29.変わりゆく風景
無人島での戦いから一ヶ月が経ち、季節はすっかり夏である。過去最高とも言われる猛暑日が続いており、教室に魔導クーラーが設置されていなければ確実にサボっていただろうな。
あれから日を改めて俺達は修学旅行を満喫し、以前と変わらない学園生活を送ることができている········と言いたいところだが、いくつか変わったことはあった。
まず、今俺の視線の先に広がる光景。
「ユウ、どうしたん?」
「いや、最近あいつが妙に馴れ馴れしいと思ってな」
「あいつって········ロイド先生のこと?」
職員室の前で楽しそうに会話している眼鏡の男。灰色の髪は若干はねており、常に白衣を身にまとっているので『博士』と呼ばれたりしているらしい。
そんな男の前では、プリントの束を持ったマナ姉がぱたぱたとしっぽを振っていた。
「そういえばロイド先生とマナ先生って、マナ先生が学生の頃から結構仲良かったみたいやね」
「なんだと!?」
「一部ではお似合いやーって言われてるみたいやで。まあ、確かに美男美女やけど········って、ちょっとユウ」
もうすぐ授業が始まるというのに、いつまで楽しそうにキャッキャウフフしているつもりなんだよこの馬鹿姉は。
「マナ姉、それって次の授業で使うプリントだろ?俺が持っていくよ」
「え········あっ、ユウ君。ちょうど今ユウ君の話をしていたところで────」
「そろそろ授業始まるぞ」
「わわっ、ほんとだ。それじゃあロイド先生、また後で」
「ええ、また」
また後で、だとォ?
「ゆ、ユウ君、どうしたの?」
「別に何でもないよ」
「え〜?なんか機嫌悪くない?」
くっそ、何故かは分からないけどイライラする。確かにマナ姉は誰とでも楽しそうに喋る子だけど、ロイドと話す時はなんか違うんだよな。嬉しそうにしっぽ振ってるし、たまにほっぺた赤くしてるし。
「ユウってば、シスコンやなぁ」
「あぁっ!?」
「冗談やってー、ぷぷっ」
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「朗報やで!今日、遂に衣装が届きましたー!」
六限目、黒板の前に立つリースがそう言えば、クラスの中が一気に盛り上がった。
オーデム魔法学園では、毎年『大樹祭』と呼ばれる大規模なイベントが開催される。各クラス毎に出し物を決め、客に料理を提供したり劇をしたりするお祭り········学園祭だ。
それが一ヶ月後に迫った今日、俺達のクラスに欠かせない大事な衣装がようやく届いた。俺はダンボールの中に入っていた衣装を取り出し、全員に配っていく。
「こ、これ、本当に着るの?」
「当たり前やでエリナちゃん!」
「うぅ、恥ずかしいわ」
エリナが顔を赤くしながら広げているのは、なんとも可愛らしいメイド服である。
そう、このクラスはメイド喫茶で大樹祭売り上げ第一位を目指すのだ。ちなみに男子は執事の格好をするんだとか。
貴族に仕える人達の真似をするのだから、当然高い技術が求められるだろう。本人達が見て不愉快な気持ちになられても困るので、貴族のエリナに作法についてはこの二ヶ月間で猛特訓してもらう予定である。
「とりあえず一回着替えてみよっか。はい、男子達は退室してな。入れ替わりで着替えてもらうから」
「「「は〜い」」」
メイド服を着てみたいと思っていた女子はかなり多く、最初に恥ずかしいからと反対していたのはエリナだけであった。勿論男子達はメイド姿に期待しており、その中には当然俺も含まれている。
暫くしてからメールが届いたので教室に戻ると、そこには夢にまで見た光景が広がっていた。
「「「お帰りなさいませ、ご主人様」」」
「お、おおお········!」
「レベル高ぇ········!」
「写真撮っていいっすか!?」
男子達が興奮するのも無理はない。俺達を迎え入れてくれたのは、若干恥ずかしさが抜けきっていないが可愛いメイドさん達だったのだから。
「ち、ちょっと、ジロジロ見ないで!」
中でもダントツで視線が集まっているのがエリナで、顔を真っ赤にしながら彼女はヴィータの背後に隠れてしまった。
最近ではエリナもクラスメイト達と打ち解けており、今では誰からも頼られるクラス委員長になったほどだ。元々男子からの人気は高かったのだが、前よりも明るくなったので更に可愛くなったのは間違いない。
「あはは、これで料理を運んだりするんだね」
「転びそうで怖いなぁ」
