の才能を認められて王国一の劇団に所属。僅か1年ちょっとで主演の座を獲得し、劇団最年少だが一生懸命頑張っている。
そんなクレハが、俺を見て急に倒れた。驚き急いで彼女に駆け寄れば、何故か鼻血を流しているんだが。
「うふふ……久々に生で兄さんを見ましたが、相変わらず素敵すぎますね。それに、またコレクションが増えました……」
「い、いつの間に撮ったんだ?」
そして、何故かクレハが手に持つ魔導フォンの画面には、倒れる寸前に撮影したのであろう俺の写真が表示されている。好意的なのは嬉しいが、なんだかんだでクレハも変わらないな。
「兄さん、毎日とっても寂しいんですよ!兄さんの写真を眺めたり録音した声を聴いていなければ、寂しさのあまり死んでしまうところです!」
「はは、俺も寂しいよ。クレハが生まれた時からほぼ毎日一緒に過ごしていたからな」
「うぅ〜、今日でまた兄さんとお別れなんて、これから私はどうしたら良いのでしょうか……」
ここは王都アルテアにある、クレハが住んでいる家。昨日行われた魔闘祭が終わった後、俺達シルヴァ一家はそのままここにお邪魔させてもらったのだ。
実は昨日、母さんとの決戦で魔力と神力を使い果たした俺は、結局棄権する事になってしまった。優勝したのはマナ姉で、最初は優勝とか関係なく話をしてほしいとお願いされたものの、酒を飲んでベロベロに酔ったマナ姉とは話ができず、今日に至る。
この後オーデムへと戻る予定だが、覚悟を決めてその時に話をさせてもらうつもりだ。
「ふふ、緊張していますね?」
「そりゃあな……」
「大丈夫、兄さんが一番素敵ですもの。それは姉さんも分かってくれている筈ですから」
膝に手を置く俺の頭を、微笑むクレハが優しく撫でてくれる。この子も一気に大人っぽく成長して、劇団で活躍する姿を見ていると誇らしい。きっと俺なんかよりも良い相手を見つけて、幸せな家庭を築くんだろうなとも思う。
ただ、最近はそれを嫌だと思う事も多々ある。俺を慕ってくれているのは今だけで、そのうち相手にされたくなったらどうしようと……。
「あの、兄さん」
そんな事を考えていたら、クレハに声を掛けられた。顔を上げれば、頬を赤く染めているクレハと目が合う。
「私は兄さんと姉さんを本気で応援しています。でも、やっぱりこの気持ちに嘘はつけません。きっとこれからも、何年経っても私は兄さんを愛し続けるでしょう」
「っ……」
「なので、えっと、正妻は姉さんでも、私の事も時折考えてくれたら嬉しくて、その……」
以前マナ姉も、『クレハちゃんはいつも私を応援してくれていたから、私もクレハちゃんを応援する』と言っていた。それはつまり、クレハの恋を応援するという意味で。
意外にも結構嫉妬するマナ姉が、唯一嫉妬せずに応援しているのがクレハという事だ。いつもマナ姉と共に俺を支えてくれていた、優しくて自慢の妹。俺はこの子に何を返してあげられるだろう。
「クレハ、ちょっといいか?」
「……?なんでしょう」
「俺はマナ姉の事が好きで、この後するつもりの話は将来についての事だ。それはクレハも分かってくれているな」
「勿論です」
「そして俺達は血の繋がった兄妹だ。それでもクレハは俺を……その、好きだと言ってくれるのか?」
一瞬、俺の目を見てキョトンとするクレハ。しかしすぐに笑みを浮かべ、俺に身を寄せてきた。
「今後どんな男性と出会っても、私は兄さん以上に素敵な方とは思えないでしょう。それは断言します。後にも先にも、私が恋をしたのは兄である貴方だけですから」
「……そうか」
クレハの肩に手を置いて少しだけ体から離し、どうしたのかと顔を上げた瞬間に唇を奪う。すまん、マナ姉。今だけはこうする事を許してくれ。
「えっ、あっ!?あの、に、兄さん……!?」
「その、結婚とかは無理だけど、これからも仲良くしてほしい。俺にとって、クレハはマナ姉と同じくらい大切だから」
次の瞬間、俺の目に映ったのは血だった。ズダーンと勢いよく倒れたクレハが出した鼻血である。
「もう駄目です、ここは天国でしょうか……?」
