93.リベンジマッチ
「ここは······魔闘場?」
門の先、クレハはオーデム魔法学園にある魔闘場の中心に立っていた。周囲から人の気配はせず、当然観客も居ない。
一応警戒は緩めず魔力を纏い、敵の出現に備えて1歩踏み出す。その直後、突如凄まじい魔力を感じてクレハは振り返った。
「よう、元気だったかぁ?」
「貴方は、隻腕の巨人の······!」
先程までは誰も居なかった観客席上部に、1人の男が立っていた。大剣を担いで獰猛な笑みを浮かべるその男は、以前この魔闘場でクレハのプライドをズタズタにした傭兵、ギルバードである。
「ははっ、覚えてくれてるとはな。俺も覚えてたぜ、クレハ・シルヴァ。お前は俺のお気に入りだからな」
跳躍し、クレハから少し離れた場所に着地したギルバード。彼の身から溢れ出す魔力は、以前とは比べ物にならない危険を感じた。
「まだそのような事を言うのですか。私は兄さん以外の男に興味などありません······ああ、父さんは家族なので別ですが」
「そっちもまだお兄ちゃんにべったりかい。だが、そのお兄ちゃんはお前の姉ちゃんとくっついちまったんだろ?くくっ、さっさと諦めて俺のものになれ。そしたら毎晩飽きることなく抱いてやるからよ」
そんな事を平然と言うギルバードに、クレハはにっこりと微笑み────
「ふふっ、吐き気がしますね。兄さんが私などを抱いてくださった日には、それこそ昇天してしまう程の幸福感に満たされるのでしょうが、貴方には指1本触れられただけで気分が悪くなってしまいます。貴方と兄さんでは、天と地程の差があるのです。それなのにまるで同じ土俵に立っているかのような物言い······なんておこがましいのでしょうか。あぁ、会話をするだけで頭痛がしてくるレベルですよ」
可愛い顔でそんな事を言ってみせた。さすがのギルバードも一瞬キョトンと目を見開き、そして腹を抱えて笑い出す。
「······?何がおかしいのですか?」
「いやぁ、相変わらず兄貴の事になると性格が豹変するよなぁ。どんなレベルのブラコンなんだよ、お前」
「これが普通だと思いますが。それで、貴方を始末すれば私は先に進めるのでしょうか」
「ああ、その通り。だが残念、お前は今回も俺に勝てない。助けに来てくれる者も居ない」
「助けなど必要ありません。私は未だにあの時の事が忘れられない。兄さんが来てくださったのは本当に嬉しかったのですが、兄さんの前で無様な姿を見せてしまった。人生最大の恥です。ですが今は違う、貴方程度に苦戦などしませんよ」
それが当然であるかのように発言したクレハ。そこまで言われると、最強の傭兵であるギルバードも黙ってはいられない。
「いいぜ、じゃあ見せてみろよ。お前の無駄なプライドをもう一度叩き折って、俺の女に変えてやる!」
猛スピードで駆け出したギルバードが、その場から動こうとしないクレハ目掛けて大剣を振り下ろす。それをクレハは呼び出した大樹の根で受け止め、そのまま手首に巻き付けて振り回す。
「【ブロッサムボンバー】」
そのまま真上に投げ飛ばし、更に高い場所に展開した魔法陣から大量の果実を落とす。それらはギルバードに当たった瞬間に爆ぜ、クレハはより多くの根を呼び寄せた。
「【ガイアボルケーノ】」
「ぬるいッ!!」
着地した場所が爆発したが、爆炎の中から飛び出したギルバードは無傷。再度クレハに大剣を振り下ろすが、交差された根はその大剣を跳ね返す。
まるで鋼鉄······いや、それ以上の硬さ。クレハは呼び出した根に大量の魔力を流し込むことで、硬度を底上げしているのである。
「てめえ、前とは違うみてえだな」
「そう言う貴方は変わっていませんね」
ギルバードの足首に巻き付いた根を操作し、振り回して壁に衝突させる。そのまま何度も壁や地面にぶつけた後、最後に信じられない程の速度で地面に叩きつけた。
「チッ、いいだろう······!」
