第五章
第五章
前回のHBSS出動からしばらく時が経ち、そろそろ梅雨入りになろうかとしていたある日の放課後。最近では専ら無駄話に花が咲く地研部室へと向かった。すでにぐーみん先輩は来ていて分厚い本に目を落としていた。俺に続いてさくらちゃんも到着し、最後に真理先輩と翔先輩が到着した。これも最近ではお馴染みの到着順となりつつある。
そして、到着早々に真理先輩は部室内を一瞥して全員いることを確認すると、
「みんな、次のミッションがきたわ。確認して」
俺は腕時計端末を操作して新たなミッション情報を表示してみた。
名前 : 小野 達也(十六)
住所 : 市内南ヶ丘一丁目二十二―一
幸値 : 約九千(年代平均一万六千)
俺は言葉を失った。達也…?達也がターゲットだって??何かの間違いじゃ…呆然としていた俺をさくらちゃんが心配そうに見上げる。
俺は続いてミッション詳細を見ようとしたのだが、その他の情報は見当たらなかった。
「うん。この場合は自分たちで調べなきゃなんないの」
俺の動きから察したのか、真理先輩が解説してくれた。前にぐーみん先輩が言っていたのはこのことらしい。しかし…達也ってそんなに幸薄かったかな。するとぐーみん先輩が、
「一輝くんの親友よね?この小野達也くんって」
「はい。でもそんなに不幸だとは思えませんが…」
すると真理先輩が続ける。
「いままで付き合ってきて何かなかった?小さいことでもいい。何か幸値が下がるようなイベントがあったはずなの」
「イベント…ですか。あいつはいままでサッカー一筋で中学でも部活で頑張ってたんです…あ」
「何かあった?!」
「そういえば以前、練習中に骨折して数か月入院していたことがありました。そのせいでレギュラーを逃して、いまはサッカーから離れています。でもそのくらいでこんなに下がるもんですか?」
真理先輩は腕を組んで考え込む。するとぐーみん先輩が、
「そのくらいではここまで下がることはないと思いますよ。他に何か要因があるはずです」
「他には…思い当たりませんね」
達也とはほぼ毎日会っている。何かあるとすれば骨折の時くらいのはずなのだが…そのくらいでは幸値はここまで下がらないらしい。他に何か要因が…あったかな。
「当分は情報収集ね。特に一輝くん、いろいろ本人から情報を聞き出しておいてね」
と、真理先輩からの指示。
「分かりました。さりげなく聞いてみます」
数日後の日曜日、俺は達也に電話をしてみた。
「おー一輝、どうしたの?」
「いやさ、今日俺暇だから遊ばねーかなと思って」
「いいよー僕もヒマなんだー。じゃ、どうする?」
「俺がそっちに行くよ。十分くらいで着く」
「分かった。準備しとく」
電話を切ると、俺は自転車に跨って達也の家へと急いだ。
達也はすでに外で待っており、俺が着くなり、
「はい!二分の遅刻だ」
「二分で遅刻も何もないだろ…」
そして、自転車を並べて走り出す。すると達也が、
「ところでどこへいくの?」
そういや何も考えていなかったな。
「うーん。たまにはビリヤードとかどう?」
「いいねー。じゃ対戦しようか。僕に勝てたらお昼を奢ろう」
「お。いいねー絶対勝って高級昼食を食べるぞ…!」
と、下らないことを話しながら自転車を漕ぐこと二十分。ビリヤード場に到着。
しばらくは二人ともプレイに集中していた。中盤に差し掛かった頃、俺は思い切って話を切り出した。
「達也。変なことを聞いてもいいか?」
「変なこと?いいけど、何?」
「…お前いま、幸せか?」
聞いていて自分で恥ずかしくなってきた。少し間が空いて、
「どういう意味か分からないけど、幸せかどうかって聞かれたら不幸せじゃないかな?一輝みたいにかわいい彼女もいないしね」
と言うと、達也は勢いよく狙っていた球をポケットに落とした。
「べ、別に彼女じゃないよ。まだ付き合ってとも言ってないし」
思い切りキョドってしまった。そうだよ、まだ何も進展ないから付き合ってるとは言えない。すると達也は次の球を狙いながら訝しげに、
