96.黄昏の真実
「ずっと見ていたよ、君達の活躍を。ふふ、この2週間で全員随分腕を上げたようだね」
落ち着いた口調でそう言い、ヴィータは頬を緩める。扉は消えており、退路は断たれた。あとは俺達の絆を信じて最終決戦に臨むだけだ。
「それと、驚いたかな?あの水晶は世界樹の記憶、この世界がこれまで見てきた出来事が水晶となって保管されているんだ。中には、本人以外は視聴禁止の記憶も多く存在しているけど」
「「うっ……」」
さっきの記憶……港町での夜がノーカットで映し出されていたら、もはや決戦どころじゃなかっただろうな。
「さて、そろそろ真面目に話を進めようか。ここはこの世界の終点、そして全てが始まる最果ての空間。世界樹の中心であり、女神ユグドラシルの心臓部分ってところかな」
腕を広げ、ヴィータが魔力を放出する。ほんの少しだけ魔力を外に出したのだろうが、それでも俺達全員を圧倒する絶望的なまでの力。それは暗黒の風となって空間全体に吹き荒れた。
「改めて名乗らせてもらうよ。私は終末領域が産んだ負の化身、終の女神ロヴィーナだ。よろしくね、オーデム魔法学園の諸君」
「そう言われても、ヴィータはヴィータだ」
「うんうん、ロヴィーナってなんか言いにくいし」
「あはは、私はどう呼ばれてもいいんだけど。それでも君達が最期に見るのは、終の女神ロヴィーナとしての私さ」
服装以外はいつもと変わらないのに、とても遠い存在になってしまったヴィータ。彼女はクスクス笑うと、不意に背後の球体に手を当てる。
「これがこの世界の核。この空間も、最初は女神ユグドラシルの髪と同じ綺麗なエメラルドグリーンに輝いていたけど……終末領域が順調に世界を侵食している証だね」
「それが砕けたりでもすれば、この世界も消えてしまうのか?」
「うん、粉々に砕けるよ。君はよく分かっているよね、水の女神ティアーズ……いや、今は神雫か」
『絶対に、それだけは阻止してみせます』
「出来るかな?魔神グリード如きに手こずった英雄達に劣る、ただの学生である君達に」
重い言葉がのしかかる。そう、あくまで俺達は学生だ。マナ姉は先生で、親父達と世界を救った英雄の1人だけど、学生である俺達は英雄でも何でもない。
だけど、それがどうした。親父達だって、魔神グリードとの決戦に臨む前は英雄じゃなかった。そもそも、英雄が必ず世界を救うとは限らないじゃないか。
「世界を救う前に、ちょっとおふざけが過ぎた友人を連れ戻す。ただの学生である俺達がここに居るのは、それが理由だ。それからもう嫌ってぐらい反省させて、誰もが笑って暮らせる世界へ変えていく……どうだ、魅力的な未来だろ?」
「うん、ドキドキする」
「君が何故、この世界を滅ぼそうとしているのか。その理由ははっきりとは分からないけど、それでも友人にそんな事をさせるわけにはいかないんだ」
「ユウ君……」
「だからヴィータ、俺達と帰ろう。多分めちゃくちゃ怒られると思うけど、俺達も付き合うからさ。だけど、それでも世界を滅ぼすって言うのなら」
神雫を抜き、魔力を纏わせ、切っ先をヴィータに向ける。いつの間にか、全員が魔力を纏って構えていた。
「俺達が、君を止める」
そう言うと、ヴィータはまるで聖女のような笑みを浮かべて目を閉じた。そして暫く黙り込み、やがて目を開けた彼女の表情は豹変しており────
「君ならそう言ってくれると思っていたよ。だけどね、ユウ君。終末を回避したとしても、この世界に待つのは避けようのない真の破滅なのさ」
