RED were born in BLUE.
We're RED were born in BLUE.
We know a song tell us the eternal,
and we also know the sunset tell us the miracle.
We're RED were born in BLUE.
「丹。いとこの惠がもうすぐ来て食べものを届けてくれるって。」
緋乃がそう言ったのは、私が起きてほどない、黄昏どきのことだった。
白い浜を鮮やかな色のワンピース姿で歩いていく彼女は、島について半日、まだ泳ごうとするそぶりを見せない。我ら青から生まれた赤にとっては、これは異常に等しい行為だったが、私はあまり気にしなかった。
たぶん、フランスから東京へのフライトに続いてこの突然の帰郷を思いついたものだから、疲れてしまっているのだろう。
緋乃の体はミュシャの描く女性像のようにやわらかな曲線で保たれている。共に過ごした時間の中の多くの画像が、彼女の健康が実はどれほどあやういバランスのうえで保たれているものかを物語る。
たとえば、どちらかの大学の図書館、ほんの少し冷房がきついだけで顔色がまっさおになってしまった緋乃、待ち合せ場所で運悪く雨に打たれてその場に崩れ落ちてしまった緋乃。お父様が亡くなられてまともに眠れることができなくなったのに、朝はベッドから抜け出して学校に行かなくてはならなかった緋乃。
そういう時の彼女の悔しそうな表情は、真の苦痛、理不尽な負荷を知り、なおかつちゃんと戦おうとしている戦士の顔で、わたしは見るたびいつも、ああ、緋乃の気の強さはこういう瞬間によって育ってきたものなんだな、彼女はきっと、ずっと小さい頃から自分と向き合うという大戦争に従軍してきたんだな……と考えて、心の中で感嘆していた。
その美貌も、頭の良さも、本気になればいくらでも人より楽で甘い人生を手に入れることができるだけのクオリティになのに、彼女はそうはしなかった。今も、そうはしていない。
すべてを自分で選び、決めていくことができる人。
選ぶことをはじめから諦めている私からすれば、光のようにまばゆく強い女性だった。
「いとこ? 緋乃のいとこ? 美人?」
だから、私がかなりの興味を持ってそう聞き返したのは当たり前のことだったのだ。無敵の緋乃のいとことなれば、さぞや美しい女性であろう。
「なあーに、丹ったら。そういうシュミだったの? 男の子よ、男の子。」
眼を細めて笑った緋乃に私は驚かされて、
「え?」
と言った。
「だって、めぐみって」
「うん、恩納惠くん。小さい頃はだいぶからかわれた名前みたいよ。恩納は変な名付けをする家系みたいね」
「いくつ?」
「わたしより二つうえ。二十六歳ね。わー、大人。でも、彼、中身は子供よ。狼少年みたいなひと」
「狼少年? うそつきってこと?」
「あはは、違う違う。野生児ってイミ。すごいわよ、カメラマンでね。自然を……島をテーマにした写真を撮りつづけてるの。」
「この島を?」
「そう。でも、それだけじゃなくて。ハワイの火山とか、シシリア島とか、イギリスも好きみたいだし、あとキューバとかね。島国が好きなのね。モルディブとかも。すごくわかりやすくて、光と影の明暗がはっきりしてる写真を撮ってて、明るいのに、明るすぎてなんだか切ないのね。惠は隠せないひとなのねって思う。彼の撮った、降り注ぐひかりの写真を見て、あたしは泣いてしまったわ。」
「それはすごい、緋乃が泣くなんてよっぽどだ。」
心から言うと、彼女は、でしょうとまた笑った。
その笑顔は照りつける太陽の日差しにも負けず、どこまでもはっきりと彼女だけの輪郭を主張する。風景に溶け込むことがない。白い浜と青い透明な海がかさなりあう、澄んだ水色が、わたしたちを乗せて存在していた。この小さな、たまごみたいに脆い肉のかたまりをただ許してくれていた。
島を撮るひと。
私はカーブを描く地平線をはるか見やって、そのひとのことを考えた。
わかる気がする。地があって、海があって、人がいて、花があって、はだしで歩いている人たちがいて、犬が地面で寝ていて。
島は命をその器からあぶりだす。飾りは灼熱に燃やされて、肉体と魂の本質だけが輝く。
そのまたたきを、きらめきを、きっと彼は追っているのだ。光を撮る人。
許されたいひと? 救われたいひと? それとも、
許したい人?
