40.心の崩壊
「────ぅ」
重い瞼を開くと、突然腹部に激痛が走った。それによって意識は完全に覚醒し、思わずマナは顔を歪める。
そこで気付いたのは、手足を鎖で繋がれ身動きが取れないということ。腕は天井から垂れ下がった鎖に、足は床に付いた鎖に繋がれている。立った状態なので痛みに呻いても座ることはできず、彼女は僅かに身じろぐことしかできなかった。
「おや、起きましたか」
「っ、ロイド先生·········」
不気味な笑みを浮かべるロイドを見た瞬間、マナは顔を真っ青にしながら震え上がった。自分を別館へと誘導し、そして背後から刃物を突き刺した男。ずっと信じていた彼に裏切られたなど、まだ彼女は信じることができなかった。
「あぁ、ようやくこの時が来ましたね。少しだけ予定が早まってしまいましたが、まあ気にする事はありません」
「ど、どうして·········」
「はい?」
「どうして、こんな事を────」
ゆっくりと歩み寄ってきたロイドが、混乱するマナの首を掴む。そして信じられない程の力で首を絞められ、マナは声にならない悲鳴を上げた。
「っ〜〜〜〜〜!?」
「貴女の為に決まっているじゃないですか」
意識を失う直前で首を離され、涙目になりながらマナは咳をした。そんな彼女を見つめながら、ロイドは更に笑みを深める。
「私はね、貴女を愛しているんです。昔から知っていましたよ。英雄タロー・シルヴァと共に世界を救い、様々な雷魔法を生み出した神童。まだ小さかった頃から成長して立派な大人の女性となった今まで、私はずっと貴女を見てきた」
どす黒い負のオーラがロイドの体から溢れ出す。
「私は貴女が欲しかったんですよ。しかし、普通の方法では決して貴女は私を見てくれない。だからこそ、私は得たこの力を使って貴女の心を砕こうと思った」
「それ、は········」
「まず、死刑囚を連れ出して地下迷宮に放った。そこで生徒達が傷つけば、駆けつけるのが遅れた貴女は自分を責めると思ったから。次に、エリナ・エレキオールに接触した。クレハ・シルヴァに敗北して凄まじい負の感情を抱いていた彼女は簡単に堕ちましたよ。そのまま学園内で暴れれば、きっと彼女は英雄達の手で駆逐され、あとで彼女の正体を知った貴女は壊れると思ったから」
「何を、言って········」
「次はアーリア・アネストでしたね。ユウ君に好意を寄せていた彼女は問題児達を相手に魔人化、ユウ君が死ぬ事が理想だったのですが、まさか無事に帰還するとは思いませんでした。ちなみに、無人島で魔族が放ったという感情喰らいは私が渡したものではありません。ですが、程よく貴女の心にヒビを入れることはできたようだ」
楽しげに腕を広げながらロイドは語り、汗を滝のように流しながらマナはガタガタと震える。
「そしてこの前のユリウス・バルトリオ。クレハ・シルヴァは激怒していましたが、貴女は案外冷静できたね。クク、それでも内心動揺していたそうですけど」
「どうして!?」
マナの叫びが響いた。よく見ればかなり広い場所に連れてこられたらしく、何故か数人の魔族の姿も確認できる。
「ロイド先生が、そんな事をする筈ありません!」
「いや?こう見えて私、目的の為なら手段を選ばない男でして。それに、貴女が嫉妬している所にタイミング良く私が現れたのも、全て狙っていたからですよ」
「え········?」
「そうすれば、必ずユウ君は嫌な思いをしますからねぇ!そして、彼に冷たく見放された貴女は強い負の感情を抱き!感情喰らいに寄生され!私の思うがままにコントロールできた筈だったんです!しかし、私は考えを改めました!」
ロイドの手がマナの頬を撫で、彼女を寒気が襲う。自分を見つめるロイドの瞳は、これまでとは違って恐ろしい程濁っていた。
「それでは駄目だったんです!やはりマナ先生にはマナ先生のままでいてほしいから、しっかりと意識がある状態で完璧に支配しなければ!」
「ひっ!?ああああああああああッ!!?」
肩に置かれた手のひらから、凄まじい量の魔力がマナの体内に流れ込む。その魔力はそのまま体内で暴れ回り、耐えられずにマナは叫んだ。
しかし、それでもロイドは魔力を流し込むのをやめない。それどころか、マナが苦しむ様子を見て余計に興奮したらしい。肩を小刻みに揺らしながら笑い、更に魔力を流し込む。
「いやああああッ!!い、痛い!!お願いします、もうやめてえ!!」
「あぁ、ああああ!良い、とても良いよマナ先生!ふひ、ひひひっ!私に絶対の忠誠を誓うと言えばやめてあげますよ!?」
「なん、で、そんな事────あぐっ!?がはっ、ゲホッ········!」
「おっと、吐いてしまいましたか。口からは涎まで垂らして········でも大丈夫。私はマナ先生がどれだけ汚れていようと、必ず愛することができますから」