「ク、クレハ!?」
「兄さんに、私の想いが届いて……キスまでしていただけるなんて……!あぁ、幸せすぎて死んでしまいそう……えへ、えへへっ……」
「ユウ君お待たせ────ってきゃあ!?何があったの!?」
興奮気味に床を転がるクレハを見て、準備を終えたらしいマナ姉が悲鳴をあげる。これまでと変わらないようで、俺達の関係は少しずつ変化しているようだ。
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近いうちにまた会いに行くと約束し、俺とマナ姉は王都からオーデムに向かって出発した。マナ姉は明日から普通に教師として出勤するので、俺は一応それまでの護衛という事で。
「それにしても、クレハちゃんったら会う度に可愛くなってるよね。色々大きくなってたし……ずるい」
「はは、マナ姉は変わらないからな。色々と」
「し、失礼な!身長はあれだけど、胸の方は絶対大きくなってるもんね」
「ふ〜ん」
列車ではなく馬車に乗り、のんびりとオーデムに進む俺達。その最中成長したらしい部分を見つめてみると、確かに馬車が揺れる度にそれも揺れていた。
「もう、何見てるの?」
「確かに成長してるなぁと思って」
「でしょう?」
得意気に胸を張るマナ姉。より強調されるそれを見ていると、自分の駄目な部分が出てきそうになったので目を逸らす。
今は馬車の中に俺達しか居ないから良いものの、人前ではそんな事しないでくれよ?見ていいのは俺だけだ、うん。
「もっと私も大人っぽくなりたいなぁ……」
そう言うマナ姉だが、これ以上可愛くなってどうしようというのか。世界最高の頭脳と言われる程頭が良く、教師でありながら魔法研究機関の手伝いもして、新しい魔法を生み出したり。
それにソンノさんから聞いた話だと、相変わらず学園では生徒や他の教師から毎日のように口説かれているらしい。容姿、性格、身体能力、魔力……あらゆる面で完璧なんだから、このままでも充分だとは思うんだがな。
「ただ、昨日の夜は悲惨だったぞ。イメージが崩壊するくらい」
「へっ!?あ、いや、忘れてよぉ……」
昨日、生まれて初めて酒を飲んだらしいマナ姉。優勝したんだからとソンノさんやベルゼブブさんに勧められて飲み、結果数分で酔っ払うという。
『えっへへぇ。ゆーくんはねぇ、世界でいちばんかっこよくてねぇ、世界でいちばんかっこいいんらよぉ……』
『ゆーくんちゅーして、ちゅー……』
『ゆーくんがひとり、ゆーくんがふたり……ゆーくんがいっぱいらぁ……あは、あっははははは!』
思い出すと笑けてきた。普段から甘えん坊だが、昨日はソンノさん達が居る前でキスを要求してきたり、座る俺に抱き着いてきたり、そのまま寝たり……まあ、可愛かったけど。
「もうお酒なんて飲まないし!」
「ああ、その方がいいと思うよ」
馬車は進む。その間も他愛もない会話で盛り上がり、気がつけば日が暮れていた。空に星が浮かぶ中、遠くに見え始めたオーデム。自然と俺の中で緊張感が高まっていく。
「すみません、ありがとうございました」
「いえいえ、マナ様の頼みですから無料で……」
「いいから受け取ってくださいね〜」
マナ姉にデレデレな御者に料金を手渡し、念の為威嚇してからオーデムに入る。しかし、注目が集まる前にマナ姉を抱きかかえ、近くの屋根に飛び乗る。マナ姉は俺の腕の中で驚いているが、そのまま屋根伝いにとある場所を目指した。
「よっと。到着だ」
「もう、ユウ君ったら。急にどうしたの?こんな時間に学園の屋上で何をするつもり?」
「そろそろだな……」
俺がマナ姉を抱えてやって来たのは、オーデム魔法学園の屋上だ。着地し、マナ姉を降ろし、夜空を指さす。
次の瞬間、大きな音と共に光が弾けた。それに続き、次々と地上から打ち上げられるそれは、事前に連絡して準備してもらっていた様々な種類の花火である。
「わあっ、凄い……!」
「昨日魔闘祭が終わった後も王都で花火が打ち上げられてたんだけど、マナ姉は酔ってたから見れてなかっただろ?だからオーデムに連絡を入れて、マナ姉の優勝記念って事で準備してもらっていたんだ」
