57.ユウ・シルヴァ
「ユウ様、緊急事態です」
コツを掴み、魔力制御が上達し始めていた時。とても深刻な表情で、ティアーズはユウに声をかけた。
「オーデム魔法学園に、先日タロー様が仰っていた傭兵団、〝隻腕の巨人〟が現れたようです。そして、マナ様とクレハ様が敵と交戦しております」
「なんだと!?」
魔力を体内に戻し、流れる汗を気にすることなくユウはティアーズに駆け寄る。
「くそっ、何が目的だ!?」
「分かりません。ですが、マナ様の魔力が乱れています。このままでは··········」
「だったら救援に行く!」
「駄目です。今のユウ様では、マナ様達が交戦している敵に勝つ事は出来ません」
「なら親父達を呼び戻す!」
「タロー様達が居る空間とこの空間は異なる次元に存在しています。魔導フォンでの通話は不可能です。また、外に出ると次元の穴が閉じて此処に戻れなくなり、更にかなりの魔闘力を誇る傭兵達が学園内を俳諧している為、外に出て通話をしている時間もありません」
真剣な表情でそう言われ、ユウは足を止めた。
「じゃあどうしろっていうんだよ!こうしている間にも、マナ姉やクレハが殺されてしまうかもしれないんだぞ!」
「力を完全に取り戻すのです」
ティアーズが優しくユウの手を握る。学園の様子を魔法で確認しているティアーズも、今すぐ駆けつけたい衝動に駆られていた。しかし、マナをも圧倒する敵に、主にサポート系の魔法を行使する自分が勝てるとは思えない。だからこそ、ティアーズは目の前に立つユウに賭けたのだ。
「そんな時間は·········!」
「大丈夫、ユウ様ならきっと出来ます」
「っ、でも·········」
「大切な人を救う為に。貴方が力を求めるのは、そんな素敵な理由なのですから」
それを聞いた瞬間、ユウは目を閉じて魔力制御を開始した。言い合っている時間すら勿体無い。女神様が自分を信じてくれているのだ。最愛の姐と妹を守る為に。ユウは魂の奥底に眠る自らの魔力を呼び起こし──────
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(なんだこいつ、本当にユウ・シルヴァか?魔闘力は4000ちょっとじゃなかったのかよ···········!?)
百を超える戦場で暴れ回った最強の傭兵は、突如現れた少年───ユウを見て反射的に身構えた。一方ユウは、涙を流すクレハの前で膝をつき、彼女の傷を見て拳を握りしめる。
「ごめ、なさい········私········怖くて········姉さんが、殺されそうになっているのに········死にたくないって········」
失望されたと、見限られたと俯くクレハ。そんな彼女の頭に置かれたのは大好きな兄の手。恐る恐る顔を上げれば、ユウは優しく微笑んでいた。
「よく頑張ったな、クレハ」
「あ········うぅ、うあああん········!」
堪えられなくなったクレハは、兄の胸に飛び込み号泣した。それでもユウは頭を撫で続け、近くに倒れる姉のもとに向かう為、クレハを抱き抱える。
「ごめんなマナ姉。また遅くなっちまった」
「ううん、来てくれるって信じてたよ·········」
「ティアーズ、2人を頼む」
「了解です」
ユウの隣に現れたティアーズが、クレハとマナを光で包み込む。上位のものではないが、かなりの魔力が込められた治癒魔法である。それを見て立ち上がったユウ。しかし、突然ズボンの裾を掴まれて振り返った。
「クレハ?」
「兄さん、私も········戦います········」
「大丈夫だ。あとは兄ちゃんに任せて、ゆっくり休みなさい」
「っ、はいぃ·········」
一瞬でクレハの顔が真っ赤になり、彼女はそっと手を離した。どうかしたのかとユウは不思議に思っていたが、背後から殺気を感じて意識を切り替える。
「てめえがユウ・シルヴァか?」
「ああ、そうだ」
