第123話 奈落の悪神
ギルドに辿り着いた私は目を疑った。受付前に置かれた椅子に腰掛けている男が一人。そして、ギルド内の様々な場所で倒れているのは────
「どうも、貴女も絶望を味わう為に来たんですか?」
「そ、そんな・・・」
折れた大剣を握るアレクシス、そんな彼の横で倒れているラスティ、壁にもたれかかった状態でピクリとも動かないハスターさん。
「弱い人達ばかりで驚きましたよ。それなりに期待していた魔王さんも・・・ね」
血溜まりの中で横たわるベルゼブブ、崩れた壁の下敷きになっているディーネ。そして、男が踏んでいるのはうつ伏せに倒れているマナだ。
「足をどけろ!」
「え、嫌ですけど。人間の分際で、何僕に命令してるんですか貴女」
信じられない光景が広がっている。ベルゼブブ達全員を一人で戦闘不能にしたのだとしたら、この男は・・・。
「ああ、自己紹介がまだでしたね。僕はアバドン、六千年の眠りから目覚めた〝悪神〟です」
「悪神・・・?」
「僕はね、悪い神なんですよ。人の絶望した表情が、それはもう大好きで大好きで・・・」
アバドンが指を鳴らす。すると空中に黒い球体が出現し、それを見ながら彼は楽しそうに笑う。
「そ、ソンノさん・・・!」
球体の中には、苦しそうに顔を歪めているソンノさんが閉じ込められていた。魔力を殆ど感じることができず、意識を失っている可能性が高い。
「今すぐソンノさんを解放しろ!」
「だからー、僕って命令されるのが大嫌いなんですよね。次僕に命令したら、この女殺しますから」
魔力が放たれ、それをまともに受けた私は壁に叩き付けられた。さらに両手両足に黒い鎖が絡みつき、大の字の状態で身動きが取れなくなる。
「くっ・・・!」
「いいですね、その表情。もっともっと絶望させてあげたくなります」
「何が、目的なんだ」
「わざわざ答えるのは面倒なんですけど・・・まあ、教えてあげましょう。僕は六千年前、女神ユグドラシルに封印された正真正銘本物の神。フフ、悪の神ですが」
立ち上がり、吐き気がする程得体の知れない魔力を悪神アバドンは放出する。
「ユグドラシル様に封印された・・・?」
「世界中に毒を撒き散らしたり文明を破壊してたら目をつけられまして。女神ユグドラシル、裏世界の女神、そして魔界の神である僕は〝原初の三神〟と呼ばれていたんですけど、毎日退屈だったものでね。楽しい悪さを行っていたんですよ。その結果、封印されたというわけです」
マナを蹴り飛ばし、アバドンは歩き始めた。
「貴様・・・!」
「怒らないでくださいよ、邪魔だったんですから仕方ないでしょう?」
目の前まで歩いてきたアバドンが、私の瞳をじっと覗き込んでくる。至近距離で見る彼の瞳は濁っており、何を考えているのかが全く分からない。
「封印されて六千年経ちましたが、四年ほど前に世界中の魔力が突然乱れました。そう、貴女もよく知っているであろう魔王グリードと人間の力がぶつかり合った影響です。それは、僕の封印の力を弱めてくれました。そして今日、僕はこうして封印を破って復活したんです」
「何故、オーデムに?」
「この場所こそが、僕がユグドラシルに封印された場所だから」
「さっき私は鬼族の男と戦った。彼はお前の部下だったのか?」
「いえいえ、違いますよ。彼は僕が復活前に世界各地に散らした〝悪の魔力〟を手にした者。それは、僕と同じ〝悪の心〟を持った者の悪意を増幅させる効果があります。そして、力を得た彼らを、僕は今回の祭りの参加者として呼んだだけです」
「祭りとは、一体何なんだ・・・?」
