09.黒い雷
痛い·····身体が痛い··········。
何かが、私の中で囁き続けている。クレハ・シルヴァに負けてから、ずっと心を蝕んでいる。
「はぁ、はぁ·········!」
気がつけば、私は見覚えのない場所に立っていた。霧が濃く、自分がどの方角から歩いてきたのかも分からない。
保健室で目を覚ましたところまでは覚えている。でも、どうして私はこんな場所に·········?
『どうだ、全てを凌駕する力を望むか?』
誰?男なのか女なのか、何も分からない、私は知らない。
『その力があれば、あのクレハ・シルヴァを簡単に潰すことができるぞ?さあ、力を手に取るがいい』
力?英雄の娘である彼女を、私の手で簡単に········?
「ふ、ふふふ、あはははは··········!」
私は力を手に取った、取ってしまった。
身体の中で〝何か〟が弾け、信じられない程の魔力が溢れ出してくる。これだけのチカラがあれば、私は─────
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授業中、突然近くから禍々しい気配を感じた。隣のリースを見てみると、彼女は普通に問題を解いている最中で。
俺達に雷魔法の原理を教えているマナ姉も、特に何も感じていない様子だ。
「なあ、リース」
「んー?」
「なんかさ、気配的なのを感じなかったか?」
「いや、別に?どうかしたん?」
こっそり話しかけてみたけど、リースは何も感じなかったらしい。おかしいな、気の所為か?
「こら、ユウ君!ちゃんと話を聞きなさい!」
「マナ姉、ちょっとトイレ行ってくる!」
「へっ?」
怒ってきたマナ姉にそう言い、俺は教室から飛び出す。教室の中から笑い声が聞こえてきたので、恐らく俺が漏れる寸前だったのだと勘違いでもしてるんだろう。
ふむ、物凄く恥ずかしいな。
それにしても、やはり気配は感じる。他の人達は気づいていないようだったが、1階に降りればより強く気配を感じた。
「これは··········」
それから暫く学園内を走り回っていると、俺は以前の騒ぎで封鎖されている最中の、地下迷宮に入るための扉が開いていることに気づいた。
中を覗くと、微かに奥から爆発音のようなものが聞こえてくる。それに、禍々しい気配もより一層強まった。
間違いない、この中で何かが起こっているようだ。
念のためロッカーから持ち出した刀を抜き、俺は警戒しながら慎重に奥へと進んで行く。
「っ、まじかよ」
そして以前ドラゴンと戦闘を行った場所に辿り着いた時、俺の目に飛び込んできたのは信じられないような光景だった。
震えながら倒れ込んでいる魔族のような女を、冷めた瞳で見下ろしている銀髪の少女──クレハ。
激しく争ったのだろうか。周囲を見渡せば、壁や床が抉られたような状態になっており、クレハが纏う凄まじい魔力が崩れた瓦礫をカタカタと震わせている。
「クレハ、何があったんだ!?」
「あら、兄さん········」
振り返った彼女をよく見れば、左腕から血が流れ落ちていた。皮膚もボロボロになっており、火傷を負った状態のように見える。
「た、大変だ!すぐ治療しないと───」
「大丈夫ですよ。それよりも、まずはこの人を始末しなければ」
視線を下に向ければ、全身傷だらけの魔族が目に映る。恐らくクレハ相手に手も足も出なかったんだろう。
だけど妙だな。これだけ派手な戦闘が行われていたというのに、なんで誰も気が付かなかったんだ?
