85.世界樹へ
「ユグドラシル様が!?そ、そうか、ご無事だったんだな」
帰宅して風呂に入ってから母さんにその事を伝えると、驚いて持っていた食器を落としかけていた。ノリは軽いが、この世界を支える女神様だ。やっぱり皆心配していたのだろう。
「ところでユウ、その刀は?」
『ティアーズです。今は霊刀【神雫】とお呼びください』
「ユグドラシル様が、一時的にティアーズを刀にしたんだ」
「ああ、凄まじい魔力を感じる。ユグドラシル様とティアーズ様の魔力が合わされば、天下無敵の一太刀となる筈だ」
女神であるティアーズが刀化したのが神雫だ。もしかすると、光の精霊が宿る母さんの宝剣に匹敵する力を発揮できるかもしれない。母さんの言う天下無敵の一太刀なら、ヴィータを止める事もできるだろうか。
「········ユウ」
青白く輝く神雫を見つめていた時、食器を置いた母さんに名前を呼ばれた。顔を上げれば、困ったような笑みを浮かべる母さんと目が合う。
「本当は、行ってほしくないんだ」
「え?」
「世界樹には、歴史書の悪魔や古代魔獣が多く徘徊している筈だ。今のユウは、魔神グリードと戦った時の私よりもずっと強い。それでも、息子や娘を危険な場所に送り出すのは········」
そう言ってくれるのは、大切に思ってくれているのが分かるから嬉しい。それでも、俺達は行かなければならない。行かないでと母さんが言わないのは、それしか世界を救う方法が無いと分かっているからだ。
「私が彼女を止める事ができていたら、ユウ達に全てを任せる事にはならなかったのに」
「仕方ないよ、今のヴィータはこの世界に生きる全生命の魔力を持っている。それに、終末領域───つまり負の世界そのものを纏う事だって可能なんだ」
修行したからといって、俺達ではヴィータには勝てないだろう。だけど、共に学園で過ごした俺達だからこそ、彼女に声を届ける事ができる。だから俺達が世界樹に行くんだ。
「信じて待っててよ、母さん。必ずヴィータを止めて戻ってくるから········また、稽古をつけてほしい」
「ユウ········ふふ、分かった」
突然母さんに抱き寄せられる。
「絶対、無事に帰ってきて········」
「ああ、約束する」
やがて俺から離れた母さんは、目に涙を浮かべながら笑っていた。本当に、この人が俺の母で良かった。そう思いながらおやすみと伝え、俺は自分の部屋へと向かう。
クレハとマナ姉はもう寝てしまっただろうか。話ができなかったのは残念だけど、2人共疲れている筈だから仕方ない。
「········何してるんだ?」
「ハッ!おお、おっ、おかえりなさい!」
部屋に入ると、俺のベッドにマナ姉が顔を押し付けていた。よく分からんが、マナ姉は起きていたらしい。
「ゆ、ユウ君と話がしたくて待ってたの」
「うん、そうか。で、何してたんだ?」
「ち、違うよ!?別にユウ君の匂いがするとか思ってたわけじゃなくて········!」
「分かった、落ち着きなさい」
テンパったマナ姉を落ち着かせ、ベッドの上に寝転がる。どうやらクレハは寝てしまったようだ。隣を見れば、真っ赤になった顔をマナ姉は枕で隠していた。
マナ姉は普通の人より嗅覚が優れている。獣人は癖で他人の匂いを嗅いだりしてしまうと聞くが、変な匂いと思われてないなら別に構わない。
「明日は早いぞ?マナ姉も、そろそろ寝た方がいいんじゃないか?」
「そうだけど、眠れないの········」
「緊張してる?」
「うん、実はとっても。お父さん達と浮遊大陸に行った時は、子供だったから別に緊張したりはしなかった。でも、今はちゃんと勉強して知識を身につけて、この状況がどれだけ危険で絶望的なのかが分かるから········」