「本当に~?まだ告ってないの?あぁ、外した」
「本当だよ。地研でけっこうバタバタしてたからそれどころじゃなかったんだって」
地研ではないが、嘘は言っていないぞ。すると達也はちょっと遠くを見る目で、
「まーでも仲良くなっただけいいじゃない」
と、意味ありげに言い捨てた。もしや…俺は球に狙いを定めながら、
「そういう達也は気になる子とかいないのか?」
「うーん実はね。この前、すっごい綺麗な人を見かけたんだ」
お。こいつにもついに春がやってきたのか?俺は一気に手球を突いて的玉を落とした。
「どんな人だ?一年か?」
「いや、たぶん二年。髪はセミロングで眼鏡が知的でとってもクールな感じでよかったなー」
「へー。そういうタイプが好みだったのか」
…特徴がぐーみん先輩に似てる気がするが。と、思っていると達也が、
「そういえばこの前の土曜日さー、さくらちゃんを見かけたよ」
この前の日曜といえば、確か何か用事があるって言ってたよな。
「ほぅ。それで?」
俺がわざと関心なさげにプレイに集中していると、達也は続けて、
「しかも。けっこうイケメンの上級生と一緒に楽しそうにお茶してたよ」
「ほ、ほう。そうか」
俺は平静を装ってはいたが、内心かなり動揺していた。そんな俺を見て達也は、
「あれ?それだけ??」
「そりゃな、気にはなるけど、さっきも言ったとおり別に付き合ってるわけじゃないからな」
俺は次の球に狙いを定めて一気に落とした…はずが、キューは空を切り、手玉が数センチ動いて止まった。その様子を見て達也は、
「なるほどね、かなり影響はあるみたいだね」
そりゃ気になるさ。でも、さくらちゃんって眼鏡外すとけっこう可愛いからな。
「やっぱ、そろそろハッキリさせたほうがいいんじゃない?」
と、達也は的確に球を落としながら言ってきた。
「そうだよな…よく考えてみるよ」
結局この日は達也の勝利で終わった。ちっ。
一通りプレイを終えて俺たちが帰ろうとすると、入口のドアが開いて客が入ってきた。あ、あれは矢場君じゃないか。後ろには…玲奈ちゃん?!すると俺が声を出すより早く達也が、
「玲奈!こんなとこで何してんだ!それにお前は校門にいたヤンキー!」
すると、玲奈ちゃんと矢場君は驚いた様子でこっちを見ると、玲奈ちゃんはヤバイといった面持ちで後ずさりを始めた。そこへ達也が駆け寄り制止する。
「玲奈。最近あまり家にも帰っていないみたいじゃないか。あれからうちの親も心配してたんだぞ?」
「…達兄。ごめんなさい。でももう大丈夫だから」
食って掛かりそうな達也の勢いに、玲奈ちゃんも矢場君もどうしたらいいかとオロオロしていた。
すると矢場君は俺を見つけて深々と頭を下げてしまった。達也の視線が俺に…
「一輝、この人と知り合い?誰?玲奈とどういう関係だ?」
珍しく達也が取り乱している。俺はとりあえず達也の肩を叩いてなだめながら、
「まぁまぁ。とりあえず喫茶店にでも移動しないか?ここじゃ店に迷惑だ」
すると達也は残りのジュースを飲み干して、
「ふぅ、分かった。玲奈、話くらい聞かせてくれるだろうね?」
そう言った達也の瞳は、有無を言わせない迫力を放っていた。
そして、いつもの喫茶店へ。しかしいつもの和やかさはなく、重苦しい雰囲気がテーブルを包んでいた。
俺と達也が並び、向かいには矢場君と玲奈ちゃんが座っている。達也は玲奈ちゃんを凝視し、玲奈ちゃんは下を俯き、矢場君はその二人を心配そうに見ている。重い沈黙を破ったのは意外にも玲奈ちゃんだった。
「達兄、心配かけてごめんなさい!何度も家に行こうと思ったの。でも、そしたらもう将くんのところに行けれなくなりそうで怖かったの」
するといつもの達也からは想像できないような重みのある声で、
「…まず、その経緯から教えてくれ。この数日間、家にいない間どこで何をしてたのか」
玲奈ちゃんは事の経緯を達也に話した。もちろん、陰で支えていた俺はよく知ってる話なのだが、俺も初めて聞くふりでうんうんと頷いてみた。
