99.真の巨悪
「はぁ、はぁ……勝った、のか……?」
ボロボロの状態で、ユウは言う。彼の前ではヴィータが腕を広げて倒れており、満足そうに頬を緩めていた。
「ユ、ユウ君……!」
「兄さん……!」
ユウのもとに、仲間達が駆け寄ってくる。そんな彼らを見て、ヴィータはやれやれと息を吐いた。
「君達は、強いね。偶然や奇跡さえも味方にするなんて、ちょっと反則なんじゃないかな」
「はは……そうでもしないとヴィータには勝てないからな」
「ふふ、もう認めるしかないね。この戦いは君達の勝利だって」
「っ……!」
全員が顔を見合わせ、みるみるうちに笑顔になっていく。そして次の瞬間、抱き合いながら嬉しさを爆発させた。
「あはは、疑わないの……?」
「目を見れば、それが嘘かどうかは分かるから……ってマナ姉、クレハ。痛いんだけど……」
「うふふ、兄さぁん……」
「良かった……良かったよぉぉ……!」
美人姉妹に抱きつかれ、満更でもなさそうなユウを見てヴィータは笑う。他のメンバーも、涙を流しながら勝利を喜んでいた。
「ヴィータ、立てるか?」
「え?いや、何してるの?」
「ん?手を貸そうと思って」
「さっきまで敵だった相手に手を差し伸べるなんて、君は両親以上の大物になれるよ……」
それに甘え、ヴィータはユウの手を借りて立ち上がる。もう、終の女神からは敵意を感じない。
「負けたのに清々しい気分だ。やっぱり私は、こうなる事を望んでいたのかもしれない」
「最初から手を貸してくれって言ってくれれば良かったのに。私達だって、力になれた筈だよ?まあ、嫉妬してヴィータちゃんを襲った私が何を言ってるんだって感じだけど」
「あはは、あれも悪いのは私ですよ。だけど皆、ここからが大変なんだよ?世界樹の記憶で見たように、終末領域は必ず世界を滅ぼそうとするからね」
ユウ達が暴走した世界で、ヴィータは終末領域が他者の感情を暴走させる為に表の世界へ溢れ出していた事を知った。そしてそれを利用し、この世界では感情喰らいとして王国にばら撒いた。
しかしそれをヴィータやユウ達が取り除いた場合、終末領域による独自の侵食が開始されるだろう。それを止めた時、この戦いは終結するのである。
「大丈夫だよ。親父や母さん達にも事情を説明すれば、必ず力になってくれるからな。それに、俺達もいる。今回は、俺とヴィータの2人だけで抗うわけじゃないんだ」
「ユウ君……ふふ、そうだね」
頬を赤く染めながら、ヴィータは微笑む。誰が見てもカップル感のある2人の前で、マナとクレハは羨ましそうな表情を浮かべていた。
「あはは、これ以上幸せな気持ちになったらマナ先生達に申し訳ないかな。そろそろ地上に君達を戻すよ」
「ヴィータは?」
「まだ女神ユグドラシルが世界樹の中に居る筈だから、謝罪して残った終末領域浄化を手伝ってくる。その後、私も地上に戻ってきちんと罪を受け入れるさ」
彼女は多くの命を奪い、世界に混乱を招いてしまった。その罪は、一生かかっても償えるものではないかもしれない。死刑になってもおかしくはないのだ。
ユウ達の表情が暗くなる。しかし、ヴィータはいつもと変わらない優しい笑みを浮かべていた。
「君達のおかげで私は本当の気持ちに気付けたんだ。だから、残された時間で出来る事を精一杯するだけだよ。その協力を、君達にお願いしたい。駄目……かな?」
「はは、駄目なわけないだろう?」
「……ありがとう、皆────」
笑顔で差し出されたユウの手を、ヴィータが笑顔で握り締めようとした……その直後だった。
「ッ!?」
「え……ヴィータ、どうしたんだ?」
突然ヴィータが顔を歪めて膝をつき、苦しそうに胸辺りの服を握った。どうしたのかとユウ達は困惑していたが、やがて凄まじい負の気配を感じて振り返る。
「くくっ、はははは……!散々私達を利用しておいて、今更笑顔で罪を受け入れるなんて……その程度で許される事ではないなぁ。マナ先生もそう思うでしょう?」
「なっ!?そんな、お前は……!」
「嘘……どうして……」
ユウの隣に立つマナが、顔を真っ青にしながらガクガク震えている。当然の反応だった。何故なら、彼女達の前に姿を見せたその人物は────
「どうして生きているんですか、ロイド先生!!」
「あっはっはっ!酷いですね、まさか死んだ事にされていたなんて。まあ、確かにあの時マナ先生の魔法で私は消し飛んだように見えましたよねぇ」
腕を広げ、狂気に満ちた表情で笑う男。マナと激突し、そして彼女が放った全力の極大魔法で存在諸共消滅したかと思われていた、最低最悪な外道……ロイドだったのだ。
「私は、貴女の魔法を浴びて空間の狭間へと放り出されました。しかし、そこで手に入れたのです。あらゆるものを凌駕する、絶対的で膨大な力を!」
