59.幸せに忍び寄る影
隻腕の巨人襲撃事件から一夜明け、今日もオーデム魔法学園での1日が始まった。ギルバードは監獄に連行され、更なる情報を聞き出す為に尋問されている頃だろう。
まあ、俺も似たようなものか。
「おいおいユウ、なんだよ昨日の戦いっぷり!」
「凄くかっこよかったよ!」
「今までただの女たらしだと思ってたけど、俺達はお前のことを見直したぜ!」
朝っぱらからずっと大量の友人達に囲まれ、昨日の対ギルバード戦についてひたすら質問されているのだ。マルセルに至っては、隣で常に俺の発言をメモし続けている。あんなに苦手な雷属性の授業も、この質問攻めの時間に比べれば幸せだった。
「ふふ、人気者だねユウ君」
「おっと、先客が居たか」
そんな連中から逃走し、屋上に避難した俺。そこで遭遇したのは、いたずらっぽい笑みを浮かべるヴィータ。彼女は読んでいた本を閉じて懐に仕舞うと、くるりと回ってフェンスの上から飛び降りる。
「もうすぐ3限目の授業が始まるけど、君はサボる気なのかな?」
「げっ、もうそんな時間なのか」
「もし君が授業をサボるって言ったら、私は仕方なく君に付き合ってあげるよ。ユウ君にお願いされて断れなかったってね」
「やれやれ、ヴィータも悪い子だよな」
鐘が鳴る。次の授業は魔法言語学だったか。まあ、幼い頃からずっと母さんに教えて貰っていたから、1回くらい抜けても大丈夫だろう。そう思いながら、俺はフェンスにもたれかかるヴィータの隣に腰掛けた。
「ヴィータ、首は大丈夫か?」
「うん、大した怪我じゃないからね。回復魔法ですっかり元通りだよ」
「ごめんな、俺のせいで··········」
「あはは、君のせいじゃないさ」
そう言ってヴィータは突然俺の頭を撫でてきた。驚いて顔を上げれば、いつの間にか彼女は屈んでいて────
「っ·········」
「ふふ、顔が赤いよ?」
もう少し顔を近づければ、互いの唇が触れ合ってしまう程の距離。驚いて俺は彼女から顔を離し、ヴィータは少し残念そうに腰を下ろす。
「君の反応は毎回可愛いね」
「ぐっ、からかわないでくれ·········!」
やはりこの子は小悪魔的な性格だ。一切恥ずかしがる様子もなく、俺の反応を見て楽しそうに笑っている。何だか俺だけが一方的に恥ずかしくなり、それから暫く互いに黙り込んだ。
「ねえ、ユウ君」
何分経過しただろうか。涼しい風で揺れる黒の長髪を撫でながら、ふとヴィータが俺を呼んできた。
「どうした?」
「君って、マナ先生の事が好きなの?」
「ぶふっ!!」
吹き出してしまった。慌てて隣に顔を向ければ、いたずらっぽい笑みを浮かべるヴィータと目が合う。
「な、なんで、そんな·········」
「学園祭以降、2人は何だか恋人みたいなやり取りばかりしていたから。付き合ったばかりのカップルみたいな」
「い、いや、付き合ってないぞ?別にマナ姉は、そんなつもりで話しかけてきてる訳じゃないだろうし·········」
「マナ先生は君の事をただの弟として見ているのかもしれない。だけど、君は少し違うんじゃない?」
「さ、さあ〜?」
口笛を吹いてみたけど、掠れた音が出ただけで。目を斜め上に向けた俺を見て、ヴィータは心底可笑しそうに笑い出す。
「あははっ!君って本当にわかりやすいなぁ」
「だあーーーっ!もう、何でもないっての!」
このままだとずっとからかわれてしまうだろう。俺は立ち上がり、屋上から逃げ出す為に駆け出した─────が。
「【加速】」
「ッ!?」
一瞬で距離を詰めてきたヴィータに手を掴まれ、俺の足は止まる。そうだ、彼女は他者の魔力から魔法をコピーする事が出来るんだった。
「ごめんごめん、もうその事については触れないよ。今戻っても怒られるだけなんだから、もう少しお話しよう?」
「はぁ、本当に悪い子だな··········」
