第六章
第六章
またしても夢の中。いつもの子供の頃の夢なのだが、今回は少々趣向が違うようだ。真っ白な世界の中を俺は全力で走っていた。どこにいくのか、何をそんなに焦っているのかはわからないが、とにかく必死に走っている。そして俺は叫んでいた。
(サラ行かないで!サラ!)
どれだけ走っただろう、突然周囲が崖に変わり、俺はそのまま底へと落ちて行った。
…ドスン!
俺はベットから落ちて目が覚めた。またこのパターンか…と時計を見ると、今回はいつもよりちょっと早く目が覚めたようだ。…しかし、サラって誰だ?外人さんに知り合いはいないはずだが…
と、悩んでいても仕方ないので、少し早く起きたことだし、少し早いがさっさと学校へ行くか。
教室に入ると、まだ早い時間なのでさすがに誰も…いるよ。よくいるよな、毎朝一番乗りするやつ。誰だろう…って達也か!しかも鼻歌交じりに掃除とかしてるし!
「達也。おはよう、どうしたんだ?こんなに朝早く」
「お、一輝おはよう。特に理由はないよ。いいじゃんたまには」
理由は言わなくても分かるわ。この分ならもうミッションコンプリートに…端末を見てみたが、相変わらず継続中だ。うーん謎だな、達也。
「そういえば達也、メールしてみたのか?」
「もちろん!昨日はお礼だけだけど、今日からメール攻撃するよ!」
朝からテンション高いな。ま、塞ぎ込んでいるよりマシか。
その日の達也は一日上機嫌で、何を言われてもニコニコだった。そしてそのまま爽やかな笑顔を残して下校していった。これからメール攻撃するんだろうな…ぐーみん先輩、がんばれ。
そして俺は地研部室に向かった。すでに全員揃っており、なにやらぐーみん先輩が取り調べを受けていた。
「さぁ、本当のとこ、どうなのよ?ぐーみん」
「うーん、そうねぇ…かわいい年下くんってところかしら?」
「気に入ったらそのまま付き合っちゃっていいからね!」
「ちょ…気が早いわよ。まだお互いに何も知らないんだから」
翔先輩もさくらちゃんも一連のやりとりを微笑ましく見守っている。この輪に俺が加わると真理先輩が、
「よし。揃ったわね。で、小野君の件だけど」
早速ミーティングが始まる。真理先輩は、
「みんな承知のとおり、まだコンプリートになってないわ。ぐーみんの件はぐーみんに任せるとして、何か別の要因があると見てよさそうね」
別の要因か…あれしかないだろうな。俺は挙手をし、
「あの、先日さくらちゃんが言っていた中学時代の骨折ですが」
「お、一輝くん。何か分かったの?」
「はい。達也のお母さんに話を聞いてきました。あ、俺が聞いてきたことは本人には話さないそうなので、情報漏れは大丈夫だと思います」
「お!よしよし。それでどうだった?」
俺はお母さんの話をそのまま伝えた。実際にいじめにあっていたこと、仕組まれた骨折の疑いが高いこと。しかし、これだけでは幸値の説明がつかないような気がするが…。一通り説明を終えると真理先輩は、
「なるほどね。確かに、この件が関係しているのは間違いなさそうね。でも…」
「これだけでは弱い…ですよね?」
「ええ。これだけではここまで幸値は下がらないはず。他には何も言われなかった?」
「いま話したのがすべてです。…あ、でも」
俺は入学当初のことを思い出した。部活をどうしようと話していたときのことだ。
「なに?何か思い出した??」
「部活をどうしようかと話をしているとき、達也はサッカーはもういいかなと言っていたんですが、いまはフットサルをやってるんです。これって、まだ未練があるってことじゃないですかね?」
すると翔先輩が、
「そうだな。本当にもうサッカーはいいと思っているんだったら、フットサルなんてしないよな。何かがトラウマになってるのか…?」
