第二話
天上が見えた。
ぼろ屋敷の天上ではない。
野宿の夜空でもない。
安宿の低いそれでもない。
「……あっれ?」
ここはどこ私は誰をやってみる前に状況確認が先だと判断。しかし身体を起こそうとした瞬間、全身に鈍い痛みが走り、俺は声無く呻き枕に頭を落とした。
「気がついたのかい?」
女の声に視線を動かせば、白いカーテンをめくり背の高い女が覗いていた。栗色のくるくると癖のある髪をポニーテールにしている、全体的にスレンダーな女。だが、残念な事に露出は少ない。ズボンに手首まであるシャツと、その上からホルスターの様な革っぽいベストを着ている。俺の居た地方ではあまり見かけなかったが、冒険者の姿に似ている。
と、そこまで無駄に考えて、ようやく繋がった。
俺……魔導学院に来てた……よな? 確かに着いて、唯一主人主義鬼畜偏愛男に放り出されてー………どうしたっけ?
「その子に感謝しな。夜通し看病してたみたいだ。あたしは薬を仕入れて帰るのが遅くなってね、戻ってみればあんたの熱はけろっと下がってたんだよ」
その子? と、見ればベッド脇につっぷして眠っている白い頭の子供がいた。十四くらいだろうか。
「誰、こいつ」
「あんたの同室の子だよ。キルミヤ・パージェス。今をときめくグラン・パージェスの弟君?」
「あん? 何だよおばさん。何で知ってんの。あんた学院の関係者?」
まぁ学院に居るのだから関係者だろうなと思って安易に言った瞬間、女の額にまぎれもない青筋が浮かんだ。
「おーばーさーんー??」
「あ、ちょ、まって? 俺って結構な重病人? だよね? だよね?」
「そんだけ喋れる重病人がいるか!!」
バゴンッ!
持っていた盆らしき物で容赦なく殴られた。
「いってー! うわ! ひどっ! 身動き取れない病人殴るなんて! なんて怖いんでしょう。ぷるぷる」
「……あんた、本当にグラン・パージェスの弟かい?」
「まことに遺憾ながら」
沈痛な面持ちというのを作って言ってやると、何故か女は笑った。
「随分と兄とは違う性質のようだね。あちらはあちらでなかなか面白いが、あんたもこの業界じゃあ、あまりみかけない性質だ。ま、せいぜい頑張ることだね。歩けるならさっさと部屋に戻りな」
「え~ここで寝てたら駄目なの?」
「ここは病人と負傷者の為の部屋だよ」
「俺、まだその範疇にあると客観的にみても思うんですけど……」
頭を押さえて上目使いで頑張ってみる。
「お前の回復力なら問題なかろう? 意識が無かったくせに一晩でケロッとしているんだから。また倒れたなら、そのとき看てやるよ」
「わー鬼発言だー」
「何か言ったかい?」
「何も……」
「よろしい」
俺ってこんな扱いばっか……
泣いて見せるが女は見てなかった。ちょっとむなしかった。
「……はー。やれやれ」
俺は全身に力を入れ、寝返りをして腕をつき何とか身体を起こした。
ベッド脇の水差しにそのまま口を付け飲みほすと、床に足を降ろし感触を確かめる。全身の痛みは筋肉痛だろう。だるさは発熱の後のおまけといったところか。だが、思ったよりも気分は良く、ふらつくのをのぞけば問題なさそうだった。
今まで、ここまでなったケースと比べると非常に状態が良い。
「おーい。少年」
「……ぅ」
「寝てるとこ悪いんだが、起きてくれ」
ぽんぽんと白い頭を叩くと、少年は身動ぎをして髪とは正反対の真っ黒な眼を向けてきた。半分寝てると分かるぼやけ具合で。