「あら、本気を出すのですか?」
「腕の1本ぐらい落としても、お前を可愛がるのに問題はねえだろうからなァ!!」
「うふふ、問題しかありませんが」
魔力を解放したギルバードが、目にも留まらぬ速さで大剣を投擲。クレハはそれを根で弾き返したものの、地を蹴って大剣を空中で手に取りギルバードは振り下ろす。
今度こそ、クレハの根が砕け散った。しかし、彼女は迫る大剣を見ても特に焦ってはいない。
「その腕、貰ったァ!!」
「あら、自分のですか?」
次の瞬間、鮮血が舞った。くすりと微笑むクレハの前で、驚愕に目を見張るギルバード。振り下ろした筈の、自分の腕。それが、大剣と共に自分の視界に映り込んできたのだ。
「魔力の質を変えることで、根を刃のようにしたのです。自ら腕を切断するなんて、やはりお馬鹿さんですね」
「て、てめえええッ!!」
「そういえば以前、剣帝などと言っていましたか。適当に剣を振り回すだけで最強なんて、笑わせないでくれます?」
まだクレハは魔力を解放していない。なのに、今の時点で魔力解放状態のギルバードを圧倒している。これが英雄の血が流れているクレハの、真の実力だった。
「あまりこの俺を舐めるんじゃねえぞ、糞ガキがァッ!!」
「舐めませんよ、汚らしい」
どす黒いオーラを放出し、激怒するギルバードが閃光を放つ。見覚えのあるその光景は、感情喰らいによる魔人化である。しかし、以前ユウの前で魔人化した時とは姿が違う。
まだ人としての面影は残しているものの、決して人とは呼べない異形の姿。切り落とした肩口からは筋肉が盛り上がった巨腕が生え、左腕には血管が浮かび上がったかのような見た目に変貌した大剣が。
肌の色は毒々しい紫となり、身長は倍以上。圧倒的な存在感を放つ怪物が、真っ赤な瞳にクレハを映していた。
『さあぁ、まだ始まったばかりだぜえぇ!』
「私としては、早く終わらせて兄さん達と合流したいのですけど」
地面が炸裂するのと同時、ギルバードが手を開き、膨れ上がった右腕を猛スピードで伸ばす。握り潰すつもりかとクレハは思ったが、突如手のひらから霧状の何かが噴出された。
(毒霧────!)
咄嗟に足元から太い根を呼び出し、それに乗って真上に逃げる。しかし毒霧は根を溶かし、足場を失ったクレハ目掛けてギルバードが大剣を振るう。
『貰ったァーーーーー!!』
「はぁ、魔力の消費を抑えすぎるのもあまり良くありませんか」
大剣が首を切断する、まさにその直前。銀色の光が魔闘場を駆け抜け、吹き荒れる風がギルバードを吹き飛ばした。
『っ、魔力を解放しやがったか!』
「【アースバイト】」
着地したクレハが手のひらを地面に当て、流し込まれた魔力が足元を岩の槍へと変形させる。それをギルバードはバックステップで躱したが、槍は彼を追って何十本も地面から飛び出した。
『チッ、小賢しい!』
「あら、油断は禁物ですよ?」
数本の根がギルバードの手足に絡みつき、動きが止まったギルバードにクレハは岩を弾丸のように加速させて飛ばした。まともにそれが腹部に直撃したギルバードだったが、吹っ飛びそうになる彼を大樹の根が逃がさない。
「さあ、この場は私の支配下。どれだけ足掻こうと、もう貴方に逃げ場はありません」
『舐めやがってえ!』
「だから舐めませんってば」
2発目を打ち込まれたギルバードは、更に禍々しい魔力を放って根を引きちぎる。そして勢いよく駆け出した彼を迎え撃つのは、数えるのも面倒な程の根。ここまで太いと、幹と言われても不思議ではない程だ。
『オラオラオラァッ!!』
その全てを次々と斬り、真正面からギルバードがクレハに迫る。
『ヒャッハァーーーーー!!』
その場から離れようとしたクレハを、ギルバードの大剣が真っ二つに両断した。しかし、クレハの体は突如石となって崩れ落ちる。
どういう事だとギルバードが顔を上げれば、あちこちに張り巡らされた根の上に立つクレハと目が合った。