そしてしばらく考え込んでいたぐーみん先輩が、
「一輝くん。そのいじめていたと思われる人たちって特定できるかしら?」
俺は少し考えて、
「…たぶんできると思います。同じ中学の人に聞いてみればある程度は分かると思います」
「あくまで推測ですが、通常うちみたいな公立高校は中学校と同じようなメンバーが来ていることが多いですから、その時のいじめの人たちがそのままサッカー部にいるとしたら、達也さんはとてもサッカーどころではないかと。本当にサッカーが好きなのであれば、これ以上の苦痛はないと推察できますね。その苦痛をフットサルで紛らわせているとすれば…」
ぐーみん先輩鋭い。さすが作戦参謀だ、理にかなっている。すると、真理先輩は、
「じゃ、一輝くんはその中学時代のいじめメンバーの特定をお願い。ぐーみんはできるだけメールで小野君の心理に迫ってみて。さくらちゃんはその噂について、もっと詳細にお願い。私達はいまのサッカー部一年生を調査ね。じゃ、みんなお願いね!」
と、指示を出すと真理先輩は、翔先輩を引き摺って部室を後にした。相変わらず翔先輩、尻に敷かれてるな。
さて、俺は中学時代のいじめたらしいメンバーか。そういえば、C組には池田がいたな。C組と言えば、さくらちゃんもC組だったよな。
「さくらちゃん、同じクラスの池田っているでしょ。部活何やってるか知らない?」
「うーん、確か吹奏楽だったと思うよ。楽器までは知らないけど」
「分かった、ありがと。探してみるよ」
吹奏楽といえば、学校のいろいろなところで楽器別に練習してるよな。片っ端から探していくしかないか。
俺は手始めに中庭で練習している吹奏楽部を見に行くと、女の子の中に男が混ざっているのが見えた。…あれは、池田だ。最初から大当たりだ、ラッキー。
「池田!ちょっといいか?」
「おお、誰かと思えば安藤か。いいけど、手短にな」
池田は一緒に練習していた女の子たちに何事か告げると、俺と共に少し離れた木陰まで移動した。
「わざわざ安藤が俺を訪ねてくるなんて珍しいな。それで何だ?」
「池田さ、達也…小野がサッカー部でいじめられてた噂って知ってるか?」
「…ああ知ってる。高校に上がってなんとか離れたみたいだけど、あれはちょっと酷かったな」
「実は俺はつい最近聞いたんだ。誰も教えてくれてなかったからな」
「本当に?ああ、みんな知っているものと思って安藤には言わなかったのかもな」
「それで、誰がやってたか知らないか?」
「みんな関わると自分がやられるからと思って関わらないようにしていたから、あまり詳細は知らないんだ。でも、確か神原のやつが中心になってたって聞いたことある。他にも数人いたらしいけど」
「神原…あーそんなやついたな。ってか、けっこう真面目なやつじゃなかったか?」
「ああ、だからみんなまさかとは言っていたが、親しいやつに聞いたらけっこう裏ではヤバイやつらしいよ」
「ヤバイ?切れやすいとか?」
「いや、その逆。自分たちが責められないように偶然を装うようにして、実はわざとケガさせたりするらしい。後でこいつのSNS見てみろよ、誇らしげにその辺のこと書いてあったと思うぜ」
「そうか、分かった。後で見てみるよ、練習中断させて悪かったな。ありがと」
「いいって。ただ、仕返しとか考えるなよ?こいつ表では優等生だから、先生連中は味方につけてるぞ。下手に手を出すと逆にお前がやられるぞ」
「分かってる。仕返しなんて考えてないよ」
「ならいいが。じゃ、俺は練習に戻るわ」
「ああ、またな」
そう言って池田は練習に戻って行った。
