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花舞う星の雪遊び  作者: 羽黒楓


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32/41

32. あたしたち二人でキャベツ育ててみるってのも悪くないと思わない?

「ねえ」

「…………」

「ねえってば!」


 愛想美が、星多の肘を小突く。


「なんだよ」

「ほんとに、これでうまくいくかなあ?」


 二人は今、市内のとある場所、マンションの一室にいた。

 いわゆるワンルームマンションで、そんなに広くもない部屋だ。

 壁一面に吸音材が貼り付けられ、さらにはいくつあるか数える気もしないほどの大小さまざまなスピーカーやらアンプやらが置いてあって、二人が座るだけの場所を確保するだけでも苦労するほどだった。

 ここは、星多の母親の妹、つまり星多の叔母さんが借りている部屋だった。

 叔母さんはいわゆるオーディオマニアってやつで、自分の家とは別に、マンションに部屋を借りてオーディオルーム兼倉庫にしている。

 凄腕の保険セールスパーソンだそうで、かなりの給料をもらっているらしいから出来る芸当だ。

 当の本人はセールス指導員として北海道に転勤になってしまい、今は「なにかあったときのために」とカギを星多の母親に預けていたのだ。

 そのカギを実家に戻って拝借してきて、入り込んだというわけである。

 愛想美の父と星多の母が帰ってくるまでの間、ここで暮らそうというわけだ。


「お、おい、愛想美、ケーブル踏んでるぞ! それ一本で百万円するらしいからな」

「まじで? ……あんたの叔母さん、どうかしてんじゃないの?」

「しらんけど、北海道の発電所は音の出が好みじゃないとかで、この機材ここに置きっぱなしにしてるくらいだからな……うん、変なのかもしれない」


『次に転勤するときは東京あたりの支店長だと思うけど、東京電力は好きなのよね、いい仕事してるのよ』という叔母の顔を思い浮かながらそう言った。

 部屋の中には星多の身体ほどもあるでかいスピーカーが並んでいる。

 いったいいくらつぎ込んだのやら。

 愛想美は呆れたように、


「発電所って……。違いわかるもんなの? まあでも、すごいスピーカーとかがいっぱいあるっていうから、お気に入りのレコードを持って来ちゃった」

「そんなんも持ってきてたのかよ……」

「へへ、あんたもいい音楽を聞く趣味くらい持ちなさいよ、人間性が豊かになるわよ。えーと、どれがつながってるんだろ? これかな……」


 愛想美が大きなキャリーバッグから取り出したのは、今流行りの楽曲のCD……ではなくて、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のチャイコフスキー『白鳥の湖』の、LPレコードであった。一九五九年の演奏、とある。

 なんだこれ、渋すぎる。今時の女子高生にしては(っていうかいつの時代の女子高生だろうと)このチョイスは渋すぎるだろ。そもそもLPレコードとか、初めて見た。


「へへん、パパの部屋から持って来ちゃった」


 愛想美はレコードプレーヤーのフタを開け、そっとLP盤をセットする。

 そして、そのへんにあるスピーカーやらアンプやら正体不明の機器やらのスイッチを適当に入れ、レコードの適当な場所に針を落とした、……その瞬間。

 空気が、震えた。

 いや、震えたのではない。

 空気が、爆発したのだ。

 花火大会で大きな花火が打ち上げられるたびに、腹にズンとくるあの感じ、その十倍はあろうかという音の爆弾。

 ビリビリと全身を衝撃波が襲う。

 星多ですらよろめいたほどだから、ましてや身長一四五センチ、小柄な愛想美は当然、


「うぎゃうッ!」


 断末魔の悲鳴を大音響にかき消されながら身体が吹っ飛んだ。

 壁に叩きつけられるところを、すんでのところで星多がキャッチ、ぴったり抱き合うような体勢になりながら、二人で床に倒れこんでしまう。


「※◯〒∃♀!?」


 耳許で愛想美が何事かをどなるけど、それすら聞こえない。

 ――とりあえず、電源を切らないと俺たち……チャイコフスキーに殺されるッ!!

