79.永遠黄昏
「ねえ、ユグドラシル。今、どんな気持ち?」
神々しい光を纏う巨大な世界樹の前で、ヴィータは姿の見えない女神にそう言う。
「君の力を授けた彼なら、私を止められると思った?あはは、残念だったね。ユウ君が来てなかったら私、2人まとめて殺してしまうところだったよ」
空中に浮かぶ彼女は、手のひらを世界樹に当てて微笑む。
「この世界が滅んだ後、また新たな世界樹が誕生する。これまでもそうだったからね」
そして、体内から終末領域を解き放った。
「次の世界が滅びを迎えた時に、また会おう。さようなら、ユグドラシル」
美しい世界樹が、終末領域に侵食されていく。数十秒で黒く染まった世界樹は、最早この世界の象徴とは呼べなかった。
世界から輝きが失われ、満ち溢れていた世界樹の魔力が空へと向かい────やがて、終わらない黄昏がやって来る。
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「くそっ!止められなかった···········!」
全身に包帯を巻かれたタローが、悔しげに机を叩く。タローとテミスの敗北は、全世界の人々にかつてない衝撃をもたらした。この2人で勝てないのなら、もう誰も終の女神を止められない。
この世界はもう終わりだと、誰もが諦めていた。
「いよいよ〝永遠黄昏〟が始まった。これまで必死に守り続けてきた世界も、遂に滅びの時を迎えたってわけだ」
「····················」
室内の空気は重い。テミスは重症を負い、保健室で眠っている。本当ならタローも安静にしていなければならない程の重症なのだが、傷付いた妻を見てじっとしていられなくなったらしい。
「皆も知っていると思うが、昨日終末領域は世界樹を侵食した。今じゃ真っ黒に染まった世界樹に、恐らく終の女神ロヴィーナは居る筈。しかし、世界樹を守るように強力な障壁が展開されており、私の空間干渉も弾かれる。つまり、誰が何をしても奴には接触できないってわけだな」
ソンノに全員の視線が集まる。
「奴が世界を滅ぼしていないのは、恐らくユウを手に入れる事が出来ていないからだ。ただ、何故昨日の段階で奴がユウを連れていかなかったのかは分からない。まあ、奴の行動全てが謎だが」
そう言って深いため息を吐き、ソンノは額に手を当てる。さすがの彼女もかなりまいっているようだ。
「今の私達に出来るのは、命懸けでユウを守る事だけだ」
「皆、大変!」
と、そこで席を外していたディーネが部屋の中に駆け込んできた。
「あっ、ごめんなさい。なにか話している最中だった?」
「いや、気にするな。何があった?」
「さっきフレイ君達から連絡があって、魔界に見た事の無い悪魔が大量に出現したらしいの!それに、魔界の住人達が次々と姿を変える現象も発生しているって!」
「はあ!?」
椅子が倒れる程の勢いで、ベルゼブブが立ち上がる。
「見た事の無い悪魔って、まさか歴史書の悪魔じゃないでしょうね!?それに姿を変える現象って、感情喰らいじゃないの!?」
「えっ、あ············」
「あの小娘、そういう方法で世界を滅ぼすつもりか!」
全員の顔が青ざめる。もしこんな状況で世界中に感情喰らいをばら撒かれたとしたら、怯える人々はすぐに魔物化してしまうだろう。それに、歴史書の悪魔が街を襲えばひとたまりもない。
『ふふ、そう慌てないでよ。今すぐにこの世界を滅ぼしたりはしないから』
「っ!?」
焦る英雄達の脳内に突然響いた少女の声。誰もが知っている、今まさに世界中を混乱させている事件の中心。
「ヴィータ············!」
『少し気が変わったんだ。世界を滅ぼす前に、もう一度だけユウ君達と話がしたいと思ってね』
突如部屋の中心に現れた、黒髪の少女。彼女を見た途端に英雄達は一斉に動き、瞬く間に少女を取り囲んだ。
『あはは、残念ながらこれは幻。ほら、テミスさんの魔法の中にあったでしょう?幻襲銀閃、だったかな。ただまあ、この分身だけで全員を相手にできる魔力は持っているけど』
「ふざけんな、何を企んでやがる!」
『落ち着きなよ、元女神さん。これからの事について、わざわざ君達に説明してあげようと思っているんだから』
「あぁ!?」
ユウに目を向け、ヴィータは微笑む。
『今から2週間後、私はユウ君以外の全てを滅ぼす。それまでに特訓でもして、強くなってほしいんだ。ただし、世界樹に足を踏み入れる事が可能なのは、選ばれた人達だけ』
「選ばれた人?」
『うん。まずはユウ君、君だよ』
指から発した魔力で、ヴィータは空中にユウの名前を書いた。その隣に続けて書いたのは────
『マナ先生、クレハちゃん。貴女達もね』
「っ···········」
「兄さんと、私達ですか」
『それだけじゃない。エリナさん、リースさん、アーリアちゃん、ユリウス君、ソル先輩。この8人が、私が世界樹に招待する選ばれた人達さ』
「あ、あたし達の息子も!?」
「何が目的だ···········!」
『長い間一緒に過ごしてきたから、最後に話がしたいんだ。だけど、今の世界樹には終末領域が生んだ怪物が溢れている。だから強くなってから来てくれないと、ユウ君とマナ先生以外はすぐ死んじゃうんだよ』
名前を呼ばれたユウ達は困惑し、ソンノやタロー達は怒りをあらわにしていた。
「なんで私達じゃなくて、ただの学生であるこいつらを危険地帯に行かせなきゃならないんだ!」
『来なくても別にいいんだよ?どのみち、私が許可した者以外は障壁の内側に入る事は不可能。私が世界を滅ぼす確率が99.9%だとしたら、残りの0.1%はユウ君達が私を止める確率さ。その僅かな希望さえも捨てるというのなら、残りの日々を何もせずに過ごすといい』
「くっ、お前···········!」
『まず、貴女に決定権は無いんだ。この世界の未来を決める事が出来るのは私さ。私の手で君達は生かされ、私の手で世界が滅びるのだと、いい加減理解しなよ』
何も言い返せない。彼女の言う通り、彼女がその気になった瞬間この世界は終わるのだ。
『でもね、私も待っているだけだと暇だからね。今日から魔界を攻めてみたんだ。ふふっ、次はどの国の街にしようかな』
「屑が···········!」
『うん、そうだね。それでいい、そうやって君達は私を憎んでくれればいいんだよ』
「はあ?」
最後に、ヴィータは再びユウに目を向けた。どこか寂しそうで、どこか期待しているような視線だ。
『世界樹で待っているよ、ユウ君。今度こそ、君を幸せにしてみせるから』
「え─────」
微笑みながら意味深な事を言って、ヴィータはユウ達の前から姿を消した。それから数秒間、口を開く者は居なかったが─────
「俺、行きますよ。たった2週間しかないけどもっと強くなって、彼女を止めてみます」
「わ、私も!」
「何処までも兄さんについて行きます」
心強い3人を見て、ソンノ達は笑う。残された僅かな時間で世界を守りながら、選ばれた者達を強くしなければならない。
それが一度敗れた者達の、ヴィータに対するリベンジだ。