第125話 英雄帰還
(なんだ、この男は・・・)
この時、初めてアバドンは敵を警戒した。最後まで抵抗してきた人間の少女に魔法を放とうとした直前、突然現れた黒髪の青年。
そして、気が付けば尻もちをついていた。頬が痛み、僅かに手の指が震えている。今の一瞬でこの青年が自分に何かをしたのかと、彼を睨みながらアバドンは警戒を強める。
一方で、テミスは溢れる涙を止めることができなかった。四年間、毎日彼の無事を祈り続けてきた。一時期は立ち直れずに、自宅から出ることすらできない日々が続いたこともあった。
しかし今日、彼は帰ってきた。
「・・・・・・」
黒髪の青年───太郎は周囲を見渡し、倒れている仲間達を発見した。その中でも特に重傷なのがベルゼブブで、広がっている血の量を見れば、どれだけ危険な状態なのかがよく分かる。
さらに、向こうには四年前よりも成長した姿のマナが倒れている。ボロボロになっている彼女も、テミスやベルゼブブ達と共に悪神アバドンに立ち向かったのだろう。
そして、号泣している最愛の人。どれだけ魔法を浴びても仲間が倒れても、最後まで諦めずに戦った彼女の怪我も相当酷かった。
それを見て、太郎は拳を握りしめる。
「ほんと、よくもここまでやってくれたな・・・」
テミスから視線を戻した太郎の表情は、アバドンから見れば悪魔そのものだった。待ち望んでいた再会を邪魔された怒り、彼が命を懸けて守った大切な人達を徹底的に痛めつけたアバドンへの怒り。それら全てを感じ取り、アバドンは思わず後ずさる。
「な、何者ですか?貴方の中から妙な魔力を感じる・・・そう、あの憎き女神ユグドラシルに似た魔力です」
「一度しか言わないからよーく聞けよ」
アバドンがスキルを発動し、太郎の魔力を封じ込めた────次の瞬間。
「お前を叩き潰す者だ!」
「ごッ────」
あまりにも速く、そして凄まじい破壊力の殴打。何をされたのかをアバドンが知る前に、太郎は彼の顎を粉々に砕いた。
「がああああアアッ!?」
「よくもテミスを泣かせたな」
「そ、それはっ!貴方と再会できて感動したからで・・・まさか、君がグリードを葬った人間なんですか!?」
アバドンが放った魔法が顔面に直撃したが、魔力を纏っていない太郎は無傷。それに驚きアバドンは魔法を連発したものの、その全てを太郎は素手で叩き落とす。
「・・・!?」
「ハーゲンティと同じ再生能力・・・また面倒なタイプか」
「今何をした!?ま、魔力を纏っていないというのに、どうやって僕の魔法を弾いたんですか!」
「あ?見て分からなかったのかよ。普通に素手で魔法を叩いただけだ」
「馬鹿なことを言うな!そんなことは有り得ない、人間の分際でそんなことが────」
「ちょっと特殊な人間だからな、俺」
殴られ、吹っ飛んだアバドンが民家に突っ込む。顔を上げた瞬間に足を掴まれ、そのまま振り回されて今度は外に投げ飛ばされた。さらに空中で髪の毛を掴まれ振り下ろされ、背中から地面に叩き付けられ血を吐き出す。
「ごはッ!?がっ、ぐぅ、デタラメだ・・・!」
「どうせすぐに回復するだろ?」
「ええそうです、僕は不死身ですからねぇ!!」
今度はアバドンが爆炎を放ち、太郎を吹き飛ばす。そして即座に折れた箇所を修復して立ち上がったが、恐ろしい速度で突っ込んできた太郎に押し負け、後ろにあった瓦礫の山に衝突した。
「そうだ、僕は悪神・・・不死身なんだ」
「魔力がある限りはな。ほら、さっさと立て。魔力が尽きるまで、何時間でも相手になってやるからよ」
