51.嗤う影
「マナ姉、口開けて」
「ん、ありがとう·········」
アトラル古代遺跡から帰ってきた俺とクレハ。現在は2人でマナ姉の看病をしている最中で、俺が差し出したお粥の乗ったスプーンを、マナ姉はゆっくりと咥えた。
「ごめんね、ユウ君·········」
「いつも言ってるけど、別に気にしなくていいって。困った時はお互い様、それがシルヴァ家だろ?」
「うん·········」
熱のせいか、マナ姉の頬は赤い。それによく見れば汗だくである。クレハが戻ってきたら、濡れタオルで体を拭いてあげるように伝えよう。そう思った直後、
「お待たせしました、兄さん」
「おっ、ナイスタイミング」
水の入った桶と、タオルを手に持ったクレハが部屋の中に入ってきた。
「クレハ、マナ姉の体を拭いてあげてくれないか?」
「そ、それぐらい自分でやるよ·········?」
「ふふ、名案ですね。それでは兄さん、姉さんの体を拭いてあげてください」
「「えっ!?」」
「食器類を片付けてきますね?」
マナ姉が食べたお粥の入っていた皿や、スプーンなどを持って部屋から出ていったクレハ。残された俺達はどうしたらいいのか分からず気まずい空気が暫く流れたが────
「背中、拭いてくれる·········?」
「な ん だ と」
「ユ、ユウ君だから、嫌じゃないよ·········?」
まさかマナ姉の方から拭いてと言ってくるとは。それだけ汗だくの状態が嫌だということか·········。
「よ、よし分かった。服、脱いでくれるか?」
「へっ!?」
「あ、いや、変な意味じゃなくてですね。そうしないと拭けないといいますか·········」
「そ、そうだよね。うん、分かった」
目の前で、マナ姉がパジャマをグイッと────
「ちょっと待った!後ろ向くから!」
マナ姉の下着を真正面から一瞬見てしまったが、俺はすぐに背中を向けた。以前とは違う、好きだと自覚した相手の下着姿はまずい。確かにこれ以上無い程幸福感は味わえるだろうが、理性を保てるかどうか不安なのである。
「···········」
「···········」
「······もういいか?」
「う、うん」
とりあえず振り返る。まず目に飛び込んできたのは、マナ姉が付けているピンク色の下着。そして、汗で濡れた白い背中。こちらに背を向けてくれていて助かった。今、自分がどういう顔をしているのか分からないからな。
「じ、じゃあ拭くぞ?」
「ひゃっ!?」
恐る恐る濡れタオルを背中に当てると、驚いたらしいマナ姉の肩が跳ねた。
「ご、ごめん!冷たくて、びっくりしちゃって」
「あ、ああ··········」
ゆっくりと、マナ姉の背中を拭いてあげる。まだ魔力は乱れており、時折その痛みに耐えられずにマナ姉は声を出す。それを聞くと、俺が変なことをしているような気持ちになって気まずいんだが。
(それにしても、肌綺麗すぎだろ·········)
改めて、姉の凄さが良く分かる。普段髪や肌の手入れをしているところを滅多に見ないが、何もかもが恐ろしい程綺麗だ。
髪は光を反射して美しく輝き、いつも頭を撫でた時はそのサラサラっぷりに驚かされる。肌も、女性なら誰もが羨むレベルだろう。そして俺が一番釘付けになってしまっているのは、マナ姉のうなじである。
これまで凝視などした事のなかった、姉のうなじ。拭きやすいように髪を二つ括りにしているのでよく見える。なるほど、俺はうなじフェチだったのか。
「ユウ君·········?」
「すまん、魅力に勝てなかった」
止まっていた手を再び動かす。途中でタオルを水に浸け、絞ってから再度背中を拭く。当然だが、前も拭きたいという欲求はある。しかし、流石にそれはマナ姉も嫌だろうし、何より俺が耐えられない。などと思っていた次の瞬間、
「よいしょ·········」
「な ん だ と」
突然マナ姉がこちらを向いた。予想外の行為に俺は動けず、思考が停止しかける。程良く育っているなと思っていた胸は、こうして見ると想像以上にでかい。母さんやクレハには劣るが········マナ姉は着痩せするタイプだったのか。
「あ、あの、マナさん。どうしろと?」
「えっ?ふ、拭いてもらおうかと·········」
「待て待て待て!落ち着け、冷静になれ!」
なるほど、熱のせいだな。拭けと言われてどこを拭く?腕や首元、お腹まわりを拭いたとする。胸もか?その素晴らしい果実も拭けというのか!?
