82.それぞれの状況
「ほら、もうちょっと力を抜いて」
「は、はい········!」
主に魔導書を使った補助魔法を得意とするアーリアは、魔女姿のネビアから様々な事を教わっていた。
簡単な補助魔法だけではなく、より上位の魔法も魔導書へと書き込み、その発動練習を何度も繰り返す。傷付いた仲間達を癒す回復魔法や、敵を惑わす幻影魔法も必死に覚える。
アーリアにとって、生きてきた中で最も苦しい時間。魔力が少ない分、蓄積される疲労が尋常ではない。
「うふふ、たった2日でここまで魔法を覚えるなんて。貴女、相当サポーターに向いているわ」
「はぁ、はぁ········ありがとう、ございます」
「それにしても、魔導書に魔力を貯めておく技術は素晴らしいわね。沢山魔力をストックしておけば、魔力切れに陥った時も魔導書から魔力を得る事ができるもの」
それはネビアでも真似できない、アーリアの才能だろう。もっと前に出会っていたら、今頃凄い魔導士に育て上げたのに········と、ネビアはとても残念そうに言う。
「あっちも頑張っているわねぇ」
それから向こうに視線を移せば、ハスターとユリウスが魔闘を繰り広げているのが目に映った。
「遅いぜユリ坊、今日中に二連射は覚えてもらわねえとなぁ!」
「くっ、銃弾をナイフで弾くなんて········!」
魔導弾ではなく、火薬を使用した弾丸。それを撃っても、ハスターに全て叩き落とされる。ユリウスは自分の腕に自信を持っていたが、格上相手には通用しないと思い知らされていた。
「それに、後衛の弱点である肉弾戦も、ある程度強くなってもらうんだからよ!」
「うっ!?」
魔導弾を発射する直前、突如物凄いスピードでハスターが接近してきた。驚いて後ろに跳ぼうとしたものの、服を掴まれそのまま地面に叩きつけられる。
「ぐっ········!」
「うーん、筋トレもした方がいいっぽいな。悪いがおっさん、貴族相手でも遠慮しないぜ?」
ユリウスは遠距離からの射撃で敵を倒すスタイルだが、接近されると確実に相手よりも劣る。だからこそ、反射神経や護身術を身につけなければならない。
「よ、宜しくお願いします!」
「へっ、ナイスガッツ」
貴族としてのプライドを捨て、砂まみれになりながらも立ち上がったユリウスを見て、ハスターはニヤリと笑った。
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「きゃっ!?」
「おっとすまない、肘が当たった」
吹き荒れる風の中、ヴェントの肘がリースの胸にめり込んだ。顔を赤くしながら離れたリースは、何度も地面を踏みながらプンスカ怒っている。
「もう3度目ですよ!わざとでしょ!?」
「はっはっはっ!紳士の僕が、そんな真似をすると思うかい?」
「思いますー!」
風魔法の扱い方を学びながら、肉弾戦も行っている2人。しかし、何かとヴェントのボディタッチなどが多いのだ。相手がエリナなら消し炭にされていただろう。
「しかしリース、この程度で狼狽えてどうする?世界樹には危険な悪魔や魔物が沢山潜んでいるだろう。奴らに体を触られた時、今のように動揺していたら即殺されるぞ」
「師匠はわざとやん········」
「まあ、風の扱い方は素晴らしいんだ。このまま上手くなれば、相手は君に指1本すら触れれなくなると思うよ」
「ふーん。じゃあ、師匠に触られてるウチはまだまだって事ですか」
納得いかないが、実際そういう事なのだろう。更に荒れ狂う風を巻き起こし、リースは構える。
「最終日までには、ウチのパンツすら見られへんようにしたりますから」
「フッ、その意気さ」
「か、母ちゃん、もう無理、マジで死ぬ········」
「はあ〜?情けないわね、それでもあたしらの息子かあんたは」
リースが多彩なセクハラと戦っている頃、鬼の猛特訓で地獄を見たソルは倒れていた。彼もかなりの実力者であり、体力には自信がある。しかし、両親の特訓は彼の想像を遥かに超えていた。
「普段ナンパばかりしているからこうなるんだ、この馬鹿息子が」
「やれやれ。テミっちゃんとこの兄妹は、あんなにしっかりしてるのにさぁ」
「よそはよそ、うちはうちじゃん!?」
「それに、勉強もせずに遊び回っていたらしいじゃないか。学園の教師から聞いたぞ?前回テストの結果は悲惨だったと」
自由な生活を求めて寮に入ったソルだが、普段のだらしない生活っぷりが全部バレている。冷や汗を流しながら、両親の説教から目を逸らす事しかできない。