一通り話終えると、玲奈ちゃんはミルクティを一口飲んだ。すると達也は俺の方を向き、
「じゃ、今度は一輝。矢場君と面識ありそうだけど、知ってることを教えて」
今度は俺か。俺は矢場君に翔先輩の道場を紹介し、その際の激闘を教えてやった。その間達也は腕を組み、ふむふむと頷いていた。また、玲奈ちゃんも初めて聞くみたいで目を丸くして聞き入っていた。
一通り説明し終えると、今度は矢場君が口を開いた。
「知らなかったとはいえ、いままでお知らせできなくてすいません。でも、玲奈ちゃんのお蔭でうちにも光が差してきたっす。だから怒らないで欲しいっす。お願いします!」
と、矢場君は深々と頭を下げた。達也はその様子をジッと見つめていたが、やがて口を開いた。
「矢場君は頭を上げてください」
そして、玲奈ちゃんに向き直り、
「分かった。このことは玲奈のお母さんには言わない」
それを聞いて玲奈ちゃんは思わず涙ぐみ、
「達兄、ありがとう…」
しかし、ここで達也は、
「でも、条件がある。今まで通りで矢場君との付き合いも構わないけど、まずこの後うちの親に説明するんだ。玲奈のことは実の子のように思ってるから、いまでも玲奈のことを言わない日はないくらいなんだ。あと、月一回くらいはうちに顏を出すこと。守れる?」
玲奈ちゃんと矢場君はうんうんと頷いている。
「うん。分かった。でも、おばさんがそんな風に思ってくれてたなんて知らなかった…」
すると、達也はいつもの笑顔に戻って、
「うちの親だけじゃない。俺だってそうさ。玲奈は一人じゃないんだ。それだけは覚えておいて」
と、言うと玲奈ちゃんはごめんなさいと言いながら目頭を押さえて泣き出した。しかし、その表情にはどこか安らぎを感じさせるものだった。
翌日の放課後、俺はいつものように部室に向かう。
中に入ると既にさくらちゃんとぐーみん先輩が来ていた。さくらちゃん…誰とお茶してたんだろう。達也は知らない人だと言ってたが…別に俺が気にすることじゃないと頭で分かってはいるが、気になる。
気づけば俺はさくらちゃんを凝視してたみたいで、さくらちゃんが、
「…一輝くん?どうしたの?」
「あ、い、いや、なんでもない」
危ない危ない。とりあえず話を逸らそう。
「そういえば昨日、達也とちょいと遊んできたんですが…」
俺は昨日矢場君と玲奈ちゃんに会ったことを話した。するとぐーみん先輩は
「そうですか。事がいい方向に行っているなら私達の活動にも意味があったということですね」
と、上品な微笑みで笑った。あぁ、そういえばもう一つ伝えなければ。
「あとですね。達也はどうやら気になる人ができたらしいんです。その人の特徴がぐーみん先輩に似ているんです」
「え?また、からかっちゃだめですよ?」
「いえ、本当です。そこで物は試しで、写メ見せて反応を見たいんですが、どうでしょう?」
もし、これで幸値が上がれば分かり易いし、思いつくところを潰していかないといけない。すると、ぐーみん先輩はしばらく考え込んだ後、
「分かりました。じゃ、適当に撮った写メ送りますね」
ぐーみん先輩の携帯に入っていた写メを俺の携帯に転送してもらったので確認してみると、画面の中で不器用に微笑むぐーみん先輩がいた。なんていうか、もっといいのはなかったのだろうか。
「いま撮りましょうか?」
と、俺が言うとぐーみん先輩は、
「え?いまはちょっと…いろいろと準備が…」
珍しく歯切れが悪いな、ぐーみん先輩。そうか、撮るよって言われると緊張しちゃうのか。
「あー分かりました。じゃ、これを見せてみますね」
「そうしてください。私のことじゃないと思いますので」
実際のとこ、HBSSの端末にはいろいろあるのだが、そのお蔭で普通の携帯の中にはほとんどないんだよな。さくらちゃんの画像くらいかな、あるのは。そう思って携帯をいじっているとさくらちゃんが、
「そういえば、私のクラスに小野君と同じ中学の人がいたから聞いてみたんだけど…」
すると、ぐーみん先輩が飛びついた。よっぽど話題を逸らしたかったんだな。
「何か分かりましたか?教えてください」