クレハクラスの魔力が放たれた時点で、俺やマナ姉は必ず異変に気付くはず。なのに俺は禍々しい気配を感じただけで、クレハの魔力は感じなかった。
「ずっと殺気を感じていたんです。まさか、魔人化してまで私を殺そうとするとは思いませんでしたけど」
「魔人化?」
改めて魔族の女を見ると、綺麗な髪や顔つきに見覚えがあった。まさかとは思うけど、この女は────
「お嬢様、なのか?」
「ユウ・シルヴァ·········」
その声は、確かに何度も聞いたお嬢様の声だ。
だけど意味が分からない。俺は納刀し、立ち上がろうとしているお嬢様と目線を合わせる。
「何があった」
「誰かが·······何かが私の中に········」
「ああ、あんたの中から魔力とは違った力を感じる。その力は一体どこで手に入れたんだ?」
「分からない········何も、気が付けば、私は·········」
話が通じるようで何よりだが、魔の力を取り込んでしまったお嬢様は今後元の姿に戻れるのだろうか。
苦しそうに震えているお嬢様を見ながらそう思っていた時、俺とお嬢様の間にクレハが割り込んできた。
「お、おい、クレハ」
「事情は分かりませんが、この人を保護する理由はありません。もし彼女の力が暴走すれば、学園で死者が出ますよ」
「殺すつもりか?それは駄目だ」
「何故です?」
「クラスメイトだからだ」
「兄さんは甘すぎます。このままエリナさんを守ると言うのなら、私は兄さんのことを嫌いになりますから」
「っ、危ない!」
咄嗟にクレハの腕を掴んで引っ張り、そのまま抱き寄せて放たれた魔法から彼女を守る。
放たれたのはお嬢様の雷魔法で、制服を貫いて俺の背中に見事なダメージを与えてくれた。
「に、兄さん!?」
「ぐっ········クレハ、無事か?」
相当酷い怪我を負ってしまったらしく、俺の背中を見てクレハは顔を真っ青にしている。
俺を嫌いになると言った直後だが、優しいクレハにそれは少々難しいんじゃないだろうか。
「だって、私が学園一の魔導士なんだもの········私に負けることは許されない、一番じゃないと駄目なのよ········」
「········兄さん、ここはお任せ下さい。あの方に生きていたことを後悔させますので」
「ま、待て待て、俺は大丈夫だから」
本気で殺気を放つクレハを落ち着かせ、俺達は一旦距離を取る。ゆらりと立ち上がったお嬢様は全身からどす黒いオーラを放出しながら、虚ろな瞳で俺とクレハを睨みつけてきた。
「お嬢様、あんたに接触したのは誰だ!」
「この力さえあれば、私はお父様にッ·········!」
「黙りなさい」
そして雷魔法を放とうとした瞬間、クレハが呼び出した大樹の根がお嬢様の体に巻き付き、そのまま壁に叩きつけた。
衝撃で壁は砕け散り、迷宮が揺れる。
それでもクレハはお嬢様を押さえつける力を緩めようとはせず、殺気を剥き出しにしながら更に魔力を高める。
「待てクレハ、まだ話の途中だ!」
「いいえ、待ちません。あの方は兄さんの声に耳を傾ける気などありませんよ。それどころか兄さんに魔法を放ちました。もう許しません、このまま捻り潰してあげます」
あ、あれ?クレハってこんな子だったっけ?
そりゃ確かに家族に手を出されたんだから、俺だってお嬢様に対して怒ってはいるけども。
「その程度で止められると思わないことねぇ!」
そんな感じで俺が焦っていると、クレハの魔法が消し飛んだ。同時に、雷光を纏ったお嬢様が壁を蹴って急接近してくる。
蹴りがくると判断した俺は、魔力を纏わせた刀を抜いてクレハの前に立つ。
次の瞬間、予想通り放たれた蹴りを刀身で受け止めたものの、凄まじい力に押し負けた俺は派手に吹っ飛ばされてしまった。
「クレハ、今は相手を取り押さえることだけを考えろ!」
「で、ですが········!」
「これはお兄ちゃん命令だ!」
「っ、分かりました」
天井を蹴り、俺はクレハに殴り掛かろうとしていたお嬢様に突っ込む。そして彼女の肩を掴んで勢いよく地面に叩きつけた。
この状態じゃなければ骨が砕けていただろうけど、こうでもしないと取り押さえられそうにないからな。
「目を覚ませ、お嬢様!」
「邪魔だァッ!!」
「ぐっ!?」
女の子とは思えない力で首を掴まれ、そのまま持ち上げられる。その際に刀を下に落としてしまい、一瞬で不利な状況に立たされてしまった。
まずい、首から変な音鳴ってるんですけど········!
