第112話 剣聖テミス・シルヴァ
壮絶な斬り合いの最中、テミスは違和感を感じていた。
「くっそォ!!」
「・・・!」
以前手も足も出なかった相手、ノワール。しかし今は、防戦一方にも見えるがテミスは全ての斬撃を慌てずに受けとめている。その気になれば、一瞬でノワールの命を絶つことが可能な程の余裕を持って。
「有り得ない、こんなのおかしいわ!」
振り下ろされた漆黒の剣を避け、距離をとる。直後にノワールは瞬時にテミスに接近するが、全力の一撃は再びあっさりと受け止められた。
「どうして、届かないの・・・!?」
テミスに弾き飛ばされ、着地したノワールは呆然と剣を下ろす。そんな彼女を見ながら、テミスは師匠であるエリスとの激戦を思い出していた。
神罰の使徒の中でも恐らく最も力を持っていたであろうエリスに、テミスは勝利した。圧倒的な実力差を埋めたのは、元々テミスが持っていた才能と意地。彼女は無意識に行っていた〝手加減〟を捨て、全力で相手を迎え撃つ剣士として覚醒したのだ。
それから間もなくこのアトランディアへと上陸したテミスは、自分のステータスなど一切確認していない。故に彼女は知らなかった。レベルに関係なく、自身のステータスが爆発的に増加していることに。
「貴女、何をしたの!?一体どうやってそれだけの力を手に入れたというのよ!」
魔力を纏い地を蹴ったノワールだったが、凄まじい魔力を感じ取って咄嗟に身を捩った。直後に真横の地面が砕け散り、遺跡の外に見える巨大な山が真っ二つに切断される。
「ぐっ・・・!?」
「さあ、行くぞノワール」
そこからテミスの攻撃が始まった。距離を取ろうとしたノワールに猛スピードで接近し、剣を振るう。それを双剣で受け止めたノワールだったが、衝撃で背後の壁に叩き付けられた。
目を開ければ既にテミスは目の前に。がむしゃらに双剣を振っても跳んだテミスにそれは当たらず、落下と共に振り下ろされた剣から放たれた魔力の斬撃がノワールを吹き飛ばす。
「ば、化物め!!」
「はああッ!!」
遺跡の外に飛び出したノワールを、テミスはさらに蹴り飛ばした。そのまま何度か地面の上を転がったノワールだが、剣を地面に叩き付けて飛び起きる。
「貴女みたいな化物なんかに、私のタローは渡さない・・・!」
「やれやれ、昔の自分の成れの果て・・・とでも言うべき相手だな。あの頃は、ベルゼブブやディーネに嫉妬ばかりしていたから」
「私は、私の全てを彼に捧げられるの!貴女とは違う、私は貴女とは違うんだから!」
黒の斬撃を放ち、同時に地を蹴る。テミスが斬撃を剣で弾く瞬間を狙ったノワールの行動。彼女の狙い通り、テミスは剣に魔力を纏わせ黒の斬撃を弾き飛ばした。
その瞬間、ノワールはテミス目掛けて交差させた双剣を振り下ろした。それがテミスを引き裂くまで残り数cm、勝利を確信したノワールは歪な笑みを浮かべたが────
「私だって、タローになら何をされてもいい。あ、あんな事やそういう事をされてもいいし・・・す、寸前までいったし」
信じられなかった。テミスはノワールの双剣を躱そうともせず、その場から動かずに受け止めたのだ。
最初の斬撃を弾いたタイミングでノワールは攻撃を仕掛け、その時点でテミスは絶対にノワールの攻撃を受け止められない位置まで剣を振っていたというのに。
つまり、テミスはノワールを遥かに上回る速度で腕を元の位置に戻し、ノワールの攻撃を受け止めた・・・そういう事である。しかも、タローと何をしたのかを思い出しているのか、恥ずかしそうに頬を赤く染めながら。
「あ、あああ・・・」
ノワールは悟ってしまった。このままでは、何をしても絶対に勝てない。待っているのは屈辱的な敗北のみである、と。
「私は、黒の戦乙女・・・負けなんて認めない、許されない・・・」
「・・・?」
「私がテミスなんだ・・・タローは、きっと私を求めてる・・・強くて美しくて、何もかもを捧げられるこの私を・・・」
