71.終末への3日間
『この世界には表と裏がある。乱れた魔力は裏側に流れ、そこで整えられてから再び表へと流れ出す。この魔力循環のおかげで世界は常に安定した魔力を得る事ができるんだ。しかし、歴史書を解読した結果、どちら側にも属さない第3の空間が存在する事が判明した。それこそが〝終末領域〟。この世に満ちた負の感情が流れ込む、終わりの世界だ』
校舎の一部が崩れかけ、午後からの授業は全て中止となった。現在俺は、激しい戦闘が繰り広げられた屋上で、先程学園長から聞いた話を思い出している最中だ。
『ヴィータ・ロヴィーナは、終末領域に満ちた負の感情や魔力が一つの存在となった姿。恐らくだが、奴はタローすらも凌駕する力を持っているだろう』
ヴィータは強力な精神干渉を行っていたらしく、俺達はヴィータと過ごした記憶を封印されていたという。
しかし、彼女が発する膨大な魔力を感じて封印は解け、俺やマナ姉はヴィータを思い出した。恐らくリースやエリナ達も、ヴィータに関する記憶が戻っている筈だ。学園長の説明によると、記憶封印が解けたのはヴィータと深く関わっていた人物のみらしいが。
「はは、なんだよそれ·············」
初めて会った日からずっと、不思議な子だなとは思っていた。だけど、ずっと一緒に授業を受けていた彼女が、世界を滅ぼす為に顕現した女神だなんて。
「あの、ユウ君············」
背後から声が聞こえたので振り向けば、マナ姉とクレハが立っていた。学園長から話を聞いたのだろう。2人共、不安そうにこちらを見ている。
「兄さん、大丈夫でしたか!?何も変なことはされていませんか!?」
目が合うとすぐに、目に涙を浮かべながらクレハが駆け寄ってきた。
「大丈夫、怪我とかはしてないよ」
「良かった。私、本当に心配して············」
クレハの頭を撫でていると、マナ姉もこちらに駆け足でやって来た。一応今屋上は立ち入り禁止になっているんだが、教師であるマナ姉がここに来ていいのだろうか。
「ソンノさんが言っていたけど、ヴィータちゃんが女神だったなんて············」
「俺の目の前で、学園長やベルゼブブさんの攻撃全てを防いでみせた。もう、認めざるを得ないさ。ヴィータが世界を滅ぼす終の女神だってな」
「うん、そうだね」
突如、マナ姉が魔力を纏った。その表情は、この場にいないヴィータを睨みつけているようで────
「彼女の狙いはユウ君だって聞いたよ」
「え、ああ、それは············」
「ヴィータちゃんは大事な教え子だけど、ユウ君に何かしようとしているのなら話は別。私がユウ君を守るから」
そう言ったマナ姉に続き、俺から少しだけ離れたクレハも、何かを決意したような表情で俺を見てくる。
「私も兄さんを守ります!」
「············ありがとうな、二人共」
心強いが、もしヴィータが目的の為に手段を選ばず行動したとしたら。その結果、マナ姉とクレハが巻き込まれたとしたら。その時俺は、ヴィータを許すことができるのだろうか。
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「ユウ様は私がお守りしますのでご安心を」
「いいえ〜、それは姉である私の役目ですので」
「うふふ、女神である私にお任せ下さい」
「あはは、お姉ちゃんの方が色々分かっていますよ」
翌日、オーデム魔法学園に英雄達が集結。今は会議室で今後について話し合っている最中なんだが、俺を挟んでマナ姉とティアーズが突然そんな事を言い始めた。二人共笑顔なのだが、何故かとても怖い。
「私の方が、ユウ様と過ごした時間は長いのですよ?」
「宿っていただけで、私みたいにユウ君と遊んだり出かけたりしていたわけじゃないでしょう?」
「それでも、私の方がユウ様の事を知っています!」
「それは無いですよ!だって、私はユウ君と付き合って────」
そこで言葉を切り、口元を両手で押さえながら真っ赤になったマナ姉。当然全員の視線が集中し、マナ姉はそのまま俯いてしまった。
「い、いえ、何でもないです·············」
「わっはははははは!なんだ、やっぱりお前らそういう関係だったのかよ!」
「もう、何でもないですってば!」
からかうように、爆笑し始めた学園長。猛烈に恥ずかしいんだが、いずれは言うつもりだったから良いだろう。ただ、反対側に座る親父の顔が怖すぎるので、さり気なく目を逸らしておく。
