0.5 黄昏の化身
隻腕の巨人による前代未聞の『オーデム魔法学園襲撃事件』は、傭兵団壊滅によって幕を閉じた。この事件を引き起こした大陸魔導協会会長アイゼン・ハッシュバードは後日捕えられ、監獄の最奥へと幽閉。
「ひぎゃあああ!!も、もうやべでぇ!!ゆるじでえぇッ!!」
「あ?どの口が言ってんだゴミ野郎が。お前に死なんて生ぬるい選択肢は与えない。一生地獄を味わせてやる」
数日間立ち直れなかったタローの手で、1日中悲鳴をあげさせられていた。鬼神と化した英雄を止められる者など、もはやどこにも存在しない。
「だ、だから、そんな女に慰めてもらうなんておかしいでしょ!?これは私達家族の問題なんだから!」
そして、暴走を終えたユウに寄り添い続けたヴィータに、鬼の形相でマナが叫ぶ。しかし、今回はヴィータも黙っていなかった。
「お姉さんこそ、ユウ君の気持ちを全然分かっていないじゃないですか!」
「誰がお姉さんだお前ッ!!」
「もうやめろよッ!!」
ヴィータに掴みかかろうとしたマナを、立ち上がったユウが突き飛ばす。尻餅をついたマナは、涙を流すユウを呆然と見上げる事しかできない。
「何がしたいんだよマナ姉は!クレハが死んだのに……そんな事ばかり言いやがって……ッ!」
「わ、私はただ、ユウ君を想って────」
「いらないんだよ、そんなのッ!!」
「ッ……!な、何で……何でよッ!!」
マナが号泣しながら走り去る。何かが決定的に違ってしまった。そう感じながら再び座り込んだユウに、ロヴィーナは優しく寄り添う。彼が弱っているのを見るのは、もう嫌だった。
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最愛の妹を失い、姉は家に戻らず、父は元魔導協会会長への復讐を延々と行い……そんな状況で、ユウとテミスは精神的に限界が訪れていた。
ロヴィーナは、時間があれば必ずユウの所に顔を出した。しかし、自分程度では彼を立ち直らせてあげることができない。今日もユウの家へと向かう前に、いつもの森でどうしたらいいのかと考える。
(そもそも、不可解な事が多過ぎる。ユウ君の話だと、霧の魔物は人の体内に侵入して狂化させるみたいだけど……それなら、どうして霧の魔物がお姉さんの中に入り込んだという可能性を誰も疑わないの?)
数ヶ月前、試験管の中から逃げ出したという霧の魔物。それと同時に変化し始めたマナの性格や態度。もしもこれまでの件と同じように、マナも既に狂化しているのだとしたら……。
(ユウ君はそんな筈ないって何度も否定していたけど、明らかに何かがおかしいんだよ。まさか、周囲に強力な精神干渉が行われて……でも、それならどうして私はこうして狂化について疑っているのだろう。私には精神干渉が行われていない……?)
少しずつ、ロヴィーナは答えへと近付いていく。あの霧の魔物は一体どういう存在なのか……あと少し考えればそれに辿り着ける、そんな時だった。
「ねえ……ちょっといいかな?」
「え────」
声をかけられ、振り返った瞬間に視界を埋め尽くした白い閃光。咄嗟に魔力を纏わせた腕を交差した直後、凄まじい衝撃が全身を駆け抜けロヴィーナは後方へと吹っ飛んだ。
「っ、ユウ君のお姉さん……!」
「へぇ〜、今のを防ぐんだぁ。無駄な抵抗はやめて欲しいな。君さえ居なければ、ユウ君はきっと私を選んでくれるんだから」
「こ、この感じ、どこかで……」
溢れ出したどす黒い瘴気がマナの周囲を渦巻き、グッと踏み込んだマナは一瞬でロヴィーナの目の前へと移動した。そして容赦のない蹴りが放たれたが、ロヴィーナは冷静にそれを回避する。
ただ、直撃すれば無事では済まない。1度距離をとったロヴィーナは、封じていた終の女神としての魔力を身に纏う。
「───ああ、そういう事か。仲直りしてほしいと思っていたのに、2人を引き裂いてしまったのは私……!」
今のマナから感じる禍々しい気配は、自らの中で蠢く闇と非常によく似ている……どころか、全く同じものである事が分かる。
「霧の魔物は、表の世界に溢れ出した終末領域だったんだ!」
「あっははははは!!死ねええええええッ!!」
踵落としを障壁で跳ね返し、ロヴィーナは勢いよく地を蹴る。そしてそのまま木々を飛び越え、森の外へと着地。この広い場所で迎え撃とうとしたが、まるでレーザーのように左から右へ雷が放たれ、森を一瞬で焼き払う。
(くっ、魔力が暴走している……このままだとオーデムに被害が……!)