「はい。なんというか、噂程度なんですが、以前に小野君って部活で骨折してるのよね?」
さくらちゃんは俺の方を向いて言った。
「ああ。練習中に骨折してしまったみたいで、数か月入院してたよ。そのせいでレギュラー常連を逃してしまって。それからかな、サッカーから遠ざかったのは」
さくらちゃんはやっぱりといった表情を浮かべて続けた。
「その骨折に関する噂なんだけど、実は同じ部活の人たちに仕掛けられたらしいの」
なんだって…?俺も同じ中学だったが、そんな噂聞いたことないぞ。俺が絶句しているとさくらちゃんは更に続けた。
「実はその前から部活動内でのイジメがあったらしいんだけど、一輝くん聞いてない?」
「…いや、初耳だ。達也が入院してるときに、毎日行っていたがそんなことは一度も聞いたことがない」
俺の額から嫌な汗が流れた。そんな…練習中にわざと骨折させられた??以前からイジメを受けていた??そんなこと全く知らなかった。するとぐーみん先輩が、
「おそらく、周囲は一輝くんなら知っていると思っていた、或いは知らせることが出来なかったのでしょう」
俺の思考は停止寸前だった。頭が真っ白になり、何の言葉も浮かんでこなかった。
「今日は…これで失礼します…」
俺は力無く立ち上がり、部室を後にした。
その後どこを通ったのか覚えてないが、気がつくと夢で見たあの丘にいた。
ここには達也ともよく来たっけ。あいつっていつも人のことばかり気にして…俺が小学校のときにいじめられそうになってたときも、身を呈して助けてくれたよな。近所で遊んでて俺がガラス割っても自分が割ったって言い張って自分が怒られに行ったり。玲奈ちゃんの件だって、自分が悪者になるのも厭わずに庇ってあげている。なのに…あいつ自身がそんな大変な目にあってるのを俺は気がつかなかった…。周りが教えるとかそういうのじゃなくって、俺自身がなんで気が付かなかったんだ。俺はあいつの親友だったはずなのに…。情けない…俺自身が情けない。そして、なんで俺に一言相談してくれなかったんだ。達也!
俺は樹木に何度も拳をぶつけていた。痛みなんかより、俺はただ自分が許せなかった。最後の拳が空を切り、俺はその場に倒れこんだ。
なにやってんだ…俺は。すると俺の頬にそっとタオル地のハンカチが当てられた。俺はその方向を見るとさくらちゃんが俺の脇にかがんで心配そうに見つめていた。俺は視線を元に戻すと自虐するように吐き捨てた。
「笑ってしまうよね。達也のこと、親友だとか言っておいてさ。助けてもらってばかりでさ。達也が苦しんでいるときに気付いてやれないなんて…俺なんて親友失格だよな」
するとさくらちゃんは、
「私、小野くんの気持ち分かる。自分の大切な人だからこそ、言いたくなかったんじゃないかな。それに、一輝くん大切なこと忘れてるよ」
「大切なこと…?」
「これはあくまで噂なんだから。本当かどうか、真実を確かめないと分からないよ?」
そうだった…あくまで噂なんだ。俺はなにやってんだ、本当かどうか、わからないような噂ごときに振り回されて…。急にバカバカしくなってきた。
「そうだった…な、ありがとうさくらちゃん。俺の手で真実を確かめるよ」
そう言うとさくらちゃんは強く頷き、
「あと、これはぐーみん先輩からの伝言。張り切るのはいいけど、HBSSのことは達也くんに感づかれないようにね」
ははっ。すべてお見通しか、さすがぐーみん先輩だ。
「了解したよ。そうだな…きっと親御さんなら何か知ってるだろうから、また時間を見つけて聞いてみるか」
そう言って俺は立ち上がり、眼下に広がる風景に目をやった。さくらちゃんがそっと隣に立ったとき、一陣の風が通り過ぎてさくらちゃんの甘い香りを浮き立たせた。
いつもの見慣れた風景…のはずだが、突然俺はデジャブに襲われた。
何だろうこの感覚は…。夢の中で見たような、この次に起こることが分かるような不思議な感覚。横にいるさくらちゃんの存在を当たり前のように感じるこの感覚は一体…。
