第118話 ユグドラシルの守護者達
「はぁー・・・ははは、終わった」
魔力を使い切った太郎はそう言い、仲間達に勝利を報告する為に振り返る。そんな彼に勢いよく抱きついたのは、誰よりも彼を心配していたであろうテミスだった。
「タローっ!うぅ、よかった・・・!」
「て、テミス・・・」
「うわあああん、タローおお!」
「ちょっ・・・ぐええっ!?」
さらに号泣するベルゼブブやディーネ、笑顔のマナやラスティ達にまでもが倒れる太郎にのしかかる。
「やれやれ、我らが英雄王は大人気だな」
「ちぇー、羨ましいけど今回は見逃してやるぜー」
「そ、そんなことを言う前に助けてくれ・・・」
アレクシスとハスターも、抱きついたりなどはしなかったが嬉しそうに太郎に駆け寄る。
「ま、魔王様、パンツが・・・!」
「何興奮してんだよド変態。よー、タロー。お疲れ様だな」
「私達、とんでもない連中を相手に馬鹿なことをしてたのね」
「あのグリードを打ち負かすとはな。サトータロー・・・とんでもない男だ」
同じくヴェントとテラもそう言いながら集まってきた。そして、少し離れた場所ではネビアとフレイが並んで彼らを見つめている。
「これで、また、タローと一緒に暮らせるんだな・・・!」
「ちょっと、ずるいわよテミス!私だって、一度だけでいいからタローと暮したいわ!」
「だ、駄目だよベルちゃん。さすがに今回は、テミスさんに独り占めさせてあげないと・・・」
「えー、マナもまぜてー!」
様々な場所に素晴らしい感触のものが押し当てられ、太郎の理性が吹っ飛びかける。しかし自分を必死に抑えようと頑張っている太郎を、ユグドラシルは笑いを堪えながら眺めていた。
「あ、アークライトは、あそこに乱入しないのですか・・・?」
「す、するわけないだろ」
「またまたー。そんなこと言って、本当は彼によく頑張ったなーって褒められたくてウズウズしているくせにー」
「うっ、うるさい、そんなこと思ってない!」
「ほら、遠慮なく甘えてきたらいいじゃないですか」
ユグドラシルに押され、ソンノは顔を赤くしながら一度ユグドラシル睨んだ後、恥ずかしそうに太郎達に向かって歩いていった。
そんな彼女の後ろ姿を見ながら、ようやく長い戦いが終わったのだとユグドラシルは実感する。
「あら、いつの間にか空が・・・」
そして顔を上に向ければ、どこまでも青く続く空が見える。天から降り注ぐ光は、まるで巨悪に打ち勝った自分達を祝福しているかのようであった。
「────おーい、ユグドラシル?」
「ひゃっ!?び、びっくりした。急に声をかけないでくださいよ・・・」
それからどれだけの時間、空を見上げていただろうか。突然背後から声をかけられたユグドラシルは、驚きのあまり変な声を出してしまい、振り向けばニヤニヤしている太郎と目が合う。
「おいおい。さっき俺がびっくりした時はあんなに馬鹿にしてきたくせに、そっちもなかなかの反応だったぞ」
「くっ、今のは卑怯ですよ!」
「何がだよ」
「それで、どうしたんですか?」
ちらりと向こうを見れば、楽しげに会話しているテミスやベルゼブブ、ソンノ達の姿が目に映る。どうして彼女達との会話を続けるより、自分と会話することを選んだのかと、ユグドラシルは不思議そうに聞いた。
「お礼を言っとこうと思ってな」
「お礼、ですか?」
「さっきの戦いは、ユグドラシルのサポート無しじゃ絶対に勝てなかった。それに、皆の回復もしてくれたしな。まじで助かったよ、ありがとう」
そう言われ、ユグドラシルはポカーンと太郎を見つめた。
「い、いや、私は貴方を巻き込んでしまったのですよ?サポートするのは当然ですし、本来ならあの場で戦わなければならなかったのは私です。なのに、どうしてお礼などを・・・」
「この戦いに巻き込んでくれたのも、俺に力を貸してくれたのも、全部感謝してる。そのおかげで大切な仲間達に出会えたし、守れたんだから。それに───」