狂っている。この男は正真正銘の屑である。意識が吹っ飛びかけても更なる激痛で強制的に目は覚め、再び激痛に襲われる。体の内側から身を引き裂かれるような、体内で内臓が破裂してしまったかのような········それ程の激痛が全身を駆け抜ける。
「なんで!?どうしてですか!?ロイド先生が、ソンノ学園長が言っていた感情喰らいを意図的にばら撒いていた人物!?そ、そんなの嘘ですよね!?」
「いいえ、真実です。貴女が私にその話をしてした時、あまりの無防備さに笑いをこらえるので必死でした!貴女は他人を信頼し過ぎている。だからこうして裏切られた時、こんなにも簡単に壊れてしまうんですよ!」
「あ、うぅ········」
マナにとって、それは地獄のような時間だった。しかし、どれだけ魔力を流し込まれても、屈することだけはしない。まだ彼女はロイドを信じていた。だからこそ、涙を流して恐怖に震えながらも、顔を上げたマナは笑っていた。
「ロ、ロイド先生、お願いします········私、絶対誰にも言いませんから、だから········」
「おかしいですねぇ。これでも折れないなんて。仕方ありません、もっと綺麗な場所でしようと思っていた行為ですが········あ、心配しないでくださいね。私も初めてなので」
そう言って服を掴まれた直後、マナはロイドが何をしようとしているのかを理解して固まってしまった。かろうじて形を保っていた心が音を立てて砕け散る。
「ひ、ぁ········や、やめて········」
「貴女が私に服従すればいいだけです。ほら、早くしないと痛い思いをするだけですよ?」
「い、嫌!お願いします、私、本当に初めてで!やだぁ·········!」
「だったらどうすればいいと思いますか?」
「分かりました!誓います、誓いますからぁ!そ、それだけはやめて!誰か助けてぇ!」
パニックに陥ったマナは必死に助かる道を探し、そして最も言ってはいけない事を言ってしまった。
「ユウ君、助けて········!」
「───あ゛?」
ユウという単語はロイドにとって爆弾であった。豹変したロイドに首を掴まれた瞬間、これまでとは比べ物にならない程の魔力を体内に流し込まれ、マナは体を痙攣させながら叫ぶ。
「ふ、ぐ、うぅ········」
「はぁ、はぁ········く、くくくっ」
そんな時間がどれだけ経過しただろうか。やがてマナは消え入りそうな声で呻くだけになり、負傷していた腹部からは再び赤い血が流れ出していた。
「ああもう、やってしまった。貴女がこんな状況でも彼に助けを求めるから悪いんですよ。でもいいです。これでもう二度と、私には逆らわないでしょうから。さあ、私の名を呼んでください。そして永遠の愛を誓いましょう」
頭の中は真っ白になり、最早ロイドが何を言っているのかさえ聞き取れない。しかし、それでもマナは、震える口を動かして呟いた。
「ユ、ウ、くん·········」
「っ〜〜〜!?あああああッ!!いい加減にしてください、マナ先生ッ!!貴女は私の名を呼ぶことすら出来ないのかああああッ!!!」
再びロイドが魔力を流し込もうとした次の瞬間、突然封鎖されていた地下室の入口が吹き飛んだ。何事かとロイドが顔を向ければ、呆然とこちらを見ている黒髪の少年と目が合う。
「何を、している」
「チッ、やはり来たか········」
フラフラと、その少年はロイドに歩み寄った。その間に周囲に居た魔族達は少年が放つ殺気を浴びて動けず、ロイドも目の前まで来た少年から咄嗟に離れる。
「ユウ、くん·········?」
震える声が、少年の耳に届く。
「えへへ。夢、なのかなぁ?さいごに会えるなんて、うれしいな········」
「··········」
「ごめん、ね?ひどいことばかり言っちゃって、困らせて、嫌な思いをさせて········本当に、ごめ··········」
嬉しそうな笑みを浮かべ、マナは目を閉じ動かなくなった。少年は無言で彼女を縛っていた鎖を刀で斬り、刻一刻と死に向かうマナをゆっくりと寝かせる。
「········お前、マナ姉に何をした」
立ち上がり、背中を向けた状態で少年は言う。
「魔力を体内に流し込んだだけさ。まあ、動きを封じる為に刺してしまったけどね」
「何が理由で?」
「分かるだろう?私は彼女を愛しているんだ。だからこそ、長い時間をかけて感情喰らいをばら撒き、生徒達が傷付く姿を見せてマナ先生に負の感情を抱かせようと思った。だけど、最初からこうしていればよかったんだよ。これが私の愛の形だ、ユウ君!!」
地下空間に、ロイドの声が響き渡った。それに対し、少年───ユウの返事はたった一言。
「殺す」
寒気がする程の殺意と魔力が暴走する。