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恋しあかばな  作者: 小糸
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恋しあかばな

 


 恋しあかばな 焼け焦げた家

 振り向いた先に笑う顔


 

「相変わらず、美人だなあ、緋乃ちゃんは。」

「ありがとう、おじさま。母と兄がよろしくと言っていました」

「うん。一週間の滞在だろう、なにかと困ることがあるだろうから、息子を後でよこそう。」

「え、惠くん? うわあうれしい、もう何年も会って無いもの! げんき? おじさま、彼は元気? ……」


 というような会話を横目に、私はたたみの床に泳ぎつかれて寝っころがっていた。

 古きよき瓦屋根の木造の家。クーラーなどないので扇風機を回している。

 シャワーで濡れた髪の毛がそよそよと涼しくゆれ、サイダーのコップに入った氷が溶けてからんと音をたてた。季節はまだ真夏ではないのに、まるで夏休みのようにはかなくて眩しい休日の時間が、私の周りですでに動き始めていた。

 縁側からいきなり白く、明るく開けた庭で、鳥がさえずっているのが聞こえる。南国の鳥特有の、悦びに満ちた上機嫌な鳴き声。わたしはうつぶせの状態のまま首だけを庭に向けて、赤いハイビスカスを特に意味もなく見つめていた。

 全てが見えて聞こえている。だが胸がひりひりする。

 今まで心の中に組み込まれていた家族というもの、馬鹿でちっぽけな私からすれば、途方もなく大きくて、奇跡的で、どろどろと生臭い、生の塊だったようなもの。それがとつぜんばりっと引き剥がされてしまった痛みだ。傷だ。

 そっか、私は傷ついてるんだ……。

 だから妙に無気力なのにエキセントリックなのだ、土の白を、花の赤を、海と空の青を、眼に痛いくらい一方的にきれいだと感じるのだ、と理解した。

 同時にちゃんと立ち直れるのかなぁとも考えて、私は、今更ながら未来というものがいかに見えないものなのかわかり、そのあまりの酷さにぞっと凍り付いてしまった。


 天からの恵み 受けてぃこぬ世界に

 生まりたる産子 我身ぬむい育てぃ

 イラヨーヘイ イラヨーホイ

 イラヨー 愛し思産子……


 甘い声が健やかに伸び縮みし、萎縮した臓腑をなでていく。

 みなしごになってしまってから私はよく眠るようになった。自分でも怖いほどに。

 それが引越しや各種手続きに伴う疲労のためなのか、単に心が折れてしまったせいなのか判別はむつかしいが、わたしは本来超がつくほどものぐさなので恐らく両方だと思う。

 母の葬式のあとに丸一日眠ってしまって以来、ことあるごとにうとうとする。

 始めは、眠って自分が元気になるならこの永い睡眠も必要なものなのだろうと楽に構えていたが、次第次第に一日の睡眠時間が延びていき、最近では12時間寝ないと次の日中行動できなくなってしまった。

 さすがに、少し怖い。

 以前の私はどんなひどい失恋をしても、友人に裏切られても、単位を落としても、必ず毎日ちゃんと食事をして、翌日の朝はやく目覚めることができる健康な娘だったのに。

 ただ一人がいなくなっただけでこれほど自分という生き物が機能をおかしくしてしまうなどと、私は知らないでいたかった。


「泣くなよーや ヘイヨーヘイヨー……」


 健やかに育て、太陽の光受けて。

 しっとりした手が額を撫でて、そこに浮かんだ汗を拭っていってくれた。心地よくて思わずほうっと息を吐き出したわたしは、眼を開いて見上げた先に、友の驚異的に美しい顔があるのを発見してその名を呼んでいた。


「緋乃?」


 彼女についての説明がまだだったと思うので、ここで補足する。

 緋乃、恩納緋乃は私とちがう大学に通っていた女の子だ。職業はピアニスト、時々先生。

 誰に対しても臆さず、常に相手の目を見てはっきりと気持ちよく物を言い、しかし反面粘り強くて自分のためにも他人のためにも努力を惜しむことがない。

 交換留学生として一昨年派遣された先のフランスに住みついてしまったという彼女だが、単にお嬢様というわけではなく、はやくに父を亡くして、高校からかかった一切の学費は親に払わせたことがないという苦労娘でもある。

 私はサークルづてで出会って以来彼女に惚れこんでしまい、何度自分が男でなかったことを神に呪ったかわからない。

 なにしろ緋乃は腰が抜けるほど美人なのだ。白く輝く肌に、滴るような赤い唇、しっとり波打つ黒いロングヘア。


「眠ってていいのよ」


 容貌だけでなく、その、気高いまでの優しさも。


「……もう十分ねむった。最近、寝すぎだから、これ以上は怖いよ」

「眠れるときは眠っておいた方がいいのではない? あたしはパパを亡くした時、眠れなくなったもの。」

「じゃ、たぶん逆なのよ、あたしと緋乃ちゃんは。すごいのよ、あたし。ずうっと寝てるの。自分で怖いくらい。一度眠ると目覚めることができない気がする。起こしてくれる人がいなくなったからかな」

「そうね。きっとそうよ。恐怖に心が疲れきってしまってるのよ」

「いま、何時?」

「五時半。」

「あかるいね」

「沖縄って、不思議な土地ね。いつでも半分眠ったみたいにとろとろした時間が流れているのに、あとの半分はいつでも目が覚めているみたい。日差しがぴかっとして。雨の日でもそう感じる」

「雨か……なつかしいな。」

「この一週間で雨、降ればいいわね。」


 丹の求めるものに、すべて触れられるといいわね。

 緋乃はそう言って笑った。

 求めるもの? 私は考える。

 そんなもの、ない。私はいま何も欲しくない。ただこの世に絶望しないために、今にしがみつくのが精いっぱいだ。過去を覚えていることも、未来を想像することも、どちらもこの脳には重過ぎる。

 少し前までの自分が「お父さん」や「お母さん」という単語を当たり前に発していたと考えると、今の自分がその頃の愛らしい自分とはいかに一線を画してしまったかを目の当たりにし、愕然となる。

 誰ともつながりを持たない、それだけ、自分だけで存在している生き物。今、無の状態の、闇の塊。

 求めるものなどあるわけがない。私は顔を伏せてしまっているから。


 太陽に顎を上げて咲き誇るあかばなのように、貪欲な光の受け皿にはなれないから。


 でも、緋乃の眼には私は何かを求めているように見えたのだろうか。

 親を失い、家庭という群れからはじき出されてしまった子羊は、メエメエ鳴き声をあげながらそのもじゃもじゃの体毛に顔を埋めているように見えたのだろうか。

 肩を丸めて震えているように見えたのだろうか?




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