 星多は必死にプレーヤーに向かって這いずる。

 その星多には愛想美がしっかりとしがみついているので、なかなか前に進まない。


「おい、愛想美、離せ!」

「なによ、あんたあたしを見殺しにして逃げるつもり? この卑怯者!」


 至近距離で怒鳴りあってるのに、なんとか聞こえる程度。

 やばいぞ、このスピーカーはロシア軍が開発した暴徒鎮圧用の兵器に違いない。

 叔母さんはKGBのスパイだったんだ、おのれ、プーチン!

 などと馬鹿を言ってる場合でもない。


「離せってば!」

「絶対離さないからね! 死ぬときは一緒よ!」

「そうじゃない、お前が離さないと……このまま共倒れだぞ!」


 なるほど、溺れている人に訓練を受けていない素人が近づくと、しがみつかれて一緒に沈んでしまう、とは聞いたことがあったが、これがそういうことか、と思った。違うけど。

 とにかく、空気を揺るがすこの大音響をなんとかしないといけない。

 しかたがないので、愛想美をモフモフの髪の毛ごと抱きしめて、前へと進む。

 自衛隊の訓練もかくやとばかりの匍匐前進の末、やっとのことでレコードプレーヤーに到達、スイッチをひねることに成功した。


「…………ふう、ふう…………」

「…………はあ、はあ…………」


 二人、床に倒れこみ、抱き合った状態で、お互いの吐息を聞く。

 どうやら、殺人兵器の犠牲となることは避けられたようだ。


「……あんたの叔母さん……いつもこんな音量で聞いてるの?」

「いやいや、音量のつまみを適当にいじったのはお前だろうが……」


 二人、茫然自失としながら呟き合う。

 しばらくそのままでいて、さて。

 星多は気づいてしまった。

 あれ、俺、今愛想美と抱き合ってるぞ?

 腕の中に、小動物みたいにちっちゃな女の子がいる。

 背中にまわした手のひらから、薄いブラウスの布越しに、愛想美の体温を感じる。

 先ほど大音量の直撃を受けたせいで冷や汗でもかいたのか、ほんの少しだけしっとりしていて、手のひらが愛想美の背中に吸いついていくようだ。

 ブラウスの生地越しにかすかに感じる、ブラジャーの紐。

 高校生とは思えないほど小さな身体、呼吸するたびに愛想美の華奢な肩が上下する。

 目の前数十センチには愛想美の顔、口から吐き出される吐息が、星多の胸元をくすぐる。

 ふわふわの長い髪が星多の腕にからまる。その感触がとても気持ちがいい。


「ね、星多……」


 横になって抱き合ったまま、愛想美が上目遣いに星多を見る。

 あ、これは離れろとかスケベとかいって怒られるな、殴られるかも、と少し覚悟を決めたのだが、でも幼なじみで今は義妹の少女はそんなことはしなくて、


「ねえ、星多……星多……」


 と、長い睫毛の奥の、キラキラ輝く瞳で星多を見つめ続けるのだった。

 ――なんだこれ、どういう状況だよ?

 よくわからない。だけど、目の前の義妹の表情が、やけに艶かしくて、星多の心臓がバクバクと跳ねまわる。

 ――まさか、俺、愛想美に……。

 いや、これはそうじゃない、今の大音響のせいだ。

 愛想美の手が延びてきて、子供のように細くて小さい指が、星多の頬にふれた。

 ゾクゾクッと背中に震えが走り、ジンジンと胸の奥が熱くなった。

 目の前の愛想美の表情が蕩けている。

 ふっと香るのは、小さい頃から知っている、幼なじみの身体の匂い。

 幼なじみで、今は義妹、今は、家族。

 この香りに包まれると、星多はいつでも懐かしくてほっとする。

 だけど。

 懐かしいだけじゃない、星多の知らない新しい香り成分も混じっているのに気づく。

 甘くて、ミルキー。

 女の子の、香りだ。

 待て待て、ほんとにどういうことだこれ?