そうか、これがロヴィーナとしての彼女なのか。睨むように、それでいて笑みを浮かべながら俺達を見るヴィータ。禍々しい魔力が、絶えず空間を震わせている。
「乱れた魔力は全ての生命に影響を与える。だから裏世界へと流れ込み、そこで女神の力によって正常な状態に戻されてから再び表の世界に流れ出す。でもね、乱れた魔力が負の感情を記憶したまま共に裏世界に入り込む事があるんだ。その際裏世界は、処理できない負の感情のみを第3の世界である終末領域に送る」
魔力は魔法を記憶している。かつてヴィータから聞いた話だ。だけど、感情までも記憶する事があるのか。
「終末領域が負の感情で満たされる時。それはね、表の世界が手遅れな程荒れてしまった時なんだ。君達の目には普通に見えるこの世界も、今ではどんどん魔力が失われている。様々な天変地異や異変が頻発していたでしょう?あれは私が出現する前兆であり、この世界が破滅を迎える寸前だという事を、この核が君達へ伝えているんだよ。最終警告が、今起こっている永遠黄昏。まあ、世界樹そのものである女神ユグドラシルでさえ気付かない、無意識な行為のようだけど」
手遅れな程、荒れている。俺達の住むこの世界が……いや、とてもそんなふうには見えないというのに。
「だからね、終末領域は終の女神を生み出すんだよ。私がこの核を破壊すれば、この中にある膨大な魔力が世界全体に広がって、世界そのものを作り替えてしまえるから。緑が溢れ、透明な大海が広がり、澄んだ空気が満ちる……世界に害をなす愚か者が存在しない、そんな豊かで素晴らしい新世界に」
「じ、じゃあ、ヴィータちゃんはその核を破壊しようとしているの!?」
「はい、マナ先生。このまま自然と世界が滅びてしまえば、核は徐々に力を失い最終的には朽ち果てる。そうなれば、もう二度とこのユグドラシルという世界は再生しない。表も裏も終末領域も、何一つ存在しない無となるでしょう」
それを聞き、全員が動揺した。俺達がヴィータを止めたとしても、結局は世界が滅びてしまうというのだ。
「実はね、もう何十回もこの世界は終焉と再生を繰り返しているんだ。最初から前回まで変わらない、毎回必ず終の女神が核を壊して世界を作り替えてきた。まさか前回世界を滅ぼした時の様子が記された書物が世界樹の中にあるとは思わなかったけど、今回も私が世界樹の核を壊して終わりさ」
誰もが言葉を失う。この件は、あまりにもスケールが違いすぎた。ただヴィータを連れ戻す、そうすればこの世界は救われる。俺達は、そう信じて疑わなかったというのに。
「に、兄さん……」
「ユウ君……」
頭が真っ白になっていた時、不意に俺の両手を誰かが掴んできた。振り向けば、顔を青ざめさせて震えているマナ姉とクレハが立っていて………そうだ、諦めちゃ駄目だ。
「まだだ、ヴィータ。必ず、それ以外に世界を救う方法がある筈だ」
「無いよ。いつの世界もそうだった。必ず最後は希望を捨てずに誰かが立ち向かい、そして全てを諦めて終焉を受け入れたんだ。君達が私を止めるという事は、この世界を無に捨てるという事。その意味、分かるよね?」
「最後まで足掻けば、きっと奇跡は起こる筈なんだ!親父達だって、世界の危機に最後まで立ち向かった!だから俺達だって────」
「無理なんだよ、ユウ君。一ついいことを教えてあげる。君のお父さん、世界最強のタロー・シルヴァが神力を解放した時の魔闘力は恐らく200万前後。凄いね、女神ユグドラシルすらも上回る前代未聞の数値だよ」
200万という信じられない数字。だけど、今そんな事は関係ない……!