「はあああああッ!!」
爆炎の中から飛び出したマナの蹴りが腹部にめり込み、ロヴィーナは血を吐きながら吹っ飛んだ。炸裂した稲妻が全身を駆け巡り、何度も家に衝突しながらオーデムの中心部でようやく止まる。
顔を上げたロヴィーナの目に映ったのは驚きを隠せていない人々の姿。当然だ。突然少女が猛スピードで地面に落下してきたのだから。
「お、お嬢ちゃん。何があったんだい!?」
「駄目……に、逃げてください……!」
「どけえええええええッ!!」
立ちあがろうとしたロヴィーナに手を差し出した男性が、マナに蹴られて向こうの家に突っ込んだ。間違いなく死んだであろう。愛する人の姉が誰かを殺したという事実が、ロヴィーナの心を激しく揺さぶる。
「ほら、次はお前だよ……ッ!!」
(ど、どうすれば……どうすればいい!?)
放たれた雷が次々と家を破壊する。逃げ惑う人々の悲鳴を聴きながら、ロヴィーナは向こうに見える魔法学園目掛けて跳躍した。
「【マーナガルムロア】ーーーーーッ!!!」
「ッ──────」
そんな彼女を、圧倒的な魔力が込められた大魔法が襲う。障壁を貫通してそれはロヴィーナにダメージを与え、追撃されたロヴィーナは屋上に降り立った。
「ぐっ、私にここまでダメージを与えるなんて」
「鬼ごっこは終わりだよ。くふふふっ、目障りだからさっさと死んでくれないかなぁ?」
「お願いです、目を覚ましてください!」
それを聞き、マナは激しい雷を纏った。
「私に悪夢を見せているのはお前だろッ!!」
「っ……!」
「お前の……お前のせいでぇッ!!」
街が燃えている。これ以上マナを放置すれば、間違いなくオーデムは壊滅するだろう。タローやテミス、ソンノ達は現在オーデムを離れている。1度集まり今後について話し合っている頃だろうが……マナは分かっていて襲撃してきたのだろうか。
「ッ〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
決断する時だ。もう既にマナは駆け出している。ロヴィーナは腕に魔力を集中させ、そして────
「──────は?」
生み出した魔剣が、マナを一瞬で3度斬った。1発目で彼女の右腕を肩から切断し、2発目で左脚を、3発目で胸部を深々と斬り裂いた。おびただしい量の血が噴き出し、何が起こったのか理解できていないマナは、倒れると同時に絶叫する。
「うぅああああああああッ!!」
「っ、ごめんなさい……!」
「な、なんで私がこんな目に遭わないといけないの!?私はただ、ユウ君と仲直りしたかっただけなのにぃ……!」
激しい負の感情が、マナの中から溢れ出す終末領域に更なる力を与える。
「お前のせいだ……!お前が私達の日常に入り込んできたからぁ……!」
涙を流して血が流れ出す肩を押さえながら、マナはロヴィーナを睨みつけた。その視線から逃れるように、顔を真っ青にしながらロヴィーナは俯く。
マナの言う通り、自分がユウに興味を持った事から全てが始まった。世界を滅ぼす事を回避しようとしていたが、終末領域はそれを見逃してはくれなかったのだ。
「殺してやる……絶対殺してやるぅ……!」
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
「お前だけは絶対殺して──────」
膨大な魔力を解き放ってオーデムごと破壊しようとしたマナを、ロヴィーナは魔剣で斬った。大きく目を開いたマナは、最期に一体誰を想ったのだろう。負の女神が幸せを望んでしまった事で、また一つの命が散ってしまった。
そして。
「マナ……姉……?」
「ッ!?」
震えながら、この惨劇を見て呆然とする者が1人。振り返ったロヴィーナの目に、切断されたマナの右腕を抱えたユウが映る。