「どうしたの?一輝くん」
心配そうに覗き込むさくらちゃんの声で俺は我に帰った。
「あ、いや。いま…なんでもない」
「?」
不思議そうに首を傾げるさくらちゃん。俺は慌てて、
「さ、今日のところは帰ろう。ゆっくり休んで続きはまた明日だ」
「ん。そうだね。一輝くん、辛かったらいつでも言ってね。私、話を聞くくらいしかできないけど」
そう言って気遣ってくれるさくらちゃん。涙が出るほど嬉しいな。
「ありがと。じゃいつでも相談させてもらうね」
と言うと、さくらちゃんはうんと大きく頷いた。
そして、俺たちは肩を並べて家路についた。
次の日の放課後、俺は達也がフットサルの練習に行っていることを確認して達也の家に向かった。
家には母親がおり、いつものように出迎えてくれた。
「あら、一輝くん。達也なら部活に行ってるから、まだ帰ってこないわよ?」
「はい。分かっています。今日はおばさんの話を聞きたくて来ました」
達也の母はちょっと驚いた様子で、
「あら、そうなの?じゃとりあえず入りなさいな」
と、俺を招き入れてくれた。達也の母はお茶とお菓子を用意すると俺の向かいに座り 、
「それで、どうしたの?改まって話って何?」
「単刀直入に伺います。達也が中学校の時、サッカー部でいじめられてたっていうのは本当なんですか?」
と、俺が聞くと達也母の表情が凍りついた。俺は続けて、
「しかも、あの時の骨折は仕組まれたものと聞きました。本当かどうか、知ってることを教えてください」
達也母はお茶を一気に飲み干し、曇った表情のままどうしたものかと思案している。やがて俺を真っ直ぐに見つめて、
「分かったわ。そこまで知っているのならもう隠せないわね」
そして、押し殺したような声で続けた。
「これは達也から口止めされてるんだけど、確かにいじめにあっていた。最初は他愛もないイタズラだったようだけど、徐々にエスカレートしてね、そのうち顔や体にキズを付けて帰ってくるのが当たり前になってきたの。学校にも相談したかったし本人とも何度も話したけど、あの子は決して転校や先生の介入を拒んだわ。自分がレギュラーでいるための試練だって。そんなとき、あの骨折事件が起こったの。本人は練習中に偶然っていってたけど、その相手が複数だったことと、そのほとんどがいじめの中核メンバーだったことを噂で聞いて確信したわ。あれは仕組まれたものだって」
なんてこった。本当だったのか…こんなことを抱えておいて、表では笑っていたっていうのか…達也。
絶句している俺。達也母はさらに続ける。
「でもね、あの子は偶然だって言い張るの。もう見てられなかった。だから、お父さんとサッカー部を辞めるように勧めたわ。でも、好きだからって、補欠でも最後までやり続けたの」
そういうと、達也母の頬を大粒の涙がこぼれた。
「そしてね、あの子は私達に言ったの。このことは一輝くんには言うなって。心配かけたくないって」
…そういうことだったのか。あのやろう、いっつも人の事ばっか考えて自分の事は誰にも頼らないでしまい込みやがって。
「いままで黙っててごめんなさいね。でも分かってやって、あの子なりの優しさなの」
「そうでしたか。ありがとうございます、俺に話した事は内密にお願いしますね」
「言えないわよ。でも、私も一輝くんに話して、少しスッキリしたわ。これからも達也をよろしくね」
「もちろんです、こちらこそよろしくお願いします、ですよ」
お茶菓子を頂くと俺は達也の家を後にした。まさか、ここまで深刻なことが起こっていたなんて…。そういえば達也のやつ、部活選ぶ時にもうサッカーはいいとか言っていたよな。でも、フットサルなんてやってるってことは…やっぱまだサッカー捨てきれないんだろうな。
翌日の昼休み。達也は弁当を忘れたとかで購買にパンを買いに行った。珍しいことだが、今日は寝坊をしたらしい。
俺は先に食べようかと思案していると、達也が教室に戻ってきた。
「でも、珍しいな。達也が寝坊して弁当を忘れるなんて」
