60.蝕まれる心と世界
ーーーマナーーー
「それでは、授業を始めます」
それを聞き、生徒達の視線が私に集まる。最初の頃は緊張して胃が痛かったけど、最近はある程度慣れてきたので大丈夫。
1限目の授業は4人1組で話し合いをしながら行うので、早速生徒達には好きに班を作ってもらった。ユウ君は········やっぱりいつものメンバーだね。
昨日、あれから何度もユウ君にどうしたのかと聞かれたけど、その度に私が『大丈夫』『少し魔力が乱れただけ』と言えば、渋々納得してくれた。でも、私自身もどうしてあれだけ変な気分になったのかは分からない。会ったことのない人の魔力を知っていて、懐かしいとまで思ってしまった。私は、あの人とどこかで会ったことがあるのかな···········。
「ここの術式ってこの順番であってるのか?」
そんな事を思っていると、様々な意見が飛び交う教室の中で、ユウ君の声がはっきりと聞こえた。
「違うわ、それだと射程が短くなるもの。正しい順番は·········」
「あー、なるほど。難しいよな、雷属性魔法って。サンダーランスについて考えるってだけでもう無理だ」
「何を言ってるのよ。もう、簡単にまとめてあげるからノートを貸して」
「サンキュー」
ユウ君が、エリナちゃんと楽しそうに話をしている。それをヴィータちゃんはニコニコしながら見ていて、リースちゃんは2人の間に入りたそうだ。何でだろう、すごく微笑ましい光景なのに·········前までなら、なんとも思わなかった光景なのに─────
「────邪魔だなぁ」
突然大きな音が鳴り響き、全員の視線が私に集中した。思わず息を呑む。無意識に、私が黒板を叩き割ったんだ。
「マナ先生、どうしたんですか··········?」
「お、俺達、騒ぎすぎたんじゃ··········」
不安そうにそう言われ、私は急いで首を振る。
「ち、違うよ?えっと、躓いて転びそうになっちゃって!」
「それで黒板破壊するとか、どんな腕力だよ」
ユウ君のからかうような言葉を聞き、生徒達は笑ってくれた。良かった、誤魔化せた·········けど、何、今の。邪魔?誰が?どうしてそんな事を思ったの?そんな理由で私は黒板を?
「あ、あはは、ごめんね?驚かせちゃって。ちょっと黒板を壊しちゃった事を報告してくるから、話し合いを続けていてね」
逃げるように教室を出て、私は奇妙な感覚を全身で味わいながら、女子トイレの中へと駆け込んだ。そして冷水で顔を洗い流し、鏡で自分の姿を確認する。
何だか、自分じゃないなにかが自分の中に居るみたいで気持ち悪い。今鏡に映っているのは、本当にいつもの私なの··········?
『欲しければ奪え、潰せ、殺せ。それが我々だ』
「─────ッ!?」
頭の中に響いた声。どこか懐かしいその声は、お父さんのものじゃない。お父さんやお母さんに出会うよりも前、ずっとずっと昔に聞いていた声··········。
「欲しければ、奪え··········」
私が欲しいのは·········ユウ君。きっと、エリナちゃん達もユウ君の事が好き。だったらどうするの?どうすればいい?欲しければ奪え、潰せ─────
「そんな事、私は思ってないッ!!」
脳裏に浮かんだ最低な考えを振り払うように、額を壁に叩きつける。鏡に映る自分の顔は、酷く歪んでいるように見えた。
「よっ、遅かったな」
明日の授業で使うプリントや会議用の資料を作成し終えた頃には日が暮れていて、すっかり辺りは暗くなっていた。最近は季節も変わって寒くなっており、そろそろ雪が振り始めるかもしれない。
なのに、その男の子────ユウ君は、寒さを特に気にする様子もなく門前に立っていた。
「ユウ君、どうしたの·········?」
「一緒に帰ろうかと思ってな。クレハもさっきまで居たんだけど、親父が迎えに来て連れて帰ったよ。まあ、俺は色々話もしたかったし、マナ姉に不審者が寄り付かない為の護衛ってことで」
さっきまで冷たかった顔が熱くなる。肩を並べて歩き出したユウ君の横顔をちらりと見れば、彼も私を見ていたので目が合ってしまった。ドキリと、心臓が跳ねる。こうして二人きりになると緊張してしまうのは、やっぱり私だけなのかな。
「なあ、マナ姉」
そう思っていると、ユウ君が肩を叩いてきた。
「昨日あの男に会った時、何があったんだ?魔力を知ってるとか言ってたけど」
「それは··········」
そうだ、ユウ君なら心配して話を聞いてくれるよね。馬鹿だな私、どうして昨日は逃げちゃったんだろう。
「あのね、私にもよく分からないの。でも、私はあの人の魔力を知っている気がして、変な感覚に陥ったというか」
「忘れてるだけで、実は知り合いとか?」
「そうなのかな··········」
「まあ、安心してくれ。マナ姉は俺が守るよ」
今、自分の顔はどうなっているだろうか。咄嗟にマフラーで口元を隠したけど、頬の緩みは抑えられない。
やっぱりユウ君は私を大切にしてくれてる。だって、何年も一緒に暮らしてきたんだもん。そうだよ、エリナちゃんやリースちゃん達よりも、私の方がユウ君に相応しいんだ───え?