『馬鹿な、いつの間に!?』
「【加速】、練習したら使えるようになったんです。流石に兄さん程の速度で移動はできませんが、貴方相手なら充分でしょう」
『ハッ、わざわざ足場を作ってくれるとはな!』
苛立ちを抑えて跳び、根に足を置く。次の瞬間、周囲の根が一斉にギルバードを襲った。先端が槍のように尖った根が次々とギルバードを貫き、更に体内へ麻痺毒を注入。
異変を感じて根を切断するが、そんな彼の顔面に根を集めて生み出した巨大な拳を叩き込む。以前は簡単に圧倒できた弱い少女が、何故か今は自分を見下ろしている。
ボロボロの状態で地面に寝転がりながら、ギルバードは悪魔よりも恐ろしいクレハを睨みつけた。
『何故だ······』
「はい?」
『何故、この俺が見下ろされているんだ······?』
「いつまで自分を強者だと思い込んでいるのですか?貴方程度、兄さんなら数秒で始末できるでしょうね」
『な、なんだとォ!!』
ふらりと立ち上がり、ギルバードが大剣に魔力を集中させる。そんな彼を見て、クレハはくすくす笑った。
「分かりますか?貴方は自分が兄さんよりも優れていると思っているのでしょうけど、実際は何一つ優れていません。剣の腕も、魔力も、レベルも。それだけではなく、兄さんには愛や優しさがあります。あれ程までに素敵な男性は、やはり兄さんだけです」
『黙れよブラコンが······!』
「あぁ、御姿を想像しただけで胸が高鳴りますね。待っていてください、兄さん。すぐにこの男を片付けて、貴方のもとに参りますので」
『気持ち悪いんだよクソがッ!!』
「ナルシストよりマシだと思いますけど」
跳躍して大剣を振り上げるギルバード。更に膨れ上がった腕で周囲の根を掴んで一気に引きちぎり、大量の瘴気を放ってクレハを包む。
そして振り下ろされた大剣は、空中で避ける術の無いクレハを容赦なく切断────
「随分動きが鈍っていますね」
『ゴッ!!?』
────する事は出来ず。魔力を膜のようにして瘴気から身を守り、麻痺毒の影響で弱まった一撃はあっさり弾かれた。そしてクレハは大量の根をギルバードに殺到させ、そのまま彼を地面にめり込ませる。
『グッ、くそっ······!』
「私を兄さんや姉さんと同じだと思ってはいけませんよ?特に姉さんなら、弱っている貴方を見たら手を止めるでしょうし」
『あああッ!!畜生、手が動かねえッ!!』
「仕方ないですよね。貴方は以前、私の兄さんに多くの暴言を吐きましたので。己の行為を恥、悔い、そして消えてください」
『ウルアァアアァアアアッ!!!』
動かない体を無理矢理動かし、ギルバードが跳ね起きる。そんな彼を見てクレハはやれやれと息を吐き、そして大規模な魔法陣を展開した。
「終らせましょう、時間の無駄です」
『ク、クレハ・シルヴァあああああッ!!』
「来なさい、【世界樹の星王】」
呼び出されたのは手足の存在する巨大な大樹。その中心で核となったクレハは跳躍したギルバードを容赦なく叩き落とし、以前この場でやったように何度も何度も殴り続ける。
凄まじい衝撃が魔闘場を激しく揺らし、地面を粉々に砕き······それでもクレハは手を緩めない。
『俺が、この世界の頂点に立つんだァーーーーーーッ!!!』
「無理ですよ」
腕を弾き返したギルバードを思いっきり踏み、最後に根を絡めてから空高く放り投げ────
「私の兄さんが世界一ですから」
『い、嫌だああああああああ──────』
大地の魔力を一気に解き放ち、魔人と化したギルバードを跡形もなく消し飛ばした。やがて巨人を消したクレハは優雅に着地し、離れた場所に出現した魔法陣へと目を向ける。
「さて、兄さんと合流しましょう!」
魔法陣の先に居るであろう兄を思い浮かべ、彼女を知る者が見たら驚くと思われる程緩みきった表情のまま、クレハは駆け足で魔法陣に向かった。