「いや、実は昨日玲奈が来ててさ、泊まって行ったんだよ。それで遅くまで話を聞いてたら寝坊ちゃって」
「なるほどな。ちゃんと謝りに行ったんだ。しっかりしてるんだな」
「うん。見かけによらずね。んで、お母さんが弁当を俺の分しか作ってなくてさ、仕方ないから玲奈に持たしたんだ。ちょっと大きいけど」
「そういうことか。そりゃ災難だったな」
「まぁね。でも、玲奈が落ち着いてくれてよかったよ。あの矢場君とやらも、一輝の話だと信用できるみたいだし」
「そうだな。それこそ、見かけによらないっていうやつだ。しっかりしてて、俺たちより根性座ってるぞ」
そんなことを話していると、俺よりかなり早く達也はパンを食べ終えてしまった。そりゃそうか、量が違いすぎる。達也の目が弁当にロックされる前に…あ、そうだ。
「そういえば達也、この前言ってた先輩の写メもらって来たぞ」
「え!本当?!見せて!」
やけに食いつく達也に若干引きながらも、画像を出して達也に携帯を渡した。すると達也は目を輝かせて、
「そう!この人だよ!このクールな表情がたまらなく綺麗だ!一輝この画像僕の携帯に転送していい?」
「あ、ああ」
達也は心底嬉しそうに俺の携帯をいじっている。どうやら大当たりだったらしいが、さてどうしたもんかな。
そして達也は転送を終えると俺に携帯を返しながら、
「この人なんていう名前?」
情報通の達也が知らないなんて珍しいこともあるもんだ。
「深町 恵 先輩だよ」
「深町さんかー。いい名前だ…って、前に言ってた深町さん?一輝いいなぁ、毎日会っているんだろー?」
「ああ。まぁ、部活だからな。どうしても顔を合わせることになるよ」
「そっかー僕も入れてもらおうかな?今から入れないかな?」
「うーん俺じゃ分からないから、また聞いておくよ」
「頼む!何でもするから!」
両手で俺を拝んでいる達也。しかし入部となると…
「でもさ、俺もやったけど入部試験になるかもよ?いいの?けっこうきついぞ?」
すると達也は拳を握りしめ、
「全然問題ない!恵さんのためなら!」
うーん。完全にはまったみたいだな。
「聞くだけ聞いてみるけど、ダメだったらあきらめろよ?」
「入部がダメだったら、個人的に紹介してくれるよね?」
達也はスマイル全開で瞳をウルウルさせている。気持ち悪いわ。
「…分かったよ。とりあえず今日聞いておくから、詳細は明日な」
HBSSは特殊な部活(?)だからな。簡単に入部できるとは思えんが。
「えぇ?入部希望?」
真理先輩は素っ頓狂な声を上げた。昼休みの達也を話したのだが、入部希望となると話が変わってくるらしい。入部希望の話をした途端、先輩三人の顏が曇った。
「知ってのとおり、うちは特殊な活動だから、本来希望したからと言って入部できるとこじゃないのよ」
と、真理先輩が言うとぐーみん先輩も続ける。
「入学式後に配布された部活動一覧にも、地研の名前はなかったでしょ?」
そういえばそうだな。ここに来て初めて名前を見たくらいだもんな。…ん?まてよ。
「じゃ、さくらちゃんと俺はなんで入れたんですか?」
当然の疑問だ。希望しても入れないところに二人も入っている事実。これにはぐーみん先輩が答えた。
「まず、さくらちゃんは元々入部の予定だったの。関東支部から推薦状が来ていたので、本来ならさくらちゃんはそのまま入部する予定だったのだけれども…」
そしてぐーみん先輩は俺に視線を移し、
「そのさくらちゃんと一緒に、何故かあなたが入室してきたの。で、その時のさくらちゃんの反応を見て、私が独断でテストをさせてもらったの」
「ということは、本当はあの入部テストをやる予定はなかったが、偶然予定にない俺が来たから試した。ということですか?」
今度は翔先輩が答える。
「そういうこと。ぐーみんの勘はよく当たるから問題はないと思うけど、念のため、資質を試したんだ」
なるほどな。たかが部活動に入部試験とは変だとは思っていたが、そういうことだったのか。
「では、達也が入部したいと言ってもダメってことですね」
真理先輩が残念そうに答える。