ユグドラシルに手を差し出し、太郎は笑う。
「お前だって、その大切な仲間達の中に含まれてんだ。これからも世話になるとは思うけど、よろしくな」
「・・・本当に貴方は、不思議な人ですね」
その手を、ユグドラシルも笑顔で握った────その直後のことだった。
『生まれて初めて受けた衝撃であった。あの手の震えは恐怖によるものか、それとも喜びによるものか・・・』
「「ッ!?」」
誰もが同時に魔力を纏う。そして、太郎とユグドラシルは驚きのあまり言葉を失った。青空は紅く染まり、遥か上空から絶望の権化が翼を広げて舞い降りたからだ。
『死を覚悟したのは初めてだ。そして、余がこの魔力を誰かを相手に纏ったのも・・・』
「そ、そんな、どうして・・・」
あのユグドラシルの顔が真っ青になり、体が震えている。それは太郎も同様であり、何も言えずにただただ震えながら現れた存在を呆然と見つめている。
「有り得ません・・・だって、貴方の魔力は完全に消滅した筈なのに・・・」
『余は無限の魔力を持つ魔の神だ。ユグドラシルよ。貴様程度の魔力で、余の偉大なる魔力を滅することなどできん』
胸から上は黒く染まり、まるで影を纏っているかのような姿に。感じる魔力は大罪魔力数十個分で、太郎が纏う全力の魔力を遥かに上回っていた。
「倒し・・・損ねた?」
現れた魔の化身を見て、太郎が呟く。
「このままじゃ、俺のせいで、みんなが・・・」
「ち、違います!落ち着いてください、佐藤太郎」
『そうだ、貴様のせいで全員死ぬ』
呆然と、魔力を纏い────
「くっそおおおおおおおッ!!」
一気に距離を詰め、全力で顔面目掛けて拳を突き出す。しかし、それは手のひらであっさりと受け止められた。
『余は魔神グリード。光栄に思え、余の全力を味わえることを』
「ッ─────」
殴られたのか、それとも蹴られたのか。凄まじい衝撃を感じた瞬間には既に肋骨が砕け散り、そのまま地面に激突した太郎はその場から動けなくなる。
「よ、よくも・・・!」
あのテミスが殺意を剥き出しにし、宝剣を召喚してグリードに斬り掛かる。凄まじい速度で背後に回り込み、全力で振り下ろした懇親の一撃。
それがグリードに届くことは無く。
『脆い・・・人間という生き物はあまりにも脆いものだ』
「がっ・・・!?」
軽く振られた尻尾が鳩尾にめり込み、テミスは為す術も無く派手に吹っ飛んだ。
「貴様ァ!!」
それを見たベルゼブブが二つの魔力を纏い、猛スピードでグリードに接近。そして至近距離で憤怒の魔力を放ったが、それを避けようともせずにグリードは手の甲で上へと弾く。
驚きはしたものの、怯まずベルゼブブは暴食の魔力を手元に集め、そして解き放つ。対象を完全消滅させ、魔力を根こそぎ喰らう〝魔王の晩餐〟という彼女の切り札とも言うべき大魔法。
それを、グリードは全く同じ魔法で相殺した。
「なっ・・・!?」
『貴様の大罪魔力は元々余のものだ。貴様が使う魔法を余が使えんとでも思っていたのか』
憤怒の魔力を浴び、ベルゼブブは吹っ飛ぶ。そんな彼女にグリードは再び魔力を放とうとしたが、背後から殺気を感じて振り返る。
「絶対零度の大海竜咆哮ッ!!」
その直後にあらゆるものを凍結させる嫉妬の大魔法が放たれたが、それをグリードは暴食の魔力で魔法を構成していた魔力ごと全て喰らった。
『貴様の魔力を喰らうのは、これで何度目か。だが、大変美味で余は気に入っているぞ?』
「きゃあっ!」
暴食の魔力がディーネを包み込む。そして存在諸共喰らい尽くそうと、グリードは魔力をさらに増やしたが。
「させるかよっ・・・!」
『ぬう────』
フレイの魔法を背中に受け、意識をそちらに向けてしまったことでディーネを包んでいた魔力が散り、彼女は解放された。
「油断するなよ馬鹿」