「人間程度が、生意気な口をきくなァッ!!」
凄まじい魔力の解放───と同時に肘鉄で首の骨を折られ、アバドンはその場に倒れ込む。今の一瞬でどれだけの魔力を無駄に消費してしまっただろうか。
「あ、がああ・・・!」
「再生はあと何回が限界かな?」
「ふざ、けるな、これは悪夢だ!魔力を纏っていない人間が、神に傷を付けたなんて!」
「じゃあお前、神なんかじゃないんじゃねーの?」
「僕は神だ、悪神アバドンだ!!」
魔法を放つために手のひらを向けたが、思いっきり踏まれてアバドンの手の骨が砕け散る。
「なんでそんなに上から目線なんだよ、お前」
「君がただの人間だからさ!神に対してもっと敬意を払え、この愚か者がッ!!」
「というか、敬語設定どこいった」
顔面を蹴られ、瓦礫の山ごとアバドンは吹っ飛ぶ。
「てめええええええええええッ!!!」
「それが本性かよ、悪神様・・・!」
しかしすぐに体勢を立て直し、アバドンは魔力を纏って太郎に殴り掛かった。とてつもない速度で迫る悪神の拳は、数秒間で何十発放たれただろうか・・・しかしそれは、魔力を纏わない生身の太郎に一発たりとも当たらない。
「よ、避け・・・!?」
「ユグドラシルーーーーッ!!」
「はいはーい」
アバドンを蹴り飛ばし、太郎が女性の名を叫ぶ。すると突然彼の隣に、エメラルドグリーンの髪を長く伸ばした美しい女性──女神ユグドラシルが姿を現し、フワフワと空中に浮かびながら微笑んだ。
「どうしたんですか?もしかして、いよいよ夜の相手を───」
「おいこら、意味の分からんことを言うな。みんなの回復と街の修復を頼む」
「報酬は熱いキスでお願いしますね」
「ちょっと待て!数年ぶりに会ってみれば、なんだその変わりようは!お前ってそんなキャラだったっけ!?」
「あら、忘れたんですか?四年前、貴方と別れる前に伝えた私の愛────」
「ぐっ、分かったから早く回復してくれ!」
「ぶー」
一瞬だった。頬を膨らませながら、ユグドラシルが両手の人差し指を指揮者のように振った直後───
「はい、これでよし」
「なあっ・・・!?」
アバドンは戦慄した。ユグドラシルの指から流れ出た魔力がオーデム全体に広がった直後、崩れていた建物全てが一瞬で元通りになったのだ。それだけではなく、重傷を負っていたテミス達や、爆発に巻き込まれていた人々全員の傷さえも一瞬で癒す。
「お、お前、女神ユグドラシルか!」
「六千年ぶりですね、悪神アバドン。今の気分はどうですか?絶望絶望と言っていた貴方も、私の太郎と戦えば絶望するしかないでしょう?」
「お前がその人間に魔力を渡したんだな!?グリードを殺せたのも、お前が魔力を渡したから・・・!」
「だったらなんです?残念でしたね。せっかく封印を破った日が、世界を救った英雄の帰還と重なってしまって」
相変わらずヘラヘラしながら、ユグドラシルがアバドンを挑発する。プライドが高い悪神は、やはりと言うべきか体を震わせながら魔力を解放した。
「殺すッ!!」
「来ますよ、太郎。あまり手加減していては、せっかく元通りにした街や人々がまたボロボロになってしまいます」
「そうだな、そろそろ終わらせるか・・・」
瞬時に距離を詰めてきたアバドンを、太郎は殴って吹っ飛ばす。さらに太郎はそのまま駆け出し、軽く跳んで踵落としを繰り出した。強烈なその一撃はアバドンの腹部にめり込み、太郎はそのまま地面へと叩き付ける。
「手加減していた・・・だとォ!?」
「お前みたいな屑野郎を相手に一撃で終わらせてやるほど、俺は甘くない」