「さて、話を戻そうか。終の女神ロヴィーナは、何故かユウを手に入れようとしている。それはつまり、ユウが居れば奴は世界を滅ぼせないという事だ」
「私達がユウを守ればいいのですね」
「ああ、テミスの言う通りだな。しかし、私達は一斉に同じ場所で戦えない。広範囲を破壊するベルゼブブや私の魔法は確実に誰かを巻き添えにしてしまうし、タローやテミスも本気を出せないだろう。だからこそ、奴に集団戦では挑めない」
そう言って、学園長がニヤリと笑う。
「奴が次に姿を現した時、まずはベルゼブブとディーネが攻撃を仕掛けろ。そこで万が一負けてしまった場合は私が出る。それでも止められなかった場合、次はハスターとネビア。その次はアレクシスとラスティ。そしてテミス、最後はタローだ。マナはユウを守ってろ」
「ふーん、私とディーネである程度体力を削ればいいのね」
「ほう、珍しいな。私が負けるわけないでしょ!何様のつもりよ!とか言ってくるもんだと思ったんだが」
「今回の相手は、これまでとは次元が違うもの。世界が滅びるかもしれないって時に、そんな子供みたいな事は言ってられないわ」
ベルゼブブさんが、全身から魔力を放った。その魔力からは圧倒的な破壊の意思を感じ、気が付けばベルゼブブさんの髪が深紅に染まっている。
「まあ、初戦で敵を殺しちゃっても文句は言わないでよね」
「そうだね、手加減はできないよ」
ディーネさんからは穏やかな魔力を感じるが、戦闘時には荒れ狂う魔力となるだろう。正直この人達が負ける姿なんて、全く想像できないんだけどな───と、そんな事を思っていた時だった。
『ふふ、それは楽しみですね』
その声は、この場にいる全員に聞こえたらしい。
「っ、ヴィータ・ロヴィーナか············!?」
『ええ、そうです。色々と準備が整ったので、今後について伝えておこうと思いまして』
「ふん、舐められたもんだな」
『ちなみに、私の声は世界中あらゆる種族に届けています。頑張って一致団結してくださいね』
あぁ、ヴィータの声だ。やっぱり彼女は、世界を滅ぼす為に現れた終の女神なんだな。
『この世界に住む全ての者よ。私はこの世界を滅ぼす意思、終の女神ロヴィーナ。これから3日間、私は世界樹ユグドラシルに向かってティアーズ王国ラピス地方から進みます。滅びを回避したければ、私が世界樹に接触するのを阻止してみなさい』
「お前、世界樹を破壊するつもりか!?」
『さあ?どうでしょう。ですがその前に、愚かな者達の末路を見てもらおうかと思いまして』
妙な魔力を感じて窓の外に目を向けると、上空に映像が浮かび上がっていた。街の人達も空を見上げているようだ。
「おいおい、何してんだあのハゲは!?」
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「何が終の女神だ、何が世界が滅びるだ!神になるのはこの私、アイゼン・ハッシュバードただ1人だというのに··········!」
ラピス地方の山岳地帯にて、王国魔導協会会長であるアイゼン・ハッシュバードは、遥か遠くで膨大な魔力を纏って浮かんでいるヴィータを睨み、そう言った。
彼の背後には多くの魔導士が立っており、更にあらゆる箇所に鎖が巻かれた巨像が設置されている。
「ククッ、まあいい。我等が創り上げた究極の魔導兵器の力で、愚かな女神の身を刻んでくれるわ!」
合図と共に、巨像を固定していた全ての鎖が砕け散る。次の瞬間、凄まじい魔力を放出しながら巨像が駆動した。
長い髪、穏やかな表情、全身に埋め込まれた数々の魔晶石。まるで古の女神のような見た目の巨像は、胸元で交差していた腕を大きく左右に広げてみせる。
「フハハハハ!【ノヴァ】起動ーーーーーッ!!」
「··········人の身でありながら、愚かにも神になろうというのか」
一方、超魔導兵器ノヴァの起動を遠くから眺めていたヴィータは、ゴミを見るかのような視線をアイゼンに向けた。
「帝国と手を組んで極秘裏に開発されていた魔導兵器。ふふ、帝国が近頃妙な動きを見せていたのはこれが理由さ、英雄達。それにしても、世界各地の魔力を吸い上げて放たれる偽神の魔法から得られる魔力は、一体どれ程のものか··········」
禁じられた力で各国を侵略し、手中に収める事を計画していた帝国とアイゼン。そのあまりにも愚かな考えを知っていながら介入しなかったのは、ヴィータが膨大な魔力を欲しているからだった。