ところで、わたしが転がり込んだ緋乃の祖父母の家は、慶良間諸島のなかの座間味という島にある。観光で骨までしゃぶられた本島とは違い、まだまだ手付かずの自然が残り、海辺にいくつかホテルがあることにはあるが、千葉の海の家を連想させるスケールだった。
名前も知らない濃い緑は低く生い茂り、道は太陽に恋していくらでも白く焼かれる。小さな鹿が突如として視界を駆け、振り向くともう消えていたりする。
時期が初夏だったので観光客はまだそんなにはいなかったが、それでもペンションや民宿がある近くの浜辺にはビーチパラソルや水着の蛍光色がてんてんと見えていた。浅瀬の岩場からはダイビング・レッスンをしている講師と生徒の声が聴こえてくる。
緋乃の家は島の裏側にあったので、私たちはそういった喧騒とはまみえることなく、ゆったりと散歩することができた。
しかし、当たり前だが土着の人々とは必ずすれ違うことになる。そして私たちは彼らが、
「ハイカラやねえ。東京から来たん?」
とか、
「えっらい、べっぴんさんだねえ! やっぱり都会の人は違うわぁ、一目でわかる。」
とか地元のことばで言うのを、止めるのはできなかった。
その愛しい方言。この楽園のなかでだけ通じる言葉。
彼らが選んだ生き方を、選択したというその事実を、私はうらやましく思う。
この島に暮らす人々は、海に閉じ込められ、ここで命を果たすことを誓った人々ばかりだ。それを望まないと、緋乃のように島を出て、魂が求める場所へ羽ばたきつづけることになる。どちらも自由で、そしてさびしい生き方だ。
彼らには自分の心の声が聴こえている。そしてそれを実行している。
選ぶことができずに途方にくれている私は、ただ、海の中でゆれているだけ。
まだ一日目なのに色々考えさせられるなぁ、と思いながら、具合が悪いと横になってしまった緋乃の寝顔を見つめていた。やはり疲労していたらしい。
彼女は精神はものすごく強いため、その少し弱い体とのバランスが取りにくく、いつも自分が無理をしていることに気がつかないのだ。
肌がまるで陶器のように……とかいうと使い古された表現すぎて、彼女のフレッシュでみずみずしい、むいたライチのような質感の肌を形容することはできないが、とにかく、本当にその位美しかった。島生まれなのに何故こんなに色が白いのか謎だ。しかしこの、頬に影を落としているほど長いまつげや、きりっとした眉根、彫りの深い骨格は、たしかに濃い血を感じさせる。
墨みたいにまっくろな髪の毛をもてあそんでいた時、例の「めぐみくん」がやってきた。
「こんにちはー。緋乃、いる?」
家の扉はどこもかしこも開け放っていたので、彼の声はとてもよく通った。いい声だ、とわたしは思った。自信がある、押しの強い声。
緋乃が起きないようにそっと立ち上がって玄関まで赴いた。ぼろぼろだががっしりしている、屈強な柱の合間から、逆光に浮き出されたシルエットが見えた。
はじめ見た時は、狼かと思った。その位細身で、しかも家の中に半ば入りかけていたので、曲げられた体の線が獣のように見えたのだ。
目の前に立ってみれば、彼はよく日に焼けて引き締まったふつうの青年だったが、それでもその眼はふつうではなかった。
私は、自分の全てが彼のその瞳に集中するのがわかった。
輝きが悲しい。なんて野性的で、遥かな眼。
「あれ? きみ誰? 緋乃は?」
惠くんは臆面もなく言った。やはりいい声だ、とわたしは知らず微笑みながらこたえた。
「奥で寝てます。具合がわるいみたい。私、彼女の友達です。ぐうぜん連れてきてもらったの。」
「あ、そーかそーか、親父から聞いてたんだった、ごめんね。緋乃の友達も来てたって。ああ、俺は惠。恩納惠」
彼は砂浜の砂のようにまっさらの笑顔を見せた。白い歯が焼けた肌に映えてきれいだった。わたしは、自分の胸の奥がほんの少しだけ熱くなるのを感じた。
「知ってます。わたしは丹」
「たん?」
「はい。伊礼丹。もとは石垣島の生まれです」
「ああ、どうりで! イルカみたいな子だなあって思ったんだよ!」
初対面の女の子を動物に、しかも海のなかの哺乳類に例える男など世に何人いるであろう。
私はあんまり面白くて、非礼を責める気にもなれず、声をたてて笑ってしまった。
惠が少しだけ驚いて、それからすぐに自分も笑顔になる。
「イルカ! あはは、ありがとう、嬉しい、すっごく嬉しい。」
「ごめん。今考えたらちょっと変な例えだったかもね。」
「そう? あたし、自分は海から生まれたって思ってるからうれしい。」
「野生児なの?」
「そうよー。泳ぐの、大好き。」
話しながら、太陽に背を向けている彼の首筋がじりじり焼かれるのを目の当たりにして、私はあわてて場所を移動した。木の床をはだしでぺたぺた歩いて居間に戻ると、さっきまで籐の寝椅子で寝ていた緋乃が、半身を起こしてねぼけた声で「たん?」と眼をこすっていた。
かわいいな、と私はとても強く想った。
闘志のない、これは緋乃の素の表情だ。
「ごめん、起こしたね。従兄弟さん来たよ」
「来ましたよ。ハイサイ、ちゅらかーぎー。」
「ハイタイ……。めぐ、お野菜持って来てくれた?」
「持ってきたけどさぁ」
久しぶりの再会で第一声がそれ? と、惠は苦笑しながら両手いっぱいに抱えていたビニール袋を床に下ろした。どさっと重い音がたつ。はじけそうな緑の太ったゴーヤやきゅうり、かぼちゃ。とうもろこしに紫蘇の束も見えた。
そのすごい量に今更ながら私は驚いて、しかも惠がぜんぜん重そうでなく持っていたことに二度驚かされた。
「喉渇いた、水飲んでいい?」
惠が言ったので、はっと気がついて踵を返した。
「あ、ごめん。今飲み物作るから、座って待ってて」
「ああ。ありがとう、丹さん」
いいえー、と答えて、うすぐらい台所に立っていった。先刻緋乃の叔父さん、つまり惠のお父さんが来た時に飲み物を差し入れてくれたので、清涼飲料はたくさんあった。ずらっと並んだ二リットルサイズのペットボトル。カルピスを選ぼうとした指先を、なんとなく隣の麦茶にうつした。
どうやらこの一週間は緋乃の叔父親子に賄われることになりそうね……。
きん、と音をたててガラスのコップを取り上げながら私は思った。一週間という期間の短さが波のように耳の奥に押し寄せるのを感じた。
一週間が経てば、また本土に帰るのだ。大学生に戻るのだ。
当然のようにそう考える。嫌だとも思わないほど、もう染み付いてる。
いまはあそこが私の拠点。