「神である僕が、人間に手加減してやる立場の存在だろうがァ!!」
「いいよ別に、お前も本気でこいよ」
魔法が放たれる前に太郎の拳がアバドンの顔面を粉砕。さらにその場から逃げ出そうとしたアバドンの体を太郎は勢いよく踏みつけ、そして再生したばかりの顔面を再び殴る。
「やっと、戻ってこれたのに・・・平和になったはずの、みんなで守ったこの世界に」
「うアァあアあぁあアッ!!」
「なのになんで、またみんなが傷ついてんだ?」
地面が砕け散るが、やれやれと微笑みながらユグドラシルがすぐに修復する。
「なんでテミスが泣いてんだァ!!」
「だ、誰か・・・!」
デタラメに魔法を撃ちまくり、アバドンがその場から逃げ出す。その表情からは、太郎に対する明確な恐怖が感じられた。
「誰か僕を助けろおお!!」
走りながらそう叫ぶが、傷が癒えて集まってきた人々は誰もアバドンに手を差し伸べない。
「人間の分際で、神である僕をそんな目で見るなあ!!」
「貴方はもう神ではありませんよ、アバドン」
喚くアバドンの目の前に転移したユグドラシルが、見下すように彼を見つめながら笑みを浮かべる。
「私の太郎にプライドも何もかもを砕かれ、この世から消えてなくなる惨めな害虫以下の生ゴミです」
まるで語尾にハートマークが付いているかのような声でそう言われ、アバドンは本気でブチギレる───が。
「さっきからユグドラシルが〝私の太郎〟って言ってるのがなんとも気になるところだが、お前はもう終わりだ」
「ひいっ・・・!」
背後に立つ太郎にそう言われ、アバドンは震え上がる。残った魔力はもう僅か、これ以上スキルを使えば間違いなく死ぬ。
「く、くそっ、くそくそくそくそくそくそくそッ!!!」
「ん・・・?」
「だったら!お前達全員まとめて消し飛ばしてやるよおおおッ!!!」
そう思ったアバドンは魔力を全て解き放ち、勝ち誇ったような表情で太郎を睨む。
「・・・ユグドラシル、これは?」
「自爆ですね」
「ふむ、なるほどな」
「ハハハハハハッ!!ざまあみろ、どうせ死ぬのなら全部ぶっ壊して全員道連れだ!!悔しいか!?絶望してるか!?ほらほら、もう爆発寸前だ!!答えてみせろよ人間んんんんんッ!!」
光がアバドンの体から溢れ出した───直後。ニヤリと笑いながら、太郎はアバドンを遥か上空目掛けて蹴り上げた。
「一人で死んでろ」
「────うああああああああああッ!!!」
そして、アバドンは一人で自爆した。凄まじい音が響き渡り、風がオーデムを駆け巡る。
「うし、終わったな」
「流石は私の太郎ですね!」
「・・・お前さぁ。恥ずかしいし勘違いされるから、私のって言うんじゃないよ」
アバドンの自爆を眺め終えた太郎とユグドラシルのゆるい会話。それを聞きながら、人々は悪夢の時間がようやく終わったのだと実感し、そして歓声を上げた。
さらに────
「うあああん!タローおおおっ!!」
「おっと」
「ご主人様あああっ!!」
「おかえりタローくーーん!」
「た、タローさぁん!生きてるって信じてたよぉ!」
「ちょっ、ぐえあっ!?」
四年前にも同じようなことがあった気がすると思いながら、太郎は美少女達に抱きつかれて転倒する。
「ぐすっ、ううう!ほんとに、また会えて、私っ・・・!」
「て、テミス・・・」
胸に顔を押し当てながら号泣しているテミスを見て、太郎の目にも涙が浮かぶ。
「もう離さないぞ、テミス」
「うん、うんっ・・・!」
そして、そんな彼女の頭を撫でながら、太郎は幸せそうにそう言い、テミスは満面の笑みで頷いた。