そんなエリナに負けず劣らずなのがヴィータとリースで、特にヴィータは胸の部分が大変なことになっている。リースはなんというか········太ももがエロいな。
「あれ、そういえばマナ先生は?」
「着替る前に衣装代を学園長に持っていったで。メイド服を用意してくれたのは学園長やから」
「お待たせ〜ってあれ、早速お披露目してるの?」
男子達が最も期待していたのであろうマナ姉が、既にメイド服を着た状態で教室に入ってきた。その破壊力は凄まじく、大半の男子や一部の女子が興奮のあまり倒れてしまったんだが。
視線が集中して最初は恥ずかしそうにしていたが、やがてマナ姉は信じられない程綺麗なお辞儀をして言った。
「お、お帰りなさいませ、ご主人様········な、なーんて」
俺以外の男子は全員倒れた。
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「へえ、クレハのクラスは劇をするのか」
「はい。ところで兄さん、写真を撮ってもいいですか?お願いします、一枚だけ········一枚だけでいいんです!」
「お、おう」
放課後。着替える前にトイレに行った帰りにクレハと遭遇した。俺は現在執事の格好をしているので割と注目を集めていたのだが、俺を見たクレハの興奮っぷりが凄い。
カシャカシャと、一枚と言いながらかなり俺を撮影してくる。それから暫くして満足したのか、撮った写真を見ながらクレハは頬を赤くして笑みを浮かべていた。
「劇かぁ。クレハは何をするんだ?」
そう言うと、嬉しそうにしていたクレハの動きが止まった。
「それは、その········ええと」
「ど、どうした?」
「お、お姫様の役に選ばれまして········」
「え?」
「あまり人前に出たくないので舞台裏での仕事をしようと思っていたのですが、お姫様役にクラスメイト全員から指名されてしまって、断れなくて········」
こう見えて、クレハは目立つのが苦手だったりする。さらに、親しい人とは普通に会話しているけど、知らない人には自分から話しかけることが滅多にない人見知りでもあるのだ。
今は成長してある程度明るくなったクレハだが、昔はいつも俺の背中に隠れてしまうような子だった。そんなクレハが大勢の前で姫を演じるというのはかなり緊張するはずである。
現に今、クレハの手は震えていた。見えないようにしてるけど、お兄ちゃんにはバレバレだ。ここは俺が、クラスの連中に無理強いするなと言いに行くべきだろうか。
「でも、やるからには一生懸命お姫様を演じようと思います。兄さんに、私の成長を見てもらいたいから········」
やばい、泣きそう。今なら親父の気持ちがわかる気がする。妹が成長していくというのは、少し寂しいけどこんなにも嬉しいんだな。
「分かった、応援するから頑張ってな。絶対クレハを見に行くから」
「は、はい!」
頭を撫でてあげると、クレハは仔犬のように喜んでいた········のだが。
「誰だお前は!クレハさんから離れろ!」
「ぐえっ!?」
突然何者かに突進され、俺は派手に転倒した。貰いたての衣装が一瞬で汚れた瞬間である。
「な、何すんだ!」
「それはこっちの台詞だ変態野郎。うちのクラスの主演女優に気安く触れるんじゃない」
顔を上げれば、クレハの前に立った眼鏡の男が俺を睨んでいた。ロイドかと思って頭に血が上りかけたが、よく見れば制服を着ているのでこいつは学園の生徒だろう。
「なるほど、クレハのクラスメイトか」
「クレハ!?お前、クレハさんと一体どういう関係で────」
次の瞬間、凄まじい魔力が廊下の窓にヒビを入れた。そして寒気がする程の殺気が全て眼鏡男子に向けられる。
「貴方、私の兄さんに何をしているのですか········?」
「ひいっ!?」
表情から笑顔は消え、魔力と殺気を放ちながら眼鏡男子に顔を近付けるクレハ。咄嗟に俺が止めなければ、きっと眼鏡男子は地獄を見ていたことだろう。
「兄さん?そうか、お前がユウ・シルヴァか········!」
「ユウ先輩、でしょう?」
「ゆ、ユウ・シルヴァ先輩か!」
「·········敬語は?」
「ユウ・シルヴァ先輩ですかッ!!」
というか、誰なんだよこの眼鏡は。何事かと生徒達が集まってきてるから、そろそろ教室に戻って着替えたいんだが────
「僕と勝負しろ、ユウ・シルヴァ!」
「········は?」
───なんだこの展開は。