21.嵐の修学旅行
「い、行かないでください兄さん········!」
家から出ようとする俺のズボンを必死に掴んでくるクレハ。まるで俺が死にに行くような光景に見えないこともないが、別に大したことをしに行くわけではない。
「落ち着けクレハ。ユウは修学旅行に行くだけなんだから」
「嫌です、寂しいですうぅ········!」
そう、母さんが言ったように俺は修学旅行に行くだけだ。
2年の俺達が向かうのは海の向こう側にある常夏の国。船で半日かかる距離らしいが、船の中でも色々イベントを行うらしいので楽しみである。
しかし、その前に出発できないんですけど。
「じゃあクレハ、帰ってきたらこの前言ってたお願いを聞いてあげよう」
「お願い········?」
「1日だけ一緒に寝てやるから」
「行ってらっしゃいませ!」
嬉しさのあまりとろけるような表情になったクレハが俺から離れる。向こうで母さんが苦笑しているけど、親父が寝ていて助かったな。
さて、そろそろ出発するとしようか。
「っ、ユウ。そのままで行くのか?」
「どうした母さん、別に変な格好はしてな────」
母さんの視線を追って視線を下に向ければ、俺のズボンは下までずり落ちていた。
なるほど、クレハに引っ張られていた時にベルトが緩んでしまったらしい。
玄関の外を見れば、道行く人々が笑いをこらえながら俺を見ていた。
「ご、ごめんなさい兄さん!」
でもクレハが可愛いから許す!
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「遅いよユウ君!」
「い、色々あったんだって」
学園に到着すると、生徒の点呼をしていたマナ姉に怒られた。
まあ、怒る時に頬を膨らます癖はやめた方がいいぞ。全然怖くないし、つい押して空気を出してやりたくなるから。
「またクレハちゃん?」
「行かないでって駄々こねてさ」
「何嬉しそうにしてるん?」
「いやぁ········」
あんなふうに可愛い姿を見せられたら、兄としてはたまらんよな。帰ったら約束どおり1日だけ一緒に寝てあげよう。
「よし、これでみんな揃ったね。今から船がある港町まで移動するから2列に並んで移動するよ〜」
魔導フォンを起動して待ち受けにしておいた笑顔でピースしているクレハを眺めていると、マナ姉の声を聞いて俺達のクラスに所属している生徒全員が立ち上がる。
しかし、こんな場所から港町に移動するとはな。徒歩で何時間かかる距離だと思ってるんだ。
「不満そうだなユウ、私が何魔法の使い手なのか忘れたのか?」
そう思っていると、突然目の前にソンノ学園長が現れて周囲がざわめいた。
この反応は当然だ。
俺は幼い頃から何度も会っているから普通に喋れるけど、ソンノ学園長は『魔導王』と呼ばれる魔法の天才。
俺達の日常に欠かせない魔導フォンを開発したのもこの人だし、一般生徒からすれば学園長は雲の上の存在なのである。
「この人数を一気に転移させるんですか?」
「2年全員を一気には無理だからクラスごとに転移させる。その気になれば目的地まで転移させることは可能だが、船に乗って景色を楽しまなければ損だろう?とりあえずお土産を期待してるぞ、シスコン」
「う、うるさいですね、親父大好き学園長」
「········帰ったらお尻ペンペンの刑な」
この人、昔から俺の親父に惚れていると思われる。
見た目は子供でもどんな大人よりも堂々とした態度で接してくるが、今は頬を赤く染めて俺を睨んでくる見た目そのまんまの女の子だ。
「それじゃあ出発するよ。学園長、お願いします」
「はいよ」
それから学園長は顔を赤くしたまま転移魔法を発動し、俺達のクラス所属の生徒全員を港町に転移させてくれた。
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「海やーーーーー!」