部室に帰ると、ぐーみん先輩が携帯をポチポチといじっていた。俺は詳細を伝え、腕時計端末で公開されているSNSの神原のページを開いてみた。目的のページはすぐに見つかった。骨折事件は二年ほど前なので三年前くらいから見てみよう。
神原のページは、目を覆いたくなるような陰口の宝庫だった。その中からサッカーに関係するものをソートすると…出た出た。なるほど、レギュラー常連の達也の存在が同期で同じポジションを争うものとして鬱陶しかったらしい。仲間数人と最初はわざと激しくぶつかったりしていた程度みたいだが、徐々にエスカレートしていき、ついに事件の日の書き込みを見ると…
「…なんですか、これは」
ぐーみん先輩…声が震えている、ちょっとこわい。でも、俺もさすがに怒りを禁じえないな。
そこには達也を骨折へと追いやった経緯が詳細に書き込まれ、その様子も克明に書き込んであった。他人の不幸を喜ぶ第三者まるで他人事のように。そして、最後は自分のレギュラー入りを喜ぶ記述で締められていた。
「こんな卑劣なことをできる人がいるなんて…許せない」
感情をむき出しにしているぐーみん先輩なんて初めて見た。意外と熱い人なのかもしれないな。でも、いま動くわけにはいかないので俺は、
「確かに。でも今は自重してくださいよ?って、ぐーみん先輩にそこまで怒ってもらって達也も嬉しいでしょう」
するとぐーみん先輩はハッと我に返って赤くなってしまった。照れてる照れてる。
「も、もう!からかわないでください」
よし、なんとか元通り。そして改めてページに目を落としていると、さくらちゃんが帰ってきた。
「ただいまです。あ、一輝くん何か分かった?」
「さくらちゃんおかえり。実は…」
ここまでの情報を話すとさくらちゃんは信じられないといった様子で俺の端末画面を見た。そこには神原のSNS画面が映し出されており、それを見たさくらちゃんは、
「ひどい…何でこんなことができるの…」
と、泣き出してしまった。それに乗じてまたぐーみん先輩が、
「でしょう。全く許せない人です」
闘志を燃やしそうになったので俺は、
「確かに。でも、目的は制裁を加えることじゃないですからね」
と、方向を修正。ぐーみん先輩は『ふぅ』と一息つくといつもの様子にもどり、
「でも、こういう相手に陰湿ないじめをされた挙句に、骨まで折られたら…」
と言うとさくらちゃんは青ざめた顏をして、
「そんなの、トラウマになっちゃいます。その人がいまサッカー部にいるんだったら…」
そうだな。間違ってもそこに入って行こうとは思わないよな。
「じゃ、後は真理先輩達の調査結果待ちですか。当たるといいけど…」
すると、ぐーみん先輩は、
「あ、たぶん真理たちは今日はもう帰ってこないわ。ま、今日のところはこれで解散ね」
「でも、これをどうやって幸値改善するんですか?」
と、俺は疑問をぶつけてみた。かなり複雑だから、仮に神原がいまサッカー部に在籍してるとしても、簡単に達也を復帰させられるかどうか…
「それはこれから考えます。一輝くんとさくらちゃんも何か案があったら考えておいてね」
「分かりました。復帰させたとしてもまた矛先が向かないようにしないといけないし…難しい」
「ふふ。面白い案を期待していますよ」
こうしてこの日の活動は終わり、散会となった。
翌日、部室では作戦会議(?)が行われていた。
「今のサッカー部に入った一年のリストよ」
真理先輩がリストを机に置いた。早速ぐーみん先輩がチェックすると、
「…やっぱりありますね。神原さんとやらの名前」
溜息とともに、やっぱりといった雰囲気が室内を包む。すると真理先輩は、
「何?その子が何かあったの?」
俺は一通り説明し、SNSのページも見せた。
「そういうことね。なるほど。これで方向性は見えたわね。と、言いたいところだけど…」