「わざわざ死にに来るとは馬鹿な男だぜ。ほら、剣を抜け。まずお前から好きに攻めてこいよ」
「ふん、こっちの台詞だ」
「────後悔しろやッ!!」
何か危険なものを感じたギルバードは、全力で大剣を地面に叩き付けた。放たれたのは魔力の斬撃。地面を抉りながら迫るそれは、一瞬でユウとの間にあった空間を消し去り、そして盛大に爆ぜた。
「はははははっ!調子に乗るなよ糞ガキが!どうだ、黒の盟主!俺は踏み台なんかにはならねぇ!この俺こそが最強なんだよ!」
舞い上がった砂埃が、段々と晴れていく。
「これで今回の任務は終わりだ!あの世で一生後悔してろ、この雑魚共─────」
「お前は子供か?暴言が初等部レベルだな」
「─────は?」
魔闘場に居る者全員が目を見開いた。煙の中から姿を見せたユウは、無傷。背後に座っているクレハも、そんな彼の背中を見てきょとんとしている。
手のひらを前に突き出した状態で立つユウが何をしたのか。それは、この場でマナだけが理解していた。
(ま、魔力を放って斬撃を消し飛ばしたんだ········)
ほんの一瞬、ユウの手のひらから放たれた凄まじい魔力。それはギルバードの斬撃と衝突し、互いに消滅。あのユウが、英雄タロー・シルヴァのような事をしてみせたのだ。
「て、てめえええッ!!」
「っ、兄さん避けて········!」
信じられないとでも言いたげに吠え、ギルバードが勢いよく駆け出す。そして、数多の猛者を葬ってきた大剣を、佇むユウの首目掛けて振るい─────
「な、あ·········!?」
鳴り響く金属音、砕け散るフィールド。咄嗟に抜いた刀と大剣が衝突───した訳ではない。信じられない事に、ユウはギルバードの一撃を素手で受け止めてみせたのだ。
「あ、有り得ねえ!今のは俺の全力だった!それを、魔力を纏わせただけの素手で────」
動揺するギルバードの顔面を歪めたのは、ブレる程の速度で放たれた強烈な蹴り。歯が肉に刺さり、砕け、血とともに宙を舞う。直後、ギルバードは目にも留まらぬ速さで吹き飛んだ。
「がっはあ!?」
「·········不思議な感覚だな。まるで、毎日この量の魔力を全てコントロール出来てたみたいだ。思った通りに体が動く。これまでの不可能が可能になってる」
「こんのガキがああああああッ!!!」
一瞬で距離を詰め、凄まじい腕力でギルバードが大剣を振り回す。しかし、その全てが掠りもしない。少し体を傾けただけで、少し体勢を低くしただけで、少し後ろに下がっただけで。誰もが恐れる剣帝の乱舞は、格下だと侮っていた少年を捉えることができない。
「す、凄い。あれが、兄さん本来の実力·········」
「大切な人達を守る為とはいえ、これ程短期間で魔力を制御してしまうとは。これもユウ様の才能ですね」
「あぁ、素敵過ぎます·········」
恐怖などすっかり忘れ、クレハは兄の勇姿を見てメロメロになっていた。彼女だけではない。絶望していた友人達も、教師達も、かつて落ちこぼれだとユウを馬鹿にした学生達も。
信じられない程の速度で動くユウを見て、誰もが目を輝かせていた。
「な、何故だ!?何故俺の攻撃が当たらない!」
「さあな」
「ぐがっ!?」
攻撃の最中、脚を蹴られてギルバードは派手にすっ転んだ。そのまま勢いよく地面をうつ伏せの状態で滑り、顔を上げれば目の前に冷たい瞳で自らを見下ろすユウが立っている。
「こういう戦い方は好きじゃないけど、お前は別だ。絶対に許さない。そのくだらないプライド、ズタズタにしてやるよ」
「うおああ!【破壊薙】!!」
「はあッ!!」
抜刀、そして一閃。恐ろしい程美しく輝く刀と衝突した大剣には僅かだがヒビが入り、呆気なく押し負けたギルバードは吹き飛んだ先にあった壁にめり込んだ。
「な、なんて魔力·········!」
「うっ、心臓が·········」
「クレハちゃん!?まだ傷が痛むの!?」
「いえ、兄さんがあまりにもかっこよくて·········」
