70.終の女神
「なんかさ、物凄い違和感を感じるんだ」
その日の晩、ベッドの上に寝転がる俺の上に乗っかっているマナ姉にそう言ってみた。ちなみにだが、俺達以外は全員寝ている。クレハは宿題で疲れ、帰宅した親父と母さんは任務で疲れているからな。
それとお互い服を着ていて、今はそういう事をしている訳じゃない。ただ、寝る前にマナ姉が甘えてきただけだ。
「ん〜、例えばどんな違和感?」
「今朝マナ姉に怒られた時、いつもの光景だと思ったんだけど、何かが足りないというか···········」
「私は何とも思わなかったけどなぁ」
そう言って、頬を俺の胸部に押し当ててくるマナ姉。完全にリラックスモードだな。サラサラの白い髪を撫でながら、俺は寛ぐマナ姉を見てそう思った。
「でも、不思議だね。ユウ君がそう言うのなら、本当に足りないものがあるのかも」
「確か、マナ姉に怒られた時に思ったんだ。あの時のマナ姉、俺になんて言ったんだっけ············」
「ええと、確か〝一番後ろの席だからって何遊んでるの!〟みたいな事を言った気がする」
一番後ろの席············そう、俺は窓際の最後列、つまり教室の角に座っているのだ。でも、それの何がおかしい?2年になってから1度も席替えはしておらず、俺はずっと後ろの席のままだ。
『ふっ、ふふふ········ユウ君は面白いね』
不意に、脳裏に浮かんだ誰かの笑顔。
『だって、いきなり手を掴まれたかと思えばそのまま逃走劇が始まったんだもの。なんだか悪い人達から逃げているお姫様みたいな気分になれて楽しかったよ』
誰だ?この女の子は。長い黒髪、よく育った胸、常に浮かべていた余裕そうな笑み。俺は、何を忘れて─────
「ユウ君、大丈夫?顔色悪いよ?」
「え············」
「うーん、熱はないみたいだけど。疲れてるんじゃない?最近ずっと勉強していたもの」
「あ、ああ、そうかもな」
「今日はもう寝よっか。私、自分の部屋戻った方がいい?」
「いや、なんか側にいてほしい気分だ」
「そっか、それじゃあ一緒に寝るよ。お父さんに見られたら、何言われるか分からないけどね」
俺の隣に寝転がり、苦笑しながらマナ姉が至近距離で俺の目を見つめてくる。
「何があっても、私はユウ君の隣に居るよ」
「はは、それは頼もしいな。おやすみ、マナ姉」
「うん、おやすみ」
キスをしてから目を閉じる。それから暫く俺は考えた。もしも、先程脳裏に浮かんだ見覚えのない女の子が、俺の忘れている事だったとしたら。俺は何処であの子に会ったのだろうか。
しかし、どれだけ考えても、その女の子が誰なのかは結局分からなかった。
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数日後。違和感を覚えたまま学園に通い続け、いよいよ楽しみにしていた魔闘祭が明後日に迫った今日。
「ユウ〜、どうしたん?難しい顔して」
「エッチな事でも考えていたんじゃない?」
「ちげーよ!」
自分の席で違和感について考えていると、エリナとリースが声をかけてきた。今は授業と授業の間にある休憩時間。次は実験室で授業があるので、他の生徒達は教科書類を持って移動し始めている。
「あ、また違和感?」
「飽きないのかしら」
「違和感に飽きるとか無いだろ············」
「でも変やなぁ。何かが足りてないって言われても、別にいつも通りやと思うんやけどなぁ」
キョロキョロと、リースが周囲を見渡す。同じように教室内を見渡してみたが、特に変わった所は見当たらない。
「まあいいや、そろそろ移動しよか」
「そうね。授業が始まるわ」
俺も荷物を持ち、2人と一緒に教室を出た。実験室まではそれほど遠くはない。楽しげに雑談する2人の後ろで欠伸をしながら、俺は違和感の正体について考え─────
「ッ···········!?」