ん?何か問題があるのか?俺とぐーみん先輩は真理先輩を見る。真理先輩は続けて、
「一輝くん。本当に小野君はサッカーに未練あるの?この前提の元だけど、ここってまだはっきりしてないわよね?」
「それは…」
確かに本人に直接確認したわけじゃないし、周囲の状況からそう推測しただけだ。俺も親友だと思って達也のことをよく知っていたつもりだったが、現にいじめの事実を知ららなかったわけだし…。と、俺が返答に困っていると真理先輩は、
「一輝くん。小野君と親友だって言うのなら、そろそろはっきりさせた方がいいんじゃない?」
真理先輩の一言は俺の心に深く突き刺さった。そうだ、俺は達也の親友だ。これまでも、これからも。その親友に隠し事をするなんて、許せない。まずここからはっきりさせてやろうじゃないか。
「か、一輝くん…」
俺はさくらちゃんの細い声で我に返った。
「大丈夫。ちょっと行ってくるよ。真理先輩、今日はもう帰っていいですか?」
真理先輩は真っ直ぐな視線で、
「行ってきな」
とだけ言った。俺は深く頭を下げ、学校を後にした。
俺は達也の自宅へ向けてダッシュしていた。特に急ぐような必要は無かったが、なぜかそうしたかった。
達也、何で俺に一言相談してくれなかったんだ…
自分に対するジレンマや不安を掻き消すように、全力で走った。
達也の自宅へ到着した俺は、息を整えてから携帯で達也を呼び出した。
普段着で出てきた達也は、
「どうしたの一輝。なんかあった?」
「ここでは話づらい。ちょっと向こうへ行こう」
俺たちは小高い丘に上がった。けっこう走ってきた俺にとっては風が心地いい。
「この辺でいいでしょ。で、どうしたの一輝。話って何?」
俺は絞り出すように、
「達也。お前、中学のときサッカー部でいじめにあってたらしいな」
そういうと、達也の顔色が変わった。俺は畳み掛けるように、
「しかもあの時の骨折は、いじめの延長だっていうじゃないか!」
達也は押し黙っている。俺はさらに続ける。
「何で…何で言ってくれなかったんだよ!何で一人で抱え込むんだよ!俺たちは親友じゃなかったのか?何とか言えよ!達也!」
達也は俯いたまま、
「そうか…ばれちゃったのか。でもあれはいじめじゃないよ。誰だってレギュラーの座は欲しいだろ?それを守っているものにとっては、あのくらいの嫌がらせは仕方ないことだよ」
「じゃ、骨折の件はどうなんだ…?当事者のお前なら、あれが故意なのかどうか分かっているだろ?」
「…あれは偶然だよ、一輝。運が悪かったんだ、仕方なかったん…」
達也が言い終わる前に俺は自分を抑えきれなくなっていた。俺は達也を思い切り殴り、その反動で達也は数メートル吹っ飛ぶ。
「ばっかやろう!これ以上俺の前で嘘を付くな!思っていることを言えよ!」
達也は驚いた顔で俺を見ている。俺は続けて、
「相手の名前、神原って言うんだってな。そいつのSNSに全部書いてあったよ。お前にしたこと、もちろん骨折事件のこともな」
達也は俯いて立ち上がった。俺はさらに続けて、
「ここまで言ってもまだ偶然だって言うのか?!」
すると、今度は達也の拳が俺の顔面にクリーンヒット。俺は数メートル吹き飛んだ。
「分かってるよ!僕だって全部仕組まれたことだってことくらい分かってるよ!」
達也が叫んだ。俺は顏を押さえて立ち上がると、達也は続けて、
「だからってどうしようもないだろ!相手は頭のいい神原だぞ、先生も顧問も神原の味方…どうすることもできなかったんだ!」
確かにそうかもしれない。だが、俺は、
「そんなことは分かってる。じゃ、なおさらなんで俺に本当のことを話してくれなかったんだ!?」
達也はハッとした表情で俺を見た。しかし、俺は、