「いつも通りのクレハちゃんだね·········」
銀色の魔力を身に纏うユウを、蕩けるような表情で見ているクレハ。そんな様子に内心ホッとしながらも、マナはユウの姿に目を奪われていた。
(良かった········本当に良かった········)
脳裏に浮かぶのは、どれだけ努力しても報われないと苦しんでいた過去のユウ。そんな彼に大丈夫、頑張ろうとしか言うことの出来なかった自分。
涙で視界がぼやける。それは、溢れ出た数年分の嬉しさ。ずっと隣でユウを支えてきたからこそ、マナは嬉しくて仕方なかった。
(これまでの努力は、無駄じゃなかったんだね·········)
ティアーズの魔法で魔力が落ち着き始めたマナの視線の先、凄まじい魔力を纏い刀を構えたユウを見て、ギルバードは明らかに動揺していた。
「畜生が!何がどうやってやがる、黒の盟主!てめえが言ってた情報と全然違うじゃねえかよ!」
「黒の盟主?お前、その人物と関わりがあるのか?」
「黙れ!もういい、茶番は終わりだ!」
勢いよく跳躍し、大剣を振り上げたギルバード。
「叩き潰してやるよ、ユウ・シルヴァッ!!」
「【加速】」
しかし、それが振り下ろされるよりも先に、彼よりも高く跳んだユウが障壁を蹴り、真上からギルバードを踏んで落下させた。更に魔力を放って自身も急降下し、立ち上がろうとしたギルバードを再度踏みつける。
「ごああっ!?」
「クレハの胸元に深い傷があった。お前が斬ったからだ。跡が残ったらどうするつもりだ?」
蹴り飛ばされ、地面を転がったギルバードは体勢を立て直すのと同時に駆け出し、ユウの首目掛けて大剣を振るう───が、気が付けばユウは目の前に居らず。
「マナ姉の首には痣があった。お前が首を絞めたからだ。二人共女の子だぞ?何を考えてるんだよお前」
後頭部を殴られ、前のめりに転倒。それの一撃で怒りが頂点に達し、鬼の形相でギルバードは振り返る。しかし次の瞬間、彼は凍りついたかのように硬直した。
無表情で自分を見下ろすユウが、鬼や悪魔よりも恐ろしく見えたのだ。猛者だからこそ分かる、ユウの強さ。これまで対峙してきた相手全員を上回る、圧倒的なプレッシャー。
「う、うおああああああ!!」
後方に跳び、どす黒いオーラをギルバードは身に纏う。
「俺は前よりも更に強くなった!人を超越したんだ!ただの人であるお前に、俺が負ける筈ないんだよォ!!」
「感情喰らい·········!」
そして、ユウの前に悪魔が姿を現した。以前アトラル古代遺跡でマナが殲滅した歴史書の悪魔、煉獄のアビスデーモン。全身から様々な剣が生えているが、それ以外の見た目はほぼ同じである。
『はははははっ!どうだ、俺は自らの意思で魔人化出来る!この状態の俺は無敵だ!あの剣聖にも劣らない───いや、それ以上の強さなんだよ!』
「はあ?馬鹿言え────」
変貌したギルバードを見て誰もが震え上がる中、ユウは表情一つ変えずに力強く踏み込み────
「俺にすら勝てない奴が、母さんに勝てるわけないだろ?」
『え··········』
大木のように膨れ上がったギルバードの右腕が、鈍い音を立てて地面に落ちた。
『なああああああああッ!?』
放たれた斬撃が、腕を豆腐のように斬ったのだ。黒い血が滝のように流れ落ち、ギルバードは肩を押さえながらよろりと後ずさる。
『な、何をしやがった!?この俺が目で追えなかっただと!?そ、そんな事があるわけ·········!』
「ゴチャゴチャうるせえよ!!」
顎を蹴り上げられ、ギルバードの巨体が浮き上がる。更にそんな状態で腹部に掌底を叩き込まれ、彼は血を吐きながら吹き飛んだ。
宙を舞いながら、剣帝は訳が分からず何故こうなったのかと考える。隻腕の巨人団長として長年様々な国を駆け回ってきたが、彼自身が敵に敗れた事など1度も無かった。
しかし、何だこれは。何故自分は今宙を舞っている?何故自分は今血を吐いている?何故右腕が無くなった?何故格下だと思っていた相手に怯えている?