テミスから離れ、魔力を全て体内に戻したノワール。降参でもするつもりかとテミスは思ったが、何やらノワールの様子がおかしい事に彼女は気付く。
「そうだ、私は貴女と違って全てをタローの為に捧げられる。そう、〝この命〟だってね・・・!」
「っ、何をするつもりだ」
次の瞬間、ノワールの魔力が爆発的に上昇した。黒い魔力が全身から凄まじい勢いで溢れ出し、怯えた表情から自信に溢れた好戦的な表情に。
「あっははははははは!!馬鹿ね、テミス・シルヴァ!私を殺すチャンスは何度もあったのに・・・!」
「まさか、魔力を暴走させたのか!?そんな事をすれば、身体が耐えられなくなるぞ!」
「その前にお前を殺せばいいだけだァッ!!」
剣を構えたテミスだったが、ノワールは一瞬で彼女の背後に回り込んだ。寒気がする程の殺気を感じたテミスは振り向きざまに剣を振るうものの、ノワールは再び彼女の背後を取る。
「くっ・・・!」
「死ね、銀の戦乙女ッ!!」
本能で命の危機を感じ取り、テミスは勢いよく跳ぶ。それによってノワールの剣は空を斬ったが、逃げ場の無い空中に逃げたテミスをノワールは逃がさない。
「終わりだ死ねえッ!!!」
全力で双剣を振るい、凄まじい魔力を一気に放つ。それは巨大な漆黒の刃と化し、空で爆ぜた。
確実にテミスは爆発に飲まれ、衝撃で近くの遺跡や雲は吹き飛ぶ。勝った───確かな手応えを感じ、暴走状態のノワールはニヤリと笑った。
「────ふう、今のは危なかった」
だが。
仕留めた筈の少女は爆煙の中から姿を現し、停止したノワールの前に着地した。驚くべきことに、所々服が破れたりはしているものの、血などは一切流していない。
「は、はは・・・」
今のを空中で受け止め、吹き飛ばしたとでもいうのか。乾いた笑い声を発しながら、ノワールは震える手で双剣を握り締める。
「悪夢よ・・・こんなの悪夢だ」
「違う、現実だ。そしてこの戦いは間もなく終わる。手加減はしていなかったが、少し限界を超えさせてもらうぞ・・・!」
そんなノワールの前で、テミスは剣を鞘に戻して右手を前に突き出した。
「天穿ち地を裂く魔討の剣よ。主たるテミス・シルヴァの声を聞き、今こそ来たれ───《宝剣グランドクロス》ッ!!」
膨大な力を秘めた宝剣が、テミスの手元に召喚された。それを手に取りノワールを睨んだ彼女は、ノワールから見ればまるで別人。表情から優しさは消え、膨れ上がったテミスの魔力が大地と大気を震わせる。
「け、剣聖────」
「アークブレイド」
ノワールがそう口にした次の瞬間、一気にノワールとの距離を詰めたテミスは剣を振り下ろした。それを受け止める為に腕を動かそうとしたノワールだったが、あまりの速度に対応が追いつかない。
そこで偶然石に躓き、ノワールはバランスを崩す。それは奇跡だった。目の前を銀色の刃が通過し、数km先までまるで豆腐のように斬り裂いたのだから。
「う、あっ・・・!?」
「今のお前が神罰の使徒に協力的じゃないというのはよく分かった。だが、タローだけは誰にも渡さない。彼に認めてもらい、寄り添うことを許されたのは私なんだ・・・!」
「だ、だからっ!何様のつもりなんだよお前ええッ!!」
それでもノワールはテミスに斬りかかり、迫り来る刃をテミスはあっさりと受け止める。
「私は努力した、いつまでも彼に守ってもらうだけじゃ駄目だから。平和な世界で暮らしていたという彼は、今私達の為に戦ってくれている・・・だから、背中を預けられる一番のパートナーになって、今度こそタローの力になるんだッ!!」
そしてノワールを弾き飛ばした。しかしノワールはまだ諦めていない。それどころか、さらに魔力を暴走させる。
「あっ、ぐああああああ!!」
「どこまで魔力を暴走させるつもりだ・・・!」
「ああああああっははアアアッ!!!」
