90.父と娘の雷劇武闘
「ふむ、俺の相手はお前か───娘よ」
驚き硬直するエリナの前で、頬杖をつく金髪の厳つい男性がゆっくりと立ち上がる。ただそれだけで、思わず息を呑んでしまう程の威圧感がエリナの全身を襲う。
昔から········母が亡くなってからずっとこうだ。実の娘に向けるものとは思えない眼差しと、何もかもを凍てつかせてしまいそうな雰囲気。
「お、お父様········」
エリナの実父、デイン・エレキオール。マナが現れるまでは最強の雷属性魔導士の【雷神】と言われていた男である。
「フン、以前よりは魔力も上昇したようだが、俺の相手にはならないであろうな」
「どうして······どうしてお父様が此処に!?」
凄まじい魔力が部屋中を駆け巡る。見覚えのあるこの場所は、エリナの実家であるエレキオール邸だ。世界樹3層から、まさか遠く離れた場所にある故郷へと飛ばされたとでもいうのか。
「此処は終の女神に侵食された世界樹3層、その中にある空間の一つだ。俺は此処で、お前が来るのを待っていた」
「ヴィータさんに手を貸しているのですか!?」
「あの女、ああ見えて相当やり手だぞ?俺の望みを叶える為ならば、この世に終焉を齎す女神だろうが利用してくれよう」
「望み········?」
魔力が雷となり、絨毯が焼ける。ビリビリと身を震わせる殺気と圧力を前に、思わずエリナは後ずさった。
「さて、そろそろ始めるとしようか?この領域はお前達へ試練を与える為の場所、少しは楽しめる事を期待する」
「っ、世界の滅びに加担するという事が何を意味するのか、何故分からないのですか!」
「俺の世界など、とうの昔に滅びてしまっている。ただ1人の、愚かな男のせいでなァ!!」
爆音と共に雷魔法がエリナを襲う。事前に対策していなければ黒焦げになっていた筈だ。しかし、雷属性魔法を防ぐ強力な結界を張り巡らせていたというのに、それすらも貫く破壊力。
蹌踉めくエリナだったが、目を開ければ次の魔法が既に放たれている。咄嗟の動きで転がるようにそれを回避し、反撃する為エリナは魔力を纏った。
「ほう、向かってくるのか」
「たとえお父様が相手だろうと、世界が滅びるかもしれない時に私は退けないのです!」
「いいだろう、来るがいい」
初っ端から全力の上位魔法を連続展開。それをまるで嘲笑うかのように、デインは腕を軽く振っただけでその全てを弾き飛ばす。
「なっ········!?」
「その程度かエリナ。どれ、本物の雷属性魔法を見せてやろう」
駆け抜ける風から交差した腕で顔を守るエリナだったが、視線の先で巨大な魔法陣が展開された。直後、荒れ狂う稲妻が屋敷の床を粉々に砕く。
凄まじい破壊力。無詠唱で放たれた今の一撃で、エリナ達が居た3階部分は全て崩壊してしまった。
「くっ、来たれ爆雷······!」
「唸れ轟雷」
見た目がほぼ同じ魔法同士がぶつかり合う。しかし一瞬でエリナの雷は弾け飛び、デインの雷が彼女を包み込んだ。
(こ、ここまで差があるなんて········)
膝をついたエリナを、デインは睨むように見つめる。あれだけ派手に魔法を使用していたというのに、息一つ乱れていない。
(それでも、諦めるわけにはいかないわ。お父様が油断している今こそが、私にとって最大のチャンスなんだから)
そこで、デインもエリナの変化に気づいたらしい。そして次の瞬間、突如として凄まじい数の雷槍がデインを襲った。
それがどうしたとデインはより威力の高い魔法で迎撃したが、そんな彼の周囲に次々と魔法陣が展開されていく。
『エリナちゃんは、魔法陣の高速展開が得意みたいだね。それこそ、私よりもずっと速いと思うよ』
修行中、最強の魔導士の一角であるマナにそう言わせたエリナの才能。強力な魔法を使用しようとすれば、尋常ではない量の魔法情報から構成される魔法陣を展開しなければならない。
本来それには相当な時間を必要とするのだが、マナやベルゼブブなど魔導士として絶対的な領域に踏み入った者は、恐ろしく速い時間で最上位魔法を高速展開する。
現段階で、そんな彼女達を上回る速度での魔法行使。それはつまり、今後の努力次第では、世界を脅威から救った英雄達に匹敵する程の魔導士となれるかもしれないという事だ。
『でも、私の魔法はマナ先生の魔法よりも遥かに威力が劣ります。魔法陣展開が速くても、それではとても········』
『ふふっ、エリナちゃんなら大丈夫だよ』
現代最強の雷魔導士との修行。たとえ威力は低いとしても、それは得意な部分で大幅にカバーできる。遂に迎撃が追いつかなくなったデインは、全方向から大量の魔法を浴びて勢いよく吹き飛ばされた。
「っ········!」
「【ライトニングシャワー】!!」
いつの間にか習得していた、光属性の上位魔法。まるで雨のように降り注ぐレーザーのような魔法が、着地した直後のデインを襲う。
「【ライトニングブレード】!!」
更に凝縮された光が魔法の刃と化し、デインの全身を切り刻む。一瞬だが顔を歪めた父を見てエリナは躊躇いそうになったが、これは父を止める為の戦いであり、認められる為の戦いでもある。
決して、手を緩めるわけにはいかない。
「行きます、魔力解放!!」
「チッ、おのれ········!」
解き放たれた深層魔力。まだまだこの状態には慣れていないので、彼女が魔力を解放していられる時間は短い。しかし、今の彼女が使用できる魔法の威力は桁違いだ。
「その程度で、父を超える事などできん!!」
