66.剣聖乱舞
18歳の時に後の夫となるタローに出会い、そして様々な事件を乗り越え22歳で結婚。彼女が現在〝剣聖〟と呼ばれるようになったのは、タローという存在のおかげだろう。
彼に守られるだけではなく、肩を並べて戦いたい。その願いが彼女を強くした。元々あった才能を開花させ、更に限界を超えた技の数々を習得。
世界最速の剣士───テミス・シルヴァ。ユウが最も憧れる剣士の頂点は、他者を圧倒する努力の天才なのだ。
「人間風情が、神狼相手に生意気なことを··········!」
「神狼は誇り高き神獣だと歴史書には記されているが、貴様は神狼の中でも底辺だな。崇めるに値しない」
「僕に勝てると思っているのか!?」
「さあ?自分の目で確かめてみるといい」
魔力を纏ったガルムが跳躍し、瓦礫を蹴って背後からテミスを襲う。しかしその直後、何故かガルムは真横の壁に叩きつけられていた。
「ぬぐうっ··········!?」
ガルムは理解する。今の一瞬で、振り返ることもなく。目にも留まらぬ速度で抜刀したテミスに、自分は斬られたのだと。
「よ、よくも、この僕に傷をおおおおおッ!!」
壁を粉砕し、雷を纏ったガルムが今度は真正面からテミスに脚を振り下ろす········が。それはあっさりと刀で受け止められ、頭に血が上ったガルムは、凄まじい速度でテミス目掛けて殴打や蹴りを連発した。
しかし、その全てが弾かれる。その場から1歩も動かずに、全ての攻撃をテミスは防ぎ続けているのだ。
「ぬあああああッ!!」
「ふん────」
ガルムを見つめるテミスの瞳は、どこまでも冷たかった。そして次の瞬間、強烈な蹴りを浴びてガルムは堪らずうずくまる。
「が、がかっ···········!」
「立て。この程度で終わるのか?」
圧倒的な実力差。それを見ながら、ユウは驚愕していた。これまで数え切れない程母と共に修行をしてきたが、まだまだあの域には踏み込めそうにない。例えるならば、今の自分はまだ巨大な山の麓に立っただけだ。
それに、ここまで母が怒っているのを見たもの初めてだった。彼女がユウ達の前で相手を〝貴様〟と呼んだのも初めてである。やはりマナは、それだけ多くの人に愛されているという事だろう。
「ふ、ふふ、僕を舐めるなよ人間ッ!!」
ユウの視線の先で、立ち上がったガルムの蹴りがテミスに迫る。しかしテミスは冷静に柄頭で脚の骨を粉砕し、痛みに悶絶するガルムの顔面に掌底を叩き込んで吹っ飛ばした。
「銀閃一刀流、伍ノ太刀【新月】」
地面を転がるガルムが跳ね上がる。何をされたのか分からず、血を吐きながらガルムは瓦礫に突っ込んだ。顔を上げればゾクリと腕が震える。そこでようやくテミスが何をしているのかが分かった。超高速で刀を振り、不可視の刃を飛ばしてきているのだ。
「小癪な真似を!」
直感で刃を避け、そのままガルムは駆け出した。相変わらず刃は飛んでくるが、それすらも避けてガルムは拳を握りしめる。
「馬鹿め剣聖!油断したな、死ねえ!!」
「馬鹿は貴様だ」
ガルムが踏み込んだ瞬間、足元に魔法陣が浮かび上がった。予め仕掛けられていた条件起動陣。先程まで不可視の刃を飛ばしてきていた理由は、自分をこのポイントに誘導する為だったのか。
彼女の思い通りに動かされている。それが分かった瞬間、ガルムの全身から汗が吹き出した。
「【刺し穿つ銀の剣山】」
「ぎゃあああッ!?」
魔法陣が一気に広がり、テミスの姿が消える。その直後、地面から大量の剣が飛び出した。それは次々とガルムを襲い、宙を舞った彼を今度はテミスが強襲する。
「捌ノ太刀【月雨】」
ユウとは比べ物にならない速度でのラッシュ。それは必死に雷を放つガルムの体を容赦なく刻み、落下したガルムは震えながら地面を殴りつけた。
「う、ぐぅ、何故だあッ!?」
