75.炎狼と黒刃
「ちょっとアレくん、ちゃんと準備体操してる?」
「そんなものはとっくに済ませた。お前こそ、武器の手入れを怠ったりはしていないだろうな?ラスティ」
「ギクリっ」
「だから太るんだ、阿呆」
「太ってないってばーーー!!」
王国内に流れる川の中でも、特に巨大なアルテア川。王都アルテアに住む人々にとって欠かせない、とても綺麗な水が流れる川である。
その前で、いつものように夫婦漫才を繰り広げる男性と女性。暗闇の中、遠くから迫る脅威を待ち構えているハーネット夫妻だ。
「さて、いよいよ来たな」
「正直勝てる気がしないけどね〜」
「勝たなくていい。明日に控えているのは世界最強の英雄夫婦なのだから」
「あっはっはっ、やるだけやってみるか」
バチバチと音を立て、漆黒の鎌がラスティの手元に出現する。その隣でアレクシスも大剣を構え、魔力を纏った。
「【天地魔壊の大海龍大口】」
「「んなっ!?」」
突如、背後の川から放たれた大魔法。2人が全力で真上に跳んだ直後、寸前まで立っていた場所が盛大に吹き飛ぶ。
「あははっ、よく避けましたね」
「いきなり危ないでしょーが!!」
降り注ぐ川の水を浴びながら、ラスティは姿を見せたヴィータに怒鳴った。物凄く焦っている彼女を見て、ヴィータは楽しそうにケラケラ笑う。
「な、何がおかしいのよ!」
「構えろラスティ、来るぞ!!」
地面が吹き飛び、猛スピードでヴィータは駆け出した。真っ先に反応したアレクシスが大剣を振るうが、それを踏み台にしてヴィータはラスティを強襲する。
「うわっ、あたし狙い!?」
「ラスティ、伏せろ!!」
動揺するラスティだったが、アレクシスの声を聞いて咄嗟に伏せる。次の瞬間、川の向こう側にあった数個の大岩が真っ二つに切断された。魔力から再現された、ソンノの空間断裂である。
「チッ、轟炎刃!!」
伏せるラスティ目掛けて魔法を放とうとするヴィータに、アレクシスが炎の刃を飛ばした。それを風魔法で消し飛ばし、ヴィータはそのままラスティの顎を蹴りあげる。
「【ブラックアウト】···········!」
「うっ!?」
「避けろラスティーーーーッ!!」
と言われても、脳を揺らされた状態ではどうしようもない。ヴィータが放った魔法は容赦なくラスティを包み込み、そして存在そのものを消滅────させれなかった。
「はっはーーー!闇の魔力ご馳走様ですッ!!」
「魔力を吸収した?」
これにはヴィータも驚いた。まるで自分と同じような事を、ただの人間がしてみせたのだから。
「いくぜクソ女神!」
「なるほど、闇の精霊の力を借りたのか」
「【死影刃】!!」
跳躍したラスティが、地上目掛けて大量の刃を放つ。月明かりだけが頼りなので、漆黒の刃は闇に紛れて殆ど見えない。
「無駄ですけどね···········」
しかし、障壁を展開すれば問題ない。爆音を響かせながら、ヴィータは全ての刃を弾き飛ばした。
「【破砕刃】!!」
「爆ぜよ」
動きの止まったヴィータにアレクシスが大剣を振り下ろしたが、突如足元が爆発してアレクシスは吹っ飛ぶ。
「ふふ、既にこの辺り一帯は私の支配する領域。足元には気をつけてくださいね?」
「舐めんなクソガキィ!!」
「精霊との精神融合により、魔力を爆発的に底上げしている。禁術に近い行為だ···········」
凄まじい速度で振り回される鎌を軽く体を動かすだけで全て避け、ヴィータは後方に跳んでそのまま川の中へと飛び込んだ。
何をしているんだと驚く2人だったが、その直後には更に驚くこととなる。
「あ、あれってディーネちゃんの魔法だよな?」
「1度に10発以上だと···········!?」
川の中から姿を見せたヴィータの周囲では、同時詠唱された最上位水属性魔法【天地魔壊の大海龍大口】が意思を持った魔物のように唸っていた。