「君が最も尊敬しているテミス・シルヴァが宝剣を呼び出して、それに魔力解放を合わせた時の魔闘力は100万以上。これもとんでもない数値だ。だけどね、ユウ君」
困ったような表情で、ヴィータは言う。
「全世界の魔力を得た私の魔闘力、500万以上なんだ」
足元が崩壊したかのような、そんな感覚。本当の絶望というのは、多分こういう事を言うのだろう。
説得は失敗した。だけど、戦いながら彼女に声を届ける事ができたらと、そう考えていた。なのに、それだけ魔闘力に差があったら……差があってしまったら、そんなもの、勝負にすらならないじゃないか。
「安心して。ユウ君だけは、ちゃんと新世界に連れていくから」
「っ、なんで……」
「君が大切だから。私は、どんな世界でも君と共に生きていきたいんだ」
「マナ姉や、クレハ……リースに、エリナに……ソル、アーリアとユリウス……親父、母さん、学園長やベルゼブブさん、ディーネさんに、アレクシスさんとラスティさん、ハスターさん、ネビアさん……それだけじゃない。学園の皆や、街の人達、王国や帝国に住む人達や、リザだって……!」
「優先順位というものがあるんだよ。本当なら、君という存在を次の世界に持ち込むなんて事は有り得ない。でも君は何よりも大切な存在だから、今回は特別。他の皆は……悪いけど新世界には連れて行けないね」
「ぷっ……」
「ん?」
突然、誰かが笑った。
「ふ、ふふっ、あはははは……!」
「あの、どうしたの?死ぬのが怖くておかしくなっちゃった?」
「ええ、そうですね。おかしくて、思わず笑ってしまいました。だって貴女、本当は止めて欲しいのでしょう?」
笑ったのは、クレハだった。さっきまで恐怖で震えていた、あのクレハが。
「わざわざ私達以外が通り抜ける事ができない大規模な障壁を展開して、わざわざこんな場所まで呼び出して、わざわざ世界再生の仕組みについて説明してくれた。確かに、貴女が核を破壊して世界を再生させる事が正解なのでしょう」
「……何が言いたい?」
「だけど、少し変わった解答を貴女は求めている。三角だけど、ギリギリ丸を付けられる……そんな解答を」
クレハは不敵に笑い、魔力を纏った。
「終の女神として色々言っているのでしょうけど、もしかしたら他に世界を救う方法があるかもしれない……最後まで足掻けばそれが見つかるかもしれない……そう思ったからこそ、貴女は自分を止めてもらいたい……違いますか?」
「…………………」
「……と、ついつい強がってしまいましたが、恐怖のあまり腰が抜けそうです。兄さん、クレハはもう駄目です……」
ふらりとバランスを崩したクレハを、俺は咄嗟に腕で受け止めた。よく見れば汗だくになっており、顔は病人のように真っ青だ。
「……クレハ、ありがとうな」
そんな状態で、クレハはヴィータにあんな事を言ってみせた。それなのに俺は、一体何をしているんだ。
そもそも、〝ヴィータは俺達に止めてもらいたい〟なんて、この場に居る全員が分かっている筈じゃないか。恐怖と衝撃で忘れていたけど、だからこそ〝俺達〟はここに立っている。
「そ、そうや。こんなに頑張ってきたのに、最後はバッドエンドとか納得いかんし!」
風を纏い、リースが拳を握り……
「途中で私達が手を加えれば、この物語だって本来のものとは違う結末に辿り着ける筈です!」
アーリアが、3冊の魔導書を周囲に浮遊させ……
「まあ、先輩達はそんな事を言っても聞く人達じゃないですし。最後まで僕も付き合いますよ」
魔導銃に、ユリウスが魔弾を装填し……
「そうね、運命なんてクソ喰らえだわ!」
エリナが激しく轟く雷を呼び……
「なははっ!エリナちゃんらしくない発言だけど、悪くない!俺も運命、捻じ曲げてみますかね!」
槍を構え、ソルが不敵な笑みを浮かべ……
「この戦いが終わったら私、兄さんと結婚するんです……!」
冗談なのか本気なのか分からない事を、立ち上がったクレハが言ってみせ……
「そ、それ死亡フラグだよね?でも、そんなの折っちゃえば問題ないか!ユウ君、やるよ!」
マナ姉の覚悟に満ちた声が耳に届き……
『ふふ、ユウ様?』
「やれやれ、頼もしすぎて感動するよ。という事だ、ヴィータ。悪いけど、俺達は第3の未来をこの手で掴み取る。希望を持った人間は恐ろしいぞ?」
俺は、神雫に再び魔力を纏わせた。
「……くっ、あっはっはっはっ!そうか、うん、君はそういう人だったね。友に恵まれ、誰よりも勇敢で、そして優しい。君の両親は、どれだけの意味を込めてその名を付けたのかな」
飛翔し、ヴィータが空中に魔法陣を展開する。
「ならば終の女神として、汝らに魔の深淵をお見せしよう。我が終末の力を前に、抗えるのなら抗ってみせよ!」
「行くぞ皆、これが最後の戦いだ!」
「「「おおッ!!」」」
次の瞬間、凄まじい衝撃波が世界の終点を激しく震わせた。