遠い、島へ
あの青に心奪われて
恋、を認めてしまったいまが
幸福なのです
悲しいのです
もう戻れない月の海
それでもわたしは おそらく永久に
あの青に封じ込められたまま
濡れたままゆくのでしょう
現実逃避のため家の中を片付けながら、気がついたら歌をうたっていた。
私にとって音楽は特別なのだ。
歌手になりたい、とか私の歌で世界を変える! とかそんな大それた野望があるわけではなく、例えるなら呼吸とようなもの。それをしていなければ死んでしまうし、生まれた時からそのやり方を体で知っていた、という感じなのだ。物心ついたときから歌がすきだった。
沖縄の家のまわりには音楽好きなひとびとが集って住んでいて、三味や民謡が潮の匂いのする風にふわりと乗っていつもちいさく聴こえてきた。
開け放して白い日が強烈に差し込む縁側でわたしはそれを聴いていた。ビーチサンダルの足をぷらぷらさせて、庭のハイビスカスを眺めて。飲み物はいつも、カルピスだった。
なつかしい、と気が狂いそうになるのは、それがわたしの子供時代の記憶だからだろうか。あるいは失われた故郷の絵だからだろうか。それとも、南国の鳥のさえずりと重なって響いていた旋律が、単にセンチメンタルなタッチだったからだろうか。
……センチメンタル。感傷、そう、感傷だ。わたしはいつだって理性より感情が強い。負ける。あっけなく飲み込まれてその波に奔流されてしまう。
だけどそうしなければ忘れてしまうではないか? 私を愛してくれたすべてを。あのひなびて哀しい故郷を。それが嫌だから、愚かだと自分でよくわかってはいても、わたしは感傷を重んじるのだ。
想い出をこの弱すぎる二本の腕でかき抱き、守ることだけが、いまの私とこの世界の友好関係を保つ最後の糸だった。
きらきらと海のように千々のひかりをまたたかせ、あまりにも愛しくうつくしいゆえ細すぎて、今にもはじけ飛びそうな糸。
きっとそれを皆、夢や希望と名付けて尊ぶ。
だがわたしがいくら弱っていても、周囲はそうではなく、時間は流れるものであるからして、あまり悠長にはしていられない。母の遺言というか、いまわの際の言葉に従って千葉の家を売り払った後、わたしはとりあえず今後の身の振り方を考えなければならなかった。考えられる展開はみっつほどあり、
ひとつ、通っている大学をとりあえず卒業する。
ふたつ、退学して沖縄に帰る。そして働く。
みっつ。同じく退学して働くが、ここ本州で。
というのが、まあ何とか自分で頑張れないこともないか…と私が思える選択肢だった。
最もやりたい、と積極的に心が反応するのはやはり、ふたつめの沖縄回帰なのだが、これにはお金という最も現実的な問題が立ちはだかった。何しろ沖縄は田舎だ。環境でしかその身を立てることの出来ない貧乏県だ。仕事が見つけられない可能性は大。
となると本州で働くのが一番いいような気がしてくるが、どうせこの土地に残るなら大学は卒業したほうがベターだ。すぐに働き出すのは精神的にも肉体的にも労力がかかりすぎる。
それに、今すぐ正しい決断を下す必要などどこにもない。いや、そもそも、正しい決断などは存在しないのだ。
私はただ生きるだけだ。まだ大丈夫、大丈夫だと呪文をくりかえし、胸の底に眠っていた強さを揺り起こしてそれを剣にして。
かくして、私はとりあえず大学を卒業することに決めた。
家を売り払ったあとは学校が紹介してくれたマンションに移ることになったが、前の住人の退去が遅れ、一週間ほど望まぬ暇ができてしまった。
今のわたしにとっての暇は闇を喚起する以外のなにものでもない。
うわあ面倒くさい、と心の底から滅入りそうになったとき、学内で偶然すれ違った旧友が旅行に誘ってくれた。彼女も最近いろいろあって気が塞いでいるらしく、ふるさとにトンボ帰りすることにしたというのだ。ふるさと。
沖縄。
「そうだ、丹も行きましょうよ! 私ひとりじゃ寂しいし、って一人になりたいから一人旅しようとしてるのに矛盾してるけど、同郷の友達ってそんなにいないから話が違うわ! ね、慶良間よ。なくなった祖父母の家があってね、今は親戚が管理してくれてるんだけど、お金もかからないし。そうしよう?」
世にも美しい友はそう瞳を輝かせて提案し、わたしは──彼女の発散する圧倒的な魅力のためだけではないが──ごく自然に、頷いていた。
「うん。行く」