「……おはようございます」
律儀に挨拶をくれた少年に俺も頭を下げる。
「おはようさん。さっそくで悪いんだけど部屋どこ?」
「……部屋?」
「あんたと俺、同室らしいから」
「……同室」
「おーい。起きてるかー? ここは学院、でもって俺たち生徒。寄宿舎の部屋が同室」
ふっと少年の焦点が定まる。
「あ、すみません。部屋ですね、こちらです」
がたりと椅子から立ち上がり歩き出す。
良かった、割と普通な子らしい。エントラス学院は魔導学の最高峰と言われるだけあって通っている者もセントバルナの上流階層の人間が多いだろう。軽くコミュニケーションを開始してしまったが、あれで問題ない相手というのなら相部屋の相手としては気が楽だ。
「お世話になりました。失礼します」
「どーも。倒れたらたのんまーす」
対照的な挨拶を残して部屋を出ようとすると、何かを投げられ俺は反射的にそれを掴んだ。
なんだ? と思って見ると、革の袋の中に薬を包む紙がいくつも入っていた。
「持ってな。でも、無理は禁物だよ」
薬包の中身が何か分かり、俺はちょっと感心して女を見た。
上からすっぽりと白いローブをかぶり終わった女は、いかにも某RPGの白魔導師。にやりと笑む姿は似つかわしくなかったが。
俺は手をひらひらさせて戸を閉め、少年の後を追った。隣の建物まで無言で歩き、二階の一番奥の部屋へと入る少年。どうやらそこが俺達の部屋という事らしい。
「ここが僕とあなたの部屋になります」
「ほへー。思ったよりも広いな」
寄宿舎と言うからには六七畳程度の部屋かと思えば、ゆうにその三倍はあった。下手しなくても、俺が住んでいた部屋の面積を超えている。
「それは、この国で最も大きな学院ですから、貴族の師弟も集まります。あまり狭いと文句が出るのでしょう」
二つのベッドに、二つの机。クローゼットがそれぞれに用意されていた。それなりの貴族の子女にしてみればこれでも文句ものだろうが、あくまでも学生という身分上、これで我慢しているのだろう。
「……そういえば、静かだな」
ふと、俺は違和感に気付いた。
いつもなら俺の耳をイカレさせたいのかと言うほど世界を満たしている雑音が、ほとんど聞こえない。それこそ、いつも昼寝をしていたあの丘か、地下牢と同じぐらいに聞こえなかった。
「それはお願い……しましたから」
「お願い? あ、おい!?」
唐突に少年はその場に崩れ落ちた。
「何だよ、お前……熱か? 面倒だなー。さっきの場所で倒れててくれよ。筋肉痛で痛いんだよ」
仕方ないなーと、少年を抱えあげようとすると、少年は何故か身をよじってそれを避けた。避けて腕に力が入らないのか潰れて、頭を床にぶつけた。
「何やってんの?」
自爆した少年に思わず尋ねてしまう。
「あそこへ……は」
「行きたくないの?」
視線が定まらないまま微かに頷く少年に、俺は頭を掻いた。
「行きたくないところに俺はいたのかよ」
「そうじゃ……僕だから、僕は……」
俺は手を伸ばした。今度は避けられる事もなく少年の額に着地。
「つってもお前、本当に熱がひどいぞ」
「……だいじょう……ぶ。あなたが、いるから」
「俺?」
「精霊が……いるから、力をわけてもらえるから」
「せいれい?」
聞き返すも少年は意識を手放していた。少年の頭を小突いてみたが、反応は無かった。
「……ねちゃった」
どうしたものかと悩んでいた俺は、はっとしてドアを見た。
「キルミヤ・パージェス!