「そうね。仮にもターゲットだし。それに…動機がね」
と言って、意味ありげにぐーみん先輩を見る。ぐーみん先輩はふぅと溜息をつくと、窓から外を見上げた。
「でもさ、会えるようにセッティングしてやればいいんじゃない?話をしてみれば、ぐーみんも案外気に入るかもよ?」
と、翔先輩がナイスアドバイス。所詮他人事、かなり楽しんでいるように見える。すると真理先輩も畳み掛ける。
「そうだよ。ぐーみんにもやっと春が来るってもんよ!やっぱさ、女は愛されてナンボなのよ!」
さくらちゃんも大きく頷いている。そんなもんなんですか、女って。やがてぐーみん先輩は観念してように、
「分かったわよ…でも一度だけよ?」
「よし!決まり!」
説得成功で何故かみんなでハイタッチ。なんか成し遂げた連帯感があるな。
「じゃ、俺が達也を連れてきます。いつがいいですか?」
すると、真理先輩が、
「もう明日でいいじゃん。明日放課後に表の喫茶店ってことで!」
勝手に決めちゃっていいのか?するとぐーみん先輩は、
「私はそれで構いませんので、一輝くんは後で小野くんに聞いてみて連絡をください」
「分かりました、今夜にでも連絡入れますね」
その夜、俺は達也にメールを送った。
『入部の件は募集期間外だからダメって。でも、深町先輩が会ってくれるみたいだけど、たちまち明日放課後とかいけるか?』
すると、一分後には返事が。
『いく!!絶対行く!!用事なんてあっても行く!!』
よかった。とりあえずぐーみん先輩に伝えておこう。
俺は腕時計端末を操作し、ぐーみん先輩を呼び出した。数秒するとホログラムにぐーみん先輩が普段着で表示された。…なんか印象が違うな。少し柔らかいというか、かわいらしいというか。
「あ、ぐーみん先輩。達也の件なんですが、明日でお願いしますと」
「そうですか。分かりました。では明日放課後に、喫茶店にいきますね」
「はい。よろしくお願いします」
「わざわざ連絡ありがとうね。じゃ、おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
明日はどうなることやら…ちょっと楽しみだ。
さて、翌日の放課後。俺は達也を伴っていつもの喫茶店に入ると、端末のスイッチを入れた。どうも真理先輩と翔先輩は別の用事があるらしく、今日は来れないがとても心配とのことで、端末を通じて音声だけでも聞きたいらしい。これで聞こえてると思うが…
達也はというと、すごく緊張しているみたいでさっきから水ばかり飲んでいる。サッカーの試合の前でもここまで緊張してなかったと思うが…それだけ本気ということか。
俺たちが入店して五分ほどで、さくらちゃんに腕を引かれてぐーみん先輩登場。達也の緊張感は最高に達した。
「お待たせしました。…あなたが小野くん?」
ぐーみん先輩が柔らかい口調で尋ねた。こんな話し方もできるんだな、女の子って器用だよな。
「はい!きょ、今日はわざわざありがとうございます!」
何を思ったか達也は突然立ち上がり、深々と頭を下げた…と思ったら水の入ったグラスに思いっきり頭突きをする格好になってしまい、グラスが綺麗な音を立てて割れた。
「大丈夫ですか!!」
と、お店の人が慌ててガラスを集めてテーブルを拭いている間達也は、
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
と、ひたすら謝っていた。こんなに余裕のない達也は希少価値があるな、録画しておきたいくらいだ。
最初は呆気にとられていたぐーみん先輩は、達也に座るように促した後、自分がバックから何かを取り出して達也の横に屈んだ。よく見ると達也の額が切れており、血が滲んでいた。大きな怪我ではないものの、絆創膏くらい貼りたかったんだろう。
「はい。これで大丈夫よ」
と言ってぐーみん先輩は達也の正面に座る。達也は恥ずかしそうに、
「初対面ですみません。慌ててしまって…」
「いいんですよ。誰だって初めては緊張しますからね」