「俺たちは親友じゃなかったのかよ!俺との友情ってのはその程度だったのかよ!」
思いっきり殴った。達也は再び数メートル吹っ飛んだ。俺は続けて、
「俺はそんなに頼りない男か?そんなに信用できないのか?」
達也は起き上がりながら…涙がその頬を伝っていた。達也は嗚咽交じりに、
「僕は…一輝に、心配をかけたくなかったんだ。こんなことに巻き込みたくなかったんだ」
その言葉に俺はつい語気を荒げて、
「ばかやろう!巻き込めよ、一人で抱え込むな!親友だろ!」
そう叫んで俺は倒れそうになる達也を支えた。達也は体の力が抜けて、いまのも倒れそうだった。
「僕は…僕は…一輝と親友でいるために、対等な関係でいたかったんだ。でもそんなことを相談したら、迷惑になると思って…」
「親友ってのは、お互い迷惑を迷惑と思わないから親友なんじゃないのか?そういうのを無視できるから親友なんじゃないのか?」
俺がそう言うと達也はその場に泣き崩れた。
そして俺は続けて、
「とりあえず、過ぎたことはいい」
達也は俯いて嗚咽を漏らしている。
「もう隠すなよ。俺はお前のすべてを受け止めるつもりで来たんだ。親友としてな」
俺は達也を支えながら、
「達也、お前まだサッカーに未練あるんじゃないのか?もうサッカーはいいとか言っていたが…」
すると達也は顔を上げて、
「そりゃあるさ!神原にあんなことされなきゃ、まだレギュラーで活躍できてたんだから!」
そして、達也は押し殺したように、
「でも、ダメなんだ…いまのサッカー部にもヤツがいる。あの時のトラウマでドリブルしながら全力で走れないんだ…」
やっぱりか。俺の読みは正しかったわけだ。道理でこの前の体力測定でも百メートル十五秒かかったわけだ。
「トラウマってことは、単純に神原を排除してもだめそうだな。どうしたら…」
すると達也は、
「自分のことだけど、さすがにどうしたらいいのかよく分からないんだ。だから、フットサルで気を紛らわせてはいるんだけど…やっぱり全力でできなくて…」
やはり達也も苦しんでいたのか…俺は心を決めて、
「達也、いままで偉そうなことを言ったけど、俺を思いっきり殴ってくれないか」
達也は驚いた表情で、
「なんでさ。もうそんなの必要ないだろ?」
「いや、俺は苦しんでいる達也に気が付けなかった。過ぎたこととはいえ、俺自身が許せない。頼む」
達也は分かったとばかりに、俺をぶん殴った。俺はまた数メートル吹っ飛んだが、それはとても心地よかった。
「効いたわ。ありがとな」
俺は達也に手を引かれて立ち上がった。俺は口の中の血をプッと吐きながら、
「お前の気持ちは分かった。安心しろ、俺たちで何とかする」
と言うと、案の定…というか予想はできてたんだよね。どうせ付いてくるだろうなと。HBSSのみんなが顔を出し、さくらちゃんは一目散に俺の元に駆け寄ってハンカチで顔を拭いてくれた。
すると達也は、
「花里さんに深町先輩!…これはどういう…?」
さすがに達也も混乱しているみたいだ。そんな達也に俺は、
「俺ももう隠さない。だから、後は俺たちに任せろ。HBSSにな」
数時間後、俺と達也は高校の正門にいた。あと数分で練習を終えた神原が出てくるはずだ。緊張している達也に向かって俺は、
「力抜けよ、俺たちは話をするだけだ」
「分かってるんだけど、体がね…」
無理もないか、相手はトラウマの元凶なんだもんな。荒療治ってわけじゃないが、ここを乗り越えないとおそらく達也は先へ進めない。
数分後、校門に神原が姿を見せた。達也の姿を見つけると、一瞬戸惑ったような顔を見せたが、すぐに素知らぬ振りで通過しようとした。達也は硬直したまま動きそうになかったので俺が呼び止める。
「おい、神原くん。ちょっといいかな?」