「おい待て、何を考えていやがるッ!!」
そんな時、アイゼンのすぐ近くにソンノが転移してきた。彼女を見た魔導士達は驚いていたが、アイゼンだけは余裕を崩さずに手を広げてみせる。
「これはこれは、怠惰の魔導王ソンノ・ベルフェリオさんではありませんか。私に何か用でも?」
「あるに決まってんだろうがクソハゲ!今すぐこの馬鹿げた魔導兵器を停止させろ!」
「ふん、何を言うのかと思えば···········奴が自分にその魔導兵器を使ってみろと挑発してきたのだ。自身の力を過信している愚かな女神に、我々人類が裁きを下すのだよ!」
「冷静に考えろ!お前達が私達に黙ってこっそり開発していた魔導兵器を、奴が知っている時点でおかしいだろうが!」
「黙ってみていろ!貴様ら英雄達が崇められる時代は終わるのだ!さあ、ノヴァよ!神の力を解き放て!」
周囲にいた魔導士達が、ノヴァに魔力を送り込む。それに呼応して魔晶石が輝き始め、ノヴァの眼前に巨大な魔法陣が展開された。
「神の裁きを受けるがいい、終の女神ッ!!」
そして、発射を阻止しようとしたソンノの空間干渉は間に合わず。魔法陣から放たれた魔法弾は一瞬でヴィータとの距離を消し去り、盛大に爆ぜた。
爆風と閃光がラピス地方を駆け抜け、気が付けば超巨大な火の玉がソンノ達の視線の先に出現していた。圧倒的な破壊の力を人が生み出した事にソンノは戦慄し、アイゼンは高らかに笑う。
「フハハハハハハッ!!素晴らしい、なんて素晴らしい力なんだ!この力さえあれば、私が真の神に────」
「アイゼン、お前、本当に馬鹿な事をしてくれたな·········!」
次の瞬間、火の玉が消えた。いや、火の玉となっていた世界中から集められた魔力が、一瞬で全て〝吸収された〟と言うべきか。
「いいね、とても美味な魔力だ。忠告を無視し、〝自らの力を過信〟した君自身が、その身に終焉を齎す事になった」
「ば、馬鹿な!ノヴァの魔力が、吸収されて··········!?」
「おかげで充分な魔力を得る事ができたよ。でも、少しだけ余分かな··········お礼にお返ししようか」
「く、くそっ、ならばもう1度────」
ぺろりと唇を舐め、悪魔のような笑みを浮かべたヴィータが、目の前にノヴァと全く同じ魔法陣を展開する。そしてノヴァを遥かに上回る魔力を凝縮させ、躊躇いなく放った。
咄嗟にソンノは転移魔法を発動したが、この場にいる全員を転移させる程の陣を展開している時間は無い。隣に立つアイゼンすらも、迫る死からは救えないだろう。
「くっ────」
転移先を選ぶ時間すら存在せず、適当に転移したソンノは地面を派手に転がった。そして顔を上げれば、遥か遠くで発生した大爆発が目に映る。
火柱は雲を貫き、衝撃波で抉れた地面が隕石のように降り注ぐ。そんな中、震える拳を握りしめながら、ソンノは離れた場所に浮遊しているヴィータを睨んだ。
「ヴィータ・ロヴィーナァ···········!」
「おや、生きていたんですね。どうですか、愚かな者が招いた破壊の光景は」
「お前、何が目的だ!?魔導兵器の魔力を吸収する事が真の狙いじゃないだろう!?」
「やはり貴女は頭が良い。これから行う行為には、それだけの魔力が必要だという事ですよ」
そう言ってヴィータは周囲に魔法陣を次々と展開し、そして楽しげに笑う。
「まさか、お前─────」
何かに気付いたソンノが動くよりも圧倒的に速く、ヴィータが魔力を解き放つ。次の瞬間、ソンノの体内から魔力が半分程消え去った。
「ぐっ!?」
「ふふ、はははっ、あっははははははははッ!!」
ソンノだけではない。
「っ、魔力が···········!」
「奪われたのか!?」
タローやテミス達。
「きゃあっ!?」
「な、何が起こっているの!?」
リースやエリナ達。
「な、なんだ!?」
「た、助けてくれえ!」
ノヴァから得た魔力を使い、世界中·········あらゆる種族が持つ魔力を、ヴィータは一瞬で奪い取ってみせたのだ。
「あ、有り得ない··········!」
「さあ、私を止めてみなさい!この先に待つのが終焉だけではないと、この終の女神に見せてみるがいい!」
再び魔法が来ると感じたソンノは、急いでオーデムへと転移した。そんな彼女を見送ったヴィータは、相変わらず楽しげな笑みを浮かべたまま、ゆっくりと世界樹に向けて動き出す。
「私を止められるのは君だけだよ··········ユウ君」