73.魔導神アークライト
空中に浮かぶ映像を観ていたソンノは、嫌という程理解していた。もしヴィータが本気を出していれば、ベルゼブブとディーネは数秒程度で殺されていたという事を。
だからこそ、駆けつけた。普段は口を開けば喧嘩に発展する生意気な少女だが、やはり心の底では大事に思っているのだろう。
「まさか私の空間干渉までコピーされるとはな。お前、使えない魔法とか無くなったんじゃないか?」
「女神ユグドラシルが使用する古代秘術は使えませんよ。あれだけは、コピーしても発動方法がまるで理解出来ないので」
「なるほど、つまりお前も全知全能じゃないってわけだ」
不敵な笑みを浮かべ、ソンノが魔力を纏う。
「だが、あのグリードやアバドンを上回る脅威である事には違いない。悪いが最初から全力でいかせてもらうぞ」
ソンノの身体から溢れ出した魔力は、戦場と化したラピス地方を震わせる。
「魔力解放ーーーーーッ!!」
そして、奥底に眠る魔力が解き放たれた。閃光が空を駆け抜け、思わず閉じた目をヴィータとベルゼブブが開けると────
「え、ちょっ、ソンノ・ベルフェリオ···········!?」
「おおっ、なかなか育ってるじゃないか、私!」
凄まじい魔力を纏う美しい女性が、2人の前で浮遊していた。テミスと同じかそれ以上に高い身長、モデル顔負けの美貌。妖艶な笑みを浮かべる彼女は、背後で驚愕しているベルゼブブを見るなり、今度は馬鹿にするかのような笑みを浮かべる。
「いつもロリババアとか老人とか言ってくれてたけど、本来普通に成長してたらこうなってたんだとよ!いやぁ、初めて魔力解放とかしてみたが、これでタローもある程度は私の事を────」
「ゴチャゴチャ五月蝿いですね」
「おっと!」
ヘラヘラ笑うソンノの目の前に、一瞬で距離を詰めたヴィータが姿を現す。両手に集められた魔力を感じたソンノは、すぐに転移魔法で別の場所に避難した。
「確かに魔力は爆発的に上昇したようですけど、その程度では私に届かない」
「自惚れるなガキンチョが。こういう時に勝負を決めるのは、〝その場のノリ〟ってやつなんだよッ!!」
ぴしり、と。確かにそんな音が鳴った。何事かと周囲を見渡したヴィータだったが、すぐにラピス地方全域の空間が支配されたのだと理解する。
「今の一瞬で、これ程広範囲の空間を自身の配下に置くなんて」
「私の切り札的魔法、空間支配。それすらもお前はコピーしてみせたんだろうが、自分の周囲くらいしか支配は出来ないだろう?単純に何かをぶっ壊すのが目的の魔法と違って、この手の魔法はコピーしたところで本家には勝てないのさ!」
真上に転移し、手のひらをヴィータに向け────
「【空間振動波】!!」
普段なら目の前の空間を揺さぶるだけだが、今の彼女が放つ空間干渉魔法は規模が違う。街一つ分程の空間が震え、発生した衝撃波が容赦なくヴィータを襲った。
対抗しようにも、支配下に置かれた空間内では魔法が使用出来ない。同じように周囲の空間を支配しても、これ程広範囲に渡って支配された空間から放たれた魔法を防ぐなど、終の女神でも不可能だった。
「ち、ちょっと、殺すつもり!?」
「甘えるな、自力で逃げろ」
「横腹抉れてんの!」
轟音と共に派手に土煙が舞い上がる中、衝撃波に押し潰されそうになったベルゼブブは、固定された空間の上に寝転がり、ギャーギャー喚いていた。隣には気絶したディーネも横たわっている。ギリギリでソンノが転移させたのだ。
「ふ、ふふふ············」
「チッ、この程度じゃ死なないか」
そんなソンノの前に、無傷のヴィータがゆっくりと浮遊する。確実に魔法は直撃した筈だが、そもそもダメージを与える事ができていないらしい。
