第15話 この気持ちの正体は
「ねえタロー、あれは何なの?」
「魚屋だよ。色んな魚が売られてるんだ」
さっきから男の方々が羨ましそうに俺を見てくるけど、誰もが必ず目で追ってしまうほどの美少女であるベルゼブブが、人間達と戦争を起こそうとしていた魔王であることを誰も知らない。
そんなベルゼブブは見たことのないものに興味津々で、現在彼女は並べられている魚を見て興奮している。
「そっちじゃ普通の魚はいないのか?」
「ええ。いるのは凶暴な魔物だもの」
うーん、こうして見るとやっぱり可愛いよな。テミスとは違ったタイプだけど、こうして喋ってるとそれなりに楽しい。
「あ、そういやテミス。魚を買いたいって言ってなかったっけ」
「········」
「テミス?」
「え?ああ、言ったと思う」
なんか、さっきからテミスの様子がおかしいような気がする。マナの相手をしてる時は笑ってるけど、それ以外の時はぼーっとしてるし。
「ベルゼブブ、テミスと何かあったのか?」
「いいえ、別に何も」
あったっぽいな。あの時宿屋でベルゼブブが魔力を放出したことも関係してそうだし········。
「もう、何でもないったら。それより、あそこにあるのは何?」
「ん、あれはだな·········」
まあ、ベルゼブブがそう言ってるんだから深くは聞かないでおくか。女同士でしか話せないことでもあったんだろう。
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「テミスおねーちゃん、どうしたのー?」
向こうで楽しそうに話をしているタローと魔王ベルゼブブを見ていると、私と手を繋いでいたマナにそう聞かれた。
「ふふ、別に何でもないよ」
·········嘘だ。さっきから、楽しげに笑っている二人を見ると、何故か胸が苦しくなる。いつもあの場所に、タローの隣にいるのは私なのに。
『なら、私がタローに特別な想いを抱いていても、貴女はなんとも思わないってことね』
『タローの恋人じゃないのなら、私の邪魔をしないで』
『これはまだ気付いたばかりだけど、私はタローの〝友達〟で終わりたくないの』
ベルゼブブはそう言っていた。つまり、彼女はタローに········恋心を抱いているということだ。
「テミスおねーちゃん?」
「·········」
先程私に向かって魔力を放ってきたのは、一種の警告なのだろう。なんとも思っていないのなら、何をしても口出しするなという意味の。
何も言えなかった。感じたことがない、次元が違うレベルの魔力を身に浴びたからというのも勿論あるが、彼女がタローに好意を寄せていたというのに驚き、動揺してしまったから。
もしかしたら、タローは彼女と共に魔界へ行ってしまうかもしれない。もう私と依頼を受けたり遊びに行ったりはしてくれなくなるかもしれない········そう思ったから動揺したのだろうか。
「テミス?さっきからどうしたんだよ」
「っ·········」
自分の中で渦巻くよく分からない感情について考えていると、突然向こうにいたはずのタローに肩を叩かれた。いつの間にかこちらに戻ってきていたようだ。
「あ、いや、何も·········」
「そんなことはないだろ。何かあったのなら遠慮せずに言ってくれたらいいのに」
心配してくれているタローに、『君が魔王と仲良くしているのを見ると胸が苦しくなる』などと言えるはずがない。
「·········用事を思い出したんだ。すまないが、今日はもう帰るよ」
「え、ああ、そうだったんだ。分かった、また明日な」
「うん、また明日········」
私に手を振ってから、魔王がいる場所に向かってマナと共に歩いていくタロー。そんな彼に背を向け、私も家に向かって歩く。
私はどうしてしまったのだろう。今まで一度もこんな気持ちになったことはなかったのに。この気持ちが何なのかも分からないし、ただ一人で混乱してしまっている状態だ。
「また、明日········」
いつものように朝を迎えても、この町からタローは居なくなっているかもしれない。そうなった時、私は何を思うのだろうか。
「おいおい、めちゃくちゃ可愛い女がいやがるぜ」
「うおお、人間にしては確かにいい女だな」
