45.特別講師は魔王様
「う、うぅ〜〜〜〜〜〜!」
まだ日が昇りきっていない時間帯。普段なら静かな部屋の中で、苦痛に耐えるマナ姉の声が耳に届く。寝巻きは汗でぐっしょりと濡れ、俺の服を掴むマナ姉の体温は異様に高い。
「マナ姉、ちょっとだけ飲めるか?」
「う、ん········ありがとう」
ぽろぽろと涙をこぼすマナ姉に水を飲ませてやり、額に置いていた濡れタオルを冷たいものと交換する。その間もマナ姉は非常に苦しんでおり、弱りきった姿を見ていると胸が締め付けられた。
マナ姉が学園に復帰してから3週間後、唐突にマナ姉は学園で倒れた。原因は、ロイドの手で限界まで魔力を乱されたことによる後遺症。魔力が突然乱れ、体の中をかき混ぜられているような激痛と、それによる熱でマナ姉は1日ずっと苦しんでいた。
暫くすると症状は収まるものの、何日か普通に過ごすと再び魔力が乱れ出す。怪我をしても風邪をひいてもケロッとしていたマナ姉が、こうして号泣するレベルの激痛だ。それでも薬などは存在しないので、自然と落ち着くのを待つしかない。
「熱は下がってきてるから、もうちょっとだけ頑張ろうな」
「うん·······ユウ君、ごめんね。まだこんな時間なのに·········」
「気にするな。授業中に寝るから」
「そ、それは駄目だよ········」
それから数分後、マナ姉は穏やかな寝息を立て始めた。まだ体温は高めだが、このまま寝ていればマシになるだろう。
「···········」
憎い、たまらなくあの男が───ロイドが憎い。あの男さえ居なければ、マナ姉がこんなにも苦しむことなんてなかったのに。とっくの昔に親父に討たれた、だけど怒りは収まらない。もう一度地獄から引きずり出して、斬り裂いてやりたい。
「おやすみ、マナ姉」
マナ姉の頭を軽く撫で、部屋から出る。結局マナ姉を守ると言いながら、あの時親父達が来なかったら殺されていただろう。勿論、守らなければならないマナ姉諸共。
もっと強くならなければ。今のままでは絶対駄目だ。剣聖になれなくても、せめてマナ姉やクレハだけは、今度こそこの手で守ってみせる。
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「なあ、聞いた?特別講師が2人来るって話」
学園に着いて席につくと、隣の席のリースがそんな事を言ってきた。話には聞いていたが、どんな人が来るのかは分からない。
「2人共魔法の天才らしいで」
「そうなのか。どうでもいいけど」
「もー、どうせ魔法じゃなくて剣術を教えろ!とか思ってるんやろ?」
「うっ·········」
「ほんま脳筋やなぁ」
図星だが、俺は剣士だ。剣に関する魔法なら教わりたいが、この学園で剣術の授業は殆どない。まあ、俺には母さんという師匠がいるからいいんだけど、基本的に学園で受けるのは興味の無い授業ばかりなのでとにかく眠いのだ。
「た、たた、大変よ!」
朝早く起きたこともあり、既に寝ようかと考え始めていた時、突然エリナが息を乱しながら教室の中に駆け込んできた。そんな珍しい光景にクラスの皆は驚いていたが、彼女に続いて教室の中に入ってきた人物を見て、全員が硬直する。
「ん?何よ、全員目を点にしちゃって」
「あはは、緊張してるのかな?」
1人はライトブルーの長髪を二つ括りにし、黒のゴシックドレスに身を包んだ少女。もう1人は肩ほどまで伸ばした深い青の髪が大海を連想させる、着物姿の女性。まあ、姉妹のように見えてほぼ同い年らしいが。
しかし、この世界に生きる者なら誰もが知っている彼女達。魔族という種族の頂点に君臨する、魔導を極めた者────
「自己紹介する必要はないと思うけど、一応聞いておきなさい。私はベルゼブブ、魔界を支配している大魔王よ」
「皆さん初めまして。私はディーネ、水の魔王です」
「「「えええええええッ!!?」」」