カシル・オージン!」
大声とともに部屋のドアが開かれる。部屋に入ってきたのは白髪が幾スジも見える魔術師風の男。
が、部屋には他に誰もいない。
「何処に……入学早々、式に出席しないとは」
「あら、クレイスター先生」
「ラウネスか」
背の高い療養室の女はにこにこと白髪教師に近付いた。
「キルミヤとカシルなら体調を崩してうちで預かっておりますよ。ごめんなさいね、連絡が遅くなってしまって。二三日すれば良くなりますから、ご心配なく」
完全に猫かぶり。ローブの下は冒険者のような服装をしている事や、さっきまで男勝りな口調だった事を考えればそれしかないだろう。女の人、怖い。
「それを早く言え」
「ごめんなさい」
くすくすと笑いながら女は白髪教師から離れていき、男の気配も遠のいた。
………はぁ……
俺は詰めていた息を吐き出し、そそくさと外壁から身を離して下に飛び降り、少年を抱えたまま場所を移動した。
「あー……面倒とはいえ、最初からさぼっちまった。ま、いーか。どうせやる気ねーし。昼寝したいしー」
学院の外に広がる林の中、よさげな巨木に身を預けて俺は大きくあくびをした。
「しっかし、何で俺がこんなガキの面倒見にゃならんのか」
膝には毛布で蓑虫宜しくぐるぐる巻きにされている少年の頭。
「どーすんだよ。あのおばさんとこ行きたくないって。俺医者じゃねーぞ」
教師に見つかればすぐに連れて行かれるし、あの状況では部屋を出るしかなかった。咄嗟に毛布を掴んできたが、熱が出ている人間をこんな外で転がしているのは問題だろう。仮にも看病を既に受けた身としては何とかしてやらなければと、珍しく人道的な事を考えてみる。
「大丈夫」
「起したか。悪い」
少年は目を閉じたままだった。
「僕は、大丈夫。あなたの傍には精霊がたくさんいるから」
「なんだよそのせいれいって」
少年の頬が少し動く。微笑んでいるらしい。
「あなたは、本当に知らないのですね」
「なにを?」
「あなたは精霊に愛されし存在。あなたのまわりにはとても多くの精霊がいます。あなたが倒れている時、彼らはとても心配していました。そして今も本調子でないあなたを心配しています」
……なにこのこ。
危ないこと言ってますよ。
電波なのか? 電波系なのか?
「えーと。お前、不思議ちゃん? 変なものが見えたりとか、そっち系の人?」
「『そっち』という系譜については分かりませんが、見えているわけではありません。僕は聞こえるだけです。むしろ、あなたこそそうではないのかと思っていました」
どんびきしつつも一応オブラートに包んで尋ねてみた俺に、少年は心底真面目そうな感じで答えてくれた。
答えてくれたのはいいが、待ってくれ。俺はそっち系の感性は皆無だ。圏外だ。
「なんだよ、俺はそっちの人じゃないぞ。一般人だ。一般人」
「ですが、人には聞こえない音を聞いているのではないですか? 例えば、遠くの人の声とか。聞き取りようもない程小さな音とか」
「……声、ねぇ」
「それは精霊たちが貴方に運んでいるものです。あなたがいつも一人でいるから、寂しくないようにと。そして、少しでも自分たちの存在に気づいて欲しいと。さすがに倒れている間は自粛してもらいましたが。今も静かにしてくれているようですね」
俺は軽く目を見張った。
「お前が?」
「お願いしただけです。彼らはあなたの事が好きだから僕の願いを聞き入れたにすぎません。あなたも彼らの声が聞けてもおかしくないと思うのですが……」
「俺が?」
少年は小さく咳き込んだ。
俺は肩の力を抜き、少年の頭をぽんぽんと撫でた。
「悪い悪い。寝ろ」
「いえ。話させて下さい。これぐらい平気です。
彼らが言うには、何かに阻まれているそうです。おそらく、あなたには封印か何かがかけられているのでしょう。何の目的があってそうされているのか分かりませんが、たぶんそれはあなたを守る為」
守る……ね。
「それだけ精霊に愛されている存在は、かつての緑の民を彷彿とさせます。
緑の民。別の名を緑の聞き手。緑の聞き手は、この世界のあらゆる事を知ることが出来ると言われていました。彼らの武器は精霊。精霊は世界中のあらゆる音、光、力を拾い、愛する存在へと惜しみなく与えます……だから」
緑の怪人が居るらしい事は分かった。分かったが何を言いたいのかさっぱり分からない。
