第97話 ありがとうございました
「テミス、無事か!?」
世界樹前で起こった大爆発。膨大なエリスの魔力を感じ取ったソンノはその場から一瞬で転移し、地面に座り込んでいるテミスへ声をかけた。
「な、なんとか・・・」
全身怪我だらけのテミスは、ソンノを見て震えながらも笑った。そんな彼女の隣には、肩から腰まで深々と肉を斬り裂かれたエリスが横たわっている。
「お前まさか、一人でエリスを倒したのか・・・?」
「ふふ。可愛い弟子は、いつの間にか師である私よりも強くなっていたらしい」
エリスは動かない。それでも、これまで二人と敵対していた時とは違い、彼女は数年前と変わらない笑みを浮かべていた。
「私と違い、テミスは痛みを感じている。申し訳ないが、すぐに治療してやってほしいんだ」
「ふん、言われなくても王都に連れて帰る」
「ま、待ってください・・・」
転移魔法を発動しようとしたソンノにそう言い、テミスは横たわるエリスに目を向ける。
「師匠、あの日に一体何があったのか、私が勝ったので教えてくれますか・・・?」
「やれやれ。そんな約束をした覚えは無いが、ここは大人しく勝者に従うとしようか─────」
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エリス・オルフェリオという剣士は、王国の歴史の中でも最高の実力と才能を持っていた。故に王国騎士団は、彼女こそ国を守る騎士団のトップに相応しい人物だと考え、国王は彼女を第一騎士団長に任命。その時からだ、才能に嫉妬した第二騎士団が王国の影で動き始めたのは。
その頃のエリスは、数ヶ月前にハーゲンティの屋敷から助け出したテミスを一人前の剣士に育て上げることしか考えておらず、第二騎士団が妙な動きをとっていることには気が付いていたが、特に気にすることなく充実した日々を送っていた。
「・・・どういうつもりだ、第二騎士団長」
もしも第二騎士団所属の騎士達全員が同時に襲いかかったとしても、〝剣帝〟とまで呼ばれていたエリスには傷一つ負わすことは出来ないだろう。しかしそれは、数ヶ月前の弱点が無かった時のエリスが相手だった場合の話である。
「俺はなぁ、もう少しで第一騎士団長になれるところだったんだ。努力した、死にものぐるいで努力したさ。なのに何なんだよお前は。大した努力もせずに、突然第一騎士団長なんかになりやがって、俺より偉くなりやがってぇ・・・!」
「ふん、醜い嫉妬だな。大した努力もせずに?よくもまあそんな台詞を私に言えたものだ」
数十人の騎士達に包囲されながらも、エリスは全く余裕を崩さない。正面で額に青筋を浮かべながら怒りに震える第二騎士団長を見て苦笑し、彼女は黙って剣を抜く。
「く、くくくっ。まさかお前、俺達全員を相手にするつもりじゃないだろうな」
「その通りだが。証明すればいいんだろう?私とお前の間には、誰にでもできる簡単な努力程度では埋められない溝があるということを」
「いいや、埋めれるさ。エリス・オルフェリオ。お前最近子供を一人育てているらしいな」
それを聞いた瞬間、初めてエリスから余裕が消えた。
「だったらなんだ」
「可愛らしい女の子だ。数年経ったらとんでもない美人になるだろうなぁ。お前もそう思うだろ?まあ、このまま〝顔とかに傷が残らなかったら〟の話だが」
「・・・貴様、テミスに何をした」
エリスが魔力を放つ。それを感じて騎士達は戦慄したが、汗を流しながらも第二騎士団長は笑う。
「はははははっ!何もしてないさ、今はな」
「テミスに手を出してみろ。お前達全員を挽肉にしてやるぞ」
「黙れよ、まだ分からないのか?今お前がここで暴れたりしたら、可愛い弟子が地獄を見ることになるってよォ」
「っ・・・!」
