第101話 二十秒間の恋人
「ふむ、来ないな・・・」
今は何時なんだろうか。浮遊大陸のせいで常に辺りは真っ暗だから、空を見上げても昼か夜かも分からない。まあ、多分夜だとは思うけど。
それで、俺は現在とある人物が来るのを、王都の近くにある小さな森の中で待っている。ベルゼブブやテミス達が、一度二人きりで話をしなさいと言ってくれてる最中みたいなので、もうしばらくすれば来るだろう。
「あの・・・」
そう思いながら欠伸をした直後、いつもと違って小さめの声が聞こえたので、俺は彼女が立っているであろう方向に顔を向けた。
「よう、ディーネ」
「っ・・・」
やって来たのは、ユグドラシルの魔法で傷が完全に治ったディーネだ。しかし彼女は、目が合った途端に俺に背を向けてしまい、声をかけても振り返ってくれなくなった。
「ど、どうした?」
「待って!ごめんなさい、来ないで・・・!」
「ええ?」
暗いのでよく見えないけど、来ないでと言われながらも俺はディーネに歩み寄り、そして彼女の肩に手を置いた瞬間、面白いぐらいにビクリと肩が跳ね上がる。
「こーら、せっかくまたこうして話ができるんだからさ。逃げようとするんじゃない」
「や、だ、駄目だよ・・・」
そのまま強制的にディーネの体を回転させると、彼女は暗くても分かるほど顔が赤くなっていた。そして俺と目が合うと、何故か申し訳なさそうに目を伏せてしまう。
「私がタローさんにどれだけ酷いことをしたのか、忘れちゃったの・・・?」
「ああ、忘れた」
「忘れてるわけない!もう前と同じように、タローさんの顔を見れないよ・・・!」
なるほど。どうやらディーネは、魔力が暴走した時のことを相当気にしてるようだ。俺は全然気にしてないけど、これはどうしたものか。
「大好きなのに傷付けて、タローさんが一番大切に想ってる人を殺そうとしたんだよ!?そんなゴミクズみたいな女には、タローさんと話す資格なんか無いよ!」
そう言ってその場に座り込んでしまったディーネ。表情は見えないけど、鼻をすする音が聞こえたので、多分・・・。
「あのな、ディーネ」
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・!」
「俺はさ、君が生きててくれて、ほんとに良かったって思ってるんだ。君の魔力が暴走した時、どれだけ苦しんでいたかに気付いてやれなくて、俺が一番怒りを覚えたのは自分自身になんだよ」
「ごめんなさいっ・・・!」
「でも、君がそれだけ責任を感じてくれてるのなら、お互い様ってことでいいじゃないか。このままずっとこんな関係が続くのは嫌だから、あの時のことは忘れて仲直りしよう」
それを聞いてようやく顔を上げてくれたディーネは、案の定ポロポロと涙を零していた。どこか怯えたように俺を見つめる彼女に、俺は手を差し出す。
「駄目だよ、タローさん・・・。そんなに優しくされたら、甘えちゃうから・・・、許しちゃ駄目・・・」
「許すも何も、そもそも俺は怒ったりしてないよ。当然ベルゼブブ達もな」
「タローさんが怪我したのも、グリードが復活したのも、全部私のせいなのに・・・どうして」
「それはディーネの変化に気付いてやれなかったからで、グリード復活は根を先に確保出来なかった全員が悪いんだ。それにな、ディーネ。実は俺、君が想像してるよりも善人じゃないんだよ」
「え・・・」
「だから、ディーネの言う事なんか聞いてやらないんだ。どれだけ君が嫌がっても、俺は君を絶対に許す。はは、悪者だろ?」
「で、でも・・・」
「また皆でワイワイ騒ごうぜ。いつものメンバーの中にディーネが居ないなんて、寂しいからさ」
あの賑やかさの中には、いつもディーネの笑顔があった。だからこそ、俺達はこの子に戻ってきて欲しいと思ってる。そんな気持ちを込めて俺はディーネの目を真っ直ぐ見つめていたのだが、不意にディーネは俺から目を逸らした。
何か変なことを言ってしまったのだろうかと心配になったけど、しばらくしてまた俺と目を合わせてくれたディーネの瞳からは、先程のように怯えた感情は感じない。