「ゆ、ユウ君、違うの……これは……!」
「嘘だ……マナ姉……ロヴィーナが……そんな……」
じわりと、ユウから黒い瘴気が溢れ出す。
「マナ姉……マナ姉……う、うぅ……!」
「まさか、ユウ君まで終末領域に────」
「うああああああああああああッ!!!!」
次の瞬間、マナを遥かに上回る量の魔力が解き放たれた。吹き荒れる風で吹き飛ばされそうになりながらも、踏ん張ったロヴィーナが見たのは最悪の光景。
「永遠……黄昏……!?」
ユウが解き放った魔力と瘴気が一直線に上へと伸び、終わりを知らせる黄昏が訪れた。世界各地で一斉に終末領域の侵食が始まり、漏れ出した終末領域をユウは取り込み続ける。
「ユウ君が、終末の起点になってしまったとでもいうの!?」
「ああああああああァァァッ!!!」
「う゛ッ!?」
やがて終末領域を完全に我がものとしたユウは、絶望していたロヴィーナに膝蹴りを叩き込んで屋上から吹き飛ばした。遠くの家に突っ込んだロヴィーナが顔を上げれば、跳躍したユウが桁違いの魔力を纏わせた刀を振り下ろしたところだった。
放たれた斬撃がオーデムを真っ二つに両断し、遥か遠くで隕石でも落ちたのかと錯覚してしまう程の大爆発が発生。爆風が駆け抜け建物を薙ぎ払う。
「やめてユウ君、お願い……!」
「ウゥオオオオオオオオアアァッ!!!」
凄まじい速度で接近してきたユウの刀を魔剣で受け止め、地面が粉々に砕ける中でロヴィーナは必死に考える。
どうすれば彼を止められるのか。このままだと、終末領域に支配された彼が世界を滅ぼしてしまうだろう。
「ユウ君……ッ!」
魔剣を弾き返され、転倒しかけたロヴィーナをユウが襲う。しかしその直後、突如姿を現した男性に蹴り飛ばされてユウは派手に吹っ飛んだ。
「あ、貴方は……」
「なんだァこの状況は!?」
駆けつけたのは、ユウの父であるタローだった。どうやら話を終えて戻ってきたらしい。彼の後ろにはマナの遺体を抱えたテミス、そしてソンノやベルゼブブ達英雄が揃っている。
「っ、は!?マナ……!?」
「タロぉ……どうして、こんな……」
「マナ!しっかりしろ、マナ!」
マナを見たタローはすっかり取り乱し、やがて死亡している事を確認して崩れ落ちる。しかしぼんやりしている場合ではないと判断したらしい。立ち上がり、涙をこらえながらロヴィーナに目を向けた。
「……君はユウの知り合いか?」
「え、あ……はい」
「これは一体、どういう事だ」
隠しても無駄だろう。殺されても仕方ないが、ロヴィーナは全てをタロー達に打ち明ける。
「そうか……君は、平和を願ったのか」
「そのせいで、ユウ君やお姉さんの未来を奪ってしまって……ほ、本当に、すみませんでした……!」
「いや、君は悪くない。悪役を作るとすれば、それは終末領域による世界再構築というシステムだろう。まあ、それも悪とは言えない内容だがな」
そう言って、タローは隣に建つ家を殴って吹き飛ばす。何よりも大切に想っていた娘2人を失い、それが原因で息子も暴走して破壊の化身となった。止めるには、もはや殺すしかない。
「くそ……くそくそくそッ!!くそがァッ!!」
「タロー、私が殺るわ。一生恨んでもいいから」
「っ、待ってくれベルゼブブ……!」
黒翼を広げ、ベルゼブブが飛翔する。
「安らかに眠りなさい。スカーレット───」
そして手のひらを天に向け、膨大な魔力を練って魔法陣を展開した次の瞬間。
「────は?」
メキメキと、爪先がめり込んだ横腹から鳴った音。一瞬で同じ高さまで跳躍したユウに、ベルゼブブは蹴り落とされた。
「ベルちゃん……くっ、なら」