圧倒的な存在感と魔力を放つ水の巨龍が、アレクシスとラスティにゆっくりと迫ってくる。言葉にしなくても分かる。これは絶体絶命というやつだ。
「ちょっとアレくん、どうすんだ?」
「タイミングを合わせろ。合技を放つ」
「無理じゃない!?」
「死ぬよりマシだ!」
アレクシスが地を蹴り、それに反応した魔龍達が一斉に動き出す。
「我が全身全霊、喰らうがいい!」
「あーもう、失敗しても知らないからな!」
「唸れ炎────」
勢いよく振られた大剣から、凄まじい火力を誇る爆炎が放たれる。それは迫る魔龍達を飲み込み────
「────切り裂け刃!」
放たれた漆黒の刃が爆炎の中に居る魔龍達を切り刻む。そして先を駆けるアレクシスにラスティが追いつき、2人は同時に炎の渦を切り裂いた。
「「奥義、【黒炎災禍刃】!!」」
直後、凄まじい炎の衝撃波が辺りを焼き尽くす。それから逃れる為に2人は川へと飛び込み、予想外の反撃に反応が遅れたヴィータは爆炎に飲まれ、そのまま遠くへと吹き飛んだ。
「ぷはぁ!精神融合時間終わっちゃったよ!」
「属性の相性は悪かったが、何とか成功したか」
「もう、何年ぶりだと思ってんの!いきなりやるとか言われて、失敗してたらどうするつもり!?」
「お前を信じているからやったんだが?」
「うっ············」
そう言われると何も言い返せない。夫から信頼されているのだと改めて思いながら、ラスティは川の中から這い上がる。
「にしても、無尽蔵の魔力は反則よね」
「爆風で吹き飛んだようだが、まだ生きているだろうな。少しでも魔力を削れているといいが···········」
「絶対普通に戻ってくるわよ」
「流石はもう1組の英雄夫婦。手を抜いていたとはいえ、まさかここまでダメージを負わされるとは」
「ほらね···········」
空を見上げれば、月を背に両手を広げるヴィータが目に映った。全身に酷い火傷を負っており、所々焦げて黒くなっているが、それでも痛みなど感じていないかのように彼女は笑う。
更にもう回復魔法を唱えているようで、秒ごとに彼女の傷は癒えていた。
「チッ、遊ばれているな」
「え、結構ダメージ与えてない?」
「馬鹿。奴が本気を出せば、俺達は擦り傷すら負わせない。それどころか、この辺り一帯ごと消し飛ばされている筈だ」
「マジですか············」
ラスティの顔が真っ青になる。アレクシスの言う通り、ヴィータは彼らとの戦いをただの遊び────暇潰し程度にしか思っていないのだろう。
「面白い技でした。渦の中に飛び込み外に出られなくなった刃が次々と私の魔法を切り刻み、更に熱で蒸発させてしまった。ふふっ、私も真似てみましょうか···········」
「あ、アレくん、やばくない··········?」
「振り返るな、走れッ!!」
背後で魔力が高まっていくのを感じながら、ハーネット夫妻は勢いよく駆け出す。その直後、ヴィータの手から強化版【黒炎災禍刃】が放たれた。
「アアアアレくん、そ、相殺してよっ!」
「俺に死ねと言っているのか!?」
「【サンダーランス】【ダークフレア】」
「いやああ!他の魔法は反則よおおお!」
真後ろまで迫った渦の左右から、次々と魔法が飛んでくる。それを武器で弾きながら、2人はひたすら疾走した。
「くっ、ラスティ。これは賭けだが、1度左右に分かれるぞ」
「えっ?」
「俺が魔力解放する。それで背後の魔法が俺を追ってきたら、お前はヴィータ・ロヴィーナを攻撃しろ」
「で、でも··········!」
「この魔法は恐らく魔力を追っているんだ。より高められた魔力なら、充分食いつく筈。それから────」
アレクシスからの提案を聞き、ラスティは力強く頷く。それを見て頬を緩めたアレクシスは、眠る魔力を解き放った。
「それでこそ俺の嫁だ────魔力解放!!」