「おい、マナ姉?」
だ、だから、私は何を思っているの?ユウ君に相応しいとか、そんなのは私が決める事じゃないのに。
「なんか顔色悪くないか?寒いし、風邪でもひいたのか?それとも、昨日のあいつに何かされたりして───」
「違う、違うのユウ君!私はそんな事思ってない!だ、だからお願い、失望しないで·········!」
「は、はあ?急に何を言ってるんだよ」
縋るような思いでユウ君の腕を掴む。そんな私に、ユウ君は真剣な瞳を向けてきた。
「やっぱり、あの男と何かしらの関係があるんだな?」
「し、知らない!あんな人、私は知らない!」
「ならどうしてそんなに動揺してるんだ」
「だって、本当に知らないの!なのに、どこか遠い記憶の中に、あの人は居て··········!」
「マナ姉·········」
頭が痛い。気持ち悪い、吐き気がする。自分じゃない存在に自分という存在を喰われているようで、寒気がする。
嫉妬は今でもしている。それこそ、毎日。だけど、あの時とは違う。誰かを傷つけるような気持ちじゃない。モヤモヤしても、ユウ君と話をすれば全部忘れられたのに··········今は、あの子達を見てどう思った?奪ってやればいい、その為に私はどんな感情を抱いた?
最低だ、最低最低最低最低最低。教師以前に人間失格·········いや、違う。そもそも私は人じゃない。獣人、狼の獣人。ううん、ただの獣人でもなくて、本当は─────
「ごめん、また落ち着いたらゆっくり話そう。今日は何も聞かないから、また明日聞かせてくれ。な?」
ユウ君に頭を撫でられ、少しだけ落ち着く。ああ、本当に最低だ。嬉しい、こうしてもらえることが本当に嬉しい。だって、私は違うんだよ。私は、特別なんだから─────
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「突然だが、ユグドラシルの歴史書·········その失われた第十巻から情報を得るぞ」
王都にて、ソンノの発言を聞いてテミスは少しだけ驚いた。気が付けば、質問をする為片手を少しだけ上げている。
「なんだ、テミス」
「ユグドラシルの歴史書は全部で九冊の筈ですが、十冊目が存在しているのですか?」
それはこの場にいる誰もが思った事だ。遥か大昔、世界誕生から数千年に渡るユグドラシルの歴史が記された貴重な本。第一、二巻が世界の誕生について。第三、四巻がかつて世界に溢れていた生物達───古代魔獣について。第五、六巻が古代魔獣以上の魔力を誇っていた歴史書の悪魔について。第七、八巻が古代植物について。第九巻が人々の生活や発展について。それで歴史書は終わっていた筈なのである。
「いや、実はまだ一冊だけあるんだとさ。そうなんだろ?女神ティアーズ」
ソンノの視線の先に、落ち着いた雰囲気を纏う美女が姿を現す。神々しいその容姿は、見る者全てを魅力する·········長年に渡ってユウの魔力暴走を食い止めていた、女神ティアーズだ。
「ええ、その通りです。近頃頻発している悪魔の出現や異常現象等は、かつて起こったとされる【永遠黄昏】の前兆とよく似ています」
「永遠黄昏·········黄昏時が延々と続き、そしてその後の異変で1度地上が壊滅したって日か」
「実際にその光景を見た訳では無いですが、歴史書第十巻にはそう記されています。まあ、記憶が曖昧なので殆ど覚えてはいませんが、恐らく今世界を襲っている危機に似た内容が記されている筈。それを見れば、何か対策を練れるかもしれません」
「ったく、ユグドラシルの野郎がこの場に居たら、そんな面倒な事をしなくてもいいだろうに」