俺に寄ってきたマナ姉の体は震えている。誰だってそうだ。さっき話をしたリースやエリナ達だって、皆緊張して恐怖していたに決まっている。勿論、俺だってな。
「でも、目の前でユウ君を失ってしまったらとか、そんな事ばかり考えてしまって········そんなのは、世界が滅びてしまう事よりも怖いの」
「それで匂いを嗅いでたのか」
「ち、違うよっ!」
「ははは、そりゃそうだろうな」
恥ずかしそうに俺を見てくるマナ姉。少しでも気持ちが楽になってくれたらと思って言ったけど、どうだろう。
「ユウ君を感じる事ができたら、とても落ち着けるの。これからもずっと、ユウ君と一緒に居たい········」
「それじゃあ明日は頑張らないとな」
「うん········」
「いつもなら、窓に目を向けたら綺麗な星空が見える。だけど世界が滅びたら、何もかもが消えてなくなる。また思い出が沢山ある星空を見る為に、俺は全力で抗うつもりだ」
永遠黄昏の影響で、日付が変わる前なのに電気をつけなくても室内は明るい。カーテンを閉めれば暗くなったが、それでも隙間から入り込んでくる光が気になる。
「マナ姉と行きたい所、まだまだあるしな」
「私も········ユウ君と海に行きたい」
「じゃあ、来年の夏は海に行くか。古代遺跡巡りなんかもしてみたいんだよなぁ」
「また港町の水族館で、海鮮丼を食べたい」
「マナ姉って港町に行ってたんだろ?海鮮丼とか、毎日食べれたんじゃないのか?」
「ユウ君と一緒に食べたいの。あの町は、思い出の場所だから」
至近距離で見るマナ姉は、いつもと変わらず綺麗で可愛らしい。こんな人が俺の彼女だなんてと、今でもたまに思う時がある。
もしもマナ姉が、義理の姉じゃなかったら。親父と幼い頃のマナ姉が出会っていなかったら·······いや、それでもきっと、俺達は出会っていた筈だ。マナ姉が運命の人だと信じている。マナ姉がいつも傍に居てくれたから、俺はここまで頑張る事ができたんだ。
「ありがとうな、マナ姉」
「ふふ、どうしたの?」
そんな大切な人と、これからも共に過ごす為に。必ず明日、俺はヴィータを止めなければならない。
「········寝るか」
「········寝よっか」
何も言わなくても、何を考えているかなんてお互いすぐに分かる。目を閉じたマナ姉を抱き寄せ、キスをして。
明日の決戦に備え、俺達は眠りについた。
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「よし、全員揃ったな?それじゃあ最終確認だ。今の世界樹は終末領域に侵食され、周囲に空間干渉すら弾く障壁が展開されている。その中に入れるのは選ばれたお前達だけで、私は障壁の前に転移させる事しかできない」
翌朝。学園の中庭に集まった俺達に、学園長が今後について説明してくれている最中だ。
「お前達が障壁内部に入ったら私は王都に戻る。忘れ物をしたと言っても遅いからな。今のうちに荷物は全部確認しておけ」
「分かりました」
「んで、ユグドラシル。お前からも何かあるんだろう?」
「ふあっ!?そんな急に········」
学園長の後ろで欠伸をしていたユグドラシル様が、慌てながら前に立った。やはり神々しい雰囲気を纏っており、全身から凄まじい魔力が溢れている。自然とこの場に居る全員が姿勢を正した。
「皆さん、これから始まるのは終焉です。貴方達が終の女神ロヴィーナに敗れれば、その瞬間にこの世界の破滅は決定されます」
ゴクリと、隣のマナ姉が唾を飲む。
「本当なら、私達も決戦の地へと足を運び共に戦いたいのですが、私ですら今の世界樹には近寄れません。なので、世界の命運を貴方達に託す事になります」
ニコリと笑い、ユグドラシル様は指を立てた。
「その1、最後まで仲間を信じる事」
続いて中指を立てる。
「その2、最後まで絶対に諦めない事」