すれ違ったのは、長い黒髪の少女。一瞬しか見えなかったが、彼女が浮かべていたのは余裕そうな笑みだった。反射的に振り返ったが、既に少女の姿はなく。全身から、汗が滝のように流れ出す。
「ユウ、どうしたん?」
「悪い、先に行っといてくれ!」
「え、ちょっ··········!」
驚く2人を置いて、俺は駆け出した。まず向かったのは自分のクラス。先程教室から出た時に閉めた鍵を開け、中に駆け込む。
「くそっ、どこだ···········!?」
すぐ外に飛び出し、廊下を走る。直後に授業開始の鐘が鳴ったが、今はそれどころじゃない。
「そうだ、思い出した············!」
何故、今まで忘れていたのだろうか。何故、誰も〝彼女〟を覚えていなかったのだろうか。
理由は一切分からないが、そのまま俺は階段を一気に駆け上がり─────
「やっと来てくれたね、ユウ君」
「はぁ、はぁ············ヴィータ」
屋上に1人、彼女は立っていた。いつもと変わらない笑みを浮かべる彼女は············そう、ヴィータだ。
「なあ、何がどうなってるんだ?俺だけじゃない、皆ヴィータの事を忘れてるんだよ。そうだ、後ろにあったヴィータの席だって無くなっていた。ヴィータが何かしたのか?」
「ふふ、どうだろうね」
「真面目に答えてくれ!こんなの、明らかに異常な日々だ!今まで一緒に過ごしてきたヴィータを、全員忘れてしまってるんだぞ!?」
「正常さ」
いいや、何かがおかしい。俺は目の前に立つヴィータを警戒しながら後ずさる。
「本当なら私は、君達と一緒に授業を受けたり放課後に遊んだりする事は無かった。だけど、私は君達の日常に介入した。全ては君と〝新世界へ進む為〟だよ」
「な、何を言ってるんだ?」
「時が来たんだ。さあ、ユウ君。私と一緒に────」
次の瞬間、何かが衝突したような音が鳴り響いた。更に衝撃波が屋上を駆け抜け、フェンスが折れ曲がって吹き飛んでいく。
「────ふふ、危ないですね」
いつの間にか、ヴィータの周囲には紅い障壁が展開されていた。彼女の周囲はひび割れており、恐らく何かしらの攻撃から身を守ったのだろう。
「そいつから離れろ、ヴィータ・ロヴィーナ」
ふわりと屋上に降り立ったのは、凄まじい魔力を身に纏ったソンノ学園長だ。まさか、あの人がヴィータに攻撃したのか?
「お前、ユウを使って何をするつもりだ?」
「使う?何を言ってるんですか。私はユウ君を新世界へと招待していただけですよ」
「何故こいつを強くしようとした。それが目的で、素性を偽ってまで強引に学園へとやって来たのか?」
「ええ、全てはユウ君の為に」
閃光が迸る。空から放たれた雷槍と水槍がヴィータを襲うが、それは障壁に衝突して弾け飛んだ。気が付けば、ベルゼブブさんとディーネさんまでもが屋上に立っている。
「チッ、今のを弾くか」
「まさか、本当に彼女が·············」
「ち、ちょっと、何やってるんですかッ!!」
俺が叫ぶと、こちらに視線が集中した。ヴィータ以外は全員怖い顔をしており、心臓が跳ねる。
「ヴィータに攻撃するなんて!彼女は生徒ですよ!?」
「いい加減気付け馬鹿!私達の魔法をただの障壁で弾き飛ばすような奴が、普通の生徒だと思うか!?」
「そ、それは、皆の魔力を借りているから············!」
「ありがとうユウ君。君が庇ってくれて、私は嬉しいよ」
ヴィータを見て、ゾッとした。笑みを浮かべているのは変わらないが、見ていると寒気がするような笑みだ。
「だけどね、これが正しい反応なんだ。私は君達にとって、存在してはならない敵だから」
じわりと。
「同時に君達は私にとって、この世から消し去らなければならない駆逐対象だ」
どす黒い魔力が、ヴィータの身体から溢れ出す。
「やっと本性を現したな、ヴィータ・ロヴィーナ···········いや、一連の騒動を引き起こした真の元凶、黒の盟主!!」
「え?」
頭が一瞬真っ白になった。今、学園長はなんて言った?ヴィータが、あの黒の盟主だって?