神原は驚いた表情で俺を見た。そして、スタスタと歩み寄ると、
「何?僕はこの後塾に行くから忙しいんだけど」
「そうか。じゃ、単刀直入に聞く。お前が達也にしたことをこの場で詫びろ」
すると神原は首を傾げて、
「はぁ?僕が何をしたって?確かに小野くんとは同じサッカー部だったけど、それだけじゃん」
「お前が陰湿ないじめの果てに、達也の骨まで折った。立派な傷害罪だと思うが?」
「ああ、あの事件は偶然だよ。スポーツの世界じゃよくあることじゃないか。そんなことでいちいち詫びてられないよ」
こいつあくまでシラを切るつもりか。俺は真理先輩から預かったタブレット端末で神原SNSのページを表示した。
「お前、自分でやったって言ってるじゃないか。これはどう説明するんだ?」
神原は驚いた様子で画面を見ていたが、すぐに顔をあげて、
「ああそれね。そうだったらいいなーっていう僕の妄想だよ。第一僕が故意にやったっていう証拠はあるのかい? 」
確かに状況証拠しかないし、こう言われてしまってはどうしようもない。と、思っていると達也がスッと進み出てきた。
「証拠なんて必要ないよ…あの時君は…笑いながら僕の足の上に倒れてきたじゃないか。真剣な練習中に笑いながら!あの残忍な笑顔は一生忘れられそうにないよ。だからせめて!ここでお前を…!」
と、言って達也は神原を殴り飛ばした。達也から手を出すとは思わなかった。しかし神原はすぐさま立ち上がり、逆に達也に襲いかかる。
「先に手を出したんだから、僕は手を出しても正当防衛だ。覚悟しな!」
そう言って神原は達也を殴り返す。そして倒れた達也に追い打ちをかけるかのように蹴り飛ばした。俺はさすがに手を貸そうとすると、いつからそこに立っていたのか分からないが翔先輩によって制止された。
しかし、そうしている間にも達也は蹴られている。ちょっと一方的すぎないか?すると真理先輩が後方でカメラを構えていて、翔先輩に向かってオッケーと合図を出した。何がオッケーなんだ?と思っていると、翔先輩は二人の間に割って入り、神原の腕を掴んでいた。
「ちょ、何だよお前!邪魔すんな!」
興奮した神原は翔先輩に殴りかかったが…すべて簡単にかわされてしまう。そして、翔先輩はにっこりと微笑みながらボディに一発決めた。鈍い音が響き渡る。神原はその場でうずくまり、呻き声をあげている。
すると翔先輩は、
「君、無抵抗な人に執拗なまでに攻撃してたよね?同じことしてあげようか?」
そう言って微笑む翔先輩は笑顔なのだが、すごい迫力があった。これがオーラってやつか?
当の神原はジリジリと後ろへ下がっていた。そして翔先輩は続ける。
「サッカー部の顧問に今日までの君の行いを報告しておいたよ。僕としては半殺しにしてやりたかったけどね。後は学校の判断に委ねるとするよ」
そういうことか。さすが真理先輩!俺は感心しながらも達也に駆け寄ろうとした。…が、必要なさそうだ。
「大丈夫ですか?無茶をして…」
ぐーみん先輩が手当をしていた。なんだかんだ言ってけっこうお似合いかもな。
後日、神原は停学三ヶ月の処分が言い渡され、当然のようにサッカー部は除籍処分となった。
俺は達也と登校しながらサッカーについて聞いて見た。
「もう懸念事項は無くなったんだろ?サッカー部へ入ったらいいんじゃないか?」
「確かにそうなんだけどさ、トラウマが無くなるまでには時間が必要みたい。全力で走ろうとすると、体がいうことを聞かない」
「そうか…」
簡単にはいかないんだな。俺が次の言葉を探していると達也は、
「それにさ。僕もやりたいことが見つかったから、もういいんだ」
「ほー良かったじゃないか。で、やりたい事ってなんだ?」
達也は俺を見て、