「誰かの為にその力を振るう事が出来ない者など、所詮その程度だという事だ」
「僕は神獣の頂点に立った神狼マーナガルムだぞ!?その僕が、たかが人間如きに···········!」
「そうやって相手を侮った結果、貴様は封印されたんだろう?」
「黙れ!そうだ、まだ僕は終われない。人間共を駆逐して、神獣だけの楽園を創造してみせる!」
ガルムが、取り出した球体を握り潰す。そしてその中から飛び出したガスのような魔物は彼の体内へと侵入し、強制的に肉体構造を変化させた。
「感情喰らい···········!」
『くっ、フフフ!僕は普通に神獣化出来るけど、この魔物を使った時はもう力をコントロール出来ないんだ!そうだな、今の僕は〝魔神狼マーナガルム〟さ!』
勢いよく降り立った、漆黒の巨獣。黒い雷を身に纏うガルムは、先程よりも遥かに小さく見えるテミス目掛けて前脚を振り下ろした────が。
「何処を見ている」
『なっ─────』
背後から聞こえた声。振り返る間もなく、ガルムの全身を駆け抜けた衝撃。跳躍して一瞬で背後に回り込んだテミスが、ガルムの脳天に踵落としを叩き込んだのだ。
『ガアアアアアアアッ!!』
「弐ノ太刀【乱月】」
数え切れない程の雷槍が放たれるが、空中でテミスは全て弾き飛ばす。更に真上に魔力を放って急降下し、ガルムの頭を踏んで勢いよく地面にめり込ませる。
『ぐふううう··········!』
「よくも私達の可愛い娘に手を出してくれたな」
『おのれえええええッ!!』
全身から放出された稲妻を、跳躍してテミスは避ける。そんな彼女目掛けてガルムは地を蹴り、逃げ場のない空中で口を大きく開いた。
『跡形も無く消し去ってくれるわァッ!!』
「マナが受けた痛みを味わうがいい」
『カアアアアーーーーーーーッ!!!』
口内に集まった魔力が解き放たれ、光線となってテミスに迫る。しかし、その光線をテミスは内部から猛スピードで斬り刻み─────
「銀閃一刀流、壱ノ太刀【幻月乱舞】」
消し飛んだブレスの中から飛び出したテミスは、そのまま目にも留まらぬ速さでガルムの全身を舞うように斬った。地上でその姿を見ていたユウは、あまりにも美しい母の剣舞に圧倒され、そして感動していた。これが、自分が目指す剣聖の戦いなのだ。
「あ、が··········!?」
墜落したガルムは獣人の姿に戻り、彼の隣にテミスは降り立つ。そんな彼女を見て顔を青ざめさせながら、ガルムは恐怖のあまり震え上がった。
「あ、有り得ない!こ、この僕が、負ける!?」
「思い上がるな。貴様など、これまで私が戦ってきた魔神や悪神の足下にも及ばない」
「うぅ、うああ···········!」
納刀し、テミスは冷ややかな瞳でガルムを見下ろす。そんな母のもとに、マナを支えながらユウが歩み寄ってきた。
「か、母さん」
「ユウ·········ふふ、よく頑張ったな」
「むぐっ!?」
ボロボロのユウを愛しそうに見つめてから、テミスはユウを抱き寄せた。その際豊満な胸に顔が埋まり、息子が呼吸出来ずにもがいている事には気付いていない。それからテミスは隣のマナにも目を向け、そしてユウと同じく抱き寄せる。
「お、お母さん···········」
「おかえり、マナ。お母さんもお父さんも、心配したんだぞ?」
「っ、ごめ、なさ··········」
優しくそう言われ、マナは再び泣き出してしまう。暫くテミスは2人を抱き続けたが、やがてとある人物の魔力を感じて2人から離れた。
「··········やはりこの件に関与していたか、黒の盟主」
「流石です、剣聖テミス・シルヴァさん?」
禍々しい魔力を纏いながら、ふわりと降り立った黒装束の人物。咄嗟にユウとマナは身構え、テミスは刀に手を置く。
「き、君は、黒の盟主!?な、何故此処に!?」
「無様だね、神狼マーナガルム。大口を叩いていた割に、人間相手に君は何をしているのかな?」