当然の反応である。
「そこの術式をこんなふうに書き換えてみて·········うん、よく出来ました。これでウォーターバイトが起動するよ」
1人の男子生徒に、クラス中から嫉妬の視線が集まっている。何故なら、水魔法の起動方法が分からないからという理由で、あのディーネさんから個別に指導してもらっているからだ。
教える際の距離感は近く、先程から彼はディーネさんの胸を何度もチラ見しては顔を赤くしており、最早授業どころではないだろう。羨ましい、非常に羨ましいぞ。
何より、ディーネさんの教え方はマナ姉に匹敵するレベルでわかりやすい。それにとても優しく教えてくれるので、クラスの男子達は既にディーネさんの虜となっていた。
「あはは、凄い人気だね」
「さ、流石魔王様やね。ウチ、緊張しちゃって授業どころじゃないわ·········」
「ああ、ディーネさんは素晴らしい人だからな。それに比べてベルゼブブさんは·········」
そんなディーネさんから向こうに立つベルゼブブさんに視線を移すと────
「は?そんなのも分からないの?ほら、ここをこうしてこうするのよ。これでスカーレットノヴァが発動して、街が一つ消えるわ」
何を言ってるのか全然分からないし、俺達程度が大魔王様の切り札を使えるわけないということにいい加減気づいて欲しい。容姿は本当に可愛らしいのに、色々と残念な人だ。
「ちょっとユウ、殴るわよ」
「この距離で心を読まないでください」
その後も授業は続き、全員が規格外な人達から様々な魔法を教わった。そして放課後、俺は学園長室に呼び出されたので、速攻で荷物を片付け教室を出る。
「え、親父?」
「おっす、真面目に勉強してるか?」
何故か学園長室には親父が居た。それにソンノ学園長、ディーネさん、ベルゼブブさんという伝説級の人達が勢揃いだ。思わず額に汗が滲み、緊張で僅かだが手が震える。
「すみません、遅れました」
「失礼します··········」
「なっ、マナ姉!?」
そして、母さんとマナ姉までもがやって来た。まだ安静にしていなければならない筈なのに、どうしてマナ姉が此処に?
「大丈夫だよ、ユウ君。もうある程度痛みは引いてるから」
「で、でも·········」
「集まったな。じゃ、早速話をさせてもらう」
俺の心配をよそに、学園長が口を開いた。途端に緩んだ空気が一気に引き締まり、緊張感が一気に高まる。
「まず、学園の教師だった変態野郎───ロイドについてだ。奴は結局一連の騒ぎの黒幕的存在だったわけだが、その目的はマナを手に入れる為。狂った愛が招いた悲劇だな」
「··········」
あの時のことを思い出したのか、マナ姉の顔色は少し悪い。やはりあれは、マナ姉にとってトラウマとなっているのだろう。
「そこの英雄親子の手で奴の計画は破綻した。しかし、まだまだ謎は多い。何故奴は、これまで確認されていなかった〝感情喰らい〟という魔物を所持していたのか。何故魔物を取り込み力を完璧にコントロールすることができたのか。くくっ、興味が尽きないな」
「島で拘束したディオから色々聞き出そうとしているけど、全然口を割らないのよねぇ。まあ、一つだけ·········〝影から力を得た〟とか、よく分からないことを言っていたわ」
「ま、タローが消し飛ばしたから本人から聞くことは不可能だ。今後は奴の研究室や別館地下などを調べながら、感情喰らいについて調査していくからよろしく頼む」
全員が頷いたのを確認してから、学園長は俺を見てきた。
「次に、今回の事件の中心人物であるユウとマナについてだ。ユウ、お前魔力を暴走させたらしいな」
「それは、前に1度説明した筈ですけど··········」
「お前は魔力が暴走したと言った。私が聞いているのは、あの時お前は意図的に魔力を暴走させたのかどうかだ」
殺意を抱くことで魔力を暴走させることができる。それは、親父や母さんにも言っていないことだ。