「久々だなぁ、俺達四人が揃って戦うの!」
そんなディーネの前に立ち、ヴェントが竜巻を発生させる。そこにテラが砕いた岩を撃ち込み、さらに反対側からフレイが爆炎を放ったことで、合わさった魔法は凄まじい火力を誇る炎の渦と化した。そこから脱出しようにも、岩が弾丸となってグリードの行く手を阻む────が。
『ククッ、豪華な晩餐だ』
「チィ、魔法攻撃は一切通用しないか・・・!」
三人分の魔力と魔法をまとめて喰らい、お返しとばかりにグリードが爆炎を放つ。それに対してディーネは全力で嫉妬の魔力を放ったが、一瞬で押し負け炎が彼女達を飲み込んだ。
「「そこだッ!!」」
そして、二人はそのタイミングを狙っていた。ディーネ達に意識を向けていたグリードの頭にアレクシスが大剣を振り下ろし、背後からアダマスの魔力を纏ったラスティが首を切断する為鎌を振るう。
しかし、燃え盛る大剣はグリードの頭に直撃したものの、全身を覆う魔力に阻まれダメージは無く。ラスティの鎌も同じく魔力を貫通できず、完全な不意打ちだったにもかかわらずに、逆に彼らが危機的な状態に陥ってしまった。
「やっべえなぁおい。こりゃおっさんなんかじゃどうすることもできねーぞ!」
「私の幻術も全く効かないしね!」
当然グリードは彼らを引き裂く為に腕を振ったが、それが当たる直前にネビアの分身達が視界を遮り、ハスターが二人に糸を絡ませ、そして引き寄せたことでなんとか回避できた。
「まだだ!全員で力を合わせれば、必ず何か突破口が・・・!」
『無駄無駄、全て無駄だ。虫ケラ共が何匹群がろうと、塵ほども脅威とは思えんわ』
ハスター達の横を猛スピードで駆け抜け、テミスが再びグリードに接近戦を挑む。そんな彼女にグリードが面倒そうに魔法を放とうとした直後、左右からベルゼブブとディーネが襲い掛かる。
「魔法が駄目なら───」
「───ぶん殴るッ!!」
目にも留まらぬ速度で魔界最強の少女二人の拳がグリードに迫り、さらにテミスが本気で宝剣を振り下ろす。
『傲慢な虫共だ。まだ分からんのか?貴様ら虫ケラ程度は、神に触れることすら許されん』
三方向からの攻撃を避けようともせず、グリードは怠惰の魔力を周囲に展開する。そして、それを受けて一気に減速した三人を、グリードは勢いよく尻尾を振り回して弾き飛ばした。
「も、もうやめろ、グリード!私達の負けだ、それ以上私の仲間に手を出すな!」
次々と仲間達が倒れていく。それを見て、女神の魔力を使い果たしたソンノは必死に叫ぶが、それでもグリードは蹂躙の手を一切緩めない。
「グリード・・・!」
『余は貴様の魔法で二千年以上も身動きが取れん状態で過ごしてきた。ようやくこうして自由に手足を動かすことができるようになったのだ、虫を踏み潰すぐらい構わんだろう!?』
「う、ああああああああッ!!」
怒りが限界を超え、ソンノはグリードに殴り掛かった。しかし魔力を浴びて宙を舞い、腹を踏まれてそのまま地面に叩き付けられる。
「がはっ・・・!」
『あの時は本当に油断した。その気になれば、貴様など一瞬で殺せていたというのにな・・・余が別空間に引き込まれる際に見た勝ち誇った貴様の表情が、二千年経った今でも忘れられんのだ』
ソンノを踏んだままグリードが背後に魔力を放ち、迫っていた太郎を吹き飛ばす。
「た、タロー・・・!」
『しぶとい奴だな。あれ程のダメージを負っているというのに、まだ立ち上がるとは。だが、もうユグドラシルは奴の魔力を使って回復を行うことはできない。あと一回でも上位の回復魔法を使用すれば、残り少ない魔力を大幅に消費してしまい、サトータローは動けなくなるだろう』
バキバキと、ソンノの腹部から音が鳴る。
『貴様の怪我も、もう治らんさ』
「だったら足をどけろよクソ野郎ッ!!」
直後、グリードが吹っ飛んだ。即座に体勢を立て直した太郎に顔面を蹴られたのだ。