地面が爆ぜる程勢いよく駆け出し、凄まじい速度でノワールは双剣をテミスに何度も振るう。その全てをテミスは弾き、一度ノワールから離れた。
「逃がさないッ・・・!」
「銀障壁」
「がッ!?」
再度テミス目掛けて駆け出すノワールだったが、宝剣を地面に突き刺し魔力を流し、テミスの前方に出現した銀色の障壁に激突して派手に転倒する。
「幻襲黒閃!!」
転んだ状態のままノワールは分身を生み出し、三方向から障壁を消したテミスに襲いかかる。しかし、一瞬で分身はテミスに斬り伏せられ、吹っ飛んだ本体のノワールの肩からも血が噴き出す。
「・・・まだやるつもりか?」
「ぐっ・・・ふ、ふふふ、当たり前じゃない」
蹌踉めきながら、ノワールは膨大な魔力を全て双剣に纏わせた。対してテミスの魔力を纏い、呼吸を整える。
「分かるわよ、貴女は疲れている。宝剣の効果により全ステータスを爆発的に上昇させた反動で、肉体が悲鳴を上げているの」
「それはそちらもだろう?そのうち暴走した魔力に心を喰われるぞ」
「その前に殺す・・・貴女を殺す!!」
魔力と魔力がぶつかり合い、大地が震える。恐らく、両者共にこれが最後の一撃となるだろう。その時の為に、お互い魔力を高めて睨み合う。
そして、時は来た。
「「はああああああッ!!」」
同じタイミングで駆け出し、それぞれ最大の奥義を放つ体勢に移行する。
「「グランドクロスッ!!!」」
ノワールが放った黒の斬撃と、テミスが放った銀の斬撃が衝突し、閃光が戦場を駆け抜けた。直後、何かが砕け散った音が鳴り響き、ノワールは目を見開く。
闇は一瞬で消し飛ばされ、砕けたのはノワールの双剣だった。
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「ふ、ふふ、私は負けたのね・・・」
空を見つめながら、ノワールは震える声でそう言う。最早指一本動かす力も残っておらず、徐々に彼女は死へと向かっていた。
テミスの奥義をまともに受けたノワールだが、それよりも魔力の暴走で受けたダメージが多すぎたのだ。
「悔しいなぁ・・・最後まで私は、独りぼっちなんだ・・・」
思い出していたのは、これまで経験してきた出来事。
両親を殺され、ハーゲンティに連れ去られ、エリスとソンノに救い出されて剣の道へと進み、エリスが死に、世界樹の六芒星の仲間達と出会い、それでも上手く馴染めず寂しい日々を送っていた時にタローと出会い、灰色だった日常に色が付き、生まれて初めて恋心を抱き────造られ、憎き男の下僕として動き、自分自身でもあるテミス・シルヴァと敵対し、そして今。
「貴女は、こうなっちゃ駄目よ・・・?」
涙を流しながら自分を見ているテミスに、暴走が静まり落ち着きを取り戻したノワールはそう言った。それに対し、テミスは彼女の手を握って頷く。
「なんで泣いてるのよ・・・馬鹿じゃないの?」
何も言えず、ただただ泣いているテミスを見ている最中、ノワールは自然と笑みを浮かべていた。そして最後の力を振り絞り、テミスの手を握り返す。
「私は反省なんかしないわよ・・・だって、この気持ちは本物だから。タローを愛してる、誰にも渡したくない・・・でも、私はここでおしまい。だから、私の代わりに貴女が彼を幸せにして・・・」
ノワールの中に残る僅かな魔力を、握り締めた手を通してテミスの中へ。一瞬驚いた様に握る力を強めたテミスだったが、覚悟を決めたように力強く頷いた。
「さよなら、私の、タロー・・・────」
直後、ノワールの体が光の粒となって弾けた。魔力を塵ほども残さず使い切った副作用とでも言うべきか・・・ノワールの最期を見届けたテミスは涙を拭いて立ち上がり、そして宝剣を消す。
その瞬間に凄まじい激痛が全身に走り、堪らず表情を歪めた彼女だったが、それでも震える足で歩き出した。
ノワールの分も、彼女は戦わなくてはならない。最愛の彼と共に、本当の幸せを手にする為に。