「深町先輩と同じ部活に入る!」
「地研にか?でも、生憎と…」
「違うよ。HBSSだよ!」
俺はHBSSのことは秘密だと聞かされていたので、かなり焦ってしまった。
「おおお前、何をするところか分かってるのか?」
「うん。昨日深町先輩に聞いた。僕も入れてもらえないかなって言ったら、今日放課後部室に来いって!」
ぐーみん先輩、大丈夫かな?ま、俺が心配することでもないと思うけど。
そして放課後。俺は達也を連れて部室のドアを開けた。そこには既に全員集合しており、奥の椅子で真理先輩が腕を組んでいた。
「話は聞いたわ。うちに入りたいんだって?」
すると達也は頭を下げながら、
「はい!よろしくお願いします!」
そこへぐーみん先輩が椅子を勧め、達也は素直に従う。座ったと同時に真理先輩は、
「さっき本部に聞いてみたんだけど、試験にパスすれば入部させてもいいってさ」
やっぱりか。あれ、けっこうつらいんだよなー…でも達也なら楽勝か?すると真理先輩は、
「試験詳細についてはぐーみんに任せてあるわ。後はお願いね」
そういうと真理先輩はまたまた翔先輩を引き摺って部室を後にした。そしてぐーみん先輩は達也に向き直り、
「それではまずこちらの適性検査をして頂きます。さくらちゃん、手伝って」
さくらちゃんは頷くと数枚の用紙を用意した。そして達也の長い試験が始まった。
この日の試験は俺たちの時同様に適性検査だけで終わった。案の定、翌日は体操着でとのこと。俺はさくらちゃんと達也の三人で肩を並べて下校する。達也は腕を伸ばして首をポキポキ鳴らしながら、
「あーーーーー疲れたっ!一輝あんなのやったんだ」
「おう。でも明日はもっとつらいかもよ?あ、でも元サッカー部の達也なら問題ないか?」
「まあ、体力には自信あるからね。軽くジョギング気分で走ってくるよ」
さくらちゃんは俺たちの様子を後ろで見守っている。これまでは二人だったからよく話してくれたけど、やっぱり人見知りするのかな。すると達也は、
「ってかさ、深町先輩ってぐーみんってあだ名なの?」
「ああ、それな、真理先輩…土師先輩が付けたあだ名なんだって。もうぐーみん先輩で通ってる」
「へーかわいいな。見た目とのギャップがいいね!」
こいつ、ぐーみん先輩絡みならなんでもいいんだろ。こんな話ばかりでさくらちゃん退屈してないかなと、後ろを気にしていると、一瞬さくらちゃんが悲しそうな顔をしていた…気がした。
「一輝?どうかした?変な顔して」
「いや、なんでもない。ま、明日に備えて今日は早く寝ろよ?」
「うん分かった。メールが途切れたら寝るよ」
達也のメール攻撃は相変わらず継続中らしい。なかなかマメなやつだ。俺もたまにはさくらちゃんにメール攻撃しようかな…
翌日の放課後、俺とさくらちゃん、達也とぐーみん先輩は正門に集合した。
入念にアップをしている達也にぐーみん先輩は、
「今日のテストは百メートル走です。タイムが十一秒を切れば合格となります」
…え?マラソンじゃないのか。って、百メートル走って…いまの達也でいけるのか?ふと達也を見ると、表情が険しくなっている。俺は、
「何でです?俺たちのときはマラソンだったと思いますが」
するとぐーみん先輩は、
「毎回同じとは限りませんよ。今回はおそらく…小野君がトラウマを乗り越えることができれば入部を許す。ということだと思います」
「そんな…トラウマなんてそんな簡単に…」
と、言う俺の言葉を遮って達也は、
「一輝、いいよ。僕やります。このトラウマもいつかは乗り越えないといけない、なら早い方がいい」
そう語る達也は、いままでとは一回り大きくなったように見えた。そしてぐーみん先輩は続ける。