『ククク、やはり貴様は特別だな』
「負けるかよ・・・!」
それがグリードにダメージを与えることは無かったが、それでも太郎はグリード目掛けて駆け出し、そして拳を振るう。
『充分過ぎる程に楽しめたぞ、サトータローよ』
「がっ────」
拳が届く前に腹を殴られ、頭突きを浴び、脚を砕かれ、ブレスで吹き飛ぶ。
『さあ、これで終わりだ』
「うぐっ・・・!」
倒れ込んだ太郎に、グリードは手のひらを向ける。そこに集まっていた膨大な魔力を浴びれば間違いなく死ぬ・・・分かっていても、最早太郎は動けない。
しかしそれが放たれる直前、何かがグリードの肩を裂いた。
『っ・・・?』
「さ、させない・・・!」
テミスが放った斬撃が、全ての攻撃を弾き続けたグリードの魔力を突き破り、そしてダメージを与えたのだ。自身の肩から噴き出す血を眺めながら、グリードは心底嬉しそうに笑った。
『はは、ははははははは!いいぞ、素晴らしい!!』
一瞬で距離を詰め、グリードはテミスの首を掴んで持ち上げる。
「ひっ・・・!?」
『サービスだ、まずは貴様から殺してやる』
そのままグリードの手がテミスの首を握り潰す寸前に、
「テミスに触んな・・・!」
太郎の拳がグリードを吹っ飛ばした。そして、グリードの手から解放されたテミスを太郎は受け止めたものの、力が入らずに膝をつく。
「た、タロー!」
「はは、やばいな・・・」
太郎の視線の先では、ゆらりと立ち上がったグリードが翼を広げ、凄まじい魔力を纏いながら遥か上空へと飛んでいく。そして世界樹の守護者達を見下ろしながら、グリードは超巨大な魔法陣を展開した。
「畜生、何をするつもりだ・・・!」
『ククッ、貴様らはよく頑張った。魔神である余を相手に、何度倒れても立ち上がり・・・そんな貴様らに敬意を表し、余の最大魔法を見せてやろう』
魔法陣の中心に集まっていく魔力の流れを感じながら、ユグドラシルは諦めたように呟いた。
「もう、お終いです・・・」
「は・・・?」
「これだけやっても勝てないなんて・・・完全に想定外でした。今から放たれる魔法は、恐らくこの大陸全土を焼き尽くす程の破壊力でしょう。私達の、負けです」
「な、何言ってんだよ。まだ終わってないだろ!?」
元のサイズに戻ったユグドラシルの肩を掴み、太郎は彼女をガクガクと揺さぶる。そして仲間達に顔を向けたが、全員がユグドラシルと同じような表情を浮かべていた。
瞳から希望は消え、絶望に染まり、そして誰もが呆然と空を見上げている。
「嘘、だろ。皆、そんな簡単に諦めるのかよ・・・」
『跡形も無く、全員纏めて消し去ってくれるわ!』
「ここまでやって、俺達は・・・」
魔法が放たれる。それが分かり、遂に抵抗を諦めた太郎が考えることをやめようとした───その直前。
「っ・・・!」
誰かが、太郎の手をきつく握りしめる。隣を見れば、テミスが目に涙を浮かべながら、太郎の瞳を見つめていた。
「ごめん、タロー。これは私達の問題なのに、無関係だったタローを巻き込んでしまって」
「テミス・・・」
「もしまた会えたなら、もう一度・・・貴方に寄り添いたい。私は、いつまでもタローだけを愛しているから────」
それを聞いた瞬間、太郎は思い出した。
あの日、誰よりも愛しているこの少女が傷付いた日。裏の世界でユグドラシルから教えてもらった、自身の中に眠る最後の力を。
「───俺も、君を愛してる」
絶対に使うなと言われていた、使うことなど無いと思っていた、今では存在すら忘れていた、そんな力。
『消えろ、混沌の終炎ッ!!』
最愛の人を守る為なら、喜んでその力を解き放とう。覚悟を決めた太郎は、目を閉じてその力が何処に眠っているのかを探り、そして─────
『ば、馬鹿な・・・』
放たれた終焉の魔法は消滅し、死を覚悟していたテミス達の前には、銀色のオーラを纏った英雄が立っていた。