落下中のユウ目掛けて跳躍し、魔力を解放したディーネが魔法を放つ……その寸前でユウは魔力を真上に放って急降下し、ディーネの腕を掴んで地上に投げ飛ばす。ベルゼブブが飛翔してからたった数秒の出来事だった。
「う、嘘だろ……!?」
魔界最強の2人が、たったそれだけで意識を失っていた。着地したユウは、次なる標的を目に映す。
「タロー、テミス、やれるのか!?」
「くっそォ……テミス、もうこれ以上犠牲者は増やせない。ユウを止めるぞ……!」
「う、ぁ……」
「テミスッ!!」
完全に心が折れてしまっていたテミスだが、夫の声を聴いて刀を握る。
「総員戦闘準備。終末の化身を撃破する……!」
そして始まった史上最大規模の戦闘は、三日三晩各地を破壊しながら行われ、やがて次々と英雄達は血に沈み────
「はぁ、はぁ……こんなの嫌だよ、ユウ君……」
全ての力を解放して戦い続けたボロボロのロヴィーナと、彼女以外の英雄全員を殺害したユウだけが残った。
ユウは英雄達、そしてロヴィーナからの攻撃を受けて瀕死の状態まで追い詰められており、彼の前に立つロヴィーナもこれ以上の戦闘は不可能というところまで追い込まれている。
しかし、勝負はついた。再度終末領域を取り込み立ち上がる前に、ロヴィーナがトドメを刺せば終わりだ。
「私はただ、ユウ君と平和に暮らせたらそれで良かったのに……どうして、こんな事に……」
大粒の涙を流しながら、ロヴィーナはまだ彼を救う方法を必死に考える。そして、そんな彼女に仰向けに倒れているユウが声をかけた。
「もう、無理だよロヴィーナ」
「っ、ユウ君……!?」
「この世界を塗り潰してしまう程の負の感情が、俺の心を侵食してるんだ……。このままだと、また意識を乗っ取られて暴走してしまう……だから、頼む」
何を頼まれたのか、ロヴィーナにはすぐ分かった。しかし、できない。ユウの体を再び包み始めた瘴気を見ても、その場から動けない。
「俺はもう、戻れないよ。親父を、母さんを、これまで面倒を見てくれた大切な人達の未来を、この手で奪ってしまったんだ。これ以上犠牲が増える前に、早く……」
「ユウ君は何も悪くないよ!悪いのは……悪いのは幸せなんかを望んでしまった私なのに!」
「それの何が悪い?人として、幸せを望むのは当たり前の事だよ。それに、ロヴィーナはマナ姉を止めてくれたんだろう?」
「っ……」
「意味も無く君がマナ姉を殺したりする筈なんてないのにな。分かっていたのに、気持ちを抑えられなくて負の感情が暴走してしまった。本当に、ごめん……」
もう、時間が無い。ロヴィーナは俯き涙を流しながら、右腕に魔力を集中させて魔剣を創り出す。そんな彼女の前でユウは体を起こし、膝をついた状態のまま魔力を解き放った。
「また、会えるよな……俺達」
「っ〜〜〜、ううううッ!!」
あと数秒で暴走が始まる。歯を食いしばったロヴィーナは、優しい笑みを浮かべるユウの胸に魔剣を突き刺した。
「今度こそ、君を幸せにしてみせるから……だから、少しの間だけさよならだ、ユウ君」
「ありがとう、ロヴィーナ─────」
最期は呆気なく。終末領域に侵食されていたユウは灰となって消え、彼を抱きしめることさえできなかった。ふらりと歩き出したロヴィーナの瞳には強い決意が宿っており、やがて彼女は世界樹の最深部へと入り込む。
「1つだけ、全部やり直す方法がある。この核に満ちた世界樹の全魔力を使って禁術───【時間跳躍】を発動させれば、ユウ君と出会う前まで戻れるんだ……」
彼を幸せにする為なら、何でも利用してみせよう。鬼にでも悪魔にでもなってやる。核に触れ、ロヴィーナは大魔法を解き放つ。
「待っててね、ユウ君─────」
そして、全ては始まりへと遡った。