「い、いや、嘘だよな?ヴィータ·············」
「そうだね、私は君に嘘をついていた。最初の学園地下迷宮の魔竜事故から少し前の神獣事件まで、それらを裏で操っていたのはこの私だよ」
「あれはロイドが引き起こした事件だろ!?」
「そのロイドに感情喰らいを渡してこう言った。〝マナ先生が欲しければ、その力を使って生徒達を暴走させればいい。結果、マナ先生は悲しんで、感情喰らいを寄生させやすくなる〟············とね」
当たり前のように、悪魔のような事をヴィータは言う。
「無人島の件もそうさ。島に逃げ込んでいた魔族に感情喰らいを渡し、周辺に配置されていた古代遺産を動かしていた魔力に干渉・操作して、私達が乗っていた船を襲わせた。それから海に投げ出された君達を島に連れて行って、魔族と戦わせたんだよ」
「な、何の為に·············」
「君を強くする為」
俺の前に、ディーネさんが立つ。普段の優しい表情からは想像もつかない形相で、ディーネさんはヴィータを睨んでいた。
「ああ、隻腕の巨人もだね。団長のギルバードに感情喰らいを渡して学園を襲うように指示した。その結果、ユウ君は本来の力を取り戻せたんだ」
「っ、あの事件でクレハがどんな目に遭ったと思って···········!」
「ユウちゃん、さがりなさいッ!!」
ディーネさんに怒鳴られ、肩が跳ねる。なんだよこれ、まるで意味が分からない状況だ。
「この前の神獣騒ぎも、私が神狼マーナガルムに感情喰らいを渡したから起こった件さ。ふふ、おかげで魔力解放まで出来るようになって············嬉しいよ、ユウ君」
「もういい、それ以上喋るな」
学園長が、魔力を解き放った。
「今ここで、お前を殺す············!」
「目障りだなぁ。私はユウ君と会話しているのに」
対してヴィータも魔力を纏い────
「それに、殺す?終末の化身である私を、魔神にすら勝てない駄女神と王止まりの魔族程度が」
「ッ─────」
次の瞬間、轟音と共に学園長達が一斉に吹っ飛ばされた。凄まじい暴風が吹き荒れる中、何故か俺だけは飛ばされない。これを意識してやったのだとしたら、恐ろしい魔力制御力だ。
「ヴィータ、君は本当に···········!」
「そもそも私は人ですらない。終末領域に満ちた負の感情から生まれた、この世界を滅ぼす意思」
超高速で放たれたディーネさんの蹴りを、振り返らずにヴィータは片手で受け止める。
「でもね、ユウ君。私にとって、君だけは本当に特別なんだ」
「こんの糞ガキッ!!」
ベルゼブブさんの魔法が雨のように降り注ぐが、その全てがヴィータの頭上で弾け飛ぶ。
「これから世界は滅びへと向かうだろう。でも、それは仕方の無い事さ。この世に生きる者達の自業自得なのだから」
「吹っ飛べ、【空間振動波】!!」
空間が揺さぶられ、発生した衝撃波がヴィータを襲う。しかし彼女が腕を振ると、迫っていた魔法の波は一瞬で消えた。
「私はね、ユウ君。実は神様だったりするんだ」
「っ············」
「この世に滅びを齎す者。これまで何度世界を滅ぼしたかはもう覚えていないけど、どの時代でも私は〝終の女神〟と呼ばれていたね」
「う、嘘だ·············」
「この時代も終わりの時が来たのさ。まだこちらの準備も万全じゃないし、今日は一旦退くよ。また会える日を楽しみにしているよ、ユウ君」
「ま、待て、ヴィータ!」
予め転移魔法陣を展開していたのだろう。俺や学園長達が止めるよりも速く、ヴィータの姿は屋上から消えた。