「ただ、いますぐ。と言うわけではありません。これから毎日五時まで測定します。一週間以内に規定タイムを達成できれば合格となります」
なるほど、一応猶予をくれるわけだ。それを聞いた達也は少しホッとした様子で、
「分かりました。俺自身の壁、越えて見せます」
そして達也は早速走り込みを始めた…が、遅い。本当に本気でやってるのか?と思うくらい。たまらず俺は並んで走り出す。しかし、達也は超真剣。やはり、言ってた通り、足が言うことを聞かないみたいだ。こんなんで本当に大丈夫なのだろうか…
その日から、達也のチャレンジが始まった。毎日校門からロータリーにかけての百メートルでダッシュする達也。毎日頑張ってはいるんだが、全然早くならない。何かきっかけがあればいいんだろうけど。
四日目には徐々にだがタイムは上がってきた。が、十一秒には程遠い。以前の達也なら普通に十一秒切れただろうが…
そして早いもので六日目、俺はボロボロの達也を背負って家路についていた。背中で達也は、
「ごめんよ…もう脚が上がらなくてさ」
「まぁ、あれだけ走ればそうなるさ。しかし、あれだけ走ってもトラウマ感あるのか?」
「うん。全然だめなんだ。何かきっかけがあれば…とは思っているんだけどね」
「きっかけか…難しいな」
すると、横に並んで歩いていたさくらちゃんが口を開く。
「だったらさ小野君、ぐーみん先輩に合格したら付き合ってくださいって言ってみたら?」
…さくらちゃんにしてはなんと大胆発言。俺たちは二人して言葉を失っていた。
「…だめ、かな?」
すると達也は、
「…いい!それいいね!なんで考え付かなかったんだろう。ありがとうさくらちゃん!」
達也は俺の背中から飛び降りてさくらちゃんの手を握って何度も礼を言っている。
「よし!いまからさっさと帰って早速メールしてみよう!じゃ!」
そのまま達也はダッシュで帰って行った。どこまで分かり易いやつなんだ、達也は。俺とさくらちゃんはしばらくその場で顔を見合わせていたが、やがてどちらともなく声を上げて笑った。
「よかった、元気を出してくれて」
「そうだね。このまま力を出せずに終わるのは達也としても嫌だろうから、これで乗り越えられたらいいんだけど」
「きっと大丈夫だよ。小野君なら」
そう言って夜空を見上げるさくらちゃんは決意に満ちた目をしていた。
そして約束の七日目。今日十一秒を切れなければ不合格となってしまう。
この日の一本目。ぐーみん先輩の合図で達也が走り出すと…いい感じにスピードに乗っている!すごい、昨日までの走りが嘘のようにスムーズな走り。タイムは…惜しい十二秒フラット。思わず俺は、
「達也、いけるぞ!あと一秒だ!」
しかし、その一秒が遠かった。十一秒五くらいまではいくのだが、それ以上伸びないまま時刻は午後四時五十五分を回っていた。時間的にはあと二回くらいしかチャンスはないな。するとぐーみん先輩が、
「小野君、あなたの覚悟はそんなものなの?私の前で男を見せるんじゃなかったの?」
珍しく語気を荒げた。ぐーみん先輩も合格して欲しいみたいだし、ここで合格しなきゃ男が廃るぞ!達也!
そして、時間的にラストラン。ぐーみん先輩の合図で走り出す達也。中間地点くらいから
「うぉぉぉぉぉ!!!」
と、唸りとも叫びともつかない声と共に達也は更に加速した。そして、ゴールに飛び込むと共に倒れそうになる達也をぐーみん先輩が抱きかかえる。ぐーみん先輩の腕の中で達也は声を絞り出す。
「た、タイムは…?」
ぐーみん先輩は目に涙を溜めて、
「十一秒フラット。合格よ」
と、ささやきながら抱き締めた。そしてそれを聞き届けた達也はそのまま気を失った。
この時。腕時計端末から『ミッションコンプリート』とコールがあった。