「私の為にわざわざ!?」
「この町の人達は、皆マナ姉の事が大好きだからな。喜んで協力してくれたよ」
「そっか……」
嬉しそうに尻尾を振りながら、夜空を照らす花火に見入っているマナ姉。もう20年も共に過ごし、すっかり見慣れてしまっている筈なのに。それでも隣に立つマナ姉は信じられない程美しく、正直花火よりもずっと綺麗だ。
「あの、マナ姉!」
「えっ、はい」
「優勝したら話がしたいって言ったけど、俺は優勝できなかった。だけど今、その話をしてもいいかな」
「……うん」
そんなマナ姉と目を合わせる。まずい、落ち着けユウ・シルヴァ。呼吸を整えろ。
「俺はさ、本当は弱いんだ。だけど俺がこれまで頑張れたのは、いつも傍でマナ姉が支えてくれたから。別の場所に居たとしても、マナ姉を想えば俺は限界なんて簡単に超えられた」
大丈夫、クレハだって応援してくれているんだ。
「それに比べて俺は、マナ姉の支えになれていないんじゃないかと思う事は多かった。俺なんかよりずっとマナ姉に相応しい人が居て、その人に任せた方がマナ姉は幸せになれるんじゃないかって」
「そ、そんな事……!」
「ああ、いまの俺は思ってない。マナ姉に相応しいのは俺で、マナ姉を一番幸せにできるのは俺だって自信を持って言えるよ」
夜空に散る花火に照らされ、マナ姉の頬が赤く染まっているのが見える。
「誰にも渡したくない。これからもずっと一緒に居てほしい、ずっと支え合っていきたい。怒ったり、泣いたり、喧嘩したり……これからも、色んな事があると思う。だけど絶対幸せにする、俺達は二人で一つだって思っているから……だから」
教師になる為マナ姉に勉強を教えてもらいながら、俺はギルドで依頼を受けてお金を貯めていた。勿論マナ姉には内緒で、今取り出した物を買う為だ。
「俺と、結婚してください」
シンプルに、俺は想いを伝えた。それを聞き、俺の手の中で光る指輪を見ながら、マナ姉は口を開いて固まる。
「……マナ姉?」
「………………………」
ショックで言葉を失っているのかと思い焦ったが、暫くするとマナ姉の目から涙が溢れた。
「ご、ごめん。俺、そんなつもりじゃ……」
「ううん、違うの。だってユウ君、勉強しながら指輪を買う為にお金を貯めてたんでしょう……?」
「え、ああ、それは……」
「優勝記念だって言ってくれたけど、花火だってこの為にわざわざ準備してくれたんでしょう……?」
「まあ、そうだな」
俺の手を握り、マナ姉が涙を流しながら笑う。
「ありがとう……ありがとう、ユウ君。私、これ以上幸せになっていいのかなぁ」
「っ、それじゃあ……!」
やったと喜ぶよりも先に、マナ姉が勢いよく抱き着いてきた。そして俺の胸に顔を押し付けながら、何度も何度も頷いている。
そんなマナ姉の頭を撫で続け、暫くしてから少しだけ体を離す。そしてマナ姉の手を取り、指輪をはめた。決して安物ではないが、派手なものでもない結婚指輪。泣き止んだマナ姉はそれを見て嬉しそうに頬を緩め、再び俺に身を寄せてくる。
「ずっと待ってたんだよ……?」
「ああ、待たせてごめん。だけど俺も、ちょっとは大人になれた筈だ。そろそろ家を出ようかとも考えててさ。だから、マナ姉がついてきてくれたら嬉しいかな」
「えへへ、そっか。ついて行くよ、どんな場所にでも」
こんなにも、誰かのことを好きになるとは思っていなかった。しかも相手は、血は繋がっていないとはいえ義理の姉だ。
今では隣に居ないことが考えられない程身近で、そして何よりも大切な人。マナ姉と一緒なら、俺は何だってできるだろう。
「好きだよ、マナ姉。これからは姉、恋人としてだけじゃなくて、妻として俺を支えて欲しい」
「私も、ユウ君のことが大好き。ずっとずっと、私がユウ君の力になるから……だから、もっと幸せにしてね」
花火の音が響く中、俺達はいつもより長くキスをした。そして幸せで胸がいっぱいになりながら、夜空を見上げてこれからについて話し合うのだった。
あと1話予定です!