「え─────」
まさに電光石火の一撃。エリナが魔法陣を展開するよりも速く、地を蹴り接近してきたデインのボディブロー。骨が軋み、吹っ飛んだエリナは血を吐きながら蹲る。
「あ、がっ········!?」
「フン、他愛ない」
マナだったら、魔力を解放する暇さえ与えてくれなかっただろうか。たった一撃で沈んだエリナは、目に涙を浮かべながらどう動くべきかを必死に考える。
「無駄な抵抗はよせ、エリナ」
「無駄なんかじゃ、ない········」
「今の世の中は腐っている。この地上には、最早自分の身しか愛せない屑しか居ないのだ。だからこそ、作り変える必要がある········〝サラ〟の為にも」
「っ、お母様の········?」
顔を上げたエリナの目に映る、寂しそうな父の表情。彼が口にしたサラとは、エリナが幼い頃に亡くなった母の名だ。
「サラが何故命を落としたか。お前には、病気だったからと説明したな」
「は、はい」
「それは違う。真実は、〝エレキオール家を潰す為に別の貴族達が魔物を放ったから〟だ」
「────え?」
心臓が跳ねる。
「ま、魔物?」
「問題ばかり起こす貴族達をどう変えるべきかと考え、日々行動していたある日の晩、エレキオール邸に大量の魔物が入り込んだ。どうやら特殊な首輪で操られた魔物だったらしい。死すら恐れぬ敵を前に、俺もお前とサラを守る為に力の限りを尽くしたが、窓から侵入してきた魔物への対処が一瞬遅れた。その際サラはお前を庇い、致命傷を負ってしまってな」
拳を握りしめ、デインは雷を纏う。
「俺は全ての魔物を駆逐してからサラとお前に駆け寄ったが、既に彼女は息絶えていた。その後、俺はこの事件に関与した全ての貴族をあらゆる証拠を使って叩き潰し、処刑台へと送った。だがな、満たされないんだよ。憎き連中を地獄へ落としたところで、愛する彼女はもうこの世に居ないのだから」
「お父、様········」
「だから俺は、終の女神に手を貸した。そしてこの世界を滅ぼし、作り変えるのだ。彼女は言った、〝世界の再構築が行われる際、貴方の愛する者達に再び生を与える〟と!俺はサラとお前が幸せに過ごせる世界を創る為に、この腐った世界を滅ぼす!」
デインがこうして自分の前に立ちはだかるのは、もう一度あの頃の幸せな時間を取り戻す為だったのか。真実を知ったエリナは、静かに覚悟を決めて立ち上がる。
「ありがとうございます、お父様。それでもやはり、そのような事は認められません」
「何故だ?お前だって、もう一度母に会いたいと願っている筈だろう!?」
「ええ、勿論です。だからといって、この世界を滅ぼさせるわけにはいかない」
「貴様········!」
解放された魔力が、エリナの心を落ち着かせる。これから放つ自身最大の魔法を展開する為には、迷いや焦りは不必要なのだ。
「確かに、世の中には自分の為に手を汚す者も数多くいる。ですがお父様、私は誰かの為にその命を懸ける美しい心の持ち主達を、これまで何度も見てきたのです」
「っ········!」
「彼らに出会えたから、私は変わる事ができました。そして、確信したのです。彼らとなら、この世界を良い方向に導く事は可能なのだと!」
片腕を天に伸ばし、魔法陣を展開する。膨大な情報が詰め込まれた魔法陣は、空一面を埋め尽くす程の黒雲を生み出した。
「集え雷精。我が信念のもとにその身を震わせ、我が想いに応えて悪しき罪をその目で捉えよ」
「罪だと!?愛する者を取り戻したいと願う事の、何が罪だというのだッ!!」
「正義の裁きよ、天より来たれ」
「何も知らずに怠惰な生活を送る者や、全てを他人に任せて行動しない者こそが、真の罪人ではないかあああッ!!」
全力でデインは駆け出し、そして見た。詠唱の終了と共に雲を割って放たれた、圧倒的な魔力を感じさせる聖なる雷を。
「【ジャッジメントボルト】」
「ッ──────」
次の瞬間、デインの意識は唐突に途切れた。
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「───俺は、敗れたのか」
目を覚ましたデインは、ぽつりと呟く。それに反応したエリナは、困ったような笑みを浮かべて頷いた。
「お父様、私は········」
「何をしているのだ、お前は。敗者に声をかけている暇があるのなら、さっさと先へ進むがいい」
倒れるデインが指さした方向に目を向ければ、転移魔法陣らしきものが地面に浮かび上がっているのが見える。
「これからお父様は、どうなさるおつもりですか」
「我々番人には、終の女神から転移結晶が渡されている。滅びを受け入れた時はそれを使用し、地上で世界の終わりを見届けれるようにな。だが、少々使う理由が変わった」
懐から結晶を取り出し、デインは静かに笑みを浮かべる。それは、幼い頃にエリナが何度も見ていた父の笑みだ。
「サラの代わりに、今後も娘の成長を見続けるのも悪くない」
「っ、お父様········」
「さあ、終末までの時間は僅かしか無いぞ。行くがいい、エリナよ········!」
「ええ、必ずやヴィータさんを止めてみせます!」
駆け出した娘を見送り、デインは転移結晶を握りしめる。何かあった時の為、強くなってほしかった。だからこそ、これまで彼女には厳しく接してきた。
「父親として、これからエリナには何をしてやれるだろうか········フッ、やはり子育てというものは大変だな、サラ」