 愛想美は親友で戦友なんだ、そういうんじゃないのに。

 だけど潤んだ瞳と、背中に回した手のひらが伝えてくる少女の鼓動、腕に優しくまとわりついてほどよく刺激してくる髪の毛の感触。

 愛想美は星多の親友で戦友で幼馴染で義妹で、そして。

 女の子だった。


「ねえ、星多……あたしさ、あのさ……」

「な、なんだよ……」

「キャベツ……」

「え、なんだよほんとに」

「キャベツをさ、回鍋肉にして……食べようよ……」

「お、おい、お前、大丈夫か……?」

「あたしたち二人で、キャベツ育ててみるってのも、悪くないと思わない……?」

「農家やるのか」


 とか言いながらも、だんだんと、愛想美の顔が近づいてくる。

 輪郭がぼやけるほど上気して真っ赤になったほっぺた、ああ、こうしてみると愛想美ってすげえかわいい顔してるよな、つやつやとした唇、少し開いてる、突き出してくる、近づく、お互いの吐息で呼吸しあうほどの距離、目を閉じる少女、星多はよりいっそう強く抱きしめる、ドックンドックン、心臓は共鳴する、一緒に響きあう、女の子の身体って柔らかい、柔らかい、ふわふわだ、ちいさい、熱い、あ、もう俺は……。

 瞬間、星多の脳内で、ばあちゃんの声が聞こえた。

『若い男はあれだろ、くだらねえ本能に振り回されて勉学おろそかにして人生駄目にする』

 やばい、これって今まさに本能に振り回されてるんじゃないか、と思って、でも、どうも今の態度からすると愛想美はそれを望んでるんじゃないかとも思って、だけど愛想美は星多の人生にとって間違いなく大きな存在で、幼なじみで今は家族で、その愛想美が恋心というよりも本能でどうこうされちゃうのは相手が自分だとしても許されることじゃなくて、つまり自分が許せなくて、


「ストップ! 俺たちは今、おかしくなってるぞ!」


 そう言って、愛想美から身体を離した。


「ホイ、コーロー……」


 愛想美が手を星多に伸ばし、名残惜しそうにパタパタさせる。

 いやいやいや、危なかった、もう少しで理性が吹っ飛ぶところだった。


「愛想美、もうふざけるのはやめろ」


 そう言うと、愛想美はハッとした顔で、


「あれ? 今あたし、……あれ? あれ? あれ!?」

「お前、そういう冗談やめろよな……」

「そ、そう……そうね、冗談、……冗談よ……」


 二人、少し距離をとって床に体育座り。

 ――なんだこれ、なんで俺愛想美相手にこんなに取り乱してんだ……。

 大きく深呼吸する。

 ようやく心と身体が落ち着いたところで、チラッと隣を見ると、愛想美はほっぺたをもの凄く紅くして、こっちをじっと見つめていた。


「あのさ、星多、ごめんね……。今あたし、すっごく恥ずかしいことしてたよね」

「そんなことはねえぞ、いやあ、すげえ音だったな、このスピーカー殺人兵器だぜ」

「……嫌だったでしょ?」

「別に……」

「あんた、凛々花先輩が好きなんだもんね」

「馬鹿、まあそうなんだけど」

「あの氷女のことは? まだ好き?」

「ユキさんか、フラれたからな、二年も立つんだし、もう吹っ切ってるよ」

「でも男の恋心って一度好きになったら別の名前で保存だからずっと好きなんでしょ?」


 と、問い詰めるような口調で言う愛想美。


「ああ、よくいうよな、女は上書き保存だけど、男は名前をつけて保存だって。まあ、うん、確かにそういうこと、少しはあるかもな。嫌いになったわけじゃ、ない」

「ごめんね、星多、あたしなんか……嫌だったでしょ?」

「嫌じゃなかったぞ」

「え?」

「わりと、その、うん、悪くなかった」

「あ、そう。ふーん。あたしはすんごく嫌だったけど」

「……悪かったな」

「あんた、前はあの氷女で、今は凛々花先輩が好きなんだよね」

「ああ」

「そうだよね」


 膝の上にほっぺたをのせ、はあ、と溜息を吐く愛想美。

 鈍感な星多でもさすがにこれがどういうことかわかった気がするけど、今はこういうことをしている場合じゃない。

 手に残る愛想美の感触を打ち消すようにゴシゴシとズボンを擦る。


「さて、これからここで一ヶ月間、俺達は暮らすことになるけど」

「まあ、そうね。お金そんなにないからじっとしてるのが一番かも。とりあえず暇だから寝るわ。成長期だし」

「だからもう終わってるよ」


 二人、ごろんと床に横になって、それぞれ物思いにふけるのだった。


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