直後、左右に別れて駆け出す2人。ラスティが振り返れば、燃え盛る爆炎は見事に彼女を追って進行方向を変えている。
「って、あたしを追ってくるんかいッ!!」
泣きそうになりながら、ラスティは走る────
「はああッ!!」
そんな彼女の無事を祈りながら、アレクシスはヴィータに向かって全力で跳躍。
「【炎狼破断】!!」
爆炎を纏わせた大剣を振り下ろすが、展開された障壁に阻まれヴィータには届かない。
「魔法が彼女を追うと、分かっていたんですか?」
「いや、万が一あいつを追った場合はこうすると伝えておいた」
「このままだと彼女、死んじゃいますよ?」
「俺の嫁は、そう簡単にくたばるやつじゃない」
障壁を踏んで更に跳躍、連続で炎の刃を飛ばす。
「障壁にヒビが···········」
「その障壁は、あらゆる魔法や物理ダメージを無効化する恐ろしいものだが、一定以上のダメージ又は決められた回数分攻撃すれば、たとえ弱い一撃だろうと必ず砕ける!」
「へえ、この一瞬でそこまで··········!」
「【炎狼砕牙】!!」
迫る爆炎を受け、ヴィータの障壁が砕け散る。周辺を包み込んだ炎から身を守りながら、ヴィータは次に来るであろうアレクシスの一撃に備える────が。
「死ぬううううううッ!!」
「っ──────」
全力疾走してきたラスティが炎の中に飛び込み、ヴィータの横を通り過ぎ、炎の中から飛び出す。次の瞬間、彼女を追っていた炎の渦がヴィータを飲み込んだ。
「ぜぇー、ぜぇー··········あ、あたしも結構歳だからさ、もう無理だわ···········」
「作戦成功、だな」
追われなかった方がヴィータに攻撃を仕掛け、魔法で注意を引きつける。その隙に追われる方はヴィータに接近、【黒炎災禍刃】を彼女にぶつけるというのが作戦だった。
本気で戦闘に集中していなかったヴィータは魔法の接近に気が付かず、炎の中で全身を切り刻まれている最中だろう。
「さて、どれだけ効いたか············」
「もしかしたら、倒しちゃったかも」
「あははっ、油断しました」
「「···················」」
突如炎の渦が消し飛び、中から姿を見せたヴィータは無傷だった。油断したと言いながら、何らかの方法で身を守ったのである。
「··········まあ、楽しませてくれたお礼に見逃しましょう」
「はあ!?ちょっと、舐めないでよね!」
「その気になれば、貴女達程度なら一瞬で抹殺できます。それでも、やっぱり···········」
「待てラスティ、様子が変だ」
よく見れば、ヴィータは悲しそうな表情で俯いていた。彼女が今、何を思っているのかは分からない。しかし次の瞬間、目で追えない速度で放たれた魔力弾が、2人を派手に吹っ飛ばした。
「きゃああっ!?」
「ぐうっ!?」
たった1発で、2人は立てなくなってしまう。そこで嫌という程思い知らされた。彼女の言う通り、その気になればこの戦闘は一瞬で終わっていたのだと。
「ら、ラスティ、無事か··········?」
「うぅ、痛い··········」
ラスティの腕が変な方向に曲がっているのを見て、アレクシスはヴィータを睨みつけた。しかし、もう既に彼女の姿は見当たらず。言わなくても分かる··········完敗である。
「オーデムに戻ろう。痛むだろうが、それまで我慢してくれ」
「うん··········」
「すまない、ラスティ」
あの瞬間、ラスティはアレクシスを守る為に一歩前に立った。だからこそラスティは自力で立てない程のダメージを負っており、アレクシスも重症だが、なんとか歩ける程度にはダメージを受けなかったのだ。
「くそっ、後は頼むぞ、2人共···········」
ユグドラシルに生きる者達全員の希望は、最後の英雄夫婦に託された。