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恋しあかばな  作者: 小糸
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蒼と青の狭間

 

 Good-bye,bye my dear

 おやすみなさい 永遠に



 那覇空港に降り立ったとたん、立ち込める潮の匂いに血が感応した。空気のすべての粒子にこの島だけの熱があり、風がそれを運んでいく。暑いのに、本州とは比べ物にならないほど心地いい暑さ。

 それはわたしがこの島で生まれたからなのだ。私はこの島の人間なのだ。


「あぁ、血がざわざわする。」


 隣で緋乃(というのは、私をこの一週間の島旅に誘った張本人の女の子だ)が感極まったように呟いた。見れば大きな帽子の下、うるんだ黒い眼を細め、彼女も泣きそうな顔をしている。

 わかる。帰ってきた、と思っているのだ。

 あるいはそう、勘違いさせてもらっているのだ。

 わたしたちは二人とも、本州に大人の自分を置いてきた。守られていた国を出て、死に物狂いで形成しはじめた自分自身、生きることになにか理由を掲げなければ明日も落としてしまいそうな、社会の中に組み込まれた規則正しい人生を。

 生まれたのはたしかにここでも、体に流れている血はこの潮とおなじ味をしていても、私たちはもう、このゆったりとした時の流れに二度とふたたび戻ってこないとわかっている。家がないし、追い求める夢もない。

 沖縄とはそういうひとつの楽園だ。

 神の恩寵をぎっしり詰め込まれた海辺の貝がらのような、その中に入ってしまうと外が完全に遮断され、他のなにも見えなくなってしまうような、幸福な異空間だ。


「完全によそ者の気分だわ」

「うん。観光客だね。すこしこの島をよく知ってる」

「よく知ってて、この上なく愛してる、ね。」

「そう。ねえ、この一週間は、小旅行だね。」


 本州に本体を置いているわたしたちが、一時の休息を求めた、南国の夢だね。


「詩人ねぇ、丹。」


 歌ができそう、と、緋乃はそのつややかな黒髪を風になびかせながら、陶然とほほえんだ。

 私たちは空港を出るとタクシーを拾い、慶良間行きの船を出している港まで向かった。


 夢が始まった。始まりから終わりまで、この眼で見届けることのできる残酷な夢。


「この海」

「この空」

「このブルー!」


 高速船の上では私たちはどちらもあまり喋らなかったが、いざ慶良間についてからはガンガン気分が高揚していった。なにしろ、緋乃のおじいちゃんおばあちゃんの家というのが、海のまん前、よく晴れた空の色が海に落ちそうにうつる、圧倒的なディープ・ブルーのただなかにあったのだ。

 どこを向いても青、ときどき遠くの島影。

 神のつくったこのあまりにも大らかな光景に、わたしは出されたお茶を飲みもせず、とにかく海へ駆けて行った。


「丹!?」


 緋乃が背後で驚愕していたが無理はない。なにしろ、みなしごになって打ちひしがれているはずの私が突如憑かれたように走り出したのだ。その先には海しかなく、しかもそれが観光客用にクラゲ網の張られた代物などではない、絶え間なく野性的な波が打ち寄せるほんものの海だったとしたら、自殺を疑うのが筋というものだ。

 だが、もちろん、私は死ぬつもりなどなかった。

 むしろ逆だ。

 この海に飛び込んで、自分がちゃんと存在している生き物なのか、実感したかった。


 砂浜が白い。ゴミが落ちていないそこを駆け抜けて、衣服を脱ぎ捨てながらばしゃばしゃ海へ分け入っていく。ラッキーだ、こんなにきれいな眠れる獅子のような浜へ来れた。

 太陽に熱された肌に水がふれ、まとわりつき、やがて全てを押し包むのを感じた瞬間、わたしは泣いた。

 どぷん、と足が浅瀬から離れる。

 いきなり深くなった海に頭からもぐり、限界まで沈んで、浮上した。またもぐる、また上がる。

 やがて顔に流れる水が涙なのか海水なのか判別つかなくなった頃、わたしは両手をひろげてぷかりと海水に浮かび、雲のない空を見上げた。

 ここが蒼と青の狭間。

 たぶん、私のなかで命が動いている場所と同じ光景。


 父も母も兄もこの青に溶けたのだろうと想えば、わたしはそれだけで救われる。






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