「まあ、はい。暴走、させました」
「最初から素直にそう言え馬鹿。意図的に魔力を暴走させるなんて、お前以外には誰も出来ない。それは確かに破格の力なのかもしれないが、マナから聞いた話でその時の状況を分析してみた結果·········あのままだとお前、魔力に呑まれて死んでたぞ」
「··········」
そうだろうな。あそこまで魔力が暴走したのは初めてだし、途中から意識も朦朧とし始めていた。まるで、自分が別の誰かに変わっていくような感覚。そんな俺の暴走を止めてくれたのは、他でもないマナ姉だ。
「ま、お前の気持ちは分かる。ただ、魔闘力が低いお前がそれ程までの力を発揮できるレベルの暴走は危険だ。ふとした拍子に暴走してしまった場合、取り返しのつかないことになる可能性もあるだろう」
「それは·········」
「ふん、そこでその2人の出番ってわけだ」
ベルゼブブさんとディーネさんが、俺とマナ姉の前に立つ。
「光栄に思いなさい、シルヴァ姉弟。ユウの魔力が暴走しかけた時や、マナに手を出そうとする輩が居た場合、私達がそれを阻止してあげるわ」
「いつでも対処できるように、私達は学園の特別講師として招かれたの」
「じ、事情は分かりましたけど、そんな事の為に大魔王と魔王である2人が来るなんて··········」
「そんな事?馬鹿ね、貴方は事の重大さがまるで分かっていないわ。失礼かもしれないけど、魔闘力4000ちょっとの貴方がそこそこ有名な傭兵団を単独で壊滅させたのよ?暴走によってどれほど魔闘力が上昇していたのか、万が一学園内で暴走してしまったら·········色々考えてみなさい」
そう言われて言葉に詰まった。そんな俺を庇うようにマナ姉が何かを言おうとしたが、そんなマナ姉をベルゼブブさんは指さす。
「貴女も、自分がどれだけ弱っているか理解しているの?もしユウ達が居ない場所で魔力が乱れ、そんな状況で襲われたら?もしロイドに仲間が居て、別の理由で貴女を狙っていたのだとしたら?」
「それは、そうかもしれませんけど·········」
「大丈夫だよ。もしユウ君がふとした拍子に暴走しても、私達が全力で止める。マナちゃんが危険な目に遭っても、私達が全力で守る。その為に来たからね」
ニコッと笑ったディーネさんは、やはり女神だった。
「それに、ベルちゃんったらソンノさんに今回の件を依頼された時、〝業務をサボれる!〟とか言って喜んでたし」
「なっ、それは今関係ないでしょう!?」
「まあ、魔界はフレイ君達に任せておけば大丈夫だと思うけどね。何かあってもソンノさんの転移魔法ですぐ戻れるから」
「だからこそお前達を選んだのさ」
眠そうに伸びをした後、突然学園長はニヤニヤしながらマナ姉に目を向けた。あれは、ろくでもないことを言う時の目だ。
「ところでマナ。お前、さっきから何度もユウのことチラ見してるけど、どうしたんだ?」
「ふえっ!?なな、何でもないですよ!?」
「ソンノさん、あまり娘をいじめてあげないでください」
「昔はテミスのことも、こうやっていじってたっけなぁ。はは、似た者親子め。ま、後日保存されてた映像は見たけど、確かに格好良かったぞ。お前もそう思うだろ、ユウ」
今度はニヤニヤしながら俺を見てくる。
「まあ、そうですね。親父って普段はだらしないですけど、流石は英雄というか··········」
「駄目だこいつ。そういうところは昔のタローにそっくりだな」
今度は呆れたように見てきた。いつもそうだけど、俺は返事を間違っているのだろうか。少し不安になりながらも隣を見れば、何故か顔が赤くなっているマナ姉と目が合う。
「どうした?」
「い、いや、その·········」
「何イチャイチャしてるのよ」
「あはは、青春だね」
それから暫く話し合いは続き、最終的に日が暮れるまで俺達は学園に残ったのだった。