「駄目·········?」
「·········いいだろう」
俺も男だ。そのような目で見つめられると、もうどうしようもない。覚悟を決め、まず俺はマナ姉のお腹から────
「おい、何をしてる」
「ひいッ!?」
凄まじい殺気、そして魔力。全身から汗が流れ出し、手足がガタガタと震え出す。恐る恐る振り向けば、鬼神と化した親父が扉の前に立っていた。その背後には、頬を赤く染めて口元に手を当てている母さんが立っている。駄目だ、勘違いされた。終わった!
「病人を襲う変態に育てた覚えはないぞゴラァッ!!!」
「違うんですッ!!」
その後、俺は生死の境目を見てから無事に生還した。
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「ふふ、また面白い事をしているなぁ、彼は」
寂れた教会の中、割れたガラスの隙間から差し込む光に照らされながら、悍ましい魔力を全身から放出しているローブの人物───黒の盟主はくすりと笑った。
「おい、盟主さんよぉ。俺達の出番はまだなのか?」
そんな黒の盟主に話しかけた人物が1人。椅子に腰掛け、大剣を担いだ男。筋肉で盛り上がった腕や頬には深い傷跡が幾つも存在し、彼が歴戦の猛者であることは一目瞭然である。
「そう焦るものではないよ。君もロイドのようにはなりたくないだろう?」
「あー、そんな奴もいたっけなぁ」
「勝手に暴走した挙句、英雄の怒りを買って惨敗。正直処分しても良かったけど、駒は多いに越したことはないからね」
「ふん·········」
男は、僅かながら恐怖を感じていた。彼の名はギルバード、王国に隣接しているエリュシオン帝国で最凶との呼び声高い傭兵団〝隻腕の巨人〟団長であり、【剣帝】と呼ばれている武人である。
圧倒的な力で敵を蹂躙し、参戦した戦いで彼らを雇った陣営が敗北した事は一度もない。それ程までに強大な傭兵団を率いる彼が、自分よりも小さな人物相手に少しとはいえ恐怖したのだ。
平然と、人を駒と言える存在。自分も人の事は言えないが、黒の盟主からは情や心が一切感じられない。恐らく、最凶の傭兵でさえもただの駒としか見ていないのだろう。
「彼には越えてもらわないと。黒の盟主という存在を·········滅びを齎す世界の意思を。だからこそ、君達が動くのさ。それで死んだら、彼はその程度だったという事」
「踏み台になれと?帝国·········いや、この世界最凶の傭兵団である俺達隻腕の巨人に?」
流石に怒りを覚えたギルバードが、魔力を放ちながら立ち上がる。そして、静かに佇む黒の盟主を睨みつけた────が。
「そうだよ、これは〝命令〟だ」
「ッ────!?」
突如場を満たした死の気配。氷のように冷たい死神の鎌が、ギルバードの首元に押し当てられる。
気が付けば、黒の盟主はこちらを向いていた。初めて見る、フードの下の素顔。瞳が最凶の傭兵を捉え、凄まじい殺気が彼の全身を襲う。不気味な程に口角が上げられており、ギルバードはそれを見た途端に震え上がった。
「わ、分かった。従おう··········」
「君は賢いね。だからこそ、これまで戦場で生き残れてきたのかな?」
今、違う発言をしていれば終わっていただろう。生まれて初めて味わった、体の芯まで凍てつくような死の恐怖。怯えたように震え続けるギルバードの隣を、変わらず不気味な笑みを浮かべたまま、黒の盟主はゆっくりと通り過ぎる。
「日程は渡した情報通り。学園からソンノ・ベルフェリオ、そして魔界の2人が消えた時を狙ってね。魔力遮断フィールドさえあれば、英雄達は誰1人として異変に気付かないから」
「いいだろう、全ては世界の為に」
「終わりと始まりを迎える為に」
影が渦巻き、黒の盟主の姿が消える。そして、恐ろしい程の重圧から解放されたギルバードは、息を整えながら椅子にもたれかかった。
「っはぁ〜、なんだよあの化け物は。いよいよ退屈なこの世界も終わりってわけだな··········」
天井を見上げ、彼は笑う。
「ククッ、面白くなってきやがった。お前も楽しみにしてろよ?ユウ・シルヴァ。可愛い姉妹共々可愛がってやるからよぉ········!」
マナ「積極的に攻めろってクレハちゃんに言われたから、自分なりに攻めてみたつもりだけど········ごめんなさいユウ君、お父さんが帰ってきたのは予想外だったよ········」