直後、エリスの腹部を何かが貫いた。普段なら決して剣帝が見せることのない油断、動揺。振り返れば、泣きながら槍を自分に突き刺した騎士と目が合う。
「あ、あんたを殺さなきゃ、俺達が団長に殺されるんだ。もう五人、計画に反対した仲間が死んでる。だから、早くあんたが死んでくれ・・・!」
「そういうことだ、エリス・オルフェリオ」
今度は肩が抉られる。第二騎士団長が剣を刺し、そして力強く回したのだ。
「俺こそが第一騎士団長に相応しい。だから死ね、消えてなくなれ。お前さえいなければ、俺は第一騎士団長になれるはずだったんだよクソがァッ!!」
「・・・馬鹿なことを」
血が舞う。第二騎士団長の背後で、命を断ち切られた騎士達数人がその場に崩れ落ちる。
「お、お前、分かってんのか?そんな事をして、で、弟子の命がどうなってもいいのか!?」
「動揺してしまった自分が情けない。報告される前に貴様ら全員を始末すればいいだけなのに。それに、報告されても頼れる親友がテミスを守ってくれるさ」
そう言いながら、エリスはその場に膝をつく。恐らく槍にも剣にも強力な毒が塗られていたのだろう。
「ふざけやがってええええ!」
力が入らずに地面を見つめるエリスの背中に、大量の武器が殺到する。刺し、斬り、貫き、刻む。
ほとんど洗脳と同じであった。逆らえば殺されるという恐怖に脳を支配された騎士達は、叫びながらエリスの命を削り取っていく。
「天穿ち地を裂く魔討の剣よ。主たるエリス・オルフェリオの声を聞き、今こそ来たれ───宝剣グランドクロス」
それでも、彼女は立ち上がった。膨れ上がる魔力を身に受け、騎士達は震えながら後ずさる。
「な、なんだそれは!待て、やめろ!そんな事をしたら、どうなるのか分かってるのか!?お前の可愛い弟子の人生を潰してやる、精神が崩壊するまで遊んでから肉塊に変えてやるぞ!ははは、はははははははッ!!」
「・・・やっと、笑うようになったんだ。同世代の友達もできたと、この前言っていた。なのに、またあの子から笑顔を奪うと言うんだな?」
魔力が剣に集中する。
「死ね」
「ひっ!?や、やめ─────」
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「お前が来たのは、その数分後だ。本当はあの時お前に宝剣を渡したかったんだが、もう一度召喚する気力が無かった」
語り終えたエリスを見て、テミスはどうしてと呟いた。
「私のせいで、師匠が・・・」
「違う。さっきも言ったが、奴らがお前に手を出そうとしても、必ずソンノが守ってくれた。なのに動揺し、その事を考えられなかった私の方が悪い」
そう言い、エリスはテミスの頭を撫でる。
「酷いことを何度も言って、傷付けて。本当にすまなかった。ネクロの外法には逆らえないから、もしもお前達と協力しようとしたり、宝剣を渡そうとしていれば、すぐに膨大な魔力を流し込まれてサタンのようになっていただろう。私の意識が保たれているのは、奴が意識がある状態で私をコントロールできたと勘違いしたからだ」
「宝剣を・・・?」
「ああ、そうだ。私の宝剣を渡すためには、テミスに止めを刺してもらう必要があった」
手を空に向け、エリスは宝剣を召喚する。既に彼女の身体にはヒビが入り始めており、その時が近づいているのだとテミスとソンノは悟った。
「お前は強い、確実に私よりもな。だからこの剣も、次の主にお前を選んだ」
宝剣を受け取った瞬間、膨大な情報がテミスの脳内に流れ込んだ。召喚方法や効果、そして歴代の持ち主がどうやって宝剣を扱っていたのかまで。
「ふふ、ソンノもすまなかったな。ギルドでは本当に殺されるかと思ったぞ」
「そういう事情なら、まず親友であるこの私に相談するべきだろ。私の方も、本気でお前を殺そうかと思ってしまったじゃないか」