確かに彼女の言う通り、今戻る意味は無い。なので俺はもう1度さっき座っていた位置に戻り、ヴィータとの雑談を再開する。しかしやはり彼女は小悪魔で、暫くすると再びマナ姉の事が好きなのかについて質問してくるのだった。
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「またサボったね、ユ ウ 君?」
「い、いやぁ、悪かったって」
ニッコリしているが、凄まじいプレッシャーを放つマナ姉の前で、俺は情けなく汗を流していた。マナ姉からヴィータへの説教はすぐ終わったけど、俺への説教は放課後になっても未だに続いている。
「誘ってきたのはヴィータなんだけどなぁ··········」
「言い訳しない!大体ユウ君は、普段から授業態度が悪いんだよ!成績は悪いってわけじゃないのに、居眠りしたりぼーっとしたりする回数が多いからその分成績も下がる!誘う誘った関係なしに、ユウ君はきちんと授業態度を改める必要が────」
駄目だ、完全に先生モードだ。こうなるとマナ姉は止まらない。いつもの光景だと廊下を歩く生徒達に笑われながら、俺はマナ姉から説教を受け続け─────
「で、誘ったのはヴィータちゃんって?どういう事かなぁ、2人は授業を抜け出して何をしてたのかなぁ」
「ひいっ!?」
目が全く笑っていないマナ姉が、いよいよその身に雷を纏う。生徒達は巻き添えを食らわないよういつの間にか俺達から離れていた。
「ち、違うぞマナ姉!俺は別に、ヴィータに対してエッチな事をしていた訳じゃなくてだな··········!」
「うふふ、そっかぁ。2人はそういう関係かぁ。お姉ちゃん、2人の事祝福するよぉー(棒)」
「聞けよ!?」
勘違いで天に召されそうなこの状況。そうだ、この方法を使えば何とかなる。今月の小遣いはあと僅かであるが、俺は笑顔でポケットからとある紙を取り出した。
「お、おっと、何だこの紙は〜········おや?マナ姉が食べたがっていた限定シュークリームが、このクーポンを使えば5個まで半額だって?」
ぴくりと、マナ姉の獣耳が動く。
「ご、午後6時までかぁ。まだ残ってるかなぁ。今から急いで行けば、マナ姉の分も買ってあげられるかなぁ〜?」
涎が垂れそうになっているが、あと一言。
「い、一緒に食べよっかぁ」
「食べる〜!」
フッ、ちょろい人である。しかしまあ、半額と言っても元の値段がそれなりにお高いので、また休みの日を削ってギルドに行かなければ·········。
「ということで、それじゃあまた後で!」
「あっ、なんか騙された気がする!?」
俺は駆け出し、学園から逃走した。そして例の店に行き、奇跡的に売れ残っていた限定シュークリームを2個だけ購入。そこで衝撃を受けたのが、来るまでにクーポンを落としたというあまりにも残酷過ぎる現実。俺は泣く泣く普通の値段でシュークリームを買い、近くにある広場のベンチに腰掛ける。
「あー、なんか、こういうのも良いよな·········」
夕焼け空を見上げながら、俺はぽつりと呟く。ここ最近、色々な事件に巻き込まれてきた。しかし、それでもこうして俺は生きている。いつも通りの、騒がしくも楽しい日々。好きな人が傍で笑ってくれる、そんな幸せな時間·········────
『残念だよ、ユウ君。これで、お別れだ』
黄昏色に照らされた場所で、彼女は涙を流しながら、その手の剣で俺を貫き─────
「────ッ!?」
「ひゃっ!?」
不意に目が覚め、俺は飛び起きる。いつの間にか辺りは暗くなっており、隣を見れば、暗くても分かる程顔が赤くなっているマナ姉と目が合った。
「マナ、姉·········?」
「び、びっくりしたぁ。帰ってる最中に寝てるユウ君を見かけたから、起きるまで待ってたんだけど··········悪い夢でも見たの?」
「え?」
「だって、うなされていたから·········」
そう言われ、俺は見ていた夢を思い出す。あれは、一体誰だ?俺は彼女に何をされた?