咳き込む少年の額に手を置き、俺はもう片方の手を虚空に向けて突き出した。
魔術の基礎、大気の力を取り込む型。だったか。まぁ、精霊の力をもらえるのか、もらえたとしてもどうしようもないのだが、ものは試しというつもりで、少年に力をわけてやってくれと心の中で念じてみる。
「権力者は緑の聞き手を求めました。あたなが本当に緑の聞き手なのかは分かりません。血族に近しい者、あるいは血に連なるものの誰かが、そうだったのだと思います。ただ、あなたの愛され方は尋常ではない。だからこそ、精霊の力を得たとき、あなたを欲するものが多く現れてもおかしくはないのです。
緑の聞き手、緑の民の存在はもう随分と忘れ去られてきましたが、いまだ権力者の中には伝説として記憶に留めている者もいます。ですから、あなたがその封印に気づいていて、それを解く為にここへ来たという事ならば、僕はお勧めしません」
「そんなんじゃねーよ」
「そうですか……良かった」
「人の心配してないで自分の心配しろ」
「大丈夫です。先ほどから精霊たちが力を分けてくれていますから。あなたがお願いしてくれたんですよね。ありがたいですけど、人前でやらない方がいいですよ。分かる者には分かります。特に魔術を扱う者たちには勘付かれる可能性がある」
俺は頭を掻いた。
「俺じゃなくてお前が精霊に愛されし存在じゃないのか?」
さっきから、言ってる少年の方がよっぽどそういう珍しい類の人間ではないかと思ってしまう。
そう言うと少年は笑った。
「いいえ、もう違います。よしみで助けてくれているだけです。あなたがいなければ僕のまわりに精霊は集まりません」
あくまでも俺がそうだと言いたいらしい。なかなか頑固だ。
「分かったよ……分かったから寝ろ」
「大丈夫ですから。それよりも、自身の危険性というものを――」
一向に喋るのを止めようとしない少年に俺はため息をつき、仕方なく口を開いた。
「俺がこの学院に来たのは俺の意思じゃない」
「え?」
「従兄弟がな、放り込んでくれたんだ。
お前の言うとおり、俺はささいな音でも拾ってしまう。それが遠くても、別の部屋でも、外からでも。子供の頃はそれがどこで発生した音か分からなくて、使用人達の噂話なんかも拾ってしまってな。意味の分からない言葉があると、それを言っていた使用人に聞くんだ。どういう意味なんだって。そしたら青ざめてどこでそんな事をと聞いてくる。子供の俺ってば素直だから、お前からって言うんだ。そしたら使用人はさらに青ざめる。化け物呼ばわりさ。ま、俺自身そう思ってたところもあるけど」
出会って一日も経たない相手に何を話しているんだかと内心自分自身に呆れながら俺は続ける。
「なんにしても、それでも俺は領主の血筋だったから、なーんもしなくてもメシだけは食えた。昼寝の生活が気に入ってたんだが、次期当主の従兄弟がな、お前はここに居るべきじゃないって追い出してくれたんだよ。で、ここに放り込まれた」
「それは新しい世界をと……?」
「そんな優しいかよ。俺がここまで来るのにどんだけ大変だったか」
「?」
「馬に乗ったことなんて無いのに、三日間のりっぱなし。休みなんて微々たるもの。早々に熱っぽいなーとか思ってふらふらしてても腰ぎんちゃくの野郎頓着せずだ。まじで死ぬかと思った」
実際、学院についてからの記憶が無い。微かに赤茶男が学院の案内を要らないと言って俺を引き摺ってどこかの建物に入ったところまではあるが、その辺りもかなりあやふやだ。
「……大変だったんですね」
「そーだよ。従兄弟はこの力をコントロール出来るんじゃないかと思っているけど。俺としては雑音から解放されたんならもうそれでいいわけ。封印なんてあったとしても、どーでもいいんだよ」
「そう……ですか」と、少年は安心したかのように喋らなくなった。
「……ったく。やっと寝たか」
手のかかる奴だと思いながら、俺は己の手を耳に当てた。
――本当に静かだった。
風の音も、林のざわめきも、小さな生き物の気配も分かるようだった。
この耳でこんなにも静かな音を聞いたのはいつぶりだろうか。
「世間ってのは広いんだねえ……」
誰にともなく呟き、小さな息を繰り返す少年の頭を少しためらってからそっと撫でると、癖のない柔らかな感触がした。
……何やってんだか。
少年の頭から手を外し、握った拳を額に当て俺は目を閉じた。