「ち、違う!きっと、感情喰らいの力が足りなかったんだ!もっと力があれば、人間の女などには···········!」
「馬鹿なの?あの魔物の力に頼らなければ何も出来ないゴミが、図に乗るなよ」
「うっ···········!」
「まあいいや。今回の件で、望み通りユウ君はもっと強くなってくれた。君は充分に役目を果たしてくれたよ」
突然名前が出てきて、ユウは目を見開いた。
「か、母さん、あいつが黒の盟主なのか?」
「ああ。タロー並の魔力を持っている、一連の事件の黒幕だ」
「そんな奴が、なんで俺の名前を···········」
直後、轟音が鳴り響く。驚いて目を向ければ、黒の盟主が倒れているガルムの頭を踏みつけていた。
「ぐああっ!?」
「君はもう要らないよ。マナ・シルヴァを道具と言っていたけど、君も私の道具なんだ。思い通りに事態を進める為の、駒さ」
「な、何を言って···········!?」
「それに、ゴミとも言っていたね。ふふ、ゴミは誰がどう見ても君だよねえ!?」
再度踏みつけられ、嫌な音が鳴る。
「あははっ!何が〝神獣だけの楽園〟だ!君達神獣も、この世界にとって不必要な存在さ!感情喰らいを君に与えたのは、私の望む未来に状況を進める為だって、まだ理解してないの!?ねえ、神狼マーナガルム!」
何度も、黒の盟主はガルムを踏みつける。
「ふ、ふふふ、全部ユウ君の為なんだよ···········!」
「おい待て、誰だお前は!何が俺の為だ、全然意味が分からないんだが!?」
「こ、こら、ユウ!」
テミスに止められながらも、ユウが黒の盟主の前に立つ。そんな彼を見て、黒の盟主は嬉しそうに笑った。
「本当に強くなったね、ユウ君。ずっと君を見てきたけど、私はとても嬉しいよ」
「この声···········」
聞き覚えがあった。しかし、思い出せない。何度も聞いている筈の声が、黒の盟主の口から発せられている。
「大丈夫だよ、もうすぐ全てを知る時が来るさ。でも、今回は退散させてもらうよ。もう此処に用はないからね」
「ま、まって、くれ、僕は、まだ」
「ああ、君も用済みさ。今まで私の思い通りに動いてくれて、どうもありがとう。さようなら、神狼マーナガルム」
「や、やだ、嫌だ!!マナ、僕を助けろ!!」
魔法の力か。ふわりと宙に浮いたガルムは、必死の形相でユウに寄り添うマナに向かって怒鳴った。しかし、マナは何も言わない。ほんの少し悲しそうな表情を浮かべているものの、マナは父に手を差し伸べはしなかった。
「ま、マナああああッ!!お前え、僕は父だぞ!?生みの親を見捨てるのか!?巫山戯るな!!くそッ、くそくそくそくそくそ─────」
猛スピードで真上に吹っ飛んだガルム。不敵な笑みを浮かべた黒の盟主はそんなガルムに手のひらを向け、そして膨大な魔力を解き放った。赤紫色の光線は一瞬でガルムを飲み込み、そして空を赤く染める。
「な、何よこの魔力は··········!」
「出たな黒の盟主··········!」
黒の盟主の魔力を感じ取った英雄達が、続々と集まってくる。しかし黒の盟主は慌てることもなく、魔法を止めてにこりと笑った。
「ふふ、豪華な見送りですね」
「逃げられると思ってんのか、お前。悪いがこの辺りの空間は私が支配した。転移魔法は使えないぞ」
「残念ながら、私も空間は支配しています。互いの魔法がぶつかり合い、歪みが発生しているのです。そこを通れば私は楽に帰れますよ」
「チッ、奴を逃がすな!」
ソンノの号令で、全員が一斉に動く。それでも黒の盟主は余裕を崩さず、最後に動揺しているユウへと目を向け────
「また会おうね、ユウ君」
「っ···········」
とある人物と、黒の盟主の姿が被る。そんな筈はないとユウが思った直後、黒の盟主はこの町から姿を消した。