「ネクロにバレるわけにはいかなかったと言っただろう?それに、親友のお前なら何も言わなくても気付いてくれると思ってたんだが」
「あんなに殺気を振り撒いてたくせに何言ってんだ馬鹿。あれじゃ分かるわけないだろ」
「いや、それは、ネクロの外法で感情を抑え切れていなかったから・・・」
そんなふうに話す二人を見て、テミスはなんだか昔に戻ったような気持ちになる。しかし、こうして三人で話す時間はあと僅かにか残っていない。
「そういえばエリス、なんかテミスに〝王国に復讐する〟とか言ったらしいけど」
「するわけないだろう?島では適当にそう言っただけで、テミスに手を出そうとした第二騎士団の連中は全員斬ったからな」
「なんだそりゃ・・・あ、そうだ。テミスに彼氏ができたの、知ってるか?」
「勿論だ。しかも、相手はあのサトータローらしいな。だがまあ、見た感じだとまだキスが限界のようだが」
「っ、それは・・・!」
突然タローの話になり、テミスの顔が赤くなる。それを見てエリスは新鮮な気持ちになった。まだ自分が生きていた時に、こんなふうに顔を赤くする弟子の姿は見たことが無かったからだ。
「あいつは本当に良い奴だぞ。無理矢理手を出したりもしてないし、そもそもテミスが嫌がったりすることは絶対しない男だ」
「ふむ、それなら安心して任せられるか」
そして、その時は来た。突然エリスの身体が僅かに発光し、そして光の粒となって空に昇り始める。
「し、師匠・・・!」
「私の死因は嫉妬した馬鹿に襲われたからだ。テミスも気を付けろよ、世の中は危険がいっぱいだぞ?」
「待って、ください。まだ、話したいことは沢山あるのに・・・」
「前を向け、まだ戦いは終わっていない。古代魔獣は私が率いていたのではなく、グリードの〝空間魔法〟で浮遊大陸から世界樹の近くまで転移させられているんだ。私が消えても古代魔獣達は止まらず、増え続ける。さて、ソンノ。この状況をひっくり返せるのは、お前しか居ないと思うんだが・・・どうする?」
「・・・やれやれ」
立ち上がり、目元を腕でゴシゴシと拭いてから、ソンノはエリスに向かって親指を立てた。昔から、エリスに対してソンノは私に任せろと伝える時はこうするのである。
「ああ、心残りは無いと思っていたんだが、今は多すぎて頭が痛くなりそうだ。最大の心残りは、一人前になった弟子と肩を並べて戦えなかったことだが・・・」
「師匠、私は・・・!」
「頼んだぞ、テミス。いつまでもウジウジしていたら、あの世から特別特訓メニューを持ってきてやる」
「っ、それは、嫌です」
「はははっ、それでいい」
最後にエリスはもう一度テミスの頭を撫でた。もうテミスは泣いていない。優しい笑みを浮かべながら、一言だけ。
「師匠。私に生き方を教えてくれて、本当にありがとうございました」
「こちらこそありがとう。私はいつでもお前と共に─────」
それを聞いたエリスは満足そうに微笑み、そして光となって弾ける。同時に宝剣が輝きを増した。残ったエリスの魔力が剣に宿ったのだ。
「・・・さて、仕方ないから古代魔獣とは私が遊んでやるか。これ以上奴らの好きにさせるわけにはいかないからな」
親友の最期を見届けたソンノが魔力を解き放つ。覚悟を決め、ずっと封じ込めていた魔力さえも。
「ソンノ、さん・・・?」
小さな身体から、全てのものを圧倒する魔力が溢れ出す。それは女神ユグドラシルに匹敵する、人を超越した魔力だった。
「まだ半分しか回復していなかったんだが、それは向こうも同じだろう」
何をしたのかすら、テミスには分からなかった。気がつけば周囲に溢れていた古代魔獣達は音も無く消滅しており、
「今度こそこの手で殺してやる、グリード」
彼女の前には、一人の女神が立っていた。