「········?」
考えれば考えるほど分からなくなる。そんな時、突然見知らぬ男三人に取り囲まれた。恐らく別の街から来た酔っ払いだろう。
「よお姉ちゃん。今からちょっとどっか行かない?」
「········遠慮しておきます」
「つれねーなぁ。俺ら暇だからさ、食事でもどうよ」
「だから、遠慮しておくと言っているでしょう?」
しつこく絡んでくる男達に苛立ちを感じ始める。それが分かったのか、一人の男に無理矢理腕を掴まれた。
「いいから来いよ。調子乗ってると痛い目みるよ?」
「っ、それはこちらの───」
腰に手を伸ばす。しかし、いつもはそこにあるはずの剣を、今日は持ち歩いていなかったことに気が付いた。武器無しで追い払うしかない。そう思って目の前の男を睨んだ直後、私の右隣にいた男が突然吹っ飛んでいった。
「おいお前ら。嫌がってるのが分からないのか?」
その声を聞いた途端、私はまた妙な感覚に陥った。私一人でも対処できたが、そんなことよりも彼が来てくれたことが嬉しい。けど、そう思ってしまう理由は分からない。
「てめえ、何しやがる!」
「と言われても、まだお前に何かしたわけじゃないのですが」
「うるせえクソ野郎!」
「それはお前だろ」
現れたタローが、リーダー格の男の顔を鷲掴みにした。
「あーやーまーれーよー」
「いだいいだい!ごめんなさい、ごめんなさいぃ!」
「俺にじゃないだろ。テミスに謝れ」
「この状態じゃ無理ですぅぅ!」
「あ、そうか」
男の顔からタローが手を離す。すると男は懐からナイフを取り出し、切っ先をタローに向けた。
「ははっ、馬鹿なヤツだぜ!」
「········謝らんの?」
「だれが謝るかよばーーーーかッ!!」
「ふーん」
タローが拳を握った。と思った直後には、タローに切りかかった男と残っていた一人の男は地面に倒れていた。
速い。さらに、それだけの速度で攻撃したのに、倒れている男達は死んではおらず、気絶しているだけだ。
「別の街から来たチンピラか。ったく、テミスに手を出そうなんて一億年早いっつの!」
「た、タロー·······」
「大丈夫だったか?まあ、テミスなら簡単にやっつけれたとは思うけど」
「あ、ぅ········」
「ん?」
こうしてタローと目を合わせると、何故か顔が熱くなる。いつものように顔を見て話せない。
「顔赤いけど········あ、まさかこいつらに変なことされたのか!?」
「あ、や、ちが········」
「このド変態野郎め!起きて謝れこらぁ!」
タローが、倒れている男の背中をペチペチ叩き始める。それとほぼ同じタイミングで魔王ベルゼブブが私の前にふわりと降り立った。
「もう、タローったら。私のこと置いてどこ行ったのかと思ったら········」
「ご主人さまー!」
彼女が抱えていたマナを地面に立たせてやると、マナは男を叩き起こそうとしているタローに抱き着いた。そんな様子を見ていると、ベルゼブブが呆れたような表情を浮かべながら私を見ているということに気付く。
「貴女ねぇ、あんなことを言っていたくせに顔が真っ赤じゃないの」
「こ、これは、その········」
「しかも、どうしてそうなっているのか分かっていない状態ね」
それだけ言って、魔王は倒れている男の服を掴んで持ち上げた。
「タロー、こいつら人間じゃなくて魔族よ。魔王軍に所属していない野良のね」
「え、まじで?」
「でも、私達は人間と争わないって決めたのにこんなことをされたら、それがきっかけで戦争が起こる可能性も0じゃない。だからこいつらを連れて今日はもう魔界に帰るわ」
「そっか。まだ案内してないとこはあったけど、それはまた今度来た時にするよ」
「ええ、ありがとう」
気絶している男三人を集めた魔王が風を纏った。恐らく、風の力を利用してこの場から去るつもりなのだろう。
「それじゃあタロー、今日は楽しかったわ。また会いましょう」
「ああ、またな」
「おねーちゃんばいばーい!」
突風が吹き荒れ、魔王の身体が消える。その直前、彼女は確かに私を見ながら口を動かした。
『負けないんだから』
そう言ったのだろう。でも、何故そんなことを私に言うのか·········いつかそれが分かる日が来るのだろうか。