それを聞き、アバドンはニタリと笑った。
「殺戮ですよ」
「え・・・」
「この地上に住む全ての生物を皆殺しにするんです!それから世界中の植物を枯らして世界中の水を毒に変える。あぁ、なんて魅力的な未来なんだろう・・・!」
「そ、そんなことをする意味があるのか!?」
「どうでしょう。僕は悪神ですからね、悪いことをするのが大好きで大好きでたまらないんですよ!!」
狂っている。特に理由も目的も無く、この男はこの世界を滅ぼそうとしているというのか。そう思った直後、アバドンの膝が私の鳩尾にめり込んだ。
「ぐあっ・・・!?」
「どうですか、絶望してますか?仲間は全滅、貴女も一切身動きが取れないこの状況、絶望的ですよね?」
「ふざ、けるな・・・!」
魔力を纏い、手足に力を入れるが鎖は切れない。
「無駄ですよ、貴女じゃ切るのは不可能だ」
「がっ・・・!」
今度は殴られ、背後の壁が衝撃波で吹き飛ぶ。
「テミスお姉ちゃんから離れろッ!!」
「おっと」
その直後、雷を纏ったマナが凄まじい速度でアバドンの顔面を蹴り、吹っ飛ばした。そんな彼女は私の前に降り立つと、頭を押さえながら膝をつく。
「ま、マナ、大丈夫か!?」
「大丈夫・・・とは言えないかも」
マナの視線の先では、起き上がったアバドンが笑いながら魔法を展開していた。空中に描かれた魔法陣に魔力が集まり、そこから魔法が放たれようとしている。
「この鎖され切れれば・・・!」
「私が時間を稼ぐから、その間に何とかして!」
そう言い、マナはアバドン目掛けて駆け出した。その直後、魔法陣から三発の魔法が放たれ、その全てがマナに直撃する。
「ま、マナ!」
「うっ、くうぅ・・・!」
壁に衝突し、前のめりに倒れたマナ。しかしすぐに立ち上がり、再びアバドンに向かって駆け出す。
「くそっ、切れてくれ・・・!」
その隙にもう一度手足に力を入れるが、やはり鎖は切れない。アバドンの魔力で生み出されたのであろうこの鎖を切るには、床に落ちている刀を使わなければ。しかし、手足を動かせないこの状態では、刀を拾うことなど不可能だ。
「し、しっかりしなさい・・・!」
そう思った時、突然両手足を拘束していた鎖が砕け散った。声がした方に顔を向ければ、倒れていたベルゼブブが起き上がり、手のひらをこちらに向けている。どうやら彼女が魔法で鎖を破壊してくれたようだ。
「ベルゼブブ、大丈夫か!?」
「大丈夫、とは言えないわね。初めての経験だったわ、魔力はまだまだ残っているのに魔法が使えなかったのは・・・」
「え・・・?」
直後、爆発音と共にマナが吹っ飛んだ。駄目だ、呑気に話をしている場合じゃない。
「君達魔族は大半が魔法に頼った戦闘スタイルですからね。人間も、魔力を武器に纏わせた一種の魔法を好んで使う。だからこそ、この僕には勝てないんです」
そう言ったのと同時にアバドンが魔力を放つ。それを浴びた瞬間、突然私が纏っていた魔力が強制的に体内に戻された。
「なっ・・・!?」
「僕は周囲の魔力を支配する〝スキル〟が使えます。残念ですが、僕の前で魔法の使用は許可しません」
スキルとは一体何なのだろう。魔法か、それとも外法か。それは分からないが、それを使われると私達は魔力を纏うことすら出来なくなるらしい。
「この時代にはスキルが伝わっていないのかなぁ。知らないだけで、貴女達も必ず一つスキルを持ってるんですよ?」
「・・・どういうことだ」
「銀髪の貴女のスキルは、精霊憑きの宝剣を召喚することを可能とする。そして魔王の貴女は、複数の魔力を同時に使用可能になるスキルだ」