「ほんとに、いいの・・・?私は嫌な女だから、また嫉妬しちゃうかもしれないよ・・・?」
「いやぁ、それに関してはなんと言ったらいいのやら・・・」
「だって、タローさんのことが大好きだもん。テミスさんやベルちゃんに比べれば、きっかけはちっぽけなものだよ。でもね、想いの強さは二人に負けてない自信があるから」
そう言って、ディーネは微笑んだ。なんだか久しぶりに見た気がするその笑みを見て、俺の心臓がドクリと波打ったのが感覚でわかる。
「タローさんは、テミスさんのことが好き?」
「・・・ああ、好きだ」
「ふふ、そっか。じゃあ、これからもテミスさんのことが好きなままのタローさんでいてね」
「ディーネ・・・」
「話していて、やっと気付けた。やっぱりタローさんの恋人は、テミスさんしかいないんだって。私は恋人なんかになれなくていい。けどね、迷惑かもしれないけど、この先ずっと私は貴方のことが好き。駄目・・・かな?」
「いや、了解。でもな、いつかディーネにも、心の底から好きと思える相手が現れると思うぞ?」
俺なんかよりずっといい男なんていくらでもいるだろうし───そんな事を言ったら、テミスに失礼かな。そう思ってると、ディーネが俺の口元に人差し指を当てながら、
「だから、その相手がタローさんなんだってば。きっとそんな人は、二度と現れないよ」
変わらず笑みを浮かべながら、彼女は当たり前のようにそう言った。
「いや、二度とって・・・。ディーネ達魔族は俺達よりも長生きだろ?俺が死んでも、俺のことを想っててくれるのか・・・?」
「えへへ、うん」
「っ〜〜〜、はぁ。ほんとにもう」
今の俺をテミスが見たら、『この浮気者!』って言われるかもしれない。それぐらい、俺はディーネのことも大切に思っている。それを改めて実感し、顔が熱くなった。
それでもやっぱり一番大切で、誰よりも好きなのはテミスだ。それは誰に何を言われようと、絶対に揺るがない。だからこそ、こうしてストレートに想いを伝えてくれたディーネに対して、どうしようもないくらい申し訳なくなる。
「・・・あ、あのね、タローさん」
「え、ああ、どうした?」
「もうタローさんとテミスさんに迷惑かけたりしないって誓うから、最後に一つだけ、お願いを聞いてくれないかな・・・?」
「おう、いいぞ」
どんなお願いなんだろうか。それを想像しようとしたけど、ものすごく顔が赤くなってるディーネを見て、ある程度察した。
「十秒間だけでいいから、その間だけ私のことをほんとの恋人だと思って・・・キスしてくれる?」
「ええっ!?」
「最低なお願いなのは分かってる。でも、やっぱり私は・・・」
「うぐ・・・」
ど、どうしよう!テミスともまだ数回しかしたことがないのに、そんな事をしていいのだろうか・・・バレたら終わりだ。ああでも、嫌だって言うのはさすがにちょっと・・・むぐぐ。
「よし分かった、どんとこい!テミスが許してくれると信じて、俺は君の想いに応えるよ」
「っ、ありがとう」
覚悟を決め、俺はディーネに歩み寄る。それでもやはり脳裏に浮かんだのはテミスの笑顔で、再びどうしたものかと悩み始めたその瞬間。
「っ!?」
「んっ・・・」
目を閉じたディーネが、若干背伸びをしながら俺に顔を近づけてきた。そこからは体が痺れたように動かなくなり、されるがままに俺はディーネを受け入れる。
短いようで、とてつもなく長い静かな時間が過ぎていく。想像していよりも遥かに甘く激しいその時間が終わったのは、始まりから何秒後のことだろうか。
「・・・えへへ、ごめんなさい。二十秒ぐらいしちゃった」
「あ、ああ、そんなに・・・」
「ありがとう、タローさん。これでもう私は大丈夫。あと二百年は頑張れるよ」
そう言うと、ディーネは顔を赤くしたまま俺から離れ、笑顔で振り向いた。
「戻ろっか。これ以上タローさんを独り占めしたら、テミスさんに申し訳ないからね」
「・・・そうだな」
また、ディーネの笑顔が見れた。それだけで胸がいっぱいになりながらも、俺はテミスになんて言おうか考えすぎて頭が痛くなり、それを察してくれたディーネに謝られながら、テミス達が待つギルドへと戻るのだった。