「お気持ちは分かりますが、ユグドラシル様の身にも何かが起こっている事は確実。ならば、我々は自らの手で行動するしかないのです」
場に緊張が満ちる。かつて自分達と共闘した、この世界そのものと言っても過言ではない女神、ユグドラシル。そんな存在の身に異変が起こる程、今この世界は正体不明の闇に蝕まれているのだ。
「で、それは何処にあるのよ。もう失われたんでしょ?探そうにも探しようがないじゃない」
「黙ってろお子様大魔王。ティアーズによると、歴史書第十巻は世界樹の中に眠っている。これまで女神以外立ち入る事のできなかった世界樹だが、ティアーズが特別に門を開いてくれたんだ。ふふ、今頃その手の専門家が歴史書を見つけてくれてるだろう」
「専門家って────」
ベルゼブブの声を遮るように、バターンと扉が開いた。中に入ってきたのは何とも渋いおっさんと、桃色の長髪をポニーテールにした絶世の美女。二人共ザ・冒険家といった格好で、大きなリュックを背負っている。
「おーっす、久々だなぁ」
「うふふ、お邪魔するわね」
年齢の割には若く見えるおっさん。そして、年齢を聞くと度肝を抜くであろう見た目の美女。2人は、新たな遺跡や古代遺産などを次々と発見し続けている、世界的に有名な冒険家だ。
「ふん、遅かったじゃないか、ハスター」
「いやぁ、ここまで遠いじゃん?ソンノ嬢も意地悪だよな、空間繋げてくれりゃあ良かったのに」
「まあ、遅くなったのは貴方が若い女の子をナンパしていたからだけどねぇ?」
じとーっと美女に見つめられ、おっさん───ハスターの額に汗が滲む。
「すまんって、ネビアちゃん。ありゃもう一種の癖っつーかなんつーか··········」
「ほう?ナンパで遅れてきたのか。世界が滅びるかもしれないって時に、随分呑気だなお前」
「ソンノ嬢!?空間干渉は勘弁して!?」
小さな身体から解き放たれた凄まじい魔力を浴び、顔を真っ青にしながら土下座している情けないハスターを見て、先程ネビアと呼ばれた女性はやれやれと息を吐いた。
「で、歴史書第十巻は?」
「ええ、これがそうよ」
ネビアがリュックから古びた本を取り出し、ソンノに手渡す。それをパラパラとめくり、ソンノは興味深そうに笑った。
「本当だ、永遠黄昏について記されているな。えー、〝永遠の黄昏天地を照らし、有象無象は無へと帰す。再生と終焉は世界の宿命、罪を背負うは終の女神ロヴィーナ〟··········そのロヴィーナって奴が世界を滅ぼしたのか?」
「よく分からないけど、途中から私達の知らない文字で書かれていてね。解読は貴女達に任せるわ」
皆が初めて見る第十巻に興味津々で、ソンノが開いているそれを食い入るように眺めている中───タローは難しい顔で腕を組み、何かを考えているようだった。そんな彼に、隣に腰掛けたテミスが声をかける。
「どうかした?」
「いや、ロヴィーナって名前に聞き覚えがあってな。んー、どこで聞いたっけなぁ」
「私も聞き覚えはあるんだ。まあ、歴史書を読んでいれば多分思い出すと思う」
「だな。うっし、とりあえず俺達も歴史書の解読を手伝おうぜ。もしかしたら、今日は泊まりになるかも」
「一応マナ達に連絡を入れておこう··········」
魔導フォンを起動し、テミスは思い出す。隻腕の巨人学園襲撃事件後、王都前で勃発した戦闘。その時現れたのは、神獣種だった。そして、何故かテミスは〝マナに似た魔力〟を感じたのだ。それは夫も同じようだったが、一体何故なのだろうか。
(マナなら、きっと大丈夫だろう)
そう思い、メールを送る。何かが起こったとしても、彼女の傍には力を取り戻したユウだっているのだ。それに、泊まりになっても明日にはオーデムに戻る。
テミスは、魔導フォンをポケットの中に閉まった。