「ま、まさか、君は……!」
膝をついたまま、ヴィータがロイドを睨む。
「終末領域を、完全に取り込んだというのか!」
「そのとおぉ〜〜りッ!!私の持つ負の感情は終末領域に相当な影響を与えたらしくてねぇ!中途半端な終の女神である君に代わり、私が終末の代行者として選ばれたのさァ!!アーーーヒャッハッハッハアァッ!!!」
とてつもない量の負の感情が解き放たれ、輝きを取り戻していた世界樹が一瞬で暗闇の底に沈む。ようやく長い戦いが終わったと安心していた少年少女達に、負の化身はかつてない程の絶望を与えた。
「素晴らしい、これが終末領域の力!感情喰らいを取り込んだ時とは比べ物にならない、絶対なる神の力!これで私が全空間を統べる覇者となった!!」
「ぐっ、終末領域全てを支配下に置いて何をするつもりだ……!」
「決まっているじゃないか元女神。私の夢は、マナ先生と私だけが暮らす理想郷の実現。この力で世界を思うがままに作り替え、そして完璧で汚れを知らない世界を創造するッ!!ははははっ、なんて素晴らし世界なんだ!世界もマナ先生も、全て私だけのものなんだァーーーッ!!」
「ふざけるなあッ!!」
発狂するロイドを、ユウが殴り飛ばした。その表情は怒りに染まっており、着地したロイドは楽しげに口角を上げる。
「どういうつもりだいユウ君、人間程度が神を殴るなんてぇ……!」
「お前みたいなクズ野郎に、マナ姉を渡すものかよ……!」
「フン、終の女神に勝っていい気になっているみたいだね。なら教えてあげるよ、絶対なる神の力を!」
ロイドが凄まじい魔力を手元に集め始める。そして向こうに見える世界樹の核に手のひらを向け、魔法陣を展開した。
「っ、やめろーーーー!!」
「ひゃははっ、終わりだァ!!」
ユウ達が一斉に動くが、ロイドは気にする事なく核目掛けて魔法を放った。それは猛スピードで核へと迫り、無慈悲にも粉々に───砕くことは出来ず。
「……チッ、ユグドラシルがある程度力を取り戻したな。その気になればすぐに破壊出来るけど、まだ力を完璧にコントロール出来たとは言えないか。くくっ、まあいいだろう。時間は無限にあるんだ、ゆっくり死への恐怖を味わうがいいさ」
「ど、どこへ行くつもりだ!?」
「終末領域の中だよ。終末領域全てを体内に取り込めば、一体どれだけの力が得られるのだろうねぇ!くひひひゃははは!ああああああ、最っ高だああッ!!」
「待てッ!!」
ユウが斬撃を放つが、それが当たるよりも前にロイドは姿を消した。一気に辺りは静まり返り、重い空気が場を支配する。
「ど、どうしようユウ君。私……私がロイド先生を倒しきれていなかったから……!」
「違う、マナ姉は悪くない。くそっ!まさかあいつが終末領域の力を取り込んだなんて……!」
「どうするのですか……?」
ヴィータと違い、ロイドは自分の為ならば躊躇なく世界を滅ぼすだろう。それが分かっているからこそ、全員絶望を隠せない。しかし、ヴィータだけは冷静にこの後の事を考えていた。
「……彼を追う事は可能だよ」
「本当か!?なら、早くその方法を教えてくれ!」
「だけど、君達では勝てない。私との戦いで、ほぼ全ての魔力を消費してしまった君達では」
「だけど戦わないと!あいつの思い通りにさせるわけにはいかないんだ!これ以上、あいつのせいでマナ姉を苦しませたくはない───え、ヴィータ?」
ユウが……この場に居る全員が目を見開く。膝をつき苦しげに息をしているヴィータの体が、ところどころヒビ割れていた。
「……私の体は終末領域でできている。だけど、終末領域は彼に取り込まれてしまった。だから、私は終の女神として肉体を維持する事が出来なくなり始めているんだ」
「そ、そんな……」
「だけど、私は諦めない。この身が果てるその時まで、彼に抗い続けてみせるから……君達は、1度地上に戻って体勢を────」
「ヴィータを置いて戻れるわけないだろ!」
ヴィータの肩を掴み、ユウが強い口調でそう言った。これにはヴィータも驚き、口を閉じる。
「俺達は覚悟を決めてここに来たんだ!ヴィータが残るのなら、俺だって君と共に戦ってみせる!」
「だ、だけど、もう殆ど魔力が……」
「死ぬ気になれば、きっと俺達の拳は届く!だからヴィータ、一緒に戦おう……!」
「ユウ君……ああもう、君って人は」
彼ならそう言ってくれると、心の底では期待していたのかもしれない。頷き、ヴィータは手のひらを隣に向ける。
「終末領域は、負の感情で満ちた空間。常人が立ち入れば数分で発狂、死に至る場所だ。今の私は殆ど終末領域をコントロール出来ないけど、向こうへ行く為の門なら1度だけ開くことが出来ると思う。だけど、私と共に終末領域へと進めるのは一人だけだよ」