「ほんと、誰に似たんだか」
「お前だろう」
「あたし!?」
「そうだ、母ちゃんだってアホだろ!」
「なんだとぉ〜?」
笑顔で鎌を持つラスティ。ソルから見れば、殺意をばら撒く死神である。
「オラ立て糞ガキ。ママがいっぱい可愛がってやるからよぉ!」
「ひいっ!?で、でた、アダマスモード········!」
「はぁ、どっちもアホだよお前達は」
なんだかんだで仲の良い3人の特訓は、その後ソルが完全にダウンするまで続いた。
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「す、凄い········」
休憩しているエリナの視線の先、凄まじい速度で移動するマナがタローを本気で蹴り飛ばした。タローも今の一撃には反応できなかったようで、岩に衝突して頭を押さえている。
「いでで········いやぁ、たまげたなぁ」
「はぁ、はぁ、やった········」
動きを止めたマナは、魔力を体内に戻すのと同時に手を膝の上に置いた。どうやらかなり疲れているらしい。全身汗まみれで、荒い呼吸を繰り返している。
「マナちゃんも成長したんだね!お父さん嬉しいぞっ!」
「ち、ちょっと、エリナちゃんも居るんだからやめてよ········!」
「────俺は娘に嫌がられる駄目な父」
そんなマナに抱き着こうとしたタローだったが、視線を感じるマナが恥ずかしがって逃げたので、向こうで足を抱えて座りながらブツブツ何かを呟き始めた。
「マナ先生、お疲れ様です」
「うん、ありがとう········」
エリナから手渡されたドリンクを一気に飲み干し、マナは倒れるように座り込む。最近試し始めた事を今日もやってみたが、やはり使用後はかなり疲れる。魔力の乱れがほぼ発生しなくなったとはいえ、無理をし過ぎるのも良くはない。
「この調子でいけば、長時間あの状態を維持できるようになるかな········」
「凄かったです。タロー様も、マナ先生の動きに対応できていませんでしたので········」
「あはは、お父さんが本気を出したら簡単に止められてしまうとは思うけど。でも、まだ加速できると思うんだよね」
「ま、まだですか!?」
「うん、お母さんの加速魔法並には速くなれるんじゃないかな」
「は、はあ········」
最早次元が違う。いつかマナのような雷魔法使いになる事がエリナの夢だが、どうすればこのレベルに踏み込めるのだろうか。
そう思っていた時、タオルの上に置かれていたマナの魔導フォンが突然起動し、画面が見えた。どうやらメールが届いたらしい。それはマナも分かったようで、顔を赤くしながら魔導フォンを手で隠す。
「み、見た········?」
「えっと········はい」
(あああ、変えておけばよかった········!)
私服で腕を組んで笑っているマナとユウの写真が、魔導フォンの待ち受けに設定されていた。ここ最近のマナとユウのラブラブっぷりは学園でも噂になっていて、本人達はバレていないと思っていたものの、付き合っているのではないかと言われていたのだ。
「あの、マナ先生とユウは········」
「そ、その、皆には内緒だよ?」
「そう、ですか········」
動揺しながらも、エリナはお似合いですとマナに伝える。実際、2人は誰もが羨む程仲が良い。姉弟だが血は繋がっておらず、相思相愛でもおかしくはなかった。
エリナが落ち込んでいる事にマナは気付き、もしかしてと焦りを見せる。決してわざと見せたわけではない。以前、デートする前にクレハが撮ってくれた写真をとても気に入り、それをいつでも見れるよう待ち受けにしていた。
それを見てここまで動揺し、落ち込むという事は。魔導フォンをリュックに戻し、マナはエリナに聞く。
「エリナちゃん、もしかしてユウ君を········」
「········はい。好き、でした」
俯いてしまったエリナを見て、マナはどうしようと狼狽える。しかし、突然顔を上げたエリナは笑っていた。
「でも、いいんです。ユウがマナ先生を好きだという事は、前から分かっていましたから」
「え········?」
「とても仲良しで、本当にお似合いだと思っています。確かに、もっと早く自分の気持ちを自覚していたらとか、もっと早く想いを伝えていたらとか、それはいつも思っていました。それでも私は、マナ先生とユウの恋を応援します」
