76.決戦前夜の英雄夫婦
「いや〜、まいったまいった。何だあいつ、強すぎだろ!」
もうすぐ日付が変わる時間。魔法学園にある会議室で、何故か楽しそうなソンノの声が響く。
「うるさいわね、傷が痛むでしょ···········」
「すぅ···········」
そんな彼女の隣では、物凄く鬱陶しそうな表情を浮かべながら、ベルゼブブが横腹を撫でており、更に隣ではディーネがすやすやと眠っていた。
「ソンノさんは元気ねぇ」
「明日世界が滅びるかもしれねーのにな。まっ、いつも通りの方が楽でいいけど」
椅子に座ってワインを飲んでいるのはネビアで、その隣に居るハスターは眠そうに欠伸をしている。
「ラスティ、痛くないか?」
「ティアーズちゃんに治療してもらったからね。ある程度はマシになってるよ」
「そうか、良かった」
「アレくんの方こそ、大丈夫なの?」
「平気だ。お前が守ってくれたからな」
「アレくん··········」
「ラスティ··········」
数時間前にヴィータと戦ったアレクシスとラスティは··········向こうでイチャイチャしていた。
「まさか、ここまで簡単に防衛線を突破されるなんて。で、でも、お父さんとお母さんなら、きっとヴィータちゃんにも勝てる··········よね?」
「どうだろう。でも、2人が負けるとこなんて想像出来ないからな。きっと大丈夫さ」
クレハが差し入れで持ってきてくれたおにぎりを食べながら、ユウは不安そうに自分を見つめてくるマナの頭を撫でる。
いよいよ明日、父と母が最後の砦としてヴィータの前に立ちはだかるのだ。これまで見たことのない、2人の全力が見れるかもしれない。そう思うと、こんな状況だというのに少しだけワクワクした。
ただ、相手はヴィータだ。もし彼女が負けた場合は世界が救われるのだとしても、その後人々は彼女をどうするのだろうか。
「親父、母さん···········」
窓の外を見れば、中庭で肩を並べて空を見上げている父と母の姿が目に映った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「頑張って世界を救ってみたのに、今度はあの時以上の敵が相手とはなぁ。ユグドラシルも音信不通だし、どうしたもんか」
「緊張しているの?」
「心配なんだよ。ほら、俺の前にテミスがあの子と戦うわけだろ?もし大怪我とかしたら··········」
「ベルゼブブ達だって、怪我をしながらも戦ったんだ。心配してくれているのは嬉しいけど、逃げるわけにはいかない」
覚悟を決めたようにそう言う妻の横顔を眺めながら、タローはやれやれと息を吐く。確かに、妻だけ過剰に心配するのは間違いか。そう思いながら、後ろにあった長椅子に腰掛けた。
「この世界の夜空は、何回見ても綺麗だな」
「ああ、幻想的で飽きない」
「テミスの方が綺麗だけど」
「こらこら、何も出ないぞ?」
夫の隣に座り、テミスは向こうにある校舎に目を向ける。会議室には、愛しい息子達も居る筈だ。
「何故女神ロヴィーナは、滅びの対象である筈のユウをあれほどまでに欲しているのだろう」
「潜在能力が俺達の力を上回っているのだとしたら、ヴィータちゃんとしては真っ先に消しておきたい存在の筈なんだがな。そこが一番の謎だよ」
「ユウは大事な息子だ。もしユウを利用して何かを行おうとしているのならば、私達が全力で守らないと」
「ほんと、テミスはユウの事大好きだよなー。俺、めちゃくちゃ嫉妬しちゃうぜ」
「い、いや、息子として大事に思っているだけで、恋心を抱いているという訳じゃ············」
「ははっ、冗談だって!」
オロオロしているテミスの頭を撫で、タローは笑う。昔から、テミスにはあまり冗談が通じない。しかし、それに対して怒ったりしてくる事は絶対ないし、こういう反応を見るのがタローは好きなのだ。
「も、もう、またからかって············」
「いつも通りの方が、緊張もほぐれるだろ?」
「それは、そうだけど············」
「ま、サクッと世界を守って、またイチャイチャしたいからな。頑張って世界樹を守るとしようぜ」
そう言われると、やる気が出てくる。テミスだって、タローとはイチャイチャしたいのだ。恥ずかしいので、夫以外の前だと極力言わないようにしているが。
「審判の日··········〝永遠黄昏〟の前兆とされる現象は全て起こった。もし明日、私達が世界樹の防衛に失敗したら、終わらない黄昏がやって来るだろう」