『有り、得ねえ·········!』
これは現実ではない、悪夢だ。そう自分に言い聞かせながら、ギルバードは壁に衝突する。
『負ける?この俺が··········?』
小刻みに震える左手を見て、ギルバードは凄まじい魔力を纏った。このままでは、終われない。
『ユウ・シルヴァアアアアッ!!』
「ふッ─────」
左腕が巨大な剣に変形し、駆け出したギルバードがそれを振るう。しかし斜めに跳んだユウには当たらず、壁を蹴って加速したユウの肘がギルバードの頬を歪めた。
『てめえだけは殺す!必ず殺す!死んだ方がマシな地獄を見せてからぶっ殺してやる!!』
「黙ってろ!」
『ぎゃあ!?』
太股を斬られ、巨体が傾く。それでもギルバードは直後に放たれた斬撃をギリギリでかわし、諦めたのかその場から動こうとしないユウに左腕の剣を振り下ろす────その瞬間、ギルバードの背中から大量の血が噴き出した。
『ぐああああッ!?』
派手に転倒し、訳が分からないとでも言いたげにユウを睨むギルバード。そんな彼に、ユウは自分が何をしたのかを説明する。
「放った魔力の刃が空中で軌道を変え、背後からお前を斬った········それだけだ」
『あぐ、ううぅ·········』
「おい、どうした剣帝ギルバード。殺す?潰す?茶番は終わり?ほら、やってみろよ··········!」
言葉と表情から感じるのは凄まじい怒り。ビリビリと肌で感じる殺気はギルバードの戦意を根こそぎ奪い、ユウが一歩前に踏み出しただけで腰を抜かす。
『ま、待て、殺さないでくれ·········』
「あ?」
『頼む、降参だ!見逃してくれぇ!』
みっともなく喚くギルバードを、ユウは暫く冷めた瞳で見つめ続け────
「·········ふん、仲間を連れてとっとと失せろ」
「に、兄さん!?」
無防備にも背中を向け、治療を終えた姉妹のもとへ歩き出す。プライドは最早ズタズタだが、それこそがギルバードの狙いだった。ユウという少年の甘さは事前に黒の盟主から聞いている。その弱みを、最大限に利用させてもらう。
『馬鹿め、死ねやァッ!!』
「っ、ユウ君避け───」
駆け出したギルバードの大剣が無慈悲にも振り下ろされ、最悪の光景がマナとクレハの前に広がる·········事はなく。
「ああ、だろうな」
『へ─────』
くるりと振り返ったユウの、先程とは比べ物にならない威力の回し蹴り。それは大剣がユウに触れるよりも先にギルバードの顎を粉砕し、猛スピードで回転しながらギルバードは地面に墜落した。
「か、は··········」
魔人化が解けたギルバードは、今度こそ動けなくなった。そんな彼を心底呆れたように睨んでから、ユウは震えているマナとクレハを勢いよく抱き寄せる。
「きゃっ、兄さん·········!?」
「ど、どうしたの·········?」
「ごめん、戻ってくるのが遅れて。でも、無事で良かった·········!」
顔が真っ赤になっているが、マナとクレハは同時に頬を緩める。好きな人が自分達の危機に颯爽と駆けつけ、恐ろしい敵を圧倒してみせたのだ。それはもう、惚れ直して当然だろう。
「ユウ様、お見事でした」
「悪いなティアーズ。心配かけちまって」
「いえ、ユウ様の戦う姿は本当に格好良くて────」
「お、お前らああッ!!」
戦いは無事に終わった········誰もがそう思った直後、仰向けに転がるギルバードが血を吐きながら叫んだ。
「殺せ!観客席にいるガキ共を殺せぇ!」
「なっ·········!」
流石のユウも、それには目を見開いた。
「ははははっ!残念だったなユウ・シルヴァ!全員道連れにしてやるよォ!!」
「チッ、クソったれが!」
急いで魔力を纏ったが、恐らく間に合わない。ユウの視線の先で、1人の傭兵がとある少女の首元にナイフを押し当てる。
「っ、ヴィータ!!」
その少女は微笑んでいた。そのナイフが自らの首を深く抉るその時まで─────
「おいおい、留守中に随分好き放題してくれたもんだ。今日の会議はお前らへの対策が中心だったんだぞ?」
突如全ての傭兵達が空高く吹っ飛ぶ。何が起こったのかと目をぱちくりさせるヴィータの隣に現れた、まだ幼さの残る顔つきの女性。彼女は紫色の長髪を雑にかきあげた後、やれやれと溜息を吐いてユウに目を向ける。
「たーっぷり説明しろよ?ユウ」
「学園長··········」
こうして、隻腕の巨人オーデム魔法学園襲撃事件は幕を閉じた。