雲一つない青空、降り注ぐ太陽の光。
「ほら、ユウ。めっちゃ海の水綺麗やで!」
「おー、そーだなぁ········」
はしゃぐリースは流石だと思う。さっきから何度も興奮気味に話しかけてくるが、俺は暑さでダウンしていた。
「も、もう駄目········水分が········」
俺と一緒に日陰に座るエリナも、放っておいたらスラりんみたいに溶けてしまうんじゃないかと思ってしまうほど汗だくである。
「あはは、これ飲む?」
「「飲む!」」
差し出された水の入ったボトルを受け取り、俺とエリナは勢いよくそれを飲み干す。
現在俺達は港町から出航した船の甲板に居るんだが、暑すぎて殆どの生徒が涼しい船内で過ごしている。
リースがどうしても外の空気を吸いたいと言うものだから出てきたものの、リースとヴィータ以外は全員ぐったりしていた。
「情けないなぁ。特にユウは男の子やのに」
「折角の修学旅行なんだから、こういう移動時間も楽しまないとね」
「そうそう、旅行先なんかもっと暑いねんから」
「もう帰りたい········」
既に自宅が恋しいんだが。
あぁ、クレハが心配だな。今頃学園で授業を受けている最中だと思うが、休み時間などに男子共が群がる可能性が高い。
クレハは男子共が群がる理由が下心だということに気付かない程おっとりしているので、呼び出されたらホイホイついて行きそうで尚更心配だ。
「ん?あれは········」
兄として妹の心配をしていると、ヴィータが海の向こうを見つめたまま動かなくなった。
何かあったのだろうか。そう思って俺は立ち上がったが、ヴィータの視線の先にあるものを見て咄嗟に刀に手を置いた。
「魔物········なのか?」
「だとしたら、この船よりも遥かに巨大な魔物ってことになるね」
盛り上がった海面を貫き飛び出したのは、岩が削られて作られたかのような巨腕。
俺達を乗せた船を簡単に握り潰してしまえそうな程巨大なそれは、そのまま波打つ海面を勢いよく叩く。
「ぐっ!?」
「きゃあっ!!」
発生した大波が船の側面に直撃し、立っていた他の生徒達が転倒する程激しく揺さぶる。
俺はギリギリ倒れずに済んだものの、まだ現れた敵の攻撃は終わっていなかった。
「ゆ、ユウ、あれって········」
「ゴーレムか?いや、こんなでかいゴーレムが海の中に住んでいるなんて話は聞いたことがないぞ!?」
海の中からゆっくりと姿を現したのは、太陽を覆い隠す巨体を誇る超巨大なゴーレム型の魔物だった。
所々遺跡を取り込んだかのような部分があるその魔物は、赤い宝石のような瞳でこの船を見ている。
なんだろう、嫌な予感がするんだが。
「っ、動くよ!」
ヴィータが叫んだ次の瞬間、魔物はこの船より何倍も巨大な腕を振り上げた。
「全員逃げろ!!」
俺の声を聞き、甲板に居た生徒達が船内へと逃げ込んでいく。その直後、隕石でも落ちてきたのかと錯覚してしまう程巨大な拳が既に目の前に迫っていた。
死ぬ───ヴィータ達もそう思っただろう。
しかし拳は甲板に直撃する前に、雷を纏った蹴りによって跳ね返された。
「皆大丈夫!?」
「マナ姉か、助かったよ」
船内から飛び出してきたマナ姉があの一撃を蹴り返したのだ。
俺以外全員ぽかーんと口を開けているのも無理はないが、これが神童マナ・シルヴァの実力なのである。
『ウオオオオオオオオッ!!』
「っ、しつこいよ!」
どこから出しているのか分からない雄叫びを響かせ魔物が再度拳を振り下ろす。
それを先程と同じく蹴り返したマナ姉は、そのまま空中で魔法陣を展開した。勿論無詠唱である。
「ライジング────」
しかし、魔法は放たれなかった。
突然船が激しく揺れ、甲板に居た俺達が海に放り出されたのをマナ姉は見てしまったからだ。
大きな波が船を揺さぶったんだろう。
真っ青な顔でマナ姉が手を伸ばしてくるのをぼんやりと眺めていた俺だったが、いつの間にか意識を失っていた。