「ああ、絶対負けられないよな。もし負けても、テミスとマナとクレハとユウは助けてもらえるように土下座してみるさ!」
「ムッ、私が勝つ可能性だってあるのに」
「おっと、確かに」
むーっと若干怒っているように自分を見てくるテミスは、とても40代には見えない。今でも〝結婚したい女性ランキング〟では堂々の第1位であるし、その記録は何年間も破られていない。
魔神から世界を守る為の切り札として召喚され、力を与えられ、そして最愛の人と出会えた。1度は離れ離れになってしまったが、それでも再会できて子供も授かった。
これからも、ずっと愛する人と過ごす為に。英雄タロー・シルヴァは、数年ぶりに本気を出す覚悟を決める。
「はぁ、決戦前だというのにタローは相変わらずだな」
一方で、テミスから見てもタローはとても40代には見えず。〝理想の夫ランキング〟では不動の1位であり、〝守られたいランキング〟や〝抱かれたいランキング〟でも1位である。
偶然オーデムの前で困っていたのを見かけて声をかけ、それから行動を共にするようになった。何度も助けてもらい、気が付けば好きになっていて、両想いだと分かった時は死んでしまうかと思う程嬉しかった。
あれから20年以上経ったが、2人は誰もが羨む程のラブラブ夫婦だ。世界が存在する限り、これからもずっとそうであり続けるだろう。
「未来を掴む為に···········必ず、勝利しよう」
「おう!」
と、それから自然と見つめ合う。そして、そのまま何も言わずに顔を近付け─────
「お父さん、お母さ〜ん!」
「クレハが差し入れ持ってきてくれたぞ。まあ、2人はそろそろ寝たほうがいいと思うけど」
「っ!?」
愛する息子達の声を聞き、動揺したテミスの額がタローの額に直撃。そのままタローは吹っ飛んだ。
「ちちっ、違うぞ!?い、今のは、終の女神との戦いに備えて、ず、頭突きの練習をしていただけで··········!」
「え、ええ?」
「やれやれ············」
取り乱している母を見て、ユウとマナは苦笑する。タローは人前でも堂々とイチャイチャしたがる男だが、テミスはこう見えて恥ずかしがり屋だ。キスシーンなどを息子達に見られた日には、恥ずかしくて布団の中から出られなくなるだろう。
「ほ、ほら、明日は忙しくなるからもう寝よう!」
「いだだっ!ちょっ、母さん!」
「な、何も見てないからぁ!」
強引にユウとマナの首根っこを掴み、校舎の中へとテミスが引きずっていく。そんな彼女達の微笑ましい姿を見送り、タローはふと目を細めた。
「···········さて」
先程から気になっていた、空中に空いた時空の歪み。それにタローは近付き、中を覗き込んでみる。
『あな、た、は············』
「やっぱりな。俺はお前の魔力を持ってんだ。何となく、近くに居るのは分かってたよ···········ユグドラシル」
『ふ、ふふ、愛のチカラ、ですか』
「何言ってんだ馬鹿。無事なのか?」
『無事に、見えます?』
タローの目に映ったのは、全身傷だらけの女神ユグドラシルの姿だった。黒い瘴気が彼女の身体にまとわりついており、それが回復魔法を弾いているのだろう。
『うぅ、死んだ方がマシと言っていい程、全身が痛みます』
「何があったんだ?全然連絡が取れなかったから、皆心配してたんだぞ?」
『それは、すみません。裏世界に満ちた暗黒瘴気に身体を蝕まれてしまって············』
「暗黒瘴気?」
『終の女神ロヴィーナが放った瘴気です。これは私達にとって猛毒。吸い込むと魔力が乱れ、肉体が崩壊してしまう···········』
「っ、そんなものが裏世界に」
『魔力安定はルナに任せていますが、私が動けない隙に好き放題してくれたものですね、終の女神は。裏世界は今終末領域に侵食されている最中で、加勢出来そうにありません』
そう言って、ユグドラシルが震える手をタローに伸ばす。僅かだが、彼女の手のひらは光っていた。
『なので、貴方に裏技を授けます。喋ると身体が痛いので、頭の中に方法を流し込みますね············』
その手を握ると、タローの脳内に様々な情報が流れ込んできた。
「っ、これは」
『それを使っても、終の女神ロヴィーナに勝てるかどうか··········』
「いや、助かるよ。予想外の方法だけどな」
『ふふ··········この世界をどうか、守ってくださいね、私の太郎············』
「おう、任せとけ!」
直後、表と裏の世界を繋いでいた穴が消滅した。タローは女神から託された最後の力を使う覚悟を決め、拳を握りしめる。
決戦の時が、遂に来たのだ。