「いや、何でもないよ。全裸の親父に追いかけ回される夢を見てたんだ」
「う、うわぁ·········」
「あ、そうだ。限定シュークリーム買ったんだよ。2個しか売ってなかったけどな」
俺は鞄の隣においてあった箱を開け、取り出したシュークリームをマナ姉に手渡す。爆睡していて何も盗まれなかったのは、ずっと居てくれていたマナ姉のおかげだろう。
「先に帰ってれば良かったのに」
「ううん、いいの。それよりありがとう、ユウ君。本当に買ってくれるとは思わなかったよ。クーポン落としていたからね」
「ま、まあ、気にせず食べてくれ」
俺も残ったシュークリームを取り、口に運ぶ。うん、やっぱり美味い。隣に腰掛けたマナ姉も、幸せそうにシュークリームを頬張っていた。何だか狼というより、リスみたいだ。
「あ、ユウ君。クリーム付いてるよ?」
「え、まじか────」
そんなマナ姉を眺めていると、不意にマナ姉が指で俺の頬を撫でた。そして、その指に付いたクリームを普通に舐めた。あれだ、間接キス的なやつだ。
『学園祭以降、2人は何だか恋人みたいなやり取りばかりしていたから。付き合ったばかりのカップルみたいな』
ヴィータに言われた事を思い出す。今のなんか、確かにカップルがやりそうな行為かもしれない。だけど、俺達は昔からこんな感じだった。マナ姉は俺の顔にソースやケチャップなどが付いていると、さっきみたいに指で取ってくれて────
「·········?どうしたの?」
「なんか今、猛烈に恥ずかしいんだ」
くそっ、何意識してるんだよ俺は。前までならなんとも思わなかった事でも、こんなふうに恥ずかしく思ってしまう。だけどマナ姉はいつもと変わらず、不思議そうに俺を見てくる。やっぱり、これは俺の片想いなのだろうか。
「ふふ、変なユウ君」
「そりゃどうも·········」
珍しく、今日はあまりこの時間帯に出歩いている人が居ないらしい。のんびりと2人で他愛もない話をしながら、心地よい時間は過ぎていく。
しかし、やはり終わりは訪れるもので。
「さて、そろそろ帰ろっか。お父さんからメールが大量に送られてきてたよ」
「おっと、俺もクレハから何件かメールが。一緒に帰らなかったけど、無事に帰宅出来てたんだな」
「あはは、クレハちゃんも子供じゃないんだから」
同時に立ち上がり、我が家を目指す為に肩を並べて歩き出す。別に、このままの関係でも俺はいい。こうしてマナ姉と一緒に過ごせるのなら、俺はこれで────
「ふふ、ようやく見つけましたよ」
その声は、俺達の真後ろから聞こえた。
「「ッ········!?」」
咄嗟に俺達は魔力を纏い、跳ぶ。よく見れば、先程まで俺達が座っていたベンチに、その男は座っていた。
「誰だお前は」
得体の知れない気配を漂わせるその男は、マナ姉と同じ白髪だった。しかし、黒いハットを深く被っているので表情は見えず、黒いコートで身を包むその姿は妙に不気味だ。
「君に用はありませんよ、ユウ・シルヴァ。用があるのはその女性、マナ・シルヴァです」
「私··········?」
「おや、僕が誰だか分かりませんか?ふふ、少しだけ寂しいですね」
「おい待て、お前は誰だと聞いている。こんな時間にそんな格好で俺の姉をナンパか?警告する、それ以上マナ姉に近付くな」
明らかに怪しいその男へ、俺は刀の切っ先を向けた。しかし、それでも男は全く怯まない。変わらず笑みを浮かべたままぼんやりと魔力を身に纏い、それを〝雷〟に変換してみせた。
「ふん、偽りの関係でその子を縛り付けるのか。やはり君達人間は生きる価値のない種族だね」
「は?お前、何を言って·········」
そこで気付いた。隣を見れば、マナ姉が肩を抱きながらガタガタと震えている。顔は青ざめ、大量の汗が彼女の白い肌を濡らし。そんなマナ姉は、食い入るように男を見つめていた。
「お、おい、マナ姉?」
「誰、なの········?知らないのに、知らない筈なのに········私は、貴方の魔力を知っている········」
「今はそれでいい。近いうちにもう一度僕達は会う事になる。その時を楽しみにしていますよ、神狼マーナガルム」
ダンッ、と。男は勢いよ地面を蹴り、跳躍して夜の闇へと姿を消した。訳が分からないが、今はあの男を追っている場合じゃない。
「マナ姉、大丈夫か?」
「················」
俯くマナ姉の肩に手を置く。やはりまだ体は震えており、汗も止まっていない。魔力が乱れたわけではなさそうだけど、一体どうしたというのか。
「そ、の、えっと、帰ろっか·········?」
「え··········」
「お父さん達、きっと心配してるもんね。ほら、行こう」
マナ姉が突然駆け出す。明らかに様子がおかしいので俺はマナ姉を止めようと思ったが、それよりも先に彼女は公園から出ていった。