「意味の分からないことを言うのね。今そんなことを教えてもらったところで、全然嬉しくなんかないわ」
「そうですか、それは残念です」
アバドンが再び魔力を放つ。しかし先程の魔力封じとは違い、今のは魔法を使う為に解放した魔力だ。
「久々に楽しめましたよ、ほんの少しだけね」
「っ、テミス!」
「言われなくても・・・!」
数十発ものレーザーのような魔法が放たれ、ギルドのあちこちを破壊する。倒れた仲間達を守る為、私とベルゼブブは魔力無しで魔法を弾いたが、それによって受けたダメージは凄まじかった。
「べ、ベルゼブブ、無事か・・・!?」
「このままじゃ死んじゃうかもね・・・!」
ベルゼブブがアバドンに殴り掛かったが、彼女の拳は不可視の障壁に弾かれる。さらに至近距離から魔法を食らい、彼女はギルドの壁ごと外に吹っ飛んだ。
「くっ・・・!」
「次は貴女の番ですよ」
魔法がギルドを吹き飛ばす。その衝撃で私も外に投げ出され、空中でさらに魔法を浴びて民家に突っ込む。
「とてもいい表情だ」
「はああ!!」
立ち上がったのと同時に斬り掛かったが、私の刀も障壁に阻まれアバドンに届かない。
「どうして・・・!」
「はい?」
「どうして、タローが守った世界をお前なんかに滅ぼされなきゃならないんだッ!!」
もう一度刀を振り下ろすが、やはり障壁を突破することは出来ない。しかし、諦めずに何度も障壁を斬る。
「お前なんかに・・・!」
「おや、泣いてるんですか?」
鎖が私の首に巻き付き、アバドンはそれを操って私を民家の外に放り出す。さらにそのまま振り回され、何度も建物にぶつかってから地面に叩き付けられた。
「あはは、なるほど。悔しいですか?僕が憎いですか?グリードを始末した人間は、貴女にとって最も大切な人だったんですね」
鎖を切断し、立ち上がって納刀する。魔力無しの状態で、果たしてどれだけの威力を発揮出来るだろうか。それでも私は奥義を放つ為に構え、目を閉じた。
「へえ、面白そうだ。なんだか楽しませてくれそうな予感がするので、特別に今だけ魔力を使わせてあげましょう」
「っ、後悔しろ・・・!」
地を蹴り、一瞬でアバドンとの距離を詰める。そして私は抜刀と同時に全魔力を解放し、奥義を放った。
「これで終わりだ、悪神ッ!!」
「ッ────」
全力の一太刀が障壁ごとアバドンの首を切断した。納刀と同時に振り返れば、首が落ちたアバドンがその場に倒れ込んだのが目に映る。
「はぁ、はぁ・・・勝った、のか?」
痛む体を引き摺り、動かなくなったアバドンに近付く。それでも彼は動かなかったので、私は向こうで倒れているベルゼブブに歩み寄った。
「ふ、ふふ、終わったのね・・・」
「そう、みたいだ。まさか、ベルゼブブ達を圧倒する敵が現れるとは・・・」
「何言ってるのよ、私よりも貴女の方が強いじゃない」
「そ、それは言い過ぎだと思う」
ボロボロになっているベルゼブブに肩を貸し、崩れたギルドに向かう。幸いなことに、意識は失っていたものの、ソンノさん達は全員生きていた。
「アハハ、おっかないなぁ」
「「ッ!!?」」
早く全員を連れて安全な場所に行かなければ・・・そう思った次の瞬間、背後から凄まじい魔力を感じて体が固まる。
「スキル無しじゃ、貴女は僕を殺すことができるようだ。あまりにも速かったので、神である僕ですら目で追えませんでしたよ。死ぬ前に今の技、教えてくれませんか?」
「そ、そんな、どうして・・・」
振り返れば、切断した部分が元通りになっているアバドンが、まるで何事も無かったかのように立っていた。