「厄介ですね、空間干渉というものは。やはり英雄達の中で最も危険なのは貴女かもしれません」
「は?馬鹿言うな。お前はあの英雄夫婦がどう戦うのかを見た事ないからそう言えるんだ」
「力が強くても、それ以上の力で押し返せばいいだけ。しかし、こういう方法で動きを制限されると非常に厄介だ。以前は駄目神などと評価してすみませんでした」
「ふん、否定はせんよ。実際私はグリードにすら勝てずに引退したんだからな···········だが」
溢れ出る魔力はあまりにも膨大で、あのベルゼブブが自分よりも格上だと認めざるを得ないレベルだった。
「大切な馬鹿共に出会えて私は成長できた。後ろで喚いてるポンコツ魔王もそうだ。こいつらを守る為だったら、私はもう1度女神アークライトになってやるよッ!!」
転移、そして空間干渉。真横から放たれた衝撃波を浴びてヴィータは派手に吹っ飛んだが、既にソンノは転移済みで────
「【空間断裂】」
咄嗟に展開した障壁諸共、ソンノは空間を切断した。今度こそ、ヴィータが常に浮かべていた余裕の表情が崩れる。
舞い散る鮮血は、一体誰のものなのか。ソンノはニヤリと笑い、ベルゼブブは驚きのあまり大きく口を開き、ヴィータは目を見開き、宙を舞う自分の右腕を見つめていた。
そう、ソンノの空間干渉魔法が、遂にヴィータの腕を切断したのである。
「────そんな、有り得ない」
「ハッハーー!ざまあみやがれ!」
「ふふ、ふふふっ、有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない·········」
「あ········?」
喜びをあらわにしていたソンノだったが、すぐに警戒心を強めた。腕が無くなったというのに、ヴィータはとても嬉しそうに笑い始めたのだ。
「あーーーーっははははははははッ!!世界中から魔力を集めたこの私が、ここまであっさりダメージを受けるなんて!」
「お前、何がおかしい」
「ふふ、私は感謝してるんですよ」
残った左腕を広げ、ヴィータは笑う。
「きっと、貴女の勇姿は世界中の人々に勇気を、希望を与えたでしょう。圧倒的な力を持つ終の女神も、無敵の存在ではないのだと!」
「··············」
「それに意味がある!この腐った世の中で、人々が手を取り合うきっかけを、貴女達が作った瞬間なのだから!」
「だったら何だ?お前は今から世界を滅ぼすんだろう?」
「これは試練だッ!!」
いつの間にか空を覆っていた灰色の雲の中で、雷鳴が轟く。走る稲妻は、終の女神を怪しく照らした。
「何故終末の時が訪れたのか!何故ユグドラシルという世界は滅びの対象となったのか!その理由を知り、変わる事こそが!終末を回避する唯一の手段!」
「っ、こいつ···········!」
ヴィータの魔力が膨れ上がる。同時に肩から先が無くなった右腕付近に複数の小さな魔法陣が出現。そこから光の粒のようなものが溢れ出し、集まり、やがて腕の形となり始める。
「それでもなお他人に全てを任せて〝見守る〟なんて行為は、まさに終末を呼ぶ怠惰だッ!!」
「【空間振動波】!!」
空間が歪み、放たれた衝撃波。しかしヴィータはその場から動かず、軽く左腕を振った。直後、轟音と共に弾け飛んだソンノの魔法。それに驚く間もなく、ヴィータは凄まじい速度でソンノに向かって空を蹴る。
「ま、まさかお前、自分だけが干渉できる空間を周囲に創り上げて、私の空間支配から逃れたのか!?」
「この空間内に立ち入った魔法は全て相殺可能!魔法を形成する魔力そのものに干渉して、やろうと思えば反射させる事も出来ますよ!」
有言実行。ソンノが繰り出した空間断裂を、ヴィータはそっくりそのまま跳ね返してみせた。