最後に、薬指を立て────
「その3、この世界に生きる者達───家族は皆貴方達の帰りを待っています。絶対に、全員揃って帰ってくる事。女神との約束です、いいですね?」
「「「はいっ!!」」」
「ふふ、昔の貴女達を思い出しますね、アークライト。全員で力を合わせれば、どんな困難だって乗り越える事ができる」
「ああ。私達の思い、お前達に託すぞ」
学園長がそう言った瞬間、突然あちこちから声が聞こえた。学園に通う生徒達だ。寮の部屋の窓を開けて手を振る者、屋上で巨大な旗を振っている者。中庭まで降りてきた者。
いや、それだけじゃない。学園長が魔法で空に浮かび上がらせた様々な映像には、親父やベルゼブブさん達、世界中の人々が映っていた。空間に干渉し、リアルタイムで各地から俺達に応援が届けられている。
『マナ、クレハ、絶対帰ってきてくれよ!お父さん、信じて待ってるからなぁーーー!それとユウ、俺の代わりにしっかりな!』
『ちょっと魔界はピンチだから、早めにお願いね!』
『頑張れーーーーー!』
『応援してるぞーーーーー!』
「ユウ、マジで頼むぞ!」
「マナ先生、頑張ってーーー!」
「エリナさん、リースちゃん、お願いね!」
声が空気を震わせている。よく見れば、オーデムに住む人達まで見送りに来てくれていた。やばいな、応援というものは本当に力をくれるらしい。
「いやー、応援してるっすよ先輩!もし世界を救ったら、自分が記事を書くっすからね」
「おう、マルセルか」
「今のうちにサインを貰っていたら、後々売ったら凄い値段になるかもっす!」
「お前にだけは絶対書かん」
相変わらず物凄いスピードで何かをメモしているマルセルや、見送りに来たクラスメイト達。彼らの為にも、俺達は負けられない。
「よし、それじゃあそろそろ転移させるぞ」
「········アークライト、町の外に」
「あ?········あー、マジかよ」
『やべっ、歴史書の悪魔が町に迫ってるって情報が入ってきた!ソンノさん、後は頼みます!』
『ちょっと、敵の数が跳ね上がったですって!?もう、こんな時に········ディーネ、前に出るわよ!』
『了解!』
「チッ、一斉に悪魔共を送り込んできたか!テミス、オーデムに悪魔の大軍が迫ってるぞ!」
それを聞き、全員の顔が青ざめる。この町だけじゃない、世界中で戦いが始まったんだ。急がなければ、本当に世界が滅びてしまう。
「ユウ、マナ、クレハ。この町は········お前達が帰ってくる家は必ず守ってみせる。だから、頼んだぞ」
「うん、任せて!」
「が、頑張ります!」
「母さんも気を付けてな!」
俺達をギュッと抱きしめた後、目にも留まらぬ速さで母さんは中庭から消えた。その直後、学園長が転移魔法陣を展開。俺達全員を呼び寄せる。
「時間が無い、トイレ行ったか!?」
「行ってます!」
「それじゃあ転移させる!魔法陣から出るなよ!」
次の瞬間、景色が急に切り替わった。強めの風が吹く草原に、俺達は立っている。
「っ、世界樹········!」
振り向けば、雲を貫く世界樹が黒く染まっていた。そして周囲には障壁が展開されており、恐る恐る手を伸ばすとすり抜ける。しかし、学園長が触れると弾かれていたので、本当に俺達のみしかこの先には進めないようだ。
「さあ、ここからはお前達だけで進まなきゃならない。こんな思いをさせて申し訳ないが、お前達がこの世界を救うんだ」
「はい········!」
「いい表情だ。いよいよ世代交代か」
そう言い、学園長は消えた。転移魔法で町に戻ったらしい。残された俺達は、頷きあって障壁の先へと足を踏み入れる。
もう世界樹は目と鼻の先だ。周囲に魔物の気配は無いので、とにかく先に進むしかない。
「行こう、みんな」
最終決戦が、始まろうとしていた。