「エリナちゃん········」
「大丈夫ですよ。ショックなのはショックですけど、そんな感情を特訓に持ち込む程馬鹿ではないので。世界がヴィータさんの手によって滅ぼされるかもしれない、今はそんな状況です。悲しむのは、全部終わってからって決めました」
目を見れば分かる。エリナは、本気でそう言っているのだろう。凄い子だと思いながら、マナはありがとうとエリナに伝える。
「不思議ですね。最初は喧嘩ばかりしていたのに、ユウを知れば知る程好きになって········それに、こんな話を憧れのマナ先生とできるなんて!」
「う、うん、私も驚いてる」
「今晩は沢山話を聞かせてくださいね!」
目を輝かせるエリナを見て、マナの頬は自然と緩んだ。
「くっ、どうして········!」
蠢く大樹の根に勢いよく叩かれ、大きな岩が粉々に砕け散る。その破片が全身に当たって服が裂けているものの、クレハは俯いてわなわなと震えていた。
「エリナさんはもう魔力解放ができて、姉さんも試していた事が成功するようになって、リースさん達も順調にステータスが上昇しているのにッ·······!」
「ま、まあ、クレハちゃんだって最初より魔法の扱いがかなり上達してると思うぜ?今のだって、俺の魔力を込めた岩を簡単に粉砕しちまったし········」
「全然駄目ですよ、こんなの!この程度では、兄さんのお役に立つ事なんてできません!兄さんに全てを捧げると決めたのに、このままじゃ私だけ足でまといになる········!」
大量の汗を流しながら、焦るように髪を掻き毟る。誰がどう見ても魔力が底を尽きかけていると分かる程、クレハの顔色は悪くなっていた。
「兄貴の役に立ちたいって気持ちは分かるけど、無理は禁物だ。今日はもう家に戻って────」
「嫌です!私はまだ········」
「師匠命令だぞ?」
「っ········」
振り向けば、テミスが立っていた。クレハは俯き、残っていた魔力を体内に戻す。
「やれやれ。それ以上無理をして倒れた場合、辛い思いをするのはクレハだけじゃない事を忘れるな」
「それは········」
「まだあと1週間も残っているんだ。きっと、クレハだって魔力解放を行えるようになるさ」
「········そうだといいですね。テラさん、本日もご指導感謝します」
「あ、ああ、また明日な」
荷物を持ち、我が家に向かって思い足を動かす。自分は優れていると、多少は思っていた。しかし、なんだこの状況は。
かつて格下だと判断した者に追いつかれ、今では抜かれているかもしれない。他の者達も、すぐ後ろまで迫っている。これでは、最愛の兄の役に立つ事などできないではないか。
「クレハ、大丈夫か!?」
そんな時、テミスに話を聞いてクレハを追ってきたユウに声をかけられた。それは嬉しかったのだが、今の表情を兄にだけは見せれない。咄嗟に顔を逸らし、背を向ける。
「だ、大丈夫ですよ········」
「怪我してるじゃないか」
「服が裂けただけです········」
「でも、ちゃんと治療しないと────」
「大丈夫ですってば!!」
叫び、途端にクレハの顔は真っ青になる。恐らく生まれて初めて兄に対して怒鳴ってしまった。振り返れば、困ったように苦笑するユウと目が合う。
「悪い、過保護すぎたか」
「あ、いや、その········」
「クレハもすぐに魔力解放できると思うよ。それに、クレハは今のままでも充分俺の助けになってくれてる。だから俺の為だけじゃなくて、他の皆の力にもなれるように特訓しような」
それを聞き、クレハの頭は真っ白になった。今のままでも充分、それでは駄目なのに。他の者達が成長すると喜ぶのに、私はこれ以上成長しなくてもいいと言うのか。
ユウはそういうつもりで言った訳ではないのだが、クレハは完全に心を折られた。最愛の兄に見放された、失望された。そう思い込み、逃げるようにその場から駆け出す。
「お、おい、クレハ········!?」
後ろから自分を呼ぶ声が聞こえたが、クレハは無視して走り続けた。やがて適当に駆け込んだ路地裏で座り込み、ブツブツ何かを呟きながら、クレハはこの場に居ない者達を睨みつける。
「兄さんに認めてもらわなきゃ········兄さん以外の人に捧げるものなんて無い········兄さんは、私の全てなんだから········」
周囲に漂う黒い霧は、やがて負の感情を撒き散らす少女を包み込んだ。