空間に干渉する際使用した魔力の向きを、自分からソンノの居る方向へと切り替えた。たったそれだけで、自分のソンノの間に存在する空間全てを切り裂いたのだ。
「ぐぅ──────!!」
予想外の跳ね返しをギリギリで避けたつもりだったが、ソンノの肩から派手に血が噴き出す。
「正確には、私のみが存在を維持できる終末領域の一部を、無理矢理この世界に引っ張り出したんですよ。貴女が空間干渉を極めた存在だったとしても、このユグドラシルを形成する表と裏の世界、そして自らが創造した空間にしか干渉はできない」
「反則だろそれは···········!」
放たれた空間振動波を高く飛び上がって避け、ソンノは集めた魔力を一気に解き放つ。
「【空間圧縮陣】!!」
「無駄です」
空間そのものを圧縮し、対象を消滅させる大魔法。しかし干渉する前に魔力の向きが強制的に曲げられ、ソンノの周囲へと跳ね返された。
転移魔法でその場から離れた次の瞬間、先程までソンノが浮かんでいた空間に魔力が干渉、一気に圧縮する。
「くそっ、右腕を再生させやがったか!」
ソンノがどうしたものかと頭を抱えている間に、ヴィータは先程切断された右腕を完全に再生させていた。
このまま戦い続けても確実に負ける。しかし、目的は終の女神に勝利する事ではない。
「ここで死んでも、次に繋げる─────!」
「ふふ、美しい絆だ」
次々と空間干渉を行うが、その全てが跳ね返される。通常の魔法を放ったとしても、より威力の高い魔法で弾き飛ばされる。それでもソンノはヴィータに立ち向かい続けた。
「ぐっ、まずい、魔力が············」
「限界ですか。ここまでよく戦いましたよ、貴女は。最期は苦しむことのないよう、一瞬で楽にしてあげます」
いよいよ魔力が底を尽きる寸前まで追い詰められたソンノの周囲に魔法陣を展開。そこに膨大な魔力を流し込み、立派に抗った女神に対してヴィータは微笑む。
「終わりです、裏女神アークライト」
「まだ終わらないわよ!」
次の瞬間、ヴィータの腹部が抉られた。振り向けば、同じく腹部から大量の血を流すベルゼブブが、血に濡れた腕を振り切っていた。魔力で爪を形成し、油断していたヴィータの肉を切り裂いたのだろう。
「まだ動けたなんて─────」
「大事なのは、気合と根性だよ!」
続いて放たれた氷の槍がヴィータを襲い、彼女はそのまま地上目掛けて猛スピードで落下した。そして、地面に触れたのと同時に巨大な氷の柱が完成。ボロボロだが、目を覚ましたディーネの不意打ちである。
「お、お前ら···········」
「ふん、情けないわねソンノ・ベルフェリオ!気合が足りてないんじゃないの!?」
「いてて、無理しちゃ駄目だよベルちゃん」
こうして見れば、何かと共に行動する事の多い3人だ。自然とソンノは口角を上げ、残り少ない魔力を纏い直す───が。
「っ、ヴィータ・ロヴィーナの魔力を感じない」
そこで気付いた。先程まで嫌という程浴びせられていた絶望的な魔力を、今は全く感じないという事を。
「しまった、突破されたのか!?」
「ええっ!?ちょっと、いつの間に!?」
「お前達2人の攻撃を食らった直後だろうな。くそっ、冷静に考えればそうだ。別に奴は、私達の相手を最後までする必要なんて無いんだから」
「ど、どうするの··········?」
「···········1度オーデムに戻る。どのみちこの怪我で追っても殺されるだけだ。今頃奴は、怪我と魔力をある程度回復させているだろうしな。私達は、ヴィータ・ロヴィーナに見逃されたんだよ」
転移魔法を唱え、ソンノは悔しげに唇を噛む。いつの間にか、彼女はいつもの少女の姿に戻っていた。