83.クレハの告白
初めてクレハに怒鳴られ、俺は本気で落ち込んだ。何か嫌な事でも言ってしまったのだろうか。それとも、遅めの反抗期がやって来たとでもいうのか。
『クレハちゃんが怒るなんて信じられないね。だってクレハちゃん、ユウ君の事········あ、何でもない』
「はぁ、とうとうクレハも兄離れする時が来たのか。べったりなのも恥ずかしかったけど、こうなると寂しいなぁ」
『う、うーん、どうなんだろ。そっちに居たら直接話を聞けたんだけど········』
「明日もう一度話をしてみるよ。とりあえず、もう遅いから今日は寝よう。ごめんな、話を聞いてもらって」
『ううん、ユウ君の声が聞けて嬉しいよ?それじゃあおやすみ、また明日ね』
「ああ、また明日」
通話が切れる。マナ姉の声を聞いて癒されたが、まだダメージは残っている。あれからクレハは一言も話しかけてくれなかったし、それどころか目も合わせてくれない。
母さんも心配していたので、早く仲直りしたいところだ。明日、特訓が終わったらきちんと話をしよう。そう思いながら、俺は目を閉じ意識を手放した。
「ユウ、集中しなさい!!」
「ッ········!」
母さんに弾き飛ばされ、俺は地面を転がった。顔を上げれば、やれやれと息を吐く母さんと目が合う。
「クレハの事が心配なのは私も同じだ。でも、今は修行中なんだぞ?そんな状態では、決して強くなれない」
「ご、ごめん········」
「一旦休憩しよう」
そう言って母さんは持ち込んだベンチに腰掛ける。俺も隣に座り、冷えたドリンクをクーラーボックスから取り出して母さんに手渡した。
「喧嘩したのか?」
「いや、どうなんだろ。多分俺が悪いとは思うんだけど、心当たりがないというか········」
「クレハがユウに対して怒るとは思えないな。何か別の理由があったりするんじゃないか?」
「実際怒鳴られたのは俺だし。とりあえず、修行を終えたらクレハと話をするつもり」
「うん、そうするといい。あと5分経ったら再開しよう。それまではゆっくりして────」
母さんの話を聞きながらドリンクを飲んでいた時、突然凄まじい魔力がオーデムの外で解き放たれた。今のはクレハの魔力だ。もしかして、魔力解放に成功したのかもしれない。
「これは、クレハの魔力だな········ん?」
母さんが立ち上がる。
「魔力が消えた········どういう事だ?」
俺にも分かった。膨れ上がったクレハの魔力が、突然感じられなくなったのだ。魔力解放の際に全魔力を使い切ってしまったのだろうか。
「っ、違う。この感じ········まさか」
俺は知っている。これまで、嫌という程感じてきた不気味で禍々しい気配。嫌な予感しかしないので、俺は刀を持って魔闘場から飛び出した。
「ユウ、何か分かったのか?」
すぐに追いついてきた母さんにそう言われ、俺は頷く。
「魔力遮断フィールドだよ」
「え?」
「魔力が消えたのは、魔力が底を尽きたからじゃない。外に魔力が漏れなくする為のフィールドが展開されたからだ」
次の瞬間、向こうから猛スピードで男性が吹っ飛んできた。母さんが受け止めたその男性は、クレハの特訓相手であるテラさんだ。
「ぐっ、やっべえ。ありゃあ俺には止められないっスよ」
「やっぱりか········!」
どす黒いオーラを纏う、負の化身。ゆっくりとこちらに向かって歩いてくるのは、感情喰らいに寄生されたクレハだった。
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「兄さん、兄さん、兄さん········」
フィールド内に入ったからこそ分かる、凄まじいクレハの魔力。間違いなく俺と同じか、それ以上の魔力量だ。
魔力の暴走。銀色だった魔力は黒く染まり、歪んだ笑みを浮かべるクレハの周囲には、召喚された大樹の根が数え切れない程蠢いている。魔人化も始まっているようで、右眼が真っ赤に染まっていた。
「お、おい、ユウ。お前クレハちゃんに何したってんだ!?」
「え········?」
「ずっと兄さん兄さんって呟いてて、挙句の果てには全員殺してやるとか言って魔力が暴走してんだよ!」
「そ、そんな········」
ボロボロのテラさんにそう言われ、俺はクレハに目を向ける。俺と目が合った瞬間、クレハは頬を赤く染めながら手を広げた。
「見てください、兄さん。私、こんなにも強くなれたんですよ?これでもう、誰も私と兄さんの邪魔はできない········」