「させません!」
しかし俺の首が握り潰される寸前で、お嬢様はクレハが操る大樹の根で叩かれ吹き飛んだ。
駆け寄ってきたクレハが心配そうに顔を覗き込んできたので、俺は咳をしながら大丈夫と伝えておく。
「厄介だな、何を取り込んだってんだよ」
「私は魔力以外の力はそれほど感じません。ですが、彼女が纏う黒いモヤのようなものが魔力ではないというのは分かりました」
「とにかく、今のお嬢様は別の力に意識を乗っ取られてる可能性が高い。接近戦は俺に任せて、クレハは後方からのサポートを頼む」
「了解です」
走る俺目掛けて何発も雷魔法が放たれるが、その全てからクレハが大樹の根で守ってくれるので気にせずお嬢様に近付ける。
問題は、どうやってお嬢様からあのよく分からない力を引き剥がすかだ。
「今の私は!クレハ・シルヴァと同じように、無詠唱で魔法を使うことが出来るんですよお父様·········!」
「お父様?」
「だから、私を認めてくださいッ!!」
やばいと思ったがもう遅い。
雷を纏った竜巻が魔法陣から放たれ、クレハの魔法を消し飛ばして俺を飲み込んだ。
「に、兄さん!」
「大丈夫だ、このまま接近する!」
いいや、大丈夫じゃない。
雷に身を焼かれ、風の刃が全身を切り刻む。だけどもう少し、もう少しだけ進めば········!
「お嬢様は、父親に認めてもらいたいからそんな力に手を染めたのか!?」
「ええそうよ!幼い頃からずっと1番だけを求められ続けてきた!だから死にものぐるいで魔法を会得したわ!なのに、両親が英雄というだけで!私なんか足下にも及ばない魔力を持って生まれてきて!私の努力を全て無駄にしてくれたッ!!」
「クレハだって、その膨大な魔力をコントロールする為に必死に努力していたぞ!」
「うるさい、何の努力もしていない分際で!貴方は悔しくないの?周囲を期待を裏切って、英雄夫婦の顔に泥を塗ったのよ!?」
甘えることは許されず、1番じゃなければ激怒される。俺の家とはまるで違う、厳しい家庭で育てられてきたんだろう。
「知るかッ!!」
「えっ?」
だからといって、そんなもん知らん。
「努力した、悔しかった、何度も挫折した。でもな、俺は英雄の息子であって、英雄本人じゃないんだよ。確かに妹に比べたら出来損ないのポンコツ兄だけど、俺は俺なんだ。他人にゴチャゴチャ口出しされる意味が分からないね」
「で、でも、私はお父様に········」
「認められたいのは分かった。でもな、今お嬢様が使ってるのは仮初めの力だろう?そんなんで認められて、お嬢様は本当に心の底から嬉しいと思えるのか?」
凄まじい破壊力を誇る魔法から抜け出し、お嬢様の前に立つ。
「お嬢様は凄いよ、努力の天才だ。それでも足りないのなら、まだまだ努力すればいい。お父さんがお嬢様を認めてくれるまで、もっと強くなってやればいいんだ」
「無理よ········だって私は、1番じゃないから········」
「うん、クレハは別次元だ。だから言ってやればいいさ、お前ならクレハに勝てるのかって」
「でも········」
「強くなりたいのなら、俺も協力してやるよ。ムカつくけど、一応クラスメイトだしな。一緒に1番を目指そうぜ」
俺がそう言うと、お嬢様はその場に崩れ落ちた。彼女の体を覆っていたどす黒いオーラはいつの間にか消えており、元の姿に戻ったお嬢様の目からは涙が零れ落ちている。
「ごめんなさい········ごめんなさい········」
「兄さん!」
駆け寄ってきたクレハに抱き着かれた。よく見ればクレハも目に涙を浮かべており、本気で心配してくれていたというのがよく分かる。
「無茶しすぎですよ········!」
「はは、すまん。でもこれで────」
次の瞬間、一気に力が抜けた。
そりゃそうだ、お嬢様最大の魔法を思いっきり食らったんだから。クレハの素晴らしい胸の感触を顔面で味わいながら、俺はそのまま意識を失った。