そう言って微笑むぐーみん先輩はすごく育ちの良いお嬢様のように見えた。でも、実際いろんな場面で優雅というか、育ちがいいように見えるよな。…そういえば俺ってぐーみん先輩のこと、何も知らないよな。この機会に聞いてみるか。
「そういえばぐーみ…あ、深町先輩。俺ほとんど先輩のこと知らないんですが、ちょうどいい機会なので教えてくれませんか?」
すると、さくらちゃんも同調して、
「そういえばそうですね。私も知りたいです」
ぐーみん先輩はちょっと困った顔をしたが、すぐに向き直り、
「分かりました。じゃ、何から話しましょうか?」
よし。とりあえず俺は気になっていることを聞いてみた。
「えっと、確か先輩は去年東京から引っ越して来たんですよね?またどうしてです?こんな地方に」
すると、達也はナイス!とでも言いたげな視線を俺に送ってきた。ぐーみん先輩は少し考えて、
「確かに私は中学まで東京にいました。父は仕事の関係でまだ東京住まいで、週に一度こちらに来てくれます。こっちに来たのは母の体調の関係です。東京では空気がよくないので持病の喘息が悪化しつつあったので、少しでも空気の良いこちらにと。またここは母の幼少時代に過ごした土地だそうです」
そこまで話すとぐーみん先輩は紅茶を一口飲んだ。すると達也は、
「じゃあ、お母さんの付添のためにこちらへ来たんですね?」
「はい。それもありますが、母が育った土地で私も…という思いもありましたね」
ぐーみん先輩が尊敬する母か。しかもこっちの出身とは、ちょっと興味あるな。すると今度はさくらちゃんが、
「先輩って薙刀お上手ですよね?どこで習ったんですか?」
達也が驚いた顔でさくらちゃんを見た。そりゃそうだろう、とても武道を嗜むようには見えないからな。
「薙刀は幼稚園に入るくらいのときから教わっています。いまでも毎朝稽古していますよ」
長っ。そりゃ上手くなるわけだ。少し怪訝な顔つきをしている達也に少し解説。
「前に入部試験のこと話したろ。その最後でヤンキーを撃退したのが先輩だ」
それを聞いた達也はああーと手を叩いて納得した。そして、次に達也が質問する。
「あ、あの。どんな男性がタイプですか?」
おいおい、随分と直球だな。ま、そうでなくともぐーみん先輩も含めて既にバレてるのだが。ぐーみん先輩は少し考えてから、
「そうですね…ほどほどに教養があって、嘘をつかない人。かな」
ほどほどってのが難しいところだな。何か達也は真剣に頷いているが、まぁ本人が納得しているのならいいか。
それから、達也は様々な質問をしていたが、もう外が暗くなり始めていたので俺は、
「じゃ、そろそろ出ましょうか。時間も時間だし」
「そうですね。今日は楽しかったわ、ありがとう」
そういうと、ぐーみん先輩は席を立とうとした。ここで達也は、
「最後にもう一つ!連絡先を交換してもらえませんか?」
お、今日の目的きたな。ぐーみん先輩は少し考えてから、
「分かりました。メアドでいいですか?」
すると達也は満面の笑みで、
「もちろんです!ありがとうございます!」
そして、交換を終えると全員で外に出た。ぐーみん先輩はさくらちゃんを送って行くとのことなので、俺は達也と共に家路につく。
「一輝、今日はありがと。超楽しかった!メアドも交換できたし」
「それはよかった。先輩も楽しそうだったし、なによりだ」
「ほんとに?!毎日見ている人が言うんだから間違いないか。よかったー」
実際、あんなに楽しそうなぐーみん先輩は初めて見た。なんにせよ、お互いに楽しかったんだからよかったよかった。これで、ミッションコンプリートしてくれれば言うことないんだが…
「じゃ、一輝。僕はちょっと寄るところあるから、ここでね」
「ああ、また明日な」
俺は達也と別れた後、腕時計端末をチェックしてみた。が、ミッション内容に変更はなかった。詳細な幸値なんかは真理先輩にチェックしてもらわないと分からないけど、やっぱり骨折の件じゃないとだめか…。暗くなってしまった帰り道で俺は重い足を引きずりながら自宅へと急いだ。