「な、何言ってんだクレハ。邪魔って、一体何の話を────」
「私がいつまで経っても弱いままだから、兄さんは私を認めてくれなかったんですよね?だからエリナさん達が成長したら喜んでいたのに、私には今のままで充分なんて言ったのでしょう?でも、これで私はまたエリナさん達よりも優れた存在になりました。兄さんに最も相応しいのは、この私なんですよ」
立ち止まり、クレハは目を細める。
「エリナさん達よりも劣っていると思い、私は焦っていました。このままでは兄さんに失望されてしまうと。だけど私はあの人達以上の魔力を持っている。これ以上私と兄さんの邪魔をするのなら、この力で皆殺しにしてやろうと思ったの」
俺に失望されたくなくて、エリナ達ができた魔力解放をしようと無理していたのか?それでもできなくて、それで彼女が溜め込んでいた負の感情に感情喰らいが反応して········。
「俺はクレハに失望なんてしないし、エリナ達より劣っているとも思っていない!」
「ふ、ふふふっ、やっぱり庇うんだ。私よりもあの人達の方が大切だから········!」
駄目だ、完全に暴走している。隣を見れば、母さんが魔力を帯びた刀を抜いていた。
「無力化する。話はそれからだ」
「邪魔ですよ母さんッ!!」
操作された大樹の根が一斉に動いた。そして、同じタイミングで大蛇のように迫る根に向かって母さんも地を蹴る。次の瞬間、クレハの魔法は細かく斬り刻まれた。それでも母さんが次の動作に移るよりも速く、クレハは再度大樹の根を呼び寄せる。
「【限界加速】」
しかし、やはり母さんの方が圧倒的に速い。一瞬で大樹の根を避けてクレハの背後に回り込み、服を掴んで地面に叩きつけた。
「クレハ、正気に戻りなさい!」
「ああああッ!!【ガイアボルケーノ】!!」
「っ、自分ごと────」
真下に出現した魔法陣が爆ぜ、クレハと母さんを飲み込んだ。爆炎の中から飛び出した母さんは無傷だったものの、ふらりと立ち上がったクレハは血を流しながら笑っている。
「あっは!ははははははッ!!」
「くっ、下手に刺激すると危険か········!」
自分諸共爆破するなんて、信じられない。空気を裂いて迫り来る大樹の根を躱し、母さんはどうしたものかと動揺している。
エリナやマナ姉のように、俺の声はクレハに届くだろうか。イチかバチか、俺は魔力を纏って地を蹴った。視界の端に俺を捉え、反応したクレハが根を俺に目掛けて操作するが、ここで止まるわけにはいかない。
「戻ってこい、クレハ─────」
「あぁ、兄さん········大丈夫ですよ、兄さんは永遠に私だけのものですから」
嫌な音が鳴り、俺の動きは空中で止まる。口から溢れ出した大量の血を呆然と見つめていると、全身に激痛が走った。俺の真後ろから飛び出した複数の根が、俺の全身を容赦なく貫いていたのだ。
「ぐうああああッ!?」
「私を愛してください、兄さん。この世界がどうなろうと、そんな事は関係ない。貴方の傍に居られるのなら、私は········」
「何を、言って········!」
「だから兄さん、これからは私と─────」
「こんの、おバカ!」
「っ········?」
全身から魔力を放ち、大樹の根を消し飛ばす。そして傷を再生させ、クレハの頭にチョップした。
「に、兄さん········?」
「ごめん、言われたくなかった事を言ってしまってたんだよな。でもクレハ、俺は本当に失望したりなんかしない。今までもこれからも、ずっとクレハは自慢の妹なんだから」
「でも私は、エリナさん達よりも劣っているんですよ!?それじゃ駄目なんです!」
「クレハはクレハだろ!?」
俺がそう言うと、クレハは後ずさった。
「私を、許すつもりですか········!?」
「ん?そんなの当たり前じゃないか」
「兄さんを傷つけてしまった!それなのに、そんなにもあっさりと········!」
「まあ、別に気にしてない。俺はいつものクレハが好きだ。優しくて、俺なんかを立派な兄だって言ってくれるいつものクレハが好きなんだ」
「ッ───────」
直後、黒いオーラが完全に消滅した。同時に召喚されていた全ての根も消え、倒れ込んできたクレハを俺は受け止める。
「兄さん、ごめんなさい········」
「はは、こちらこそ」
「やれやれ、一件落着か?」
駆け寄ってきた母さんに頷く。テラさんが怪我したりして大変だけど、魔人化する前に止める事ができて本当に良かった。