「なっ……!?」
「ごめんね、終末領域から身を守る為の魔法は存在する。でも、今の私は思うように魔法が使えない。その魔法を付与出来るのは、どれだけ頑張っても一人が限界なんだ」
「………………」
それはヴィータ以上の敵に、ほぼ一人で挑みに行くようなものだ。誰もが俯き、どうすればいいのかと考えていた時。
「俺が行く」
やはりと言うべきか、名乗り出たのはユウだった。
「そ、そんな、無理だよユウ君……!」
「大丈夫、心配するな。マナ姉は皆を連れて地上に戻り、親父達にこの事を報告してくれ」
「いくらユウ君が強くても、そんなの無理だよ!嫌、絶対許可なんてしないから!」
子供のように、マナがユウを引き止める。しかし、ユウは迷わずヴィータに目を向けた。
「……いいんだね?」
「ああ。頼む、ヴィータ」
「だ、だから、勝手に決めないでよ!」
ヴィータが魔力を放ち、空中に門を創り出す。2人通れば強制的に閉じてしまう程、不安定で脆い門である。
「嫌だよ、お願いだから行かないで……!」
「誰かが戦わなければ、あいつは本気で世界を作り替えるだろう。時間稼ぎが必要なんだ」
「なんでそんな、自分がその為の犠牲になるみたいな言い方するの!?」
「犠牲にはならない。ユグドラシル様なら、きっと終末領域への門を開ける筈だ。親父達が到着するまで絶対に持ち堪えてみせる。だから────」
「ううん、それは無理だよユウ君。この門を開けるのは、終末領域に関わった者だけ。つまり、私かロイドじゃないと不可能なんだ」
「……………」
なら、この先に進めば援軍の到着は無い。肉体が崩壊し始めているヴィータと共に、巨悪を討たなければならない。
「……それでも行くよ」
「ユウ君の馬鹿!どうして言うこと聞いてくれないの!?たまにはお姉ちゃんのお願いを聞いてよ!」
「マナ姉……」
泣きながら縋り付いてくるマナは、恐らくユウと父であるタローの姿を重ねているのだろう。あの時、浮遊大陸で最終決戦が繰り広げられた時。タローはユウと同じように仲間達を地上に戻し、たった一人で戦ったのだ。
奇跡的に彼は帰ってきたものの、それは四年後の話だった。弱りきったテミスを支える為に強く振る舞っていたマナだが、本当はずっと後悔していた。あの時、父を最後まで離さなければ良かったのに……と。
今回の敵は、タローが討った魔神グリードよりも遥かに強大な存在。誰よりも大切なユウが帰ってくる保証など、何処にも無い。何年も前のトラウマが、今マナを動かしている。
「お願いだよぉ……!」
「っ〜〜〜、姉さん」
誰もが口を閉じていたその時、クレハがマナの肩に手を置いた。彼女もまた、マナと同じように涙を流している。
「兄さんを、信じましょう」
「クレハちゃん……!?」
「私達にはもう魔力が残されていません。ですが、兄さんはまだ神力と魔力が残っています。この世界を救う事が可能なのは、兄さんだけなのです」
「っ、うううぅ……!」
座り込んでしまったマナを見て、ユウはやれやれと息を吐く。やがて彼もしゃがみこみ、マナの頭を優しく撫でた。
「マナ姉が一番お姉ちゃんなんだから、ちゃんとこの場をまとめないと駄目じゃないか。絶対、俺は戻ってくるよ。親父と俺は違う……そうだな、2時間半でロイドを倒して帰るからさ」
「うっ、ふぅ、ぐすっ……」
「俺がマナ姉に嘘をついた事があるか?」
「何回もあるよぉ……!」
そうだっけと笑い、ユウは立つ。そして号泣していたクレハを抱き寄せ、ありがとうとお礼を言う。
「信じて待っていてくれ。マナ姉を頼むぞ、クレハ」
「はいぃ、うええぇん……!」
「皆も、また後で会おう」
「も、戻ってこやんかったらぶん殴るで!」
「私達の全てを、貴方に託すわ」
涙を堪えながら、リースとエリナがユウの胸を叩く。アーリアとユリウスも、お願いしますと頭を下げた。
「お前、戻ってこなかったらマナさんは俺がもらっちまうぞ〜?」
「寝言は寝て言え馬鹿」
ソルと互いの拳をぶつけ、ユウは門の前に立った。その隣には、悲しげに彼を見つめるヴィータが並ぶ。
「悪いなティアーズ、また力を貸してくれ」
『当然です。水の女神ティアーズは、最後の時まで貴方と共にあります』
「ああ、貴女に心からの感謝を」
最後に振り返り、ユウは笑う。マナ達の足元には転移魔法陣が展開されており、地上に送り返す為の準備は整っていた。
「それじゃあ、行ってくる!」
「ユウ君っ……!」
光が空間を照らし、ユウとヴィータの姿が消えて行く。やがて転移魔法が起動するその時まで、マナは手を伸ばし続けた。