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「兄さん、少しいいですか?」
その日の晩、俺の部屋にクレハがやって来た。少し緊張しているようだが、どうしたのだろうか。
「母さんとテラさんには謝った?」
「は、はい、それは勿論········」
あれから特訓を中止してクレハは家に戻り、さっきまで部屋から出てこようとしなかったから、こうして顔を見れて安心した。魔力暴走による身体への影響も殆ど無いようだな。
「本当にすみませんでした。勝手な思い込みで、皆さんにご迷惑をおかけしてしまって········」
「いや、俺も言い方が悪かった。俺なんかの力になりたいって思ってくれてありがとうな、クレハ」
「はうぅ、素敵すぎます」
そ、そう言われると恥ずかしいんだが。しかしまあ、反抗期とかじゃなくて良かった。何だかんだでまだ俺を慕ってくれているようなので、これからも頼れる兄として努力しなければ。
「あ、あの、兄さん········」
「ん?」
不意に、クレハが俺の服を引っ張ってきた。何故かクレハの顔は赤い。そんな状態で見つめられると、妹とはいえ非常にドキドキするんだが。
「どうした?クレハ」
「いえ、その········ちょっとした覚悟を決めまして」
「覚悟?」
まさか、兄離れ宣言か!?ちょっと待て、心の準備ができていない。ショック死しないように俺は身構える。
「私、ずっと兄さんの事が好きでした」
「おお、そうなんだ········え?」
「兄として尊敬しているだけではなく、1人の男性として、兄さんの事を愛しています」
1人の男性?愛してる?クレハが俺を?
「え、いや、俺達は兄妹で········」
「分かっています。だからこそ、これまで私はそれ以上を求めませんでした。でも、やっぱり私は兄さんの事が好きです。世界中の誰よりも、兄さんの事を愛している自信があります」
「あ、あーー·············」
何を言えばいいのか分からず、そもそも言葉が出てこない。俺が激しく動揺しているのが分かったのか、クレハは微笑んだ。
「困らせるつもりはなかったんです。ただ、今日の1件で兄さんが私を大切に思ってくれていると改めて分かり、気持ちが抑えられなくなって········」
「い、今まで、クレハが俺に甘えてくれてたりしたのは、俺がお兄ちゃんだからとかだけじゃなくて」
「兄さんの事が好きだったからですよ」
「あーー··········そ、そっか」
「幼い頃の私は臆病で、人見知りだったでしょう?いつも兄さんの後ろに隠れて、お友達も全然いなくて」
そう言われ、当時の事を思い出す。
「兄さんだってお友達と遊びたかった筈なのに、私と遊ぶ事を優先してくれて········本当に嬉しかった。そして気が付いたら、私は兄さんの事が好きになっていたんです。でも、私達は血の繋がった兄妹。姉さんと違い、私は兄さんの恋人になる事はできません。だからずっと、私はこの想いを心の底に閉まっていました」
「クレハ········」
「レベルが上昇しなくて苦しんでいた兄さんの力になる為、必死に私は魔法を鍛えました。兄さんに褒められたくて、必死に勉強して様々な知識を身につけました。これ以上兄さんにご迷惑をおかけしない為に、私は人見知りを克服しました。兄さんのお陰で、私は成長する事ができたんです」
俺の手を握り、クレハは笑う。
「大好きです、兄さん」
「っ〜〜〜、でも俺は────」
「分かっていますよ。兄さんの恋人は姉さんだけです。私は兄さんの力になれれば、それだけで幸せなんですから」
もしも兄妹じゃなかったら、俺は自分を抑える事ができただろうか。クレハにとって、血が繋がっているとか········そんなのは関係ない。こんな駄目な兄を、好きだなんて言ってくれて········。
「さて、そろそろ寝ましょうか」
「え、あ········」
「あら、忘れものをしていました」
1度立ち上がったクレハが、振り返って俺に顔を近づけてくる。そして、どうしたのかと思わせてもくれなかった。
何か柔らかいものが口に触れたと思えば物凄く良い香りが鼻に届き、驚いて目を見開いたタイミングでクレハは俺から離れ、いたずらっぽい笑みを浮かべながら唇に指を当てる。
「私は愛人で構いませんよ、兄さん」
「いや、ちょっ─────」
部屋から出たクレハはそのまま自室へと向かい、これは夢だと俺